ヤウイは台湾出身、アメリカで楽理の修士、そうして博士号も取得。そのあと米国内のある州の大学の音楽部のプロフェッサーを勤めています。
じつは以前彼女の事もブログでご紹介したのですが。
勤務地がニューヨーク州やその近郊でない為、時々フェイスブック等で連絡はとりあっていますが、面と向かってあえるのは年に一回あるかないか。
今年のお正月に博士号取得した大学の時のお友達が、ニューヨークの友人宅に滞在する事になり、ヤウイもその方にさそわれて、ニューヨークに新春の旅行がてら来る事になりました。
終わったばかりのセメスターとすぐに始まる新しいセメスターのあいだの貴重な休暇をわたしとの出会いにさいてくれて嬉しかったです。
元旦なんで、ヤウイが案外スタバとかのお店が閉まってるかも,と心配して待ち合わせに指定したのがマンハッタンのリンカーンセンター近くのアップルストア。
ここは,平日も、週末もいつでもオープンしてるし、元旦でも大丈夫と思ったらしい。でも意外と多くのカフェとかが元旦から普通に営業していて、アップルストアで会って早々に近くのスタバに直行。
彼女のお勧めで”グリーンティーラテ”を二人でオーダーしました。わたしがごちそうしたのですが、律儀な性格の彼女はすごく申し訳なさそうに。
ヤウイ: ”ねえ、ミキのことは話したかしら。今回の旅行は彼女に誘われたのよ。”
私:”え?お友達、私が聞くのは初耳だけど、もしかして日本人?”
彼女によると、”ミキ”さんは博士号を受けた大学の同窓生で、日系アメリカ人女性。日系だけど、英語はネイティブなんで、博士論文のネイティブチェックの時など、お世話になったらしい。専攻は演劇とか。
ミキさんの友達がニューヨーク近郊にアパートをもっていて、新年にしばらく留守するので、そこにミキさんがニューヨーク旅行する間泊めてもらう事になった。ミキさんがその旅行に、友人のヤウイも誘ったと言う事。
とてもパワフルな女性らしい。今年75歳になられて娘さんもいらっしゃる。ヤウイと”同窓生”だった時も、同じく(専攻は違うが)博士課程。ということは、彼女,ヤウイと同じ大学で勉強してた頃は60代後半から70くらい?
ヤウイ:”あなたにも会わせたかったんだけど、日程があわなくてね、機会があれば是非紹介するわよ。”
わたしも、是非、とお願いした。
ヤウイ:”博士課程のことまだ考えてる?ミキの様な例もあるのよ。勉強はいつになってもできる。あきらめないで、あなただってチャンスはあるわよ。”
やさしいヤウイはミキさんの事を例に出して私を励ましたかったらしい。
エネルギッシュで、すてきな方のようなので、いつかお会いしてお話してみたい。
<ニューヨーク・パフォーミングアーツ・ライブラリー>
ニューヨーク公立図書館の一つ。パフォーミングアーツ(演劇、音楽、映画、舞踏など)に特化した公立図書館。なんとロケーションはメト(メトロポリタンオペラ)のお隣。ジュリアード音楽院もすぐ近く。私もよく楽譜やCDを借りにいく。買ってると途方も無くお金のかかるスコアや専門書など無料で借りられるのはありがたい。
そのころは丁度、ニューヨーク・パフォーミングアーツ・ライブラリーで借りた”ベルディ”の伝記を読んでいたんで、その事にも触れてみた。
ヤウイ:私はプッチーニが専門だから。彼の事は深くは知らないんだけど、レシタティーブとアリアのつなぎがすごくスムーズよね。
私:そうなのよ。メロディックレシタティーブ、といおうか。彼のばあい、レシタティーブ(詠唱)という範疇を超えて、すごく美しいメロディーとして書かれてる事が多い。
多くのクラスを受け持ち、教える仕事の傍ら、学者としても専門誌に寄稿したり論文を書いたり、リサーチしたり、学会に出席したり、忙しくしているようだ。
”たいへんだね” と言うと,
”サバイバルしなきゃね。”と言う。
私が覚えているのは、ずっと昔、ニューヨークの大学でクラスメイトだった時、彼女がぽつりと言ったこと。
”音楽無しでは生きて行けないわ.”
きっとその思いは変わらず彼女の中にあるのだろう。これからもずっと。
数年前に台湾のお母様が亡くなったと言っていた。とても強い女性で、夫を早くに亡くしてからヤウイたち兄弟を女手一つで育てられたという。
”母の死はすごいショックだったわ。”
彼女の提案で、マンハッタン近郊のエルムハーストという所にある台湾系のレストランでランチした。会計のときにわたしが請求書を見ようとしたら、すごい早業でかすめ取られ、
”スタバでごちそうしてもらったのだから、ここは私がおごるわよ。”
と、強制的におごられてしまった。
エルムハーストはマンハッタンのそれとは規模が異なるが、”プチ・チャイナタウン”みたいな感じで、中華系の店が多い。その日連れてってくれたレストランはその中でも、本格的台湾式のレストランとの事だった。
そのあと、その近所にある台湾系の仏教のお寺で瞑想すると言うので、わたしもくっついて行った。聡明な彼女の事だから、”うさんくさい系”の宗教でない事は予想がついている。これに便乗してわたしを信者にしてしまおう、などという魂胆もあるはずが無い。
お寺と言っても建物は普通のビルで、入ると頭を剃った尼僧が何人かいた。中の一室で、(日本とはちがって)ふっくらした分厚いクッションがいっぱい置いてあるフローリングの部屋で瞑想。
ヤウイはニューヨークにいた時から時々ここに来ていたそうだ。しらなかったよ。いくら知的で強い女性でも、やはり異国のカルチャークラッシュとか、様々なストレスがある。ヤウイにとって、ここはサンクチュアリであり、日々の精神の疲れをいやす場所だったんだろう。
創始者のお坊さんは台湾人だが、日本と縁が深く,日本の大学で博士号をとった、とヤウイが言っていた。(もちろん)博士論文も日本語で書かれている。
先ほど遭遇した尼僧の方達も、(日本ではないが)UCLAで多分宗教哲学かなにかのジャンルで博士号をとった人たちらしい。
昔の事になるけど、彼女がずっとニューヨークにいたくてたまらなかったときに、まるで自分の力が及ばないどこかで、いろいろな事がつき動かされるように、彼女の生活やとりまく状況が否応無く変わり、後に博士号を受けた、ニューヨークから離れた大学に行かなければならなくなってしまった。ニューヨークを離れる時はつらくてたまらなかった。
でも結果的にすべての事がうまく行き、
”偶然は無いのよ。そのとき悪い事のように思えても、つらくても、いい方向に変遷して行くきっかけ。人生の中でそのように変わる時は、否応無く変わる。それを一度経験したから、今度同じような事があってもおそれないわ。”
と言っていた。でも、それは当時彼女がとことん楽理が好きで、とことん勉強していたからもたらされた変遷だったんだろう。
それこそ”音楽無しで生きて行けない”と、ふっと口をついて言える程に。そうだ。彼女がこの台詞を言ったのは、ちょうどその頃だった。
あることを極めれば、天が味方してくれるんだろうか。わたしはそこまでやっているだろうか。
”わたしはここまでやったんだから、あとは天の采配でなにがあっても恐れない”と腹をくくれる程に。
別れ際に、
”これからもフェイスブックやスカイプで連絡しようね。Keep in touch!”と言ったら、
”でも、こんなふうに面と向かって会えるのがいつかしら、また地上で会いましょうよ。”
と詩的な事をいってハグしてくれた。
そうだ。電子空間の中でなく、地上で共に会おう。
彼女と別れた後で、地下鉄のプラットホームで、どこかで聞いたはずの音楽を耳にした。
あれは確か、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の6番、ニ長調だ。でも、音色が違う、いや音程もか。約一オクターブ高いぞ。
案の定、地下鉄ミュージシャンのビオリストがチェロの為の、その曲を弾いている。でも多分アレンジとかしてないはず。解放弦がビオラとチェロは同じなんで(オクターブ違うけど)ビオラでも、難しいアレンジなしで弾く事は可能なんだ。
(わたしが聴いたのは一オクターブ高いピッチでの、ビオラによる演奏。)
6組あるバッハの無伴奏チェロ組曲、最後の調はまるで春先を思わせるような軽やかさと若々しさを感じさせるニ長調だ。
この組を最後に置いた彼の意図は何だったのか。しかも死さえ思わせる深刻かつ重々しい、5組目のハ短調の直後に。
そのビオリストはアフリカンアメリカンらしい。なかなか上手だ。音につやがあり、リズムがタイトだった。
ヤウイと出会ってしばらくしてから、マンハッタン、ウエストサイドの本屋、バーンズ&ノーブルのカフェで久しぶりに友人、フランクに遭遇。
彼は音楽が大好き。ベルディとワグナーの比較とかの話をした。彼曰く、ベルディは、オーケストレーションがつまんないとか。
”あれは、ただのウンパッパ、だよ。”
などと言う。確かにオーケストラの色やアレンジはワグナーの方が面白いな、と思う。でもベルディは、歌を全面に押し出した結果そうなったような気もする。
ラップットップをテーブルの上で広げて何か作業してるんで、
”何してんの?”
と聞くと、
”詩を書いてるんだよ、いつものように。”
と平然と答える。彼は詩人なのだ。もちろん生活の為の安定収入の為に、普通のオフィスの仕事もしているけど。
比較的静かに読書などしている人の多い本屋のカフェで、好きな音楽の話題で興が乗るとオペラのアリアを口ずさんだりして、
人の目を気にして、ちょっと恥ずかしい時もある。
”毎日?”
と聞くと、さも当たり前のように、
”毎日だよ。音楽も同じだろ。”
と言われてしまった。そうです。毎日費やすべき事なのだよ。
次回会う時は詩を見せてほしい。とお願いした。(彼には過去に出版した詩集もあるのだ。)アメリカの現代詩に音楽をつけてみたい、と言った。あなたがいやでなければ、だけど、と。(If you don't mind.)
実は過去にわたしの作曲を聞いてもらった事があるので、彼はだいたいの私のスタイルとか技術レベルを知っているのだ。わたしのお願いにまんざらでもなさそうだった。