アジア系三人衆によるレコーディングセッション | ぞうの みみこのブログ

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今月25日はしばらく前に楽譜はできあがっていた、フィルム音楽のレコーディングをする事が出来ました。

日本人フィルム作家による映画の一シーンで、
監督のご要望により、チェロをフィーチャーした曲を作ったのですが、
なかなかチェロのソリストが見つからなかったり、スタッフが見つかってもスタジオ入り出来る日の設定が決まらなかったり、いろいろな事情もあり、
スムーズに録音までにこぎ着けなかったのですが、やっと終了する事が出来ました。
(ほっ。)

その映画のシーンは、主人公の女の子が交通事故にあって瀕死の状況にいる時、過去のいろいろな出来事がフラッシュバックしていく、というもので,

彼女の好きな人への思いやら、いろんな情念が交錯しているなかなか悲劇的で、それでいて、恋のライバルへのダークな感情なども入り交じった、複雑でドラマチックなシーン。

ドラマチックで分厚いサウンドにする為に、作曲の段階では、チェロ協奏曲っぽい楽器編成にしてみました。ソリストのチェロと、弦楽オーケストラ、プラス木管とホルン、パーカッションです。

でも、オーケストラと指揮者を雇う程の予算も無いもんですから、オーケストラ部分はコンピュータ上でサンプルサウンドで作成、(ロジックというアプリを使いました。)ソロのチェロは”本物の”チェリストにやってもらい、録音してあとで合体させるという計画になり、

以前わたしの卒業演奏会で弦楽四重奏曲のチェロを担当してもらったフレッドに頼んでみました。

フレッドとは、私の母校の一つ、ニューヨーク大学で出会いました。わたしが作曲専攻の大学院生だったとき、彼は学部のチェロ専攻の生徒。

当時の私の作曲の先生が、他の弟子の演奏会を聴きにいったとき、彼が演奏を担当していて、なかなか良かったんで、私に勧めて来たのです。”彼にたのんだらいいわよ。”と。

彼は、ニューヨーク大学で学んだ後、トランスファーして現在マンハッタン音楽院に在籍中。(Manhattan School of Music)台湾系アメリカ人。

録音スタジオですが、やはりコストのこともあり、私のもひとつの母校であるニューヨーク市立大学のシティカレッジのソニックアーツというコースのスタジオを使わせていただく事に。

録音などは現役で同大学で音楽録音技術を勉強中の学生さんにやっていただく、と言う訳です。

じつはこのソニックアーツというコース、シティカレッジの音楽学部の一部なのですが、なかなか人気があるようで、日本人の留学生も多いようです。

知人の日本人卒業生の一人にコンタクトして、現役の学生エンジニアを紹介してもらいました。(その施設を使用するには、エンジニア本人が現役学生でなければならないので)

でもって、紹介いただいたのがスティーブ、韓国系アメリカ人。ご両親は韓国出身との事。ご存知のように、わたしは”Product of Japan"なんで、今回のレコーディングセッションに関わった三人はすべてアジア系と言う事になりました。

録音日当日、シティカレッジの最寄りの地下鉄駅でフレッドと待ち合わせ。
ホームに来る電車を見やって、フレッドを探していたら、いきなり背後から声が。

”Hi!"

振り返るとチェロをしょったフレッドが立っていた。彼はスレンダーで長身のアジア系好青年。

口数は少ないけどいつも穏やかでそのへんのキャラが”チェロ”っぽい気がする。わたしのステレオタイプかしら。

”あれあれ、電車に乗ってくると思ってたわ。”

”歩いて来ちゃった。この辺に住んでるんだよ。”

あいにくの雪の日で、頭のてっぺんに雪が少しつもってる。

シティカレッジに着くまで、いろいろ話をした。

”今の学校どう?”

”このあいだね、クルト・マズアが来て,学生オーケストラを指揮したんだよ。”

クルト・マズア 2002まで、ニューヨークフィルハーモニーのマエストロだった。

”そのなかにあなたもいたのね、いい経験ねー。”

"NYUは総合大学だから、Manhattan School of musicの方が、演奏の機会はいっぱいあるんじゃない?なんといっても音大だし。”

ニューヨーク大学(New York University)はこっちでは通常、頭文字で、エヌワイユーと呼ばれている。

”でも室内楽のクラスは同じくらいかな。”

”わたしのお友達で、マンハッタン音楽院をずっと前に卒業したチェリストがいてね、プロフェッサー・グリーンハウス(Bernard Greenhouse 1916-2011)に師事していて、その頃の事を聴いた事があるけど、グリーンハウス先生はヨーロッパでカザルスに習っていた頃があって、レッスン中に、カザルスのレッスンのエピソードとかよく話していたらしいわよ。”

”カザルスの奥さんは時々今の学校(マンハッタン音楽院)でマスタークラスをしているよ。彼女もチェリストなんだ。”

”夫婦そろってチェリストなのね。知らなかった。”

”じつは彼女はカザルスのもと生徒なんだよ。マンハッタン音楽院の創始者の一人でもあるんだけど。”

”今、アンダーグラッド(学部生)でしょ?あと二年くらい?”

”うん”

”ソロリサイタルはいつ? 学校で卒業の為にしないといけないんでしょ、フェイスブックで招待してね。是非行きたいわ。”

”うん。ありがと。一番近いので、今年の五月にあるんだよ。”

”以前、学部卒業したら音楽の勉強にヨーロッパ行きたい、って言ってたけど、今も変わってないの?”

”わかんないな。こっちにいるかも。”

”でも大学院でマスター(修士)はとるつもりなんでしょ。”

合衆国は”意外と”学歴社会だ。芸術的なジャンルでもそれは言える。特にクラッシック音楽系ではプロを目指す場合、修士、博士をとるため大学院に行く事はまったく珍しくない。

”うん。”

”ジュリアードとか? ニューイングランド・コンサバトリーも評判いいわよね。”

”最近ジュリアードにずっといたチェロの教授が亡くなってね、そのせいでニューイングランドコンサバトリーのチェロ専攻の方が入るの難しくなってるんだよ。”


”フレッドのお家には他にも音楽家がいるの?”

”僕一人だよ。”

”どうしてチェロに決めたの? 自分の意志で?”

”母が選んだんだ。僕と、あと二人兄弟がいてね。二人はバイオリン習ってた。で、僕はチェロを習うようにって。二人はもうバイオリンやめてるけど、ぼくはずっと続けたんだ。”

フレッドのご両親は台湾生まれ。お父様は、こちらへこられてから、なんと今回の録音場所でもあるシティカレッジで学ばれたとか。でも専攻はコンピュータ工学。実は以前、フレッドの個人的リサイタルでお父様にお会いした事がある。

すごくあったかそうなお父様だった。息子を誇りに思ってる、て感じの。

フレーフレーフレッド、がんばって、アジア系チェリストの星になるのよ、日本のおねいさんが、いつでもあなたの事を木陰で応援しているわよっ!


フレッドの演奏


あとはチェロの曲の事など。

”さっき言った友達がコダーイの無伴奏チェロソナタのビデオリンク送ってくれた事があってね。”

”あの曲難しいんだよー。とくに三楽章がさー。”

”バッハの無伴奏とどっちが難しい?”

”コダーイの方が難しいよー。”

”最近、他のチェロの曲では、プロコフィエフのチェロ協奏曲を時々聴いてた。タイトルはコンチェルトと銘打ってないけど、編成はチェロ協奏曲よね。

まさにプロコフィエフ、って感じの美しいメロディーがいっぱいあっていいなーと思ったよ。彼、メロディーのセンスいいよね。”

”そうだね。でも、プロコフィエフのあの曲、むつかしいよー。僕の知ってるチェロコンチェルトの中で一番難しい。”


フレッド曰く、最もむつかしいチェロコンチェルト

”そうなんだー。チェリストでは誰が好きなの?”

”ノルウェイ人チェリストでね、Truls Morkっていう人。でも何年か前にツアーでアメリカに来た時にある虫にかまれたのが原因で、腕が動かなくなって、演奏が出来なくなったんだ。”

”えーーーー!!! そんな気の毒な!!”

”でも二年前に復活して、また演奏できるようになったんだ。”

”あー良かった。”

シティカレッジに着いたらスティーブが待っていて、ソニックアーツのスタジオでオーケストラ部分のトラックをフレッドに聴いてもらいながら、クリックトラック(フィルム音楽の録音の時などに使う、音楽のテンポをメトロノームのような音で表示するトラック)と共に録音。

わたしはフレッドに、”これは悲劇的でドラマチックなシーンの音楽なんで、できるだけ情熱的に、ビブラートは深めにかけて弾いてくれい。”

と、えらそうに指示。

録音の合間に、時々彼がショスタコビッチのチェロコンチェルト一番を弾いているのを聴いた。今レッスンで習っているのかな。


こちらがフレッドのお気に入りチェリスト、Truls Morkによるショスタコービッチの一番

何回も弾いてもらって(7~8回くらい)あとでスティーブと聴き比べ、一番いいのを選ぶ。

でも二カ所くらい、フレッドが音を外した箇所があったんで、別のテイクで、同じ場所で音を外さずに弾いた箇所をコピー、ペーストしてとりあえずチェロの独奏パート録音は完了。

あとはエディットやミックス作業が残ってるんで、スティーブにお手伝いをしてもらう事に。

このお二人には本当にお世話になりました。

こういう小さな仕事の積み重ねが二人の(わたしもそうだが)今後の仕事にも繋がって行くんで、

監督にメールで音楽の進捗状況を報告するとともに、エンディングロールにチェロ奏者としてフレッド、そうしてオーディオ・エンジニアとしてスティーブの名前をいれていただくようお願いした。