友達はプロフェッサー | ぞうの みみこのブログ

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J. S. Bachのシンフォニアを指導していて、自分自身が Bridge, Episode,そして Sequence という言葉をあまり区別せずにごちゃ混ぜにして使っていた事に気づき、気がついたら、友達のヤウイにメールで質問していた。自分で、ネットででも、音楽辞典ででも調べればいいものを、まったく甘えた女である。


ヤウイは台湾人の友達。以前同じ大学で机を並べていた事もあるが、彼女はとっとと課程を終了し、さる大学のphd candidate in Music theoryになり、そこで多分猛烈に勉強し、たったと卒業して音楽の理論で博士号を取り、いまは米国のある大学でプロフェッサーをしている。
ここで、はっきりとした方向もさだまらず、時々、中途半端にせんせいなどをして子供に相手してもらってお茶を濁している私とはえらい違いである。
さっそく、アカデミックなスタイルで、音楽用語びっしりのメールがとどいた。
最後に、さらりと、”お役にたてたかしら?”
などと書いてある。ただでさえ大勢の学生の質問のメールやら、採点やら、講義の準備に忙しかろーに、迷惑をかけたと思って、速攻でお礼のメールをした。


わたしと机を並べていた頃は、将来、博士課程では、無調音楽の音列の変遷に関する
研究をする、という夢を語っていた。
しかし、どこでどうなったか、ある指導教授のお勧めで、オペラ作品の分析で博士論文を書き、現在に至る。

彼女自身、その教授に感謝して、そのアドバイスでいい方向に物事が進んでいった、という風なことを語っていたから、自分の意に反した転向ではなかったのだろう。

現在はある大学で教えているが、私とてこの不況で、アメリカ人でも音楽の博士号を取ったからと言って、そう安々と大学レベルの教職に就けないのは知っている。ましてや、外国生まれの、英語もネイティブ並みといえない女性ならなおさらのはず。
死ぬほど勉強しただろうし、ずばぬけて優秀だったに違いない。

日本人や、日本文化に好感を持っていて、”日本人はいい人”というイメージがある、と言っていた。ありがたい事である。
わたしも、彼女のせいで、台湾が、将来、絶対行きたい国の一つとなった。
優しい人で、いつも私のことを気遣ってくれる。見捨てられないように、私なりの持ち場と器で出来るだけの事をしなければ。

と言いつつ、啄木の、
”友が皆我より偉く見ゆる日よ 花を買いきて妻と親しむ”
という一節がこころをふわりとよぎったりして。なかなか一筋縄ではいきませんな。

これは、彼女の著作です。プッチーニを音楽の理論の視点からアプローチした論文。
よろしかったら。


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