2013年9月7日配信
メールマガジン
「モリモト・パンジャのおいしい遊び」
メールマガジン
「モリモト・パンジャのおいしい遊び」
より
~第23回「防衛本能はゆれる」の巻~
1.発酵と腐敗の関係
~第23回「防衛本能はゆれる」の巻~
1.発酵と腐敗の関係
2.ナマグサイ朝
3,音は知らせる
4.「無音」の恐怖
5.見ざる聞かざる嗅がざる
6.かんたんレシピ「タコと海老のアヒージョ風」
<今回の気分>
ねー、この部屋なんかクサくない?
え? 何もない?
あ、この国自体がキナクサイのか?
な、気分
**************************************
1.発酵と腐敗の関係
以前、別の媒体で「発酵と腐敗」について書いたことがある。
内容はどちらも「糖分や蛋白質などの有機物が微生物によって分解される現象」で、微生物側からの行為としては同じこと。しかし分解の結果生成されたものが人間にとって「善」か「悪」かで呼称が変わってしまう、ということだった。
いささか乱暴な言い方ではあるけれど、たとえば「米に含まれる糖分が麹菌・酵母などによって分解されてアルコールを生成したもの」はご存じの通り「日本酒」だし、「大豆を麹や酵母で発酵」させれば「醤油」になる。
一方、魚や肉が微生物によって分解されてできた生成物やその際に増殖する大腸菌、黄色ブドウ球菌などの細菌が体内に入って悪さをすると食中毒で、こちらの分解過程を「腐敗」と呼んで人間にはよろしくない。よろしくない、というより場合によっては生命にも関わる問題で、猛暑の盛りは越したと言ってもまだ湿度や気温の高い日のあるこの季節、まだまだ油断してはいけないのである。
ところでこの「腐敗」を察知するための「人類への警告」とも言える要素が「匂い」。いわゆる「腐敗臭」というヤツで、人間はあらかじめ自分の体に悪影響を及ぼすものを察知する能力が優れているのだなぁ、と「悪くなった食べ物を捨てる」度にいつも感心する。
満腹でお皿に残ってしまった「肉野菜炒め」。あるいは食べた「アクア・パッツァ」の鍋に残った「おいしいスープ」。「明日食べよう」、「別の料理に使えるかも」と容器に移して冷蔵庫へ収納する。数日後。「これ、いつのだっけ?」 「おととい?」 「いやその前かも……」 くんくん……これで「ダメだ。捨てましょう」となるか「まだイケル」となるのか、判断の決め手が匂いなんですね。発酵食品によっては「けっこうな匂い」がしても大丈夫、というよりむしろ「珍味」として珍重されるものはあるものの、僕たちが日常口にするものに関してはこれをひとつの規準としていいと思う。
前日に残って一日冷蔵庫で冷やされた肉野菜炒めはあんがい熟成(?)して「旨くなってる」ことがあるんだよね。カンタンには捨てられないけれど、2日以上経ったものを食べても未だにおなかを壊したことがないのはこの能力のおかげ。今回は「危険察知能力」のお話です。
2.ナマグサイ朝
先日の朝。起きて寝室を出て、リビングのドアを開けると部屋中が「何だかナマ臭い」。後から部屋に入ってきた妻も入るなり「ナマ臭~い」という。
「まさか床の下でネズミや野良猫なんかがお亡くなりになっているんではないだろうね」
などと夫婦でおののきながら探すもののどこをどう探しても「生臭さ」の原因がわからない。どうも床下や天井裏など局所的でない、なにか部屋全体にほのかに漂っているというぐあいで、首をかしげながらコーヒーを入れ、ヨーグルトを出そうと冷蔵庫を開けてわかりました。
どうやら数日前に作った「アヒージョ」(魚介類などのニンニクオイル煮)が犯人で、残ったニンニクオイルをボウルに入れ、ラップして冷蔵庫の棚に置いたもの、これがどうやら何かの拍子にこぼれて棚の上に広がっていたらしい。
このオイルにはたっぷりと「アンチョビ」が入っていて(コイツだ)、同じ棚に置いてあったジャムやヨーグルトの瓶の底にこのオイルが付いて、それを出して常温の部屋に置いた結果、アンチョビの生臭さが広がったというわけです。
気づくのに小一時間かかったものの、オイルを別容器に密封して棚板は出して洗い、オイルが付着したと思しい箇所を布で拭いた結果、匂いは消えました。
「臭い匂いは元から断たなきゃダメ」
ってヤツですか。朝から大汗かきましたが。
この「匂い」。食べ物が危険な状態になっていることを知らせるだけじゃなくて「事件」や「事故」を察知するためにも役立ちます。「ガス漏れ」、「石油漏れ」、あるいは「ビニールが焼けるような匂い」なんかがしたらどこかで漏電や電気機器がショートしている可能性がある。日常生活は元より車の運転中なら「ゴムの焦げる匂い」がしたらどこかで異常な発熱が起こっている証拠だし、街なかを歩いているときなら火事が起きていることだってあるかもしれない。
ひょっとしたらたとえば「戦争状態」にある国に住む人達なら「硝薬の匂い」なんかに身の危険を覚えることもあるだろうから、匂いの種類によってはある意味「獲得形質」という側面もあるのだろうと推測するけれど、いずれにせよ「匂い」に敏感なことは「自らの生命を守る」という意味において、「動物」としての人間に備わった防衛能力のひとつといっていいと思う。
僕も個人的にはわりと匂いには敏感な方で、空気中に「雨の匂い」を感じて「雨が降るかも」というとかなりの確率であたります。妻からは「犬みたい」とか言われますが、たいていそういう時って外にいると十中八九傘を持っていないから、ぜんぜん役に立たないんだよね。そうして我が家に500円(最近は300円)の傘が増えるわけだ。
3.音は知らせる
いっぽう「匂い」と共に重要な防衛手段のひとつとなるのが「音」で、これも妻からは「犬みたい」といわれる理由なんだけど、睡眠中に地震が来るとその数秒前に目が覚めるという「特技」(?)がある。
いつもの朝にゆっくりと目が覚めていくような感じではなくて、ふいの「覚醒」、それこそ「バチッ」という気分。よく映画で悪い科学者が悪い実験をしていてよくわからない不気味な機械についている高電圧のスイッチを「ガチャン!」と入れるシーンがありますよね。あんな感じ。そして「なんだなんだ」と目を覚ましてボーッとする刹那、遠くの方から「地鳴り」が聞こえたかと思うと、ひと呼吸置いて「グラッ」とくる。じっさい何度も経験してるけど地震発生までの時間が短すぎて何もできません。役にたたねー!
強いて言えば地震発生の「瞬間」に目を覚ますよりは「若干は正確な対応ができる可能性」が高い分くらいは「得」と言えるかもしれない。でもやっぱりあまり役に立ちませんね。もうすこし早く目が覚めれば逃げたり何かできると思うけど、数秒じゃせいぜい頭を覆うくらいが関の山だ。無駄な「能力」といえば無駄である。あるけれど特に役には立っていない、いわば盲腸みたいなもんですかね。「盲腸力」とでも言うべきか。
ところで問題はその地鳴りの音が、近隣の線路上を走る電車の音にとても似ていることで、数分身構えて、何もないとわかると「それは電車である」と判断してホッと安心して寝てしまうものの、あれには毎度慣れなくてちょっと身構えてしまうのだ。
軌道からの距離は最短の直線でおよそ200m(Google Map調べ)。ほかに音のない深夜の時間帯でなければ気がつかないのだが、寝ているとわかる。終電の時間は夜半過ぎの1時前でちょうど蒲団に入る頃なので、寝入りばなに感じるその微少な振動と音が地震による地鳴りを思わせてとまどってしまう。
そういえば夏場に窓を開けて寝ていたら、朝となりのアパートから聞こえてくるアラームの音で目が覚めたこともあったっけ。こいつがまたぜんぜん起きなくて延々鳴り続け、暑いから窓を閉めるわけにもいかず、しかたなくこちらが起きてしまった。
よく映画やドラマ、あるいはコントで「水道の蛇口から出る水滴の音で眠れない」なんていう描写があるけれど、あんなのは眠れなくなること必至で絶対アウト。それほど音に敏感な質(たち)の僕があまりの無音に驚くものがある。
4.「無音」の恐怖
それは主に商店街や住宅街の「歩行専用路」のない場所で出会うもの。商店街ならほかに音が氾濫しているからまだしも比較的静かな住宅街でも気づかない。いわゆるハイ・ブリッド・カーやEVとの接近だ。
鳥の声を聴きながら、あるいは木々の葉を、空を見ながら歩いているとふいに後方から体の側面を追い抜いていく車。あの突然の出現に驚くのだ。「そ~っ」と近寄ってきて「スーッ」と追い抜いていくあの感じ、いつも激しく驚いて「うわっ!」とか過剰な反応をしてしまって恥ずかしい。
それ(無音)が原因で事故が起こったかどうかは不勉強でわからないけれど、今はわざと音を出すようにする機能もあるそうで、やっぱりそれに対する違和感はあったのだろう。
しかし、考えてみれば「走行音がうるさい」という意見が大半だった時代に対応して、「じゃあ静音化しましょう」と開発された技術に「静かすぎて怖い」というのもどうかと思う。そういえば技術開発で「無音」でシャッターを切れるようになってしまったカメラにわざわざ「シャッター音」を出す機能が追加されたこともあった。あれもずいぶんな感じがしたけれどそう感じたのは僕だけだろうか。この場合は「盗撮」や「無遠慮な撮影」を抑止する、という目的もあったのだろうが、せっかく静かになった自動車に「音を出させる」というのも妙な話だ。
こういう話をすると「目の不自由な人のことを考えていない」という人がいそうだが、そういわれたらこう言いたい。耳にイヤホンをつけて歩行している人はどうなのか、と。
そこで今回の本題に入る。「危険察知能力の放棄」についてである。
5.見ざる聞かざる嗅がざる
ただでさえ驚く「静かなものの接近」だ。そこへイヤホンで耳を塞ぎ、あまつさえ携帯電話の画面に目を奪われている状態は、ある意味「危険察知能力を放棄している」といってもいいのではないか。
事実、電車のホームを歩きながらスマートホンの画面に集中した結果、線路へ転落、運よく助けられた人もいるとは聞くけれど、何人かはケガをしたりあるいは命を失ってしまったケースだってあった、あるいはこれから同様の事故が起きる頻度が増すのではないかと推測する。
これだけ人口密度の過多な都市にあって嗅覚、聴覚、視覚、触覚、これらすべての機能を「オン」にした状態でこそ回避できる危機の接近が、いま知らず知らずのうちに放棄されている状態は、僕にはとても危険に見える。なぜこれだけのことにそれほどの危機を覚えるかというと、話は飛ぶかもしれないけれど「本当に危ないもの」は「その存在を認識できない隙」をついて近寄ってくると僕は思っているからだ。
たとえば「放射性物質」やあるいはそれが飛散する状況を生むに至った経緯。たとえばなにかきな臭い「戦争へ繋がる道の予感」とそこへ進もうとする小さな変化。そして「隣国への憎悪」とそれを意図的にコントロールしようとする情報。もしくは「経済倫理の犠牲者になる可能性」やそこから大きな利益を生もうとする動き。
どれもこれらを察知するには「動物的感覚」だけでは不十分で、世界に溢れる過剰な情報からの取捨選択を含めたブラウジング能力と、収集能力が付加機能として不可欠だろう。その情報収集する上での目を、耳を、鼻を塞いでしまってはいけない、と僕は自分に言い聞かせる。
そしてそれは自分を護るためだけではない。そうすることで近くにいる人達を護ることに繋がればいい、だから考え続けなければなぁ、と。それが「危機回避能力をオンにする」と言うことなんだろうなぁ、とも。なかなか難しいけれど。
6.かんたんレシピ「タコと海老のアヒージョ風」
というわけで、今回はお話にも出てきた「アヒージョ」を。「風」としたのは正しいレシピからは少し外れているような気がするからです。ま。細かいことは気にせず(笑)
「アヒージョ」。アホ(ajjo)はスペイン語でニンニクのこと。これのみじん切りを大量に投入したオリーブオイルを低温で熱して具を投入するだけの料理です。味付けは塩と鷹の爪。僕は辛いのが苦手なので鷹の爪は入れず、塩の代わりにアンチョビを使う。コイツが悪さをしたんだな。そうなんだな。具を食べたあとに残ったオイルに浸したパンを食べるのも激旨の喜びです。今回はタコと海老を投入。マッシュルームを入れてもおいしい。
オイルがあまったら保存して一週間くらいは再利用できます。くれぐれも冷蔵庫の中にこぼさないように。
ところで冒頭に戻って匂いの話なんですけどね。猫は「足の匂い」が好き、という事実。
たとえば一日歩いてだいぶん「アレ」になってる靴下の先を「嗅ぐ?」って差し出すと必ず嗅ぎますよね。嗅ぐばかりか体をすり寄せる。ある時などかじられそうになったことだってある。好きなんだなぁ。「足の匂い」が。
しかしよく考えてみればそういう状態の靴下ってさすがに「大腸菌」はいないでしょうけど、「納豆菌」やら「黄色ブドウ球菌」やらなんやらはどうしたって付着しているはずで、こういうのは「動物」である猫さんたちにとって「防御本能発動」のスイッチにはならないんですね。ていうか、むしろ逆? 犬も仲間が道ばたに残したものを嗅ぐのが好きなくらいだから、やっぱり臭いの好きなんだろうしなぁ。人間と犬・猫じゃその「動物度の深さ」(?)がちがうってことなんでしょうか。
そういや日本ほど潔癖的に衛生管理がされていない国ではアレルギーも少ないって聞きますしね。やっぱりなんでも「行き過ぎ」はよくないんだろうなぁ、なんてことを耳掃除をしながら考えつつ今回もこの辺で。
















