ブログネタ:透明人間になれたら、何をする? 参加中

確かに、メリットは余り無いように思います。

透明人間になっても、トイレとかは行くでしょうし、、、、想像してみて下さい。男性なら、当然、お解りの通り、おしっこの際、方向を定める為、手をモノに添えなければなりませんよね? でも、透明だし、、、、見えない訳ですから・・・。大体の位置は知ってるんだから、探り当てられない事は無いだろう、と仰るかも知れませんが、、、、これも、男性なら、当然、ご納得を頂ける筈ですが、、、、男は、自分自身のモノに対して、一種の幻想、というか、諦めの悪い期待を抱いていますので、判っていながらも、実際の大きさより、多少、目測を前の方に見立てて、手を持って行ってしまう事でしょう。そして、悲しいかな、空振りしてしまう訳です。

でも、実際、今、検証してみましたが、、、、一々、(モノを)見てないな・・・。

自分の身体が透明になるなんて、半ば、“目”を失うようなもんだし、想定としては、不便なように思ったけど、、、、案外、過ごし易いかも知れないです・・・。色々、考えてみたけど、困るのは、精々、爪を切る時ぐらい・・・? 他は、感覚のみで、如何にか対処できそうな、、、、ん? 唯、生活するだけなら、透明になる意味が無いよな・・・、本末転倒だな。

気合を入れて、考え直しましたが、、、、透明人間になる方法について、得体の知れない薬品を飲んで、身体そのものが透き通る、というのは、一寸、荒唐無稽すぎて、頂けません。やはり、全身対応の透過スーツを着込んで、景色に馴染む形式の方が現実的でしょう。裸になる必要も有りませんしね。犯罪に使用できないよう、ソフトでの制御を設ければ、悪用も避けられる筈です。

となると、恐らく、法的にも、(銃刀法並みの)制限が掛けられますし、おいそれとは使えなくなりますね、、、、残念ながら・・・。

拠って、「透明人間になれたら、何をする?」と問われれば、次のように答えるのが、世間的にも求められる訳です、、、、「警察に出頭します」と・・・。


継ぎ接ぎだらけで、凸凹の多い、日本の道路、、、、この時期、長い雨が降れば、忽ち、大きい水溜りも発生してしまう。


雨の中、傘を差しながら、河川敷の脇道を歩いていると、案の定、道幅いっぱいに広がる、飛び越えるにも難しそうな規模の、1センチメートル以上の深さは有りそうな水溜りに出くわす。両端には、長い雑草が伸びていて、迂回したところで、結局、濡れるのは免れないし、土の地面が泥濘んでいない事の保証も無い・・・、僕は、真っ直ぐに突っ切った。


靴は、思いの外、深く、水溜りに沈み込み、その内部に迄も進入してきて、どっぷりと、靴下を濡らしていった。雨降りの日に、一番、気をつける点は、靴を、靴下を濡らさないでいる事だ。それが崩れると、もう、如何でも良くなるような感じ、、、、傘を差しているのも馬鹿らしく、無意味に思えてくる。


その水溜りを通り抜けて、暫く進んだ頃、正面から遣って来て、僕とすれ違おうとしていた女子高生は、当然の姿にせよ、傘を差していた、、、、類推すれば、如何でも良くなる気持には、未だ到っていない筈だった。余計なお世話なのは承知だし、瞬時の事で、迷ったのだが、、、、結局、忠告せずには居れなかった。



「この先、大きな水溜りが在るよ」



彼女は、無反応だったようだ。立ち止まりもせず、地面の水を弾く足音は、唯、後方へと遠ざかって行った。



(まぁ、こんなもんだろうな・・・)



お節介な自分の分不相応さを自らに嘲り、又、呪いながら、歩を先に進めて行くと、遠ざかって、猶、消えた筈の足音が、逆に、大きく、けたたましく、はっきりと響いているのを聴き付け、違和感を覚える。反射的に振り返ると、先の女子高生が、水溜りの、丁度、真ん中ら辺の所で、激しく、地団駄を踏むように、態とだろう、水飛沫を上げていたのだ。



(余っ程、癇に障ったのか・・・?)



だとすれば、もう、充分過ぎる位、伝わった・・・。傘も、カバンも投げ出して、暴れまくった挙句、遂に疲れ果てたのか、彼女は膝を抱え込むように、その場にしゃがみ込んでしまう。これは、もう、立ち入る事は出来ない、、、、不慣れな親切を拒まれて、気恥ずかしさも残っていたし、一刻も早く立ち去るしかないだろう。


電車の中で、お年寄りに、席を譲る、、、、この行為に、何故、あれ程まで、不安を覚えるのだろう? 言わずもがな、拒まれるのが恐いのだ。一見、美しい親切なのだが、相手に拠っては、見下されたようにも思える、、、、それは、席を譲らないで、お年寄りを軽んじているのと、身勝手さの点では、粗、同等なのだ。“親切”も又、エゴイズムの一つで在るらしい。故に、その実行には、勇気が必要で、相応の覚悟が求められる訳だ。


自らの判断(行動)には、自らの責任が伴う。


僕は、蹲る彼女の上に、傘を差し伸べた、、、、自分勝手を知って、それと割り切れば、如何って事は無い。


彼女は僕の存在に気付くと、多少、泡を食って、勢い良く立ち上がった。一瞬、僕に、目を合わせたが、直ぐに逸らし、自分の、傘とカバンを拾いに、僕からは離れて行った。


彼女は、我を取り戻したようだ、、、、となれば、これ以上、お節介の焼きようも無いので、僕は、戻って来た方へ、再び、歩き出した。



「送ってって・・・」



僕は立ち止まり、振り返ったが、、、、彼女は、ちゃんと、傘を差している、、、、もう、すべき事は無い筈だ。



「優しくするんなら、最後まで優しくして・・・」



彼女は無表情のままに、そう、要求してきた、、、、この場合に拠る責任って、一体・・・? 


人間の感情は千差万別、複雑怪奇、、、、関わるのは、難しい・・・。



ブログネタ:告白は電話派?メール派?直接派? 参加中

こういう設問の回答は、毎度、同じなんですが、、、、シチュエーション次第でしょう。

直接派の支持が、世間一般の主流なんでしょうけど、“直接”は、「即答しなきゃいけないようなプレッシャーを感じるので、苦手・・・」という人も・・・。

個人的な見解では、“電話”の臨場感も、中々、捨てがたいものが有ります。人は、表情を装うのに慣れてしまっていて、声の震えとか、言葉の乱れなんかを取り繕うのに、多少、歯止めの利かないところが出てきます。その緊張振りを理解されず、情けないように思われては失敗ですけど、それは、“直接”の場合でも同じ事ですからね。

通常なら、相手のが見えず、気持の強さも伝わらないので、“メール”は論外なんでしょうが・・・。“直接”は勿論の事、“電話”の場合でも、相手が、会おうと思えば、直ぐに会える、そのイメージを持てるだけの、近い位置関係に在るのが、結構、重要だったりします。ニューヨークから東京へ、「好きだ」と伝えたところで、仮令、テレビ電話でも、リアルなが感じられません。但し、“メール”なら、如何でしょう? 長い文章では台無しですが、短く、端的に、思いの丈を打てば、真実さが増すような、そんな気がしませんか? 当然、出張なり、転勤なり、そういう状況が自ずと整っていた上での、条件付の対応ですけどね。会いたくても会えない、、、、遠い距離間の不便さが、“メール”という伝達手段の、限られた表現での不自由さと、軽妙にマッチしていて、それなりの生々しさも醸し出しながら、概ね自然で、すんなりと受け容れられるような環境なんじゃないかと・・・。どうせ演出するなら、置かれた状況は最大限に利用すべきでしょう。

唐突、且つ、急速に、事を運ぶのに、抵抗を抱く人も居ます。そうなると、段階を置きたくなって、告白する相手に、「後で、話が有るから・・・」なんて予告を打ったりしますね。でも、これ、、、、一寸、不自然です。そんな予告を打つくらいなら、その時にも告白できた筈です。仕事の最中で、そういう空気じゃ無かった? それは解ります、、、、が、だったら、そんな予告を打てる空気でも無かった筈です。用件のみを伝えるのなら、然程、支障は生じなかったに違いないですが、言われた相手は如何でしょうか? 少なからず、戸惑うんじゃないでしょうか? これだけでも、わざとらしい印象は因子として、残されるのです。本番で、多少、不利益にならないとも限りません。

前置きを入れたいのなら、それこそ、“メール”が便利です。“メール”の、それ自体が不仕付けなものですから、奇妙に思われて、相手に構えられるリスクは避けられます。極端な例を挙げると、「これから、ジョン F.ケネディー国際空港から飛び立つ、、、、日本に帰ったら、話が有るんだ」みたいな用法ですね。

ま、恋の熱に魘された頭では、どんな計算も狂っちゃいますかね?