継ぎ接ぎだらけで、凸凹の多い、日本の道路、、、、この時期、長い雨が降れば、忽ち、大きい水溜りも発生してしまう。
雨の中、傘を差しながら、河川敷の脇道を歩いていると、案の定、道幅いっぱいに広がる、飛び越えるにも難しそうな規模の、1センチメートル以上の深さは有りそうな水溜りに出くわす。両端には、長い雑草が伸びていて、迂回したところで、結局、濡れるのは免れないし、土の地面が泥濘んでいない事の保証も無い・・・、僕は、真っ直ぐに突っ切った。
靴は、思いの外、深く、水溜りに沈み込み、その内部に迄も進入してきて、どっぷりと、靴下を濡らしていった。雨降りの日に、一番、気をつける点は、靴を、靴下を濡らさないでいる事だ。それが崩れると、もう、如何でも良くなるような感じ、、、、傘を差しているのも馬鹿らしく、無意味に思えてくる。
その水溜りを通り抜けて、暫く進んだ頃、正面から遣って来て、僕とすれ違おうとしていた女子高生は、当然の姿にせよ、傘を差していた、、、、類推すれば、如何でも良くなる気持には、未だ到っていない筈だった。余計なお世話なのは承知だし、瞬時の事で、迷ったのだが、、、、結局、忠告せずには居れなかった。
「この先、大きな水溜りが在るよ」
彼女は、無反応だったようだ。立ち止まりもせず、地面の水を弾く足音は、唯、後方へと遠ざかって行った。
(まぁ、こんなもんだろうな・・・)
お節介な自分の分不相応さを自らに嘲り、又、呪いながら、歩を先に進めて行くと、遠ざかって、猶、消えた筈の足音が、逆に、大きく、けたたましく、はっきりと響いているのを聴き付け、違和感を覚える。反射的に振り返ると、先の女子高生が、水溜りの、丁度、真ん中ら辺の所で、激しく、地団駄を踏むように、態とだろう、水飛沫を上げていたのだ。
(余っ程、癇に障ったのか・・・?)
だとすれば、もう、充分過ぎる位、伝わった・・・。傘も、カバンも投げ出して、暴れまくった挙句、遂に疲れ果てたのか、彼女は膝を抱え込むように、その場にしゃがみ込んでしまう。これは、もう、立ち入る事は出来ない、、、、不慣れな親切を拒まれて、気恥ずかしさも残っていたし、一刻も早く立ち去るしかないだろう。
電車の中で、お年寄りに、席を譲る、、、、この行為に、何故、あれ程まで、不安を覚えるのだろう? 言わずもがな、拒まれるのが恐いのだ。一見、美しい親切なのだが、相手に拠っては、見下されたようにも思える、、、、それは、席を譲らないで、お年寄りを軽んじているのと、身勝手さの点では、粗、同等なのだ。“親切”も又、エゴイズムの一つで在るらしい。故に、その実行には、勇気が必要で、相応の覚悟が求められる訳だ。
自らの判断(行動)には、自らの責任が伴う。
僕は、蹲る彼女の上に、傘を差し伸べた、、、、自分勝手を知って、それと割り切れば、如何って事は無い。
彼女は僕の存在に気付くと、多少、泡を食って、勢い良く立ち上がった。一瞬、僕に、目を合わせたが、直ぐに逸らし、自分の、傘とカバンを拾いに、僕からは離れて行った。
彼女は、我を取り戻したようだ、、、、となれば、これ以上、お節介の焼きようも無いので、僕は、戻って来た方へ、再び、歩き出した。
「送ってって・・・」
僕は立ち止まり、振り返ったが、、、、彼女は、ちゃんと、傘を差している、、、、もう、すべき事は無い筈だ。
「優しくするんなら、最後まで優しくして・・・」
彼女は無表情のままに、そう、要求してきた、、、、この場合に拠る責任って、一体・・・?
人間の感情は千差万別、複雑怪奇、、、、関わるのは、難しい・・・。