七夕の本日、、、、仲間内で、願い事を短冊に書き入れて、笹竹に結わえる、例の催しが在ったので、参加してきました。





<世界平和、、、、なんて願い事をする奴だけが不幸になりますように>





直前に捕り押さえられました。




でも、この願い事が叶うくらいなら、“世界平和”自体も叶えられるでしょう? 一部の犠牲のみで、それが達成されるのならば、本望じゃないですか、その一部の人達は・・・?




七夕の日に、願い事を託す、日本独特の風習そのものも、余り、意味が分からないですけど、、、、こういうのって、大体、個人の望みを掲げるものなんじゃないんですか?





<皆が幸せでありますように>





これは、許容範囲です。しかし、世界平和が如何の斯うの、に関しては、何か、それを、自分だけが祈っているかのような、無頓着な利己を感じるのです。




せめて、署名する際、自らの名を示すのでは無く、“人類”と書き入れておいて欲しい・・・。




そもそも、この(七夕の)システム、、、、【個人情報保護法】に抵触する気が・・・? 触れずとも、実際、滅多な事は

書けないよなぁ・・・。




ブログネタ:七夕の日に何をお願い事する? 参加中



そういや、七夕って、願い事するイベントでしたね、、、、受け流す感じで、何と無く忘れてた・・・。


願い事を短冊に書き、笹に飾る風習は日本だけのものらしく、ここは一つ、日本ならではの願い事を託したいところです(個人的な、歪んだ解釈に過ぎませんので、お気になさらぬよう・・・)。




<北方領土が返って来ますように>




規模が大き過ぎるか・・・。天に願う事柄としても余り相応しくないような・・・?




<出生率が上がりますように>




いえ、別に、下心なんか、、、、だって、どうせ、これに伴う責任能力が乏しいですし・・・(だったら、言うなよ? 僕には、日本の将来を憂う事も許されないと・・・?)。




<サッカー日本代表がW杯南ア大会本戦へ出場できますように>




公益を狙っているつもりだけど、、、、何か、不思議と、私利私欲の趣きが醸し出されますね・・・?




止め、止め、、、、本来、個人の望みを預けるからこそ、霊験も灼に感じられるのでしょう(まぁ、叶えば、の話ですが・・・)。全体の流れに置いてしまうと、信奉もぼやけてきて、今一つ、神威が認め難くなりますから・・・。




じゃあ、個人的な何を願うか、ですが、、、、やっぱり、色恋事ですか? でも、僕の考えだと、一年に一度だけしか会えないような、あの両者に対して、その類の求めは相応しくない感じが・・・。叶うものも叶わない、叶えられるものも叶えてくれない、そんな疑念が湧いてきてしまいます。




モテようとして、天の川を見ながら、告白しようとしている男がいたんですよ~

な~に~! やっちまったなぁ!

男は黙って、、、、ホタルイカ漁!

男は黙って、、、、ホタルイカ漁!

伝わんないよ~




牽牛と織女が、杵の臼で、餅を付くか、否かは別にして、、、、都合の良い頼み事は受け容れて貰えなさそうな、そんな気がするのです。


牽牛と織女の物語は、こういう御伽噺系の、男女の関係が運命に拠って、予め決められているかの如き、教訓めいてはいるが、実際、何の教訓にもならない、お定まりの展開とは一線を画し、出会いは織女からのアプローチで、関係を確立するのは牽牛からの告白、というもの、、、、それぞれ、自らの意思を示しつつ、契りを達成している訳で、他力本願の、安易な期待を向けられても、自分達の苦労に准えて、あしらわれるか、実質、取り合っても貰えないんじゃないかと・・・(結局、不自由も余儀無くされている訳ですから・・・)。


まぁ、牽牛は普通の人間ですけど、織女は天界の者ですし、斯かる状況に於いて、それなりの困難は、或る意味、必然、、、、だからこそ、逆に、“恋愛には、多少の障害は不可欠で、それを乗り越えてこそ、本物だ”的な価値観を持っていて、このジャンルに関しては、厳しく対処する筈・・・、と思うんですよ。


それでも、こういうカップルが聞いてくれるような、恋の願い事が有るとすれば、、、、




<告白する勇気を下さい>




これかな?


でも、女性の場合だったら、もう一捻りを加えた方が可愛らしいかも・・・。




<告白する勇気を彼に与えて下さい>




主人公が自発的に活動するストーリーって、観ていて(読んでいて)、仮令、リアリティーが乏しくても、説得力は、10%程度、増しているような感じ・・・?


【天の川伝説】は、登場人物が能動的で在る分、どんな立場の人でも、心地良く受け容れられそうな筋書きですし(多分・・・)、、、、僕は、嫌いじゃないですね。改めて、そう思えた次第です(自分の中でも、その時々の心境に拠って、変わってくるでしょうが・・・)。


ブログネタ:どんな子どもだった? 参加中



自分が子供の頃・・・???


余り、はっきりとは覚えていません。となれば、人に聞くしか有りませんね。


調査を開始します。




Qomlifeは、どんな子供でしたか?




父「よく泣いてたかな?」




どんな時に?




父「ほら、お漏らししたりとか、腹が減ってる時とか、抱き損なって、床に落っことした時とか・・・」




赤ん坊の頃じゃん、それ・・・? 落っことしたって、どういう事だよ? 初耳なんですけど・・・。




父「それ以来、俺が抱くと、泣くようになっちゃったな。だから、その印象しか無いわ」




それ以降の話をして貰えます?




父「うーん、でも、やっぱり、その印象しか無いから、、、、普通のガキだったんじゃない?」






・・・父親なんて、こんなものでしょう、、、、次、次・・・。





Qomlifeは、どんな子供でしたか?




母「手癖の悪い子で(ピーーーーーーーーーーーーーーー)」




ほ、他には・・・?




母「基本、その印象しか無いけど・・・? これを念頭に置いて、“子育て”って言うか、常に接してきてたからね」




良い所を伸ばそうとする、建設的な発想は無かったのかよ? 一つぐらい・・・。




母「今、その心配が要らない、って事かな?」




遠い目をしながら、言うな、遠い目をしながら・・・(唯、自分の功績を讃えてるだけじゃん・・・)。






子供に、自己を投影するのなら未だしも、我が分身ぐらいにしか思っていないから、誇りと感じるか、恥と感じるか、この二者選択以外に判断できないんだろう、、、、エゴだよ、エゴ・・・(自慢できるような人物に育たなくて、悪うございました)。






駄目だな、、、、客観的に見て取れないらしい・・・。となれば、親戚とかに訊ねるのが有用だろう。しかし、現在は、親戚が寄り集まっている地域に在って、住んでいるものの、僕は、物心ついた時には、父親の仕事の関係で、この身を別の土地に寄せていた為、伯父(叔父)さん、伯母(叔母)さん、従兄弟(従姉妹)達と触れ合う機会が少なく、今でも、疎遠な感じの関係を引き摺っていて、何と無く気恥ずかしく、余所余所くなってしまうのだ。こういう事も聞き辛いし、そもそも、碌に触れ合っていない訳だから、情報自体が限られて、大した印象も持っていないだろうし・・・。






よく考えれば、物心の付くまでは別にして、それ以降に於いても、自分自身、特別な印象が残っていないのだから、如何しようも無い、、、、そんな子供だった、って事だ。






でも、一応、幼稚園から高校までを過ごした土地にて、近所付き合いをしていた家族(現在は、もう、地元の大阪に帰っている)に、唐突だが、連絡を取ってみて、、、、






Qomlifeは、どんな子供でしたか?




ナニワおばちゃん(通称)『・・・どないや言うても、手癖の悪い子で(ピーーーーーーーーーーーーーーー)』




おじちゃんに代わって・・・。




ナニワおじちゃん(通称)『そやな、、、、一緒に、銭湯に行った時に、、、、』




へぇ、そんな事、有ったっけ? 




ナニワおじちゃん『キミはチンコを股の間に挟んで、隠して、絶対、他人に見られへんようにしてたわ』




・・・今、電話の向こうで、爆笑しているアユミちゃんに代わって・・・。




アユミちゃん『家来や、あんた、うちの家来やったわ』




あ、間違った、、、、ミユキちゃんの方に代わって・・・。




ミユキちゃん『確かに、お姉ちゃんの言い成りやったけど、、、、うちは優しかったやろ?』




覚えてません・・・(ていうか、文章の繋げ方が変だし・・・)。




ミユキちゃん『あたしも覚えてへんねんけど、、、、それは、あんたが優しかったからちゃうかな? あ、でも、今が、如何だかは知らんけどな』




覚えてないのに、如何して、そんな事が言える?(もう、殆ど、自暴自棄・・・)




ミユキちゃん『好きだった事くらい覚えてるわ、、、、あたしが男に優しくするのは、未だに、優しくして貰った時だけやからね』






はい、調査終了です! 誰が何と言おうと、これにて打ち切ります!






※多少、時間経過を短縮する為、状況設定の一部を省き、再構成して、記述いたしました事を、お断りしておきます。