四季が美しく情緒豊かな日本の歴史と旅を探訪する瓦版-0


大正7年(1918)に建てられた、大正時代を代表する近代和風建築です。大規模で質の高い建物が、関東大震災と第2次世界大戦の被災を免れて、ほぼ完全に近い形で残っているのは、奇跡のような気もします。


丁度、この界隈だけが、空襲の被害を免れました。




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四季が美しく情緒豊かな日本の歴史と旅を探訪する瓦版-2


建築だけではなく、柏やスダジイの大樹が繁る屋敷の環境さえも、驚くほど完璧に保存されています。


水曜と土曜のみ(週2日)の一般公開です。約50分をかけて、少人数(私の場合は5名のみ)をボランティアの方が付ききりで案内していただけます。フルアテンドで説明を聴いたがゆえに、素晴らしさが理解出来たとも言えます。




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例えば、この長い長い廊下には、畳も敷いてあります。勿論、畳は、お客様用で、使用人は木の上を歩きました。


写真撮影は「自由」と言われましたが、「フラッシュ禁止」なので、室内は、余り撮影出来ていません。




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屋敷内で唯一の洋間が、この応接室です。カーテンは、創建当時のものが今も掛けられています。いかに上質の素材が使用されていたかと言うことです。室内調度品の数々も、筆舌に尽くし難い素晴らしい素材と工夫された逸品が並べられています。




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建設したのは、藤田好三郎(=豊島園の創始者)です。施工は清水組(今の清水建設)です。


しかし、藤田氏は、大正12年夏までしか住みませんでした。夏に退去後、9月1日に、関東大震災が発生。日本橋方面が大打撃を受けたため、ここが気に入った安田楠雄氏(=善次郎氏の娘婿)が購入し転入しました。


以来、楠雄は約75年間住みましたが、平成7年に死去。相続税対策もあり、未亡人は、日本ナショナル・トラストへほとんどの部分を(=一部約100坪は売却しましたが)寄贈しました。平成12年から修復工事に入り、平成19年から、週2回ながら、一般公開されています。





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屋敷の建物が、雁行形態に建てられています。



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このガラスさえも、大正時代では、相当に高価なものでした。そう言えば、高橋是清邸のガラスによく似ています。




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