2月12日(日)のさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。前日の「さわやかウォーキング@岡崎(2023/02/11)」に続き、珍しく2日連続でのイベント参加となりました。
JR東海道線は舞阪駅で降りるのは久しぶり。前職でいつしか安全運転管理者講習に参加したときに会場の最寄り駅として降りたっけ…。ここで、この先書く記事にあたり、似たようなコースをかぶって歩いたことがありました。さわやかウォーキングではないけど自主メニューで浜松市西区を歩いた記録です、記事のリンクをこちらになります→浜松市西区をご朱印めあてでウォーキング(2020/10/31)。
↑↑↑↑↑コース図はこんな感じ。JR舞阪駅(=スタート)→中村家住宅→龍雲寺→地蔵院→JR高塚駅(ゴール)。距離=約10.5km、所要時間=約2時間35分、コース題目は「家康公の次男秀康生誕の地「中村家住宅」と家康ゆかりの地をめぐる」です。
舞阪駅構内でスタート受付、オレンジのジャンパーを着たお兄さん、お姉さんたち、朝から早くからお疲れさまです。
舞阪駅の北口にて。この日も良い天気でウォーキング日和でした。いざ、行ってきます!。
舞阪駅から北上、画は東海道新幹線との交差です。東京駅から249.129km地点でした。
県道325号線(宇布見浜松線)をひたすら北へ進みました。画は宇布見橋(うぶみばし)にて新川が浜名湖へ注ぐ入江を撮影したものです。
「宇布見橋北」交差点にて右折、県道62号線(浜松雄踏線:雄踏街道)を東へ進みました。
その後、しばらくしてから左折、北へ進んだところに中村家住宅がありました。舞阪駅から約2.0km、19分ほどの徒歩でした。
重要文化財、中村家住宅。オッサン、浜松市に住みついて17年以上も経っているのに、初めて訪れる史跡でした。はて、徳川家と中村家との縁とは…、
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中村家の初代=中村正範(なかむらまさのり)は源範頼の末裔の武士である。文明13年(1481)、14代正實(まさざね)は今川氏に招かれ、遠江国磐田郡大橋郷に領地を賜り、文明15年(1483)に宇布見(うぶみ)に屋敷を構えた。永禄11年(1568)に徳川家康が遠江に入国したとき、18代正吉(まさよし)は船を出して迎えるなど御用を果たし、徳川氏に仕え今切軍船兵糧奉行(いまきれぐんせんひょうろうぶぎょう)や代官を勤めた。天正2年(1574)、家康の側室:御万の方が家康の第二子である於義丸(おぎまる)=後の結城秀康(ゆうきひでやす)を当屋敷で出産し、その時の胞衣(えな)を埋めた塚が現存している。江戸時代には庄屋を勤めていたが、徳川氏との関係で浜松城主と単独で拝謁できる独礼庄屋(どくれいしょうや)だった。
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…云々。鎌倉時代から続く格式の高いお家柄だったんですね。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では築山殿が御万の方を許す場面が既に放映されましたよね。主屋(おもや)は国指定重要文化財なのです。
広々とした畳の部屋、庄屋さんの屋敷ならではです。
お庭も広く、植木はどれもよく手入れされていました。
2月の中旬にして梅の花が見頃でした。
澄んだ青空に白い花も紅い花も色映えしていました。
こちらが胞衣塚(えなづか)です。浜松市の指定文化財になっています。
↑↑↑↑↑こちらが入場するときにいただいた中村家住宅のパンフレットです。この記事を書くにあたり、大変参考にさせていただきました。
いやぁ、歴史好きな方ならわかる世界だったんでしょうが、こうやって知らない史跡を訪れるのもイベント参加の醍醐味ですね。
中村家住宅を出てからしばらくは住宅街の細い道を北上、旧:雄踏街道に出たところで右折、東に進みました。九領橋東(くりょくりょうはしひがし)交差点にて右折、南へ少し進んで南九領橋(みなみくりょうはし)交差点で左折、その後は県道62号線(浜松雄踏線:雄踏街道)をひたすら東へ進みました。
田端橋北(たばたばしきた)交差点で左折して北上、帰帆橋(きはんはし)交差点で右折して再び東へ、佐鳴湖が見えたあたりでようやく龍雲寺に着きました。中村家住宅からは約5.5km、63分ほどの徒歩でした。
上述した「浜松市西区をご朱印めあてでウォーキング(2020/10/31)」でも訪れた寺院です。書家・金澤翔子さん作の「世界一大きい般若心経」が有名ですね。
見事に手入れされた石庭、青空の下、白く輝いてまぶしいくらいでした。
庭師・北山安夫氏が手掛けた庭園、5km以上もぶっ通しで歩いたので、身体が火照っていました。良い休憩所になりました。
こちらが「世界一大きい般若心経」、いつ見てもダイナミック!、世界観に圧倒されます。
書家・金澤翔子さんの作品を、ゆっくり鑑賞しながら身体も休まり、すっかりリフレッシュしました。
龍雲寺をあとにして、ホワイトロードに出たところで右折、南に向かい「彦尾南(ひこおみなみ)」交差点にて右折、県道62号線(雄踏街道)を西へ進み「入野(いりの)小学校南」交差点にて左折、県道326号線(高塚停車場入野線)を南下しました。
東海道新幹線をくぐる画、第二入野架道橋、東京駅から243.847km地点。
JR東海道本線を渡って少し進んだところに地蔵院がありました。龍雲寺から約2.5km、28分ほどの徒歩でした。
ここは初めて訪れる寺院です。お寺の由縁は…、
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山号は「護法山 地蔵院」(ごほうさんじぞういん)、宗派は臨済宗方広寺派、ご本尊様は延命地蔵菩薩。明徳元年(1390)に元道円密(げんどうえんみつ)和尚により創建される。
江戸時代=宝暦8年(1758)、「近世臨済宗中興の祖」と仰がれた白隠禅師が百日余り当地に逗留されており、その間「虚堂録」(きどうろく)の提唱、大法会を行い、全国より700名の修行者が参集した。
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…云々。開山以来、高塚(現:浜松市南区)はもとより、近郷近在の歴史と共に、文化・教育の中心となってきたお寺です。
トイレ休憩をさせてもらい、静かにお祈りさせていただきました。
作者はわかりませんでしたが、ここでも書をたしなむことができました。
位牌堂には徳川家築山御前ゆかりの腹籠り地蔵もお奉りされています。なるほど、ここも家康に縁のあるお寺だったんですね。
本堂の屋根は建立当時は茅葺きでしたが、大正時代に瓦に葺き替えられました。
地蔵院のホームページがありましたので、ここでリンクを貼らせていただきます、こちらになります→護法山 地蔵院。
地蔵院をあとにして約500m、JR高塚駅に着きました。浜松駅から東海道線を西に1つめの駅です。
はい、ゴール!、約10.5kmのウォーキング、おつかれさまでした。
なかなか乗り降りすることのない高塚の駅。そういえばいつしか、浜松市内の人気餃子店:喜慕里(きぼり)に行くがために降りたことがあったっけ。
↑↑↑↑↑上の画はこの日のウォーキングのGoogle Mapでの軌跡です。奇遇にもJR高塚駅は、自己メニューで浜松市南区を歩いたときにもゴールになりましたね…。関連記事はこちらになります→「浜松市南区をご朱印めあてでウォーキング(2020/10/04)」。
今回のウォーキングの記念品でもないが、お土産。地蔵院のお供えだったんだけれど、「ご自由にどうぞ」のお言葉に甘え、頂いてきたお菓子です。明治のマーブルチョコみたいな駄菓子で、後日、美味しくいただきました。
たまたま浜松市内を自己流で歩いたことと記憶が重なり、慣れているようで発見のあるウォーキング・イベントでした。夏場(7月~8月)はさわやかウォーキングのイベントは行われませんが、秋以降…気候が良くなったら、またタイミングを見計らってウォーキング・イベントに参加しようと意欲が沸くのでした。以上、記事終わり。