さわやかウォーキング@岡崎(2023/02/11)① | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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2月11日(土・祝)のさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。鉄道会社が開催するウォーキングイベントには、2022年6月18日(土)の「さわやかウォーキング@菊川(2022/06/18)」以来の参加になります。岡崎市内で開催されるさわやかウォーキングに参加するのは3回め、ここで過去の記事をご案内しておきます、リンクはこちらです→「さわやかウォーキング@岡崎(2016/11/06)その①その②」「さわやかウォーキング@岡崎(2017/11/04)①」。

ブレた…、愛知環状鉄道に乗るのは久しぶり。そもそも岡崎市か豊田市に用がなければ使わない路線だもんね。

コロナ禍が収まったとは言い切れない時候、…思いの外ウォーキング参加客は多く、狭い大門駅には改札口まで大行列!、改札を出るまでに7-8分くらいかかりました。

当たり前かも!?だけど、JR東海で紹介しているイベントなのに、改札口でウォーキング受付をしていたのは、愛知環状鉄道の職員さんたちでした、朝からお疲れさまです。

↑↑↑↑↑コース図はこんな感じ。愛知環状鉄道・大門駅=スタート→大樹寺→伊賀八幡宮→松應寺→磯部ろうそく店→籠田公園→六所神社→岡崎公園→まるや八丁味噌→愛知環状鉄道・中岡崎駅=ゴール。距離=約10.1km、所要時間=約2時間50分、コース題目は「天下取り家康公のルーツをめぐる岡崎ゴールデンコース」です。

2月のよく晴れた祝日、爽やかな気持ちで、いざウォーキングのスタートです。

愛知環状鉄道・大門駅から黙々と歩くこと約14分、700mほどで大樹寺(だいじゅじ)に到着しました。

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山号は「成道山 松安院(じょうどうさんしょうあんいん)」、宗派は浄土宗、ご本尊は阿弥陀如来坐像。松平4代目親忠(まつだいらちかただ)により、文明7年(1475)に創建される。親忠は徳川家康の5代前の先祖にあたる。松平家および徳川将軍家の菩提樹として名高い。

13代住職:登誉天室(とうよてんしつ)が、自害しようとする家康を懇意させ、「厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」(戦国乱世を住みよい浄土にする)は、家康の終生の座右の銘となる。

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…云々。今年(2023)放映中のNHK大河ドラマ「どうする家康」にも登場する有名なシーンの舞台なのです。

本堂の中は大河ドラマによるブームもあいまって、なかなか混雑していました。

こちらは家康の等身大のパネルです。身長159cm…6cmだけ勝った!…って、当時の男性では平均的な身長だったと思われます。

御朱印を受付したところで、せっかくなので、大方丈、宝物殿を拝観させていただきました。

方丈から庭園を眺める画。2月にして青々とした緑樹が目にまぶしかったです。丁寧に手入れされている植樹でした。

鐘楼の画。寛永18年(1641)に3代将軍:家光により建立。楼上の大鐘は9代将軍:家重により改鋳されたものだそうです。

山門の周りは「ビスタライン」の撮影で人だかりが絶えませんでした。こちらの山門も寛永18年(1641)に3代将軍:家光の命により建立されてものです。

こちらの画は大樹寺の山門を出て真向かいにある小学校のグランド脇から撮影したもの、門の向こうに真ん中に写るのが岡崎城です。大樹寺山門から岡崎城までの展望を「ビスタライン」と呼ばれています。

霊園(墓地)の片隅、大樹寺敷地の南西角に佇むのが、こちらの多宝塔。天文4年(1535)に松平清康により建立されたものです。一層が方形、二層が遠景になっている格調高い建物で、国の重要文化財に指定されています。

こちらは拝観時にいただいた大樹寺のパンフレットになります。この記事を書くにあたり、多くを参考させていただきました。なお、大樹寺のホームページは右記のリンクになります、ご参照ください→成道山 松安院 大樹寺

大樹寺を後にして、しばらくは住宅街の細い路地を東方向に進み、県道56号線(名古屋岡崎線)に出たところで右折、ひたすら南(岡崎中心街方面)へ進みました。約2.3km、32分ほど歩いたところで伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)の参道にある大鳥居の前に着きました。

それから進路を北へ変え、八幡宮への参道を歩きました。こちらの鳥居は先ほどの赤鳥居と伊賀川との間にある石造のものです。

伊賀川に架かる神橋を渡る手前の画。ウォーキングコースでは、先ほどの赤鳥居ではなく、県道56号線から伊賀川に沿って西に進み、この神橋から参道に入るルートが定められていました。

神橋から伊賀八幡宮を眺める画。真冬の蓮池はより空気が乾いている印象を強くさせます。はたして、この池で蓮根を採取しているのかどうかは不明です。

伊賀八幡宮は家康公が大きな合戦の前に必ず参拝したといわれる神社、今では戦勝のご利益があるパワースポットになっています。

境内の中はご覧の大混雑。当ブログ序盤に掲げリンクした記事のとおり、さわやかウォーキングで以前にも訪れたことのある神社のため、行列に並んで拝殿するのはあきらめて、御朱印受付の列にだけ加わりました。

今年(2023)は卯年、オッサン、なんだかんだいって年男なんですよ。周りにも福を招くくらいにパワーが授かりますように!。

境内にあるみぞれ石の近くから、こっそり本殿を撮影した画。大樹寺と同様、松平4代目:親忠公により、文明2年(1470)に創建された神社です。

伊賀八幡宮をあとにして再び参道を南へ引き返し、県道56号線(名古屋岡崎線)に出たところで斜め右方向、さらに南へ進みました。能見不動尊の前を通り過ぎて100mほど南にある角で右折、西へ70mほど歩いたところに、松應寺(しょうおうじ)への入口がありました。

松應寺の本堂前にて。狭い境内でここでも人だかり。伊賀八幡宮からは約1.0km、10分ほどの徒歩でした。

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山号は「能見山 瑞雲院(のうけんざんずいうんいん)」、宗派は浄土宗、ご本尊は阿弥陀如来。家康公が父:松平広忠(まつだいらひろただ)公を菩提のために永禄3年(1560)に創建。家康公お手植えの松が境内にあり、「松應寺」の名前の由来となっている。松平広忠公御廟所で使用されているのが剣銀杏紋(けんいちょうもん)、3本の剣と3枚の銀杏の葉を組み合わせた紋章で、徳川家の家紋:三つ葉葵の原型になった説もある。

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…云々。父を亡くした時、家康はわずか8歳、自ら父の墓上に松を植え、一族の繁栄と隆運を託したそうです。

こちらは松應寺の本堂のすぐ近くにある太子堂。戦火を免れた唯一のお堂で、堂内は極彩色、鮮やかな花々の天井画が広がります。

松應寺の御朱印はバラエティ豊か!。期間限定のものもありましたが、オーソドックスだけど「徳川家康公創建」と三つ葉葵の判が押されているものをいただきました。

こちらは松應寺でいただいたパンフレットの画です。優しいタッチのイラストに境内の見どころを端的にまとめて紹介されています。SNSのリンクについてはFacebookのものを掲載させていただきました、こちらになります→能見山 瑞雲院 松應寺

松應寺の近くは古い空き家が建ち並ぶアーケード街になっていて、「松應寺横丁」と呼ばれています。平成23年(2011)に地域住民やNPO法人が「松應寺横丁プロジェクト」を開始。カフェや雑貨屋が7件ほど営業していて、私が訪れたこの日も賑わっていました。

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」でも取材されていて、鶴瓶師匠と松本潤さんが岡崎の街をぶらりするスタート地点になりました。

松應寺横丁をあとにして、来た道を引き返し、再び県道56号線を南下、600mほど進んだところで県道から逸れ、住宅街を進むと、「磯部ろうそく店」がありました。松應時から約800mほどの徒歩でした。

普段、自宅のインテリアには無頓着、実家にある仏壇に拝むときぐらいしかロウソクに触れることはありません。なので、こうしたイベントに参加しなければ立ち寄ることのないジャンルのお店です。

店内ではロウソクの工房があり、職人の方が黙々とロウソクを作られていました。

ただ残念ながら、決して広いとは言えない店内にはウォーキング参加者が押し寄せ、手の凝ったギャラリーが展示されていたり、ロウソクの手作り教室が催されていましたが、ゆっくり見学する気になれず、早々にお店を出ました。

磯部ろうそく店からは再び県道56号線に戻り150mほど南下、「本町通1丁目」交差点にて左折、東に進みました。磯部ろうそく店から約800mの徒歩で、籠田公園(かごたこうえん)に着きました。

この時点で12時を過ぎた頃、ちょうどお昼ご飯時で、園内には食事をされている方でいっぱいでした。

広くて整備された公園、岡崎市民の憩いの場ですね。

ただ、朝ご飯をしっかり食べたせいもあってか。それほど腹がへっておらず、水分補給をして公園をあとにしました。

籠田公園からは南南東に進みました。乙川[おとがわ:矢作川(やはぎがわ)の支流]の堤防まで、公園の続きのように整備された歩道があり、少しアトラクション的にアップダウンを楽しみながら歩きました。

国道1号線を渡り、桜城橋(さくらのしろばし)にて乙川を渡り、下流方向を眺めた画。中央に写る森のようになっているところが岡崎城です。

桜城橋からは乙川の左岸を下流方向に進み、県道483号線(岡崎幸田線:電車通り)に出たところで左折、南へ進み、名鉄名古屋本線をくぐったところで左折→東岡崎駅の方向へ進み、駅南の住宅街をしばらく歩いたところに、六所神社(ろくしょじんじゃ)がありました。籠田公園からは約1.5km、19分ほどの徒歩でした。

うぉ、ウォーキング後半にきてかなりの勾配の階段、頑張って上りましたよ。

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松平氏(徳川氏)発祥の地である松平郷(現:豊田市松平町付近)の六所神社(現:豊田市坂上町)より祭神の勧請を受けて、徳川家康の祖父:松平清康が創建したものである。祭神は松平郷から分祀した猿田彦命(さるたひこのみこと)・塩土老翁命(しおつちのおじのかみ)・事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのかみ)のほか、12柱の神を祀る。徳川家康公の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けた。

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…云々。こちらも家康公ゆかりの地というわけです。

上の画は拝殿になりますが、これにつながる本殿、幣殿、神供所は寛永11年~13年(1634-1636)に改築されたもの、楼門は貞享5年(1688)に建立されたものです。いずれの建造物も国指定の重要文化財です!。

初めて訪れた神社だったので、御朱印を頂いてきました。水分補給しながらのんびり休ませていただきました。

…と、ここで唐突ですが、本日の記事はここまでにします。明日の記事に続きます。