さわやかウォーキング@岡崎(2017/11/04)① | パンダの音楽

パンダの音楽

静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

独自ヒットチャートの公開、お気に入り楽曲の紹介等を致します。

2017年11月4日(土)、ものすごく久しぶりにさわやかウォーキングに参加したことを記事にします。…というか、この記事アップが大変遅くなってお恥ずかしい限り。。。昨年の11月末ぐらいにはおおよそ仕上がっていたのだけれど、うっかり公開し損ねておりました、アホですみません(;゚ロ゚)。

さて、岡崎でのウォーキングは2回めになります。文化の日(11/3)が金曜日で3連休の真ん中、それほど良い天気でもなかったが出かけてみようと思いたつ。朝のうちに家事をすましたりして、浜松の自宅を出たのは9時過ぎ。

 

東海道線を下記のダイヤのように乗り継ぐ。浜松から岡崎まではJR在来線で1時間ほどかかります。

 

2017/11/04(土)

浜松⇒岡崎

09:23⇒10:25

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【所要時間】1時間2分

【運賃】IC:1,140円(きっぷ:1,140円)

【乗換】1回

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▽09:23発【浜松】

|JR東海道本線

|4番ホーム 豊橋行

|(当駅始発)

▼09:56着【豊橋】

 

|▽10:03発

|JR東海道本線新快速

|8番ホーム 大垣行

|(当駅始発)

▼10:25着【岡崎】

 

■料金内訳

浜松 - 岡崎 IC:1,140円(きっぷ:1,140円)

【乗換NAVITIME】

http://navi.tm/wztd6tpp/

 

岡崎駅で降りてからいったん改札を出る。愛知環状鉄道に乗り換えるためです。いつぞやのさわやかウォーキングで愛知環状鉄道に乗った時に、降りた駅でSuicaやToicaなどICカードを使えなくて、現金で運賃を払うのに手こずったりしたので、前もって切符を買うことにしました。

岡崎駅の改札を出てすぐのところにスタート地点のウォーキング参加者の受付。濃い藍色の制服のJR職員に挟まれて座っている、明るい青の制服を着た男性2人は愛知環状鉄道の職員。実質スタート地点もゴール地点も愛知環状鉄道の駅のため、ウォーキング客用に切符を販売していました。なお、上記した愛知環状鉄道での失敗についての記事はこちら→さわやかウォーキング@瀬戸~長久手(2016/11/20)その①

愛知環状鉄道の路線図。JR東海道線の岡崎と中央線の高蔵寺を結ぶ長さ45.3kmの路線。地元では「愛環(あいかん)」と呼ばれています。

切符を購入し、再び改札口に入り、北岡崎駅へ向かう。いつしかも訪れた「0番線」ホームです。

岡崎駅から北岡崎駅までは約8分かかり、運賃は¥230.。

愛知環状鉄道の車輛。シルバーのボディに青いライン、地下鉄っぽいフォルム。駅名の看板も青色を使用しており、どうも愛知環状鉄道のイメージカラーは「明るくはっきりとした"青"」のようです。

北岡崎駅に着く。岡崎駅から4つめ。

ウォーキングのスタート受付のラッシュ時間帯を避けたつもりだったけれど、それでも大勢の方が下車しました。

左:さわやかウォーキングのスタッフ(JR職員)と右:愛知環状鉄道の職員が仲良く階段を下りていく。見事なコラボレーションだね。

北岡崎駅の外観。ココが実質的なウォーキングのスタート地点です。

↑↑↑↑↑ウォーキングのコース図はこんな感じ。東海道線・岡崎駅(=スタート)→(電車移動)→愛知環状鉄道・北岡崎駅(=実質スタート)→伊賀八幡宮→岡崎信用金庫資料館→旧額田郡公会堂及び物産陳列所→東公園入口・旧本多忠次邸→冠木門→岡崎城→八丁味噌蔵(まるや)→愛知環状鉄道・中岡崎駅(=ゴール)。コース距離=約10.9km、所要時間=約3時間。コース名目は「家康誕生の地 東海道二十七曲りと岡崎城や八丁味噌蔵を巡ろう」です。

天気は晴れ間もあるが曇り空。天気予報では一時的に雨が降るかもしれないと言っていました。傘を持たなかったが、まぁなんとかなるか。

北岡崎駅から約800mほど歩いて、伊賀八幡宮に到着。

さわやかウォーキングならでは、横の門から入ってしまう。こちらの画に写るのが正門でした。

この立派な門は「随身門」といって国の重要文化財なのでした!。

拝殿の手前にて。ウォーキング参加者が多かったのであろうが参拝者でにぎわう。

♪君が代は~、「さざれ石」もある。伊勢神宮や出雲大社にもあるよね、こういうの。祭神が応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現…と皇室系だからかな。

この伊賀八幡宮は文明2年(1470年)に松平氏4代親忠(ちかただ)が松平氏の氏神として創建されました。徳川家康により社殿の改築が行われ、さらに三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えられました。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となったそうです。

広い境内、拝殿も大事な文化財なんだけれど、画に写っていない、奥にある本殿も"国の重要文化財"です。もともとは伊賀にあった社をこの地(額田郡井田村)に移したため、もとあった場所"伊賀"の地名が残ったのだとか。伊賀八幡宮のホームページがありました、リンクはこちら→伊賀八幡宮

ウォーキングコースでは、来た時と同じ門から出て神社の横の道を進むようだったが、せっかくなので「随身門」をくぐって(おそらく昔からあった)参道を歩いてみることにしました。画は四角い池の中央にある石橋と石鳥居。

本殿・随身門の方を振り返った画。池は枯れたハスの葉っぱで覆われてしまっていますが、花が咲くころはさぞキレイでしょう…。ここにある石橋(=神橋)は渡ることはできないけれど、"国の重要文化財"です。

石鳥居をくぐって本殿の方向を写す。相変わらずヘタな撮影だけれど、石鳥居から池の石橋、随身門が一直線に入ると、けっこう精悍でカッコいい画になると思う…。

伊賀八幡宮の参道の入口(であると思われる)大きな赤鳥居。境内からこの鳥居にいたるまで、途中で小さい川を渡ったりしたけれど、概ねまっすぐな参道でした。

こちら、葵の御紋がある石の標識。やっぱり徳川家の社だねぇ~。

伊賀八幡宮を後にして、ひたすら県道39号線(岡崎足助線)を南に進む。

道中になる能見町(のみちょう)にはお店が多く建ち並び、古くからの商店街のようでした。

歩道にこんな可愛らしい石像がいくつか置かれていました。「NOMI」って彫られているし、この町のマスコット的なものかもしれない。

三菱東京UFJ銀行のあるところ、「本町通1丁目」交差点で左へ曲がる(東へ向かう)。

その後400mくらい進むと籠田公園に出る。なんと!、ジャズのコンサートが開かれていました!。

ちょうど耳にしたのは女声4人組のコーラス。明るい曲調のボサノヴァで、聴いているだけで爽やかな気分になりました。

「岡崎ジャズストリート」のイベントの一環でした。確かに、前回の岡崎でのウォーキングはほぼ同じような時季に参加していて、ジャズ・イベントが行われていました。。

時間さえあれば座ってビールでも飲みながらジャズを楽しみたいところであったが、まぁ、まだまだウォーキングも序盤だし、歩き進まなければ…。

籠田公園の南側の入口にて。ちゃんとイベントらしいポップが掲示されていた。岡崎公園の中のコンサートの印象が強かったが、これはこれでイベント色が強い。

これが「岡崎ジャズストリート2017」のパンフレット。この記事を書くにあたりちゃんと目を通したら、岡崎市街の11ヶ所で有料のライブステージが置かれていて、トッププレイヤーが集結!。岡崎城二ノ丸の能楽堂のほかに、岡崎信用金庫本店や龍海院という東岡崎駅近くのお寺とかも会場になっていて、この籠田公園がイベント本部なのでした、失敬しました!。

浜松でも毎年10月の下旬にジャズ・フェスティバルが行われて、街が賑わうのだけれど、日ごと催事は変わるけれど1週間くらいは続けられているイベント。一方、この「岡崎ジャズストリート」は2日だけのイベントなので、タイミングを狙い定めて街を訪れないといけない印象があります。

好天気ではなかったけれど、ジャズやフュージョンの楽曲を嗜むのは演奏者も聴衆も40代後半より上の方々が多い感じで、音楽を純粋に楽しむ、大人の空間でした。ラッパを吹かなくなってかれこれ20年くらい経つけれど、高校の定期演奏会でジャズバンドで頑張っていた頃を懐かしく感じたりしました。なお、「岡崎ジャズストリート」の公式ホームページはこちら→岡崎ジャズストリート

籠田公園を出て、ほんの2分ほど歩いて岡崎信用金庫資料館に到着。伊賀八幡宮からは約2.1kmの道のりでした。

立派なレンガ造りの建物!!、大正6年(1917)に旧:岡崎銀行本店として建設されたもので、平成20年(2008)3月に国指定の「有形文化財」に登録されました。

この画のごとく、戦後に岡崎商工会議所として使用されていました。太平洋戦争で廃墟同然となっていた建物は奇跡に外郭だけが残り、商工会議所が買い取り→昭和25年(1950)4月に起工→同年10月に竣工→昭和51年(1976)まで地元岡崎の経済拠点となっていました。

昭和52年(1977)に岡崎信用金庫が土地・建物を買い取り、昭和57年(1982)に資料館としてオープン→今に至ります。2017年はこの名建築の竣工から100周年なのでした。

これは館内でいただいたパンフレット。この国指定の文化財が、何気ない平日に無料でひょっこり入れるわけで、なかなか大盤振る舞い。

館内の画。ウォーキング客がほとんどだったけれど、もともと銀行なだけあって腰を掛けるスペースもあり、トイレも借りることができて、良い休憩スポットでした。

こんなふうに岡崎信用金庫の歴史を学んだりして。当日は信金の職員も受付や案内をしていただき、ありがとうございました。そういえば、静岡県内では信金同士の合併が3件(しずおか+焼津、浜松+磐田、島田+掛川)あり、低金利のこの時世、なかなかシビアな経営を虐げられているのが伺われました。

資料館竣工100周年メモリアルってことで、愛知産業大学、豊田工業高等専門学校、名古屋工業大学大学院の学生作品が展示されていました。「第5回鈴木禎次賞」という卒業建築設計作品などの講評会が開催されていたのです。

なお、「鈴木禎次」は明治~昭和初期にわたって名古屋を拠点にして活躍した名建築家で、この旧:岡崎銀行本店を設計した。名古屋高等工業学校(現:名古屋工業大学)の建築家の教授を務めており、ゆかりがあるわけです。

資料館の2階にて。もと金融機関だけあって、日本における貨幣の歴史とか、世界中の通貨とか…お金にかかわる展示。

あ、コレコレ、1億円の札束の重さを体感してみるコーナー。…どこかで見たような…、そうそう名古屋市にある三菱東京UFJ銀行の資料館でも見かけたね。関連記事はこちら→「さわやかウォーキング@名古屋(2017/03/18)①」「さわやかウォーキング@名古屋(2017/03/18)②」。

子ども心に記念スタンプしたりして。相変わらずのケアレスミスで、スタンプ下部の"29."が写っていないではないか。

こちら来館記念品になるもの。2Fに両替商の建物を復元した展示があったのだけれど、そこで頂いた絵ハガキ。コレ、何事もなく友人に送ったりしたら、きっと「どこの史跡へ行ってきたの?」って訊かれそう…。

最後に、もう一度資料館の全景を撮影。赤レンガと地元岡崎産の御影石をふんだんに使用した大正期の本格的洋風建物…、建築設計や様式の意匠、造形美に酔いしれるのもオツなもの。なお、岡崎信用金庫および資料館のホームページはこちら→岡崎信用金庫

岡崎信用金庫資料館を後にして、次のスポット「旧額田公会堂」を目指す。すぐに歩道に上の画のようなタイルが貼られているのが目につく。そういえば今回のウォーキングのお題には「東海道二十七曲り」が取り上げられていたっけ。ってことは…、今、歩いているのが旧:東海道なのか!。

でもね、岡崎市内には東海道がくねくねと折れ曲がりながら通っているとはいっても、ガッツリ車がビュンビュン通る現役の東海道(=国道1号線)とそれにこっそり沿うような側道が東海道だったりするわけで、ウォーキングのマップではさっぱりわけがわからない。

旧:東海道(と思われる)総門通りを逸れて、伝馬通り(てんまどおり)という道幅の拾い商店街を南東方向に歩く。木の種類にもよるけれど街路樹は紅葉して、すっかり晩秋の装い。

その後、「蓬莱町1丁目」交差点を右折し、しばらくして(250mくらい)「旧:額田郡公会堂及物産陳列所」に到着する。岡崎信用金庫資料館からは1.2kmほどの距離。"額田郡"は"ぬかたぐん"と読み、愛知県は西三河の地域=今の岡崎市と幸田町(こうたちょう)と豊田市の一部が郡域でした。

この看板にあるように、かつては「岡崎市郷土館」と称されて、岡崎市とその周辺の歴史資料が展示されていたそうだが、建物の老朽化のため2014年に閉館していました。

古めかしいピンクに塗られた木造の建物、大正2年(1913)に建設され、平成11年(1999)に国の重要文化財に指定されました。

上と同じようなショットになるがアップの画。右側に写る四角い形の入口が中央玄関で大正ロマンチカ気分満載。完全閉館されているため、外から建物を眺めるだけになる。

少し中庭の方へ入ってみる。画の左側の水色に塗られた建物は「収蔵庫」で、四つ葉のクローバーをかたどった花窓がかわいらしい。ウォーキング客以外は来訪者がないくらいで、ひっそりとした空間…、まるで時の流れから取り残されてしまったようだ。。。

同じ敷地内に「せきれいホール」といって、岡崎市の公共文化施設があります。こちらも昭和36年(1961)完成の、築50年以上も経つ年季の入った建物です。わざわざ中に入ってまで確認しなかったけれど、ここも人の気配が少なくて、住宅街の静寂の空間の中にたたずんでいるようでした。なお、「旧:額田郡公会堂及物産陳列所」の関連ホームページはこちら→岡崎市郷土館

岡崎市郷土館の敷地を出て住宅街の中を歩き、再び伝馬通りの延長になる広い道路に出る手前、「若宮町2丁目」の角にて。「岡崎城下二十七曲り」の石碑を見かける。

「岡崎城東入口」のモニュメントなんだそう。調べてみると、この「二十七曲り」をたどる道しるべとして、それぞれの曲がり角に「い」「ろ」「は」「に」…と、石標が置かれているらしい。因みにこのスポットが「い」。

この角にあるのが「岡崎げんき館」という、岡崎市民の健康増進を促している公共施設。もといは市立病院があった敷地で、今では保健所が中に入っています。

それからすぐ、「中町4丁目」交差点を右折、ひたすら南東方向に歩き進む。

「欠町」(かけまち)交差点で左折、県道26号線(岡崎環状線)を北上する。

そしてわずか150mくらいで「東公園西」の信号を右折。画は県道26号線を渡ったところ。

今回のウォーキングの4ヶ所めの立ち寄りスポット=「旧:本多忠次邸」に到着。既に幹線道路に入ってから見えていた丘の上に立つオシャレな洋館です。

「本多忠次(ほんだただつぐ)」って、家康の家臣の戦国武将?、…ぢゃなくて、徳川四天王の一人である「本多忠勝」を始祖とする旧岡崎藩主本多家の子孫です。

赤茶色の瓦屋根に薄いベージュ色のモルタルの壁の様式邸宅。見たところ、フランスの田園風景にありそうな建物なんだけれど、「スパニッシュ様式」というらしい。ここにある洋館は本多氏が東京・世田谷に建てた住宅とプール(壁泉)を昭和7年(1932)に移築復元したものです。

↑↑↑↑↑これは「旧本多忠次邸」のパンフレット。岡崎市が管理していて、平成26年(2014)10月に「旧本多家住宅主屋」として国の登録有形文化財になりました。ここも入場無料、月曜日が休館日で年末年始以外はたいがい解放されているようで、何ともふとっぱら。

見づらい画だけれど「建物特別公開」があって、当日はウォーキングイベントに合わせてくれたの如く、通常は公開されていない女中室と地下の暖房・給湯室が公開されていました。

↑↑↑↑↑こちらの画は邸宅内の見取り図。順路に従って各部屋について事細かに説明している。館内のトイレは新しくて清潔でありがたい。さらにエレベーターも設置されていてバリアフリー対応もバッチリ。岡崎市が観光スポットとして推しているのがよく伝わる感じでした。

1階の団らん室にて。語りべのおじさんがいらして、昭和初期から置いてあるソファーや家具、骨董品などについて説明してくださいました。大概の調度品がオーダーメイドなんだそうで、贅沢な空間です。

室内の骨董品などに、ついつい値段が気になっちゃうんだよね、もちろん「プライスレス」なんだろうけど…。足を止めて語りべの方と熱心に会話をしている来館者もいらして、近代昭和史に興味がある方には大変ためになる有形文化財でした。

おっぅ!、これは珍しい!、蓄音機だ!!。レコード盤さえ珍しい時代なのに、まだ現役で使えるような状態で展示されていました。

団らん室の隣りは食堂。大きなテーブルとキレイに整った革張りの椅子…、食堂というより会議室のようでした。窓のステンドグラスが見事!、太陽が南中の頃の撮影で晩秋の柔らかい日差しでもまばゆい。

「夫人室」(奥様のための和室)と窓際の「日光室」にて。ここだけ際立って人口密度が高い!!。

日光室にお茶とお水が無料でいただけるサーバーがあって、そりゃ混みあうわけだ。

っていうか、ゆったり窓越しで腰を掛けてキレイな庭園を眺めることができちゃうわけで。お姉さま方々がたむろするのは仕方ない事か…。

夫人室と廊下を隔ててあるのが化粧室と湯殿。オールタイル貼りのゴージャスな浴槽!。きめ細やかなモザイクは贅沢な芸術品で、黒カビでも生やしたらケチョンケチョンに𠮟られそう。

さて、ここが特別公開の第二女中室。ぱっと見、事務机と文房具でも収納してあるようなキャビネットがあるくらいで、無駄がないというか、殺風景な空間…。

部屋の天井近くには、館内の各部屋からの呼び出しがわかるように番号のライトが点く機械が掲げてありました。左側がスピーカーになっているようで…直接、部屋から呼び出しの声も聞こえたのかな?…。

これが暖房と給湯室の画。ボイラーが人ひとりがやっとこさ通れるような狭い階段の底にある。うっかり先に歩く人に気遣いなく連れ立ってしまうと、大混雑になる空間でした。

人の背丈よりも長い、どデカいボイラー。この広いお屋敷全体を温めるんだからこれぐらいの規模になるのかな…??。

2階に上がってまず入ったのが寝室。キングサイズではないけれど日本人にしては大きいベッドが2つあって、本多氏が奥様と仲睦まじく暮らしていたのが想像されました。

なんと、2階にも化粧室と浴室があって、こちらもオールタイル貼りの手の込んだこしらえ。1階の湯殿よりは狭い空間だけれど、寝室と北側に接していてることから、御主人である本多氏はこちらのお風呂を多く使ったのであろうか…。昭和初期にして洋式トイレも備えられていて、時代の先端をいく建築設計で建てられた邸宅だったんだなぁ…って感心しました。

寝室の西隣りが書斎。大きい上げ下げ窓が5・6枚くらい付けられていて、日光が多く降り注ぎ、事務作業しやすい空間です。小高い丘にある邸宅からは岡崎の市街を眺めることができ、少し「王様気分」を味わえそうでした。

書斎の西隣りが茶室。ここだけ置かれている家具や椅子が、他の部屋とは明らかに異色なデザインのものが置かれていて、特異な空間でした。パリ発の「アールデコ様式」なんだそうです。

さらに茶室の西隣りは客間で、3部屋ひと続きの和室。今まで洋風な物件をたくさん見てきたので、何だかホッコリした心持ちに。やっぱり日本人、畳は落ち着くなぁ…。

客間に沿って窓側には板張りの廊下があって、日なたぼっこにちょうど良い空間。

…で、何ともまぁ中途半端なんだけれど、まさかの「ブログエディタの文字数オーバー」のため、今日の記事はここまで。明日に続きます。