浜松市南区をご朱印めあてでウォーキング(2020/10/04) | パンダの音楽

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10月4日(日)に浜松市南区をメインにウォーキングしたことを記事にします。今回も御朱印めあてで訪れる寺社をマークして「前々から気になっていて立ち寄ったことがないところ」シリーズで歩きました。
まず町名にもなっている頭陀寺(ずだじ)を目指しました。自宅を出て柳通りを東へ進み、馬込川を越えてから丸塚バイパスを南へ折れて佐藤町に入ったところで、…「あ、ここも気になっていたんだ」って足を止めたのが瑞雲禅寺(ずいうんぜんじ)でした。冒頭の画はこのお寺の山門です。

なんてね、実は大通り沿いの門から入りました。

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山号は「大通山瑞雲寺(だいつうざんずいうんじ)」、宗派は臨済宗方広寺派。的伝一着(てきでんいっちゃく)和尚が応永6年(1395)に開創し、その4年後に弟子の快宗一如(かいそういつじょ)和尚に譲られた。聖観世音菩薩を本尊とし、本堂内には的伝一着和尚の木造がおさめられている。

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…云々。浜松でいう方広寺とは浜松市北区引佐町にある湖北五山のお寺です、11月13日(金)に記事にあげたばかりでしたね。

訪問したときは参拝客は私1人だけの世界、本堂が開いていてひっそりとゆっくりとお祈りさせていただきました。ご丁寧にお茶菓子も用意されていて、さすがに勝手にはいただけませんでしたが、サービスの良いお寺でした。

鐘堂や経堂があり、お庭もよく手入れされていて、ふと気づけばのんびりと休憩していました。

けれども9時前の参拝で、檀家でもないのにピンポンするのは気がひけて御朱印をいただきませんでした…ここぞという時に弱い遠慮癖、今となっては後悔してます。

瑞雲禅寺を出てしばらくは南下、JR線をくぐって国道150号線を出てから南東へ左折、駅南大通りに出てから少し住宅街を歩き進んだところに頭陀寺がありました。瑞雲禅寺から約1.8km、21分ほどの徒歩でした。

本堂(位牌堂)の前にての撮影。昭和53年(1978)に建立されたものです。
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山号は「青林山頭陀寺(せいりんざんずだじ)」、宗派は高野山真言宗。大宝3年(703)、文武天皇が圓空上人(えんくうしょうにん)に命を下し、仏閣建立、本尊奉安、そして末永く「国家安隠、万民豊楽、万病平癒」勅願寺とする。貞観5年(863)、清和天皇が当寺を定額寺(国家に一定数を限った特別な寺)とする。戦国時代以後、今川氏の庇護のもとに繁栄したが、同氏の衰えと共に衰微。幼少の頃より縁のあった豊臣秀吉公、徳川家康公の顧みるところとなり、寺領200石の荘田の寄進により復興した。明治11年、法印真慶により再建されたが、昭和20年にで全山焼失した。焼失を免れたのは昔より幾度か難を逃れてきた難除大師(弘法大師)像だけだった。

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…云々。浜松市最古の寺院で、今川氏に仕えた武将:松下之綱(まつしたゆきつな)の屋敷があり、別名:頭陀寺城と呼ばれていました。松下氏の一族は井伊直政を養子として保護するなど、井伊家ゆかりのお寺でもあります。

願掛三尊の像の画。右側から浪切不動明王、水掛一願地蔵尊、修行大師(弘法大師)です。

本堂の西側奥に供養塚がありました。たくさんのお地蔵さんが安置されていて、静かにお祈りする場となりました。画に写っていませんが、供養塚の左には役行者堂(えんのぎょうしゃどう)もありました。

さらにその奥には馬頭観音堂がありました。動物を供養する仏さまですね。撮影はしませんでしたが、馬頭観音堂の西側に、松下家の屋敷から遷座した稲荷堂もありました。

御朱印を受付してもらい、せっかくなので歴史資料館も見学させていただきました。国指定重要文化財の掛軸などあり、しげしげと歴史の流れをつまみ見しました。TVの歴史番組でよく出演される磯田道史先生がバスガイドをするビデオが放映されていました。頭陀寺のことを事細かに解説されていて大変タメになりました。
↑↑↑↑↑こちらは頭陀寺のパンフレットです。頭陀寺だけでなく、周辺のゆかりの地についても紹介されていてもう一度じっくりお寺を訪問したくなるような内容です。なお、頭陀寺には寺の由縁や境内の案内などが詳細に記載されたホームページもあるので是非ご参照ください、リンクはこちらです→頭陀寺 難除大師

資料館で視たビデオの復習的に、頭陀寺の200mほど南にある「松下屋敷跡」も訪ねました。

屋敷跡は頭陀寺第一公園という少し遊具があるくらいの小さな公園でした。画の左側に写る塀の向こう…回転寿司店があるあたりが実際の屋敷本体があった所なんだそうです。

この公園の高さ50cmほどのこんもりとした所が屋敷の外塀の跡なのですが、言われて説明を受けなければわからない世界ですね…。
↑↑↑↑↑上の画は頭陀寺城址のパンフレットです。約2kmの散歩コースが紹介されていて、なるほどコレを頼りにまた歩きに来たいな、と思いました。
頭陀寺城址をあとにして、次は虚空蔵寺(こくぞうじ)を目指しました。1度訪れたことがあるお寺なのですが、御朱印をもらい損ねていたからです。ジグザグと南西方向に進み、三島楊子(みしまようず)公園を通り抜け再び西に進んだところ、浜松神社の前に着きました。

…って、浜松市南区三島町に「浜松神社」なんて何ともメジャーな名前の神社があったなんて初耳でした。お参りしようとすると…

え゛っっ、おっちゃん2人が本殿の賽銭箱の辺りで寛いでいるではないか!。おそらくだけれど、天気の良い日曜日だし、町内会の奉仕作業とかで神社の清掃をしてお疲れだったのかもしれません。「ちょっとどいてください」とズケズケとお参りする気にはなりませんでした。
社務所は開いているようでしたが閑古鳥でした。なので御朱印もいただくことはできませんでした。また、浜松神社の由縁などについて調べたのだけれど、コレといった資料が見つかりませんでした。ですが、参考になるブログ記事があったのでご紹介します、リンクはこちらです→遠州の遺跡・寺社 64 中区三島町の浜松神社
地名が「三島町」というように、三嶋大社にゆかりがある神社のようでした。
そそくさと浜松神社を後にして、引き続き西へ進みました。中田島街道を渡り瓜内町に入ってから南下、下村橋で馬込川を越えて中部浄化センターに沿って再び南下、掛舞線(かけまいせん:県道316号線)に出て西へ歩き進みました。画は下村橋で馬込川を渡った時に上流方向を写したものです。
浜松神社から約3.1km、32分で虚空蔵寺に着きました。頭陀寺からは約5.4kmの徒歩でした。
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山号は「宝的山蔵興寺(ほうてきざんぞうこうじ)」、宗派は臨済宗方広寺派。御本尊は阿弥陀如来、虚空蔵菩薩。かつては「金剛山密厳蔵寺(こんごうさんみつげんぞうじ)」と称し真言宗にして隆盛を極めたが、その後幾多の盛衰を経て、小松天皇の御代:応永3年(1396)、記室禅師が入寺して臨済宗に転ずる。口伝によると虚空蔵菩薩は「文武天皇の御代(697-707)、南海より出現す」とあるが事跡は不詳である。

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…云々。正式なお寺の名前はわからなくても「こくぞうさん」と称して浜松市民に親しまれています。なお、このお寺のある地名は新橋町ですが、「しんばし」ではなく「にっぱし」と読みます。
この日、境内に観光としてお参りしているのは私だけでしたが、6人くらいの家族連れが(おそらく)法事が終わったのか本堂から出てきました。何にしろ、穏やかな休日です。
本堂ではペッパーくんが出迎えてくれました。2人きりの世界!?の中、静かにゆっくりお祈りさせていただきました。
さすがダルマのお寺!、さまざまなサイズのダルマが売られていて、干支をかたどったダルマがかわいかったです。御朱印は書置きのものをいただきました。
境内には8つの仏像が並んでいました。千手観音菩薩(子)、虚空蔵菩薩(丑寅)、文殊菩薩(卯)、普賢菩薩(辰巳)、勢至菩薩(午)、大日如来(未申)、不動明王(酉)、阿弥陀如来(戌亥)。
私は卯年生まれ、文殊菩薩をじっくりお祈りしました。
この日はひっそりとしたものですが、2月の第2土・日曜に行われる虚空蔵尊大祭は多くの人で賑わいます。まだ見に行ったことがないので、大祭に合わせてまたお参りに来たいと思いました。虚空蔵寺のホームページがありましたのでご案内します、リンクはこちらです→浜松新橋 虚空蔵寺。 
この時点で11:50頃、虚空蔵寺を出てから空腹に悩まされながら歩いていると、ちょうど良い具合に中華料理屋さんがありました。
入店したのは「からく」さん、漢字で「嘉樂」と書くみたいです。そして…、
ジャーン!、こてっこての醤油ラーメン!。昔ながらの町の中華屋さんといった感じで、あっさりとしていて奥深く、優しい味わいでした。
さらにジャーン!、餃子もいただきました。こちらは野菜たっぷりで軽い食感、モヤシ添えの「浜松餃子」でした。
お腹いっぱいになったところで再び掛舞線を西へ進みました。倉松町入口から北西へジグザグと歩き進み、東海道(国道257号線)を渡り、JR高塚駅の近くにある高塚熊野神社に着きました。虚空蔵寺から約4km、寄り道をしましたが45分ほどの徒歩でした。
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御祭神は伊佐奈岐阜命(いざなぎのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)。創建は不詳、紀州熊野本宮の神主が諸国行脚の途中、この地に足を停めて祭祀したのが始まりと云われる。ある時この地の神主が「高い丘をつくって人々を救へ」と云う不思議な夢をみて、村人は神社の裏山に土を盛り上げた。その後、安政の大地震が起こり、津波のため多くの死者がでたが、高塚の人たちはこの丘に避難して被害を免れたと伝えられている。

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…云々。なるほど、この神社が平地から急に盛り上がった丘の上に鎮座していて、「高塚」の地名のルーツになっていることが覗われました。
本殿でお参りをしたあと、御朱印の受付をしていただきました。ここもひっそりとした世界でしたが、1人女性のウォーキングの先客が起こしでした。
境内には大きな椎の木がありました。「雲竜椎(うんりゅうしい)」と呼ばれていて、推定樹齢が500年にもなる御神木です。
本殿のすぐ隣にある稲荷神社にもお参りさせていただきました。
納札所にはたくさんの絵馬が掲げられていました。浜松市内の御朱印スポットしては名の知れた神社なのです。公式ホームページがありますのでご案内いたします、リンクはこちらです→高塚熊野神社
この日のウォーキングはここまで、JR高塚駅から電車で帰宅しました。

上の画はこの日のウォーキングの軌跡を映したGoogleマップになります。自宅→(主に柳通り~丸塚バイパス)→[瑞雲禅寺]→(主に丸塚バイパス~国道150号線)→[頭陀寺]→[頭陀寺城址]→(いろいろな一般道)→[浜松神社]→(主に県道316号線(舞阪竜洋線))→[虚空蔵寺]→(県道316号線)→[中華料理からく]→(主に県道316号線)→[高塚熊野神社]→[高塚駅]=(JR東海道線)=[浜松駅]→[第一通り駅]=(遠州鉄道)=[助信駅]~自宅。約15.5kmのウォークでした。

今回のウォーキングで御朱印がいに記念になったお土産が上の画のお守りです。頭陀寺でいただきました。コロナ禍で、身も心もすり減っている今日この頃ですが、大事に身をつけようと思いました。
瑞雲禅寺にて、今日のお言葉、「花咲けば共に眺めん 実熟せば共に食わん 悲喜頒ち共に生きん」。自然に身をまかせ、慈しみの心で共生していく…理想郷のような世界ですね。何かと僻んでは物事を歪んだ角度で捉えてしまう私、開き直させられます。自主メニューでのウォーキング、次は浜松市西区の寺社を巡り歩きたいなぁ、と野望をいだくのでした。以上、記事終わり。