御祭神は白鬚大神(しらひげのおおかみ)、大山咋神(おおやまくひのかみ)、嚴島姫神(いつくしまひめのかみ)。和同年間(708-715)の創建で、浜松神社と言い、白鬚大神を主神として奉斎する浜松の総社である。猿田彦神とも言われ、八方除け・寿命守護の神として、遠く三河地方まで崇敬が及ぶ。天正5年(1577)浜松城内の守護神をこの浜松神社に合祀し、松尾神社と改名する。歴代の浜松城主の祈願所として崇敬を受け、明治元年(1868)明治天皇より御使用の御茶碗を下賜される。
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…云々。街中にあるこじんまりとした神社と思いきや、創建から1,300年あまり、浜松市街地ではもっとも歴史のある神社だったのです。本殿は改装中でしたが、中に例祭で練りだす神輿が納められていました。
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ジャーン!、これがその「ご城印」です。2020年は家康が築城してから450年めにあたるメモリアル・イヤーとして派手な記念バージョンをいただきました。人生初の「ご城印」が自分のいちばん身近にあるお城であるのもほほえましい思い出になりました。
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山号は「真徳山 天林寺(しんとくざんてんりんじ)」、傑堂義俊(けつどうぎしゅん)禅師が、文安2年(1445)に引間城(ひくまじょう)の麓に亀鶴山万蔵院(きかくざんまんぞういん)を構えたのが、当寺の始まりである。場所は現在地より南であり、浜松城の鬼門にあたる所とも言われる。同じ浜松市中区にある広沢山普済寺(こうたくざんふさいじ)は華蔵義曇(けぞうぎどん)禅師が開山した寺院であるが、傑堂義俊禅師は華蔵義曇禅師の高弟であり、普済寺十三門派の1つに称される。
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信貴山(しぎさん)とは大和国(やまとのくに:現在の奈良県)にある、聖徳太子の御開基による日本最古の毘沙門天の霊刹である。当山では御本山の毘沙門天の御分身を日々還座おまつりしている。毘沙門天は七福神の随一にて、家内安全・商売繁盛・福徳開運の霊験あらたな福の神である。信貴山の寅は毘沙門天王の福徳を千里の空を駆け巡り、お授けする、お使いである。寅の日(3日)となる毎月3日、13日、
23日を御縁日と定めて、御護摩をつとめている。
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…云々。お寺の由縁や創建のことなど調べてもよくわからなかったけれど、おそらくは真言宗派で毘沙門天を祀っていることは確かなようです。
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信貴山を後にして、黙々と北東方向へ歩くことにしました。国道152号線を5分ほど北上してから二俣街道に入りさらに北上、上島小学校の近くで右折し東へ進む→馬込川を越えてひたすら東へ進む→イオン市野ショッピングモールなど天王町のにぎやかな界隈を通り過ぎると、「大歳神社(おおとしじんじゃ)」がありました。
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創立の年月は詳ではないが、平安時代から時を繋いでいる。 元来「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れてご鎮座になっていたが、後に合祀され、更に当神社氏子四町の氏神を合祀し現在に至る。そして、その総称として「天王宮大歳神社(てんのうぐうおおとしじんじゃ)」と申し上げる。
<天王宮>:御祭神= 素戔嗚尊(すさのおのみこと)、 櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、 経津主命(ふつぬしのみこと)、太田多根子命(おおたたねこのみこと)。景行天皇40年事代主命が須羽(すわ)の地に、天王社を建立して先祖を祀り、この霊殿を日本武尊東征の年、この地の首長御久和神人がこの処に奉遷したものである。坂上田村麿が東征に出陣の際、武運長久を祈願したとも云はれ、遠州一円の天王社の総社と云はれる。
<天皇宮>:御祭神= 長慶天皇(ちょうけいてんのう)、亀山天皇(かめやまてんのう)、後宇多天皇(ごうだてんのう)、後二条天皇(ごにじょうてんのう)、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)、後村上天皇(ごむらかみてんのう)。長慶天皇神韴霊(かみふつみたま)及び南朝五皇統天皇(なんちょうごこうとうてんのう)の神霊をお祀り申し上げたのが由緒と伝えられている。
<大歳神社>:御祭神=大歳神(おおとしのかみ)。延喜式内社であり、延長5年(927)に醍醐天皇が編寡された「延喜式神名帳」に「遠江国長上郡小一座大歳神社(とおとうみのくにながかみぐんこいちざおおとしじんじゃ)」とある。
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…云々。とにかくまぁ神様がいっぱい、神様のかたまりです。東区のほとんどは天竜川の氾濫原からなる平野にあり、大歳神社の周りも住宅地にはなっているものの田んぼが広がっています。大歳神が五穀豊穣の神様であることがいちばんしっくりきます。
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大歳神社を後にして次は有玉方面…北西方向に歩きました。イオン市野ショッピングモールの東沿いを歩いてから主に県道261号線(姫街道)を進み、二俣街道を越えてすぐ右へ曲がって東名高速道路をくぐってすぐのところに有玉神社がありました。
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明治後期、当時の有玉村は世帯数380戸あり、地域内には郷社神明宮を初めとして村社、無格社合わせて12社があり、そのうち村全体で祭典を行う神社が3社、小部落で行う神社が9社あった。神社の多くは境内、社殿共に狭く神社の尊厳を保持しがたく、加えて祭典の繁雑さを訴える世論が台頭してきたので関係者協議の結果、一村一社に合併し、宏荘・尊厳なる社殿を建築して氏子の信仰と社会教化の中心にしようとして、明治40年(1907)、郷社神明宮を八幡宮境内に移転し併せて11社を合祀し、郷社有玉神社と称することにした。新社殿は大正2年(1913)に完成し、同年9月10日に御遷宮された。
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…云々。創建の時期は不明ですが、有玉村=現:浜松市東区北西部の地域のおいて、昔からの村の鎮守であることは確かです。
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その後はさすがに歩き疲れ、助信へは電車(遠州鉄道)に乗って帰ることにしました。最寄りの駅は「自動車学校前」、有玉神社からは600m、約8分ほどで着きました。
上の画はこの日のウォーキングの軌跡を映したGoogleマップになります。自宅→(主に電車通り)→(国道257号線)→[松尾神社]→(主に国道152号線)→[浜松城]→(国道152号線)→[天林寺]→(国道152号線)→[常楽寺][遠州信貴山別院]→(主に国道152号線)→(二俣街道)→[大歳神社]→(主に県道261号線)→[有玉神社]→(主に二俣街道)→[自動車学校前駅]=(遠州鉄道)=[助信駅]~自宅。約12kmのウォークでした。