湖北五山をメインにウォーキング(2020/09/12-13)② | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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昨日に引き続き、9月12日(土)~13日(日)に湖北五山(こほくござん)をメインに奥浜名湖地域を歩いたことを記事にします。今日は2日め(9/13[日])の行動の記録になります。
当日、まず気合を入れて向かったのは方広寺です。奥浜名湖湖北五山の中で、このお寺だけ極端に鉄道路線から離れていて、バスで行くことにしました。自宅の最寄り駅からいったん浜松駅まで出て、それから奥山方面のバスへ乗り換える流れでした。

この日は朝からあいにくの雨…方広寺最寄りの「奥山(おくやま)」バス停をおりた時にはザアザア降り!。うっかり傘を忘れてしまい、近くの和菓子屋さんで雨宿りさせてもらいました。

少し雨あしが収まってからウォーキングを始めました。画は門前町の入口にある鳥居です。

門前町を歩くこと4分ほどで、方広寺の登門に着きました。またしても雨が降りしきり、傘を忘れたのは手痛く、汗をかく前からびしょ濡れでした。

登門から100mほどのところにある山門です。幸運にもいい雨宿りになりました。なお、方広寺への訪問は2度めでしたが、ブログの記事にしたことはなかったので、細かく写真を載せてつづります。

山門をくぐってから3分ほど歩いたところにある鳥居です。お寺なのに…、神仏習合の慣習の名残ですね。ここからはたくさんのお地蔵さんなどが立ち並ぶ森の中を5分ほど歩くことになります。

本堂の手前にある亀背橋(きはいきょう)です。方広寺の中でも印象に残る建物で、渓谷に架かる橋が亀の背に似ているのです。

亀背橋から眺めた本堂や鐘堂の画。方広寺は湖北五山の中でいちばん規模が大きいのだけれど、いちばん山奥にあります。

渓谷には多くの紅葉の木があり、秋が深まる頃には絶景を望むことができるのが想像できました。
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建徳2年(1371)に後醍醐天皇の皇子=無分元選禅師(むぶんげんせんぜんじ)によって開創された禅寺である、宗派は臨済宗。広くは「大本山方広寺奥山半僧坊(だいほんざんほうこうじおくやまはんそうぼう)」と呼ばれるが、山号は「深奥山方広萬寿禅寺(しんおうざんほうこうまんじゅぜんじ)」と称す。御本尊は釈迦牟尼仏(中心)、脇侍右は文殊菩薩、左は普賢菩薩から成る釈迦三尊は観応2年(1351)の作で、国指定重要文化財である。開山様が中国各地を参拝して帰国される海上で難破の危機に遭い、半僧坊のお力によって海難を免れたという故事に因んで、厄徐・商売繁盛をはじめ諸願成就の祈願所として全国各自から多くの人々が参詣される。

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…云々。60haの境内には、本堂・半僧坊真殿・三重の塔など60余棟の伽藍を擁する、約650年の歴史をもつ古刹なのです。「おんな城主 直虎」がらみになりますが、井伊家の家臣=奥山氏の菩提寺でもあります。

雨が小降りになったところで拝観受付をしました。御本尊と半僧坊の御朱印2つの受付もしてもらいました。
↑↑↑↑↑こちらは受付の際にいただいたパンフレットです。車だと新東名の「浜松いなさIC」が最寄り、JR浜松駅からバスだと60分もかかるのです。予約すれば精進料理をいただいて諸堂内をゆっくり案内してもらうことができます。
↑↑↑↑↑上のパンフレットを開いた画になります。この日は天候に恵まれず、コレといった画像が撮れなかったのですが、パンフレットの画の方が詳らかに山内の見どころを抑えていて、よっぽど伝わりやすいです。なお、方広寺には公式ホームページがあります、リンクはこちらです→大本山方広寺・半僧坊総本殿

大本堂の中、ご本尊の前にて。広い畳の間でしたが、無遠慮に濡れた身体で上がらせていただきました。この時点で9:50、私の他に2-3組くらいの参拝客がいたくらいで、ゆっくりお祈りすることができました。どうか、無事にウォーキングを終えることができる1日になりますように…!。

本殿から南方を眺めた画。左に写るのは鐘堂で、これもなかなか年季の入った建物です。
半僧坊真殿の中、鎮守=半僧坊大権現(はんそうぼうだいごんげん)をお祀りしています。いわば方広寺のルーツになるところですね。ここでもゆっくりお祈りすることができました。
本堂の裏手にある「らかんの庭」です。与謝野晶子が昭和11年(1936)に来山した際に祈った歌碑があります。
本堂から禅堂に向かう途中にあった石庭。美しい砂地が心をうっとりとさせて、静寂をより深くしていました。
ホントは三重の塔とか、もっとじっくり観覧したかったのですが、何にしろ悪天候…、本堂の周りを15分ほど見て回ってから方広寺をあとにしました。上の画は「奥山」バス停の近くにあった自然歩道の案内図です。また、気合いを入れて参拝がてらウォーキングしたい土地でした。
こちらは、雨宿りした和菓子屋さんです。方広寺名物「大あんまき」…きゃあ!、ノッケから誘惑されましたが、痩せる目的のウォーキング、ガマンしましたよ。
「奥山」バス停から再びバスに乗り、約9分=4.7kmほど下った「神宮寺(じんぐうじ)」バス停で降りました。御朱印めあてで「渭伊神社(いいじんじゃ)」を訪れたかったのです。
「神宮寺」バス停から600mほどで、渭伊神社に着きました。小雨がぱらつく中、静けさでしっとりの世界です。
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御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)の3柱。創建は不詳。社殿後背の薬師山々頂に天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)があり、発掘調査において古墳時代の遺物が検出されていることから、この天白磐座遺跡の延長として創建されたとする説がある。国史では、貞観8年(866)に「蟾渭神(せんいしん)」の神階が正6位上から従5位下に昇叙される旨が記載されており、『遠江国風土記伝』ではこの「蟾渭神」を当社の旧名とする。延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳では、遠江国引佐郡(とおとうみのくにいなさぐん)に「渭伊神社」と記載され、式内社に列している。大永6年(1526)には「井伊郷八幡宮」の梵鐘が鋳造され、大永8年(1528)には鰐口が奉納された。享禄年間(1528-1532)には、龍潭寺(りょうたんじ)付近にあった八幡宮を合祀したという。江戸時代には当地の領主である旗本の井伊谷近藤家から崇敬された。正徳4年(1714)には彦根藩主の井伊直興(いいなおおき)が社参している。

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…云々。渭伊神社は龍潭寺や井伊谷宮から神宮寺川を隔てて約800m…徒歩で10分ほどのところにあり、字は違えど井伊家とゆかりがあったことは事実です。村の郷社ということもあり、上の画ではいろんな神様がてんこ盛りです。

ここでも1人きりの世界、社務所であろう建物はあったのですが人気はなく、御朱印は諦めました。郷社なので奉納祭とか村祭り的なイベントがあれば御朱印にあやかることができるのかもしれません。
境内にあった御神木です。だいぶん朽ちた感じの杉の大木ですが、高さは20mくらいあったと思います。少しはパワーをいただくことができた気がします。
渭伊神社を出て250mほど南へ歩き、「妙雲寺(みょううんじ)」に着きました。ここも御朱印目あてで訪ねたのですが…またしても空振りでした。
このお寺は井伊直虎(次郎法師)が父の菩提のために剃髪したところで、ここも「おんな城主 直虎」がらみなのです。

妙雲寺をあとにして、次は気賀駅の西側にある長楽寺を目指しました。県道320号線(引佐舘山寺線)に出てから神宮寺川を渡り、ひたすら県道320号線を井伊谷川沿いに下流方向へ進みました。道中に井伊谷宮と龍潭寺の前を通りましたが、何度か訪れていて御朱印もいただいている寺院なのでスルー、ブログ記事にもあげているのでリンク先をご参照ください→「おんな城主 直虎」大河ドラマ館と井伊家龍潭寺を訪ねる(2017/09/17)その①さわやかウォーキング@気賀~金指(2019/09/08)。清水橋で国道362号線(姫街道)に入り、気賀四ツ角で右折→気賀駅付近では西へ道なり、細江中学付近で姫街道の旧道に入り葭本川(よしもとがわ)にぶつかって上流に進んだところに長楽寺がありました。

もくもくと歩くこと約70分、妙雲寺から5.7kmで「長楽寺(ちょうらくじ)」に着きました、ふっっっ。
おぉぅ、いかにも歴史が深い山門がお出迎えです。
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寺号は「光岩山 長楽寺(こうがんざんちょうらくじ)」、宗派は真言宗。平安時代初期の大同年間(806-810)に弘法大師によって開山されたといわれる。寺の北に陽光を受けて光る巨岩を霊地と見、御堂を建てたことにはじまる。御本尊は馬頭観音で鎌倉時代の作。庭園(満天星(どうだん)の庭)は小堀守政(こぼりもりまさ)の作で静岡県指定名勝である。

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…云々。1200年余りの歴史をもつ古刹、お庭の観覧も期待大なのでしたが…

ガーン、ご住職はお出かけ中!。残念ながら中を拝観することができませんでした。もともと御朱印目あてで訪れたのだけれど、自宅から近場の鴨江寺(かもえじ)でいただけることも分かり、ダブルでショックでした。
またしても1人きりの世界、ぼーっと鐘楼を眺めたりしましたが、何にしろ暑い!、ゆっくり休ませていただきました。ここに写る梵鐘は嘉元3年(1305)の作で、静岡県重要文化財に指定されています。静岡県内で2番めに古い鐘なのだそうです。

↑↑↑↑↑上の画は長楽寺のパンフレットです(自由に手に取れる状態にありました)。山内を散策しなかった分、この記事を書くにあたり参考になりました。

↑↑↑↑↑このパンフレットを開いた画になります。見事な庭園の写真が載っていて、ドウダンツツジの織りなす紅葉が素晴らしいです。御朱印はさておき、もう1度じっくり訪れたいお寺でした。

気を取り直して、長楽寺の次はさらに西にある「金龍寺(きんりゅうじ)」を目指しました。長楽寺を出て葭本川沿いを南西へ進む→姫街道に出てさらに西へ進んだところに金龍寺はありました。臨済宗のお寺が3つ固まって建てられていたのです。
長楽寺から金龍寺までは約15分、1.6kmの徒歩でした。
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寺号は「臨湖山 金龍寺(りんこざんきんりゅうじ)」、宗派は臨済宗妙心寺派の禅寺である。本尊は釈迦三尊佛。昭和2~3年頃(1927-28)、当山は無住の寺であった。当時、病気治療の為この細江の地に身を寄せていた山田無文老師(やまだむもんろうじ:青年僧の老師)が、当山の看護を進んで引き受け、約2年ほど当山で過ごされた。その間、本堂の外縁で夜座(坐禅)をし、無の境地・不二の世界を味わっていた。その時に詠まれた言葉の一つが境内の歌碑として建立されている。

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…云々。近年に建てられた寺院のようですが開山のいきさつはわからず…、山田無文老師は明治33年(1900)愛知県の生まれ、「昭和の名僧」として名高い方なのだそうです。なお、金龍寺には公式のホームページがありましたのでご案内いたします、リンクはこちらです→臨湖山 金龍寺

堂内に入ってご本尊の前でお祈りをして、しばらく涼んでいたら奥から住職の方が出てこられて、御朱印の受付をしていただきました。上の画の通り、御朱印の種類は選り取り見取り!。オーソドックスだけれど、「6. ご本尊」と「7. 金龍」の御朱印のセットをお願いしました。
御朱印の仕上がりを待っている間、私1人だったところにわざわざ東京からお越しになった父子2人組が入ってきました。御朱印を書いて戻ってこられたご住職にご本尊の間の天井画を3人に案内していただきました。
それがこの「金龍」です!。「阿吽双龍(あうんそうりゅう)」というテーマの作品で、「画を見上げる向きによって龍が上に向かったり下に向かっているように見え方が変わったりすること」、そして、「どちらの方角から見ても龍の目がこっちを向いていること」などを解説してもらいました。
「阿龍」は東から、口を開け、龍玉を握りしめ、経験を栄養として昇る。
「吽龍」は西から、口を閉じて、龍玉を手放し、悟りを開いて降りてくる。ストーリーがわかるとなおさらしげしげと見上げてしまいました。実によくできた天井画なのでした。
龍の天井画は御本尊の間の手前の廊下の上にも描かれていて、何とも勇ましく壮観なさま、圧倒されました!。さすが「金龍寺」というだけありました。
金龍寺をあとにして、帰途は主に姫街道、それから葭本川から別れた入江のような川沿いを歩き、気賀駅に向かいました。
歩くこと約2.2km、25分ほどで天浜線の気賀駅に着きました。
この時点で13:30頃、腹もへり、駅舎にある中華料理店に入りました。「貴長(きちょう)」さんです。店内は少し混んでいましたが、お1人様でいちばん奥のカウンター席に案内されました。上の画のように車やオートバイが何台か停まっていて、鉄道ではなく自家用車で来店している方が多いようでした。この日、気賀駅構内でフリーライブが行われていて、15-20人くらいの聴衆が囲んでいました。おかげで食事中の良いBGMになりました。そして…
ジャーン!、特製の塩ラーメンです!。自分の中では抑え気味だけれど、やはり「カロリー還元」ですね…。スープは非常にあっさり、麺は翡翠色をしていて、アオサノリが練り込まれているようでした。いっぱい歩いたところにありつけたのでツルリといただけました。

↑↑↑こちらは「貴長」さんの名刺になります。テレビ静岡(フジテレビ系列)の人気ローカル番組「くさデカ」で、『静岡県内あっさり系ラーメンNo.1』に選ばれているだけのことはありました。食べログの紹介ページがありましたのでリンクを貼っておきます、ご参照ください→貴長

お腹も落ち着いて帰途に向かいました。さらば!、気賀の街(@^^)/~~~。2日め(9/13[日])の道のり:助信駅=(遠州鉄道)=第一通り駅→浜松駅バスターミナル=(遠鉄バス)=奥山バス停→方広寺→奥山バス停=(遠鉄バス)=神宮寺バス停→渭伊神社→妙雲寺→(主に県道320号線(引佐舘山寺線)~国道362号線(姫街道))→長楽寺→(主に国道362号線(姫街道))→金龍寺→(主に国道362号線(姫街道)の脇道)→気賀駅=(天竜浜名湖鉄道)=西鹿島駅=(遠州鉄道)=助信駅。鉄道移動は33.1km、バス移動は26.7km、徒歩は約14.0kmでした。

↑↑↑今回のウォーキングでの思い出の品、方広寺で御朱印をいただいた際に受領した栞です。菩提樹の葉の形をしていてテーマは「慈悲」、可愛いデザインですが「ありがたや」です。湖北五山をメインに歩き回りましたが、長楽寺などリベンジしたいところもあり…、また御朱印スポットではなくてもこの地域には名が知れた名刹が点在するので、またテーマを変えて奥浜名湖エリアを巡りたいと思うのでした。以上、記事終わり。