湖北五山をメインにウォーキング(2020/09/12-13)① | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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9月12日(土)~13日(日)に湖北五山(こほくござん)をメインに奥浜名湖地域を歩いたことを記事にします。平成の大合併で全国第2位の面積をもつ自治体になってしまった広い広い浜松市(2020年9月在)…、私は浜松市中区の住民ですが、同じ浜松市内の奥浜名湖エリア(浜松市北区)は日帰り旅行に良いところで、過去に車や電車で出かけてブログ記事にもしています。
タイトルにある湖北五山は、この奥浜名湖エリアにある古刹の5つの寺院のことを指していて、龍潭寺(りょうたんじ)、方広寺(ほうこうじ)、宝林禅寺(ほうりんぜんじ)、摩訶耶寺(まかやじ)、大福寺(だいふくじ)のことをいいます。これら5つの寺院のうち、龍潭寺だけ車でも徒歩でも訪ねて御朱印もいただいていました。そこで、残りの4つの寺院について、「なるべく徒歩で」訪れて御朱印めぐりをしようと思い立ったのです。
…と書いておきながら出だしが遅く、1日め(9/12[土])に家を出たのは10時過ぎ、西鹿島(にしかじま)駅に着いたのは11:00頃でした。天竜浜名湖鉄道のダイヤと相性が悪く、新所原方面行の列車に乗り遅れ、お昼時に待ちぼうけすることになってしまいました。そこでふと思い立ち、二俣本町にある気になっているラーメン屋さん「さいとう」に行ってみようと思い、天竜二俣方面へ歩きました。

西鹿島駅を出て歩くこと25分、さいとうラーメン店に着きましたが、失礼ながら思いの外大盛況!。店の外まで出る行列ではなかったけれど明らかに満員、乗るつもりだった新所原行きの列車の発車時刻まで20分ほどしかなかったため、食すことは諦めました。

それから10分ほど歩いてから天竜二俣(てんりゅうふたまた)駅に到着、ここにあるホームラン軒も人気の有名店、あぁもっと早く出かければよかった…無念!。過去のブログ記事にも載せたことがありますが、ここのホームラン軒の中華そばは私のお気に入りです。

何度かホームラン軒のラーメンは食べたことがあったのだけど、「さいとう」は入店したことがなくて気になっていたんだよね…、リベンジする気満々でした。
そんな、食べることばっか考えてないで、オッサン、歩かないとですよ。

湖北五山のうち摩訶耶寺と大福寺の最寄りになる三ヶ日駅へ向かうことにしました。

昔ながらの見事にコテコテな車輌です。なかなかアニメキャラでラッピングされた車輌に乗る機会がないのです。

天竜二俣駅を出てから51分、三ヶ日駅に着きました。
通り過ぎることはあったけれど、初めて降りる駅でした。

おぉぅ、さすがミカン王国ですね。

三ヶ日駅から摩訶耶寺へ向かう道中、駅を出て歩き始めてから13分ほど、気になる神社があったので立ち寄りました。レンズの前に指が入ってしまう、相変わらずおっちょこちょいな撮影っぷりです。

「濱名惣社神明宮(はまなそうじゃじんめいぐう)」というお社でした。由縁は…

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祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)、摂社は天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)・天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)・太田命(おおたのみこと)。上古三ヶ日(じょうこみっかび)地方を統治した濱名縣主(はまなあがたぬし)が、祖神=太田命を祀ったのが創始である。天慶3年(940)にこの地方が伊勢神領になるに及んで、天照皇大御神が主祭神となる。

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…云々。本殿は国指定重要文化財、摂社の天羽槌雄命社は県指定文化財です。確かに伊勢神宮や熱田神宮に似た建物ですね。社務所が開いていたら御朱印を頂けたのですが、この日はひっそり1人きりの世界、ゆっくりお参りをして神社をあとにしました。

濱名惣社神明宮を出てから約16分で「摩訶耶寺(まかやじ)」に着きました。何ともまぁ古びた山門で、強い台風で来たら倒壊してしまいそうです。
本堂の前にて。今回で2度めの訪問です。前回は両親とドライブがてら立ち寄りましたが、この日はちゃんと御朱印をいただきました。
私の他に2組ほどの参拝客がいたくらいで、ゆっくりお祈りをして観覧をして、のんびり庭園を眺めることができました。
前回、摩訶耶寺をドライブで訪問したことを記事にしています、リンクはこちらです→ドライブ小旅行@遠州北部:旧引佐郡など(主に湖北五山)(2018/11/03-04)②。後述する大福寺についても記しています。
摩訶耶寺をあとにして約30分、「大福寺(だいふくじ)」の山門前にたどり着きました。前回のドライブ参拝では車で通り過ぎてしまったのですが、目の前にすると威厳があって圧倒されます。
大福寺も2度めの訪問となりますが、初めて御朱印をいただきました。私以外に参拝客がなく、ここでもゆっくりとお祈りをすることができましたが、9月中旬にして思いの外良い天気!、汗ぐっしょりになってしまったので実に「ゆっくり」休ませていただきました。
大福寺の次は金指(かなさし=旧:引佐町(いなさちょう))にある宝林禅寺を目指すことにしました。大福寺から三ヶ日駅までは約3.4km、35分ほどの徒歩になり、水分補給必須、けっこう脚にキマした。
天竜浜名湖鉄道は三ヶ日駅から23分、金指駅に着きました。
…薄暗い画になってしまった。金指駅は天浜線の中では乗降客が多い方だと思うのだけれど、無人駅です(2020年9月在)。
三ヶ日駅から東へ向かうこと約1.1km、10分ほどの徒歩で「宝林禅寺(ほうりんぜんじ)」に着きました。
このお寺も2度めの訪問です。ここでも1人きりの世界、おみやげ売場で御朱印の受付をしてもらってから、ゆっくり山内を巡りました。
前回のドライブ訪問のときから引き続き、法堂は改装中でした。画は本堂になりますが、豪華絢爛だったありし日の寺院を偲ぶのでした。次に、宝林禅寺より南西にある「蜂前神社(はちさきじんじゃ)」を目指しました。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも話題になった社で、1度は行ってみたかったのです。
宝林禅寺を出てから都田地区の田園地帯や住宅街を歩き進み、約2.1km、22分ほどで蜂前神社に着きました。
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祭神は本社=火速日命(ひはやひのみこと)、左脇宮=甕速日命(ちかはやひのみこと)、右脇宮=武甕槌命(たけみかづちのみこと)。15代應神天皇11年(280)に八田毛止惠(はったもとえ)が勅命によって遠江國に下向し、八田(はった)・廣田(ひろた)・岩瀨(いわせ)(=この社のある浜松市北区の一地域)を開墾して、八ヶ前(はちがさき)に勧請して蜂前神社と齋き奉る。延喜式神名帳に記載されている式内社であり、旧社格は郷社である。

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…云々。戦国期は永禄9年(1566)、今川氏真(いまがわうじざね)は、存亡の危機にあった井伊家の女当主=井伊直虎(いいなおとら)に対し、井伊谷(いいのや)・祝田(ほうだ)・都田(みやこだ)の地域に徳政令(=賃貸関係の破棄)を命じました。直虎はこの徳政令を2年間押しとどめたのですが、蜂前神社にはその時の経過がわかる古文書が残っているのです。なお、上述の火速日命の「火」は火へんに「漢」の右側の部首を合わせた字なのですが…うぅん、私が使用しているPCのワープロでは見つからない字でした。
ここもひっそり1人の世界…静かにお祈りをしてゆっくり休ませていただきました。1人だし誰もいないし…っていい気になって上半身裸で涼んでいたら、4人組の家族連れがご参拝!。アホが、かなり慌てました(;^_^A。
残念ながら社務所は閑古鳥、「いっときの」ブームは去ってしまったので致し方なく。この日2度めの御朱印ハズレでした。
この時点で16:20頃、気賀駅に戻って周辺の寺社を巡るゆとりはなく、そもそも歩き疲れていたので、この日はここで引き上げることにしました。
蜂前神社から金指駅に戻る途中、新祝田橋にて都田川を渡る画。良い天気すぎて汗ばみましたが、それでもウォーキングを満喫することができました。
1日め(9/12[土])の道のり:助信駅=(遠州鉄道)=西鹿島駅→(主に国道362号線)→二俣本町~ラーメンさいとう→天竜二俣駅=(天竜浜名湖鉄道)=三ヶ日駅→濱名惣社神明宮→摩訶耶寺→大福寺→(主に県道68号線(浜北三ヶ日線)~国道301号線)→三ヶ日駅=(天竜浜名湖鉄道)=金指駅→(主に国道301号線)→宝林禅寺→蜂前神社→(主に国道257号線)→金指駅=(天竜浜名湖鉄道)=西鹿島駅=(遠州鉄道)=助信駅。鉄道移動は85.1km、徒歩は約15.5kmでした。

↑↑↑こちらの画は、西鹿島駅で購入した天浜線および遠鉄の1日乗車券です。記念になりましたね。

遠鉄全線(新浜松~西鹿島)と天浜線の西側(天竜二俣~新所原)がセットで乗り放題になる、大変おトクな切符なのです。…と唐突ですが、今日の記事はここまでにします。2日め(9/13[日])の記事は明日へ続きます。