(LINEでのやりとり)
次女「ママは安楽死したいの?」
母「しなくてもいいならしたくないけど安楽死しなくてももうすぐ死んじゃうんだよ」
次女「可能性は一個もないん?」
母「ない」「だから少しでもいい形でみんなとお別れしたくてママの苦しんでいる姿を見せたくないなと思っていっぱい悩んだけど安楽死を選びました」「末期がんていってここまできたらあとは死を待つだけやねん」
次女「そうなの」「じゃあ」「もし私たちがとめててもやった?」
母 「それは難しい質問ですね。あと1ケ月長く生きれたとしてそれは面会もできない病院にずっと入院してたり、家にいても痛くて泣き叫んだり脳の病気だから性格が変わってしまうんだけど今のママとは別人の例えばずっと怒鳴り散らしたり」「そういうことがこれから起こってくるけどみんなはそれをどう思う?ってもっと話し合ってたかもしれない」
次女「そっか」
母 「やっぱり安楽死なんかしてほしくなかったよね」
次女「うん」
母 「それはほんとにごめんね」
次女「大丈夫」
母 「病気になったのがごめん」
次女「大丈夫」「ママは悪くない」
医師はマユミさんが横になっているベッドの横に座ると、最終確認を行いました。
「この点滴を開けるとどうなるかわかっていますか?」
「私は死にます」
「死を望む気持ちが確かなら、この点滴を開けていいですよ」
その言葉を聞き、頷いたマユミさん。
点滴のバルブを見つめながら、自問自答していたのでしょうか、数秒の沈黙がありました。
覚悟が決まったのを察した夫から「ありがとうな」と、言葉がかけられると、それに続いて娘たちも、「ママ大好き」「また会おう」と涙ながらに母への言葉を送りました。
マユミさんはそっとバルブを開けました。
「スイスに行っていいよって言ってくれてありがとう。みんな、元気でね。」
死のあり方は人の数だけあって、どれもにいろんな思いが篭るものです。
日本にいたらできなかったことを、できるところがあり、最後の最後まで「叶える」を手にできたのは良かったと思える。
ひとりの死は、そこに関係したみんなにも気持ちを渡します。
そのありようは、人に伝わるものです。
受け入れる力もいるでしょう。
遣り通す意思もいるでしょう。
誰もにこうはできないかもしれないけれど、この道があるのは、嫌なものじゃないと私は思える記事でした。