生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -7ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和6年(2024年)7月10日(水)

東京都知事選挙が7月7日に投開票が行われ
、予想通り以下の結果に終わった。この結果
を見て多くの国民が思うことは、

「やっぱりな」

という焦燥感と諦めに似た空虚な気持ちだろ
う。

と同時に、そう思った都民の大半が投票して
いない可能性も高い。何しろ、今回の投票率
は60.62%と近年では高いものの、通年
は50%以上が投票しないという有り様だ。






投票しない理由は様々だが、
 
「適当な人物がいない」 
「投票所に行くのが面倒」
 「誰に投票しても同じ」

そう考えてしまう要因に合点する面もある。
誰に投票しても同じというのは案外当たって
いる。それは、現在の所得が高い人は高いま
ま、低い人は低いままという現状維持が極め
て高く想定されてしまうことだ。劇的に生活
が改善するわけではない。逆に税金が高くな
り生活が苦しくなる事の方が現実味がある。

そうすると、要は『基礎票』という組織の票
が当落を決める事になる。予め当該立候補者
に投票するであろう人数が想定されるので、
Aさんは何処の企業から、Bさんは何処の宗
教団体から、というように票が読める。同時
に期日前投票や投票日当日の出口調査で当落
予想は確実なものとなる。この組織票なるも
のが、果たして健全なのか、最近、疑問に思
うようになっている。要は、仲間意識である
が、違う考えを許さない雰囲気が醸成される
と思う。

しかも、今回の都知事選、政党色を出さない
という不思議な立候補の仕方だった。

この人、◯◯党の代表だったのでは?
この人、◯◯党の看板議員だろう
この人、間違いなく◯◯党からステルス支援
を受けているはず

このように、政治に関心の高い人にはお見通
しの事なのだが、無所属だの何処の支援も受
けていないだのと言って立候補していた。勿
論、某政党からの支持を受ける場合、元々所
属していた政党の看板や公認を外した方が支
持の自由度は増すという事はあるだろう。

しかし、私が毎回毎回思うことは予め立候補
者の事前情報がマスメディアによって不平等
に制限されて有権者に伝わっているという点
なのだ。今回の都知事選は50名以上の立候
補者が現れ、確かにそれ自体、当選を目標に
したものではない人物が個人の都合で出馬し
たと言うこともある。決して都民に有益とは
思えない立候補者も多数散見された。

だが、私はそうだとしても、私のように誰も
読まない日記を長々虚しく記録している輩と
は異なり、『公(おおやけ)』の場所に出て来
て、パフォーマンスにせよ何等かの主義主張
を発しているという点で短い人間の人生を考
えれば立派だと思うのだ。

問題は、当該立候補者を利用して一部の利害
ある人間たちに選挙が差配されることなのだ

今回、有権者に情報として強力に報道されて
いたのは4人〜5人程度だ。選挙戦後半は3
人に絞られていた。出口調査からの結果でそ
うなったとは言え、一部の勢力による限定さ
れた民主主義によって選挙が動いていると見
て間違いない。その意味で、日本に本当の民
主主義は確立出来ていないのだ。

以下、読売新聞オンラインの記事を添付。
(読売新聞オンライン から)

有り体に言って、日本の民主主義はマスメデ
ィアによる一方的で強制的「この中から選択
しろよ」と言う命令的な構造へと誘導されて
いる。しかも、毎日忙しい国民は一人一人の
立候補者の主義主張まで情報を細かく入手す
る時間はない。マスメディアに取り上げられ
ない立候補者の情報は、たまたま通りかかっ
た街頭での演説を数分間立ち止まって聴くか
、新聞の折り込みや駅等の公共の場所で配布
されている選挙管理委員会の公報程度だ。

そう考えると、選挙における民主主義は、専
らマスメディアが先に人物を選択し、その中
から有権者に選択肢を与えているのである。
それを不思議に思わない国民もまた奴隷根性
が骨にまで浸透し、どうしようもないと言え
る。そこに有権者の『選択の自由』は一定的
に制限されている。しかも精神的巧妙に自由
が奪われているという疑念すら抱かずに洗脳
が各人に刷り込まれている。上記、読売新聞
の記者はかなり優秀な人物が多いとメディア
関係者の中で有名だが、記者個人の考え方が
必ずしもデスクに届いているとは思えない。

同時に憂慮されるのは『世論』という名の全
体主義、その空気感に追従してしまう節操の
無さだ。要は、政治家というのは世論、いわ
ゆるマスメディアの協力なしに権力の座に治
まることが出来なくなっているのだ。

選挙が気分、空気感で決められていくことに
本当に私は恐ろしく感じている。

仮に、共産主義に何等かの勢力が舵をきった
らマスメディアも追従するので、日本人の空
気感は共産主義思想の候補者を推す情報誘導
がされるだろう。実際、そのような傾向にな
りつつある。マスメディアに公正公平、正義
があるわけではない。マスメディアも株主最
優先の一つの企業体である。総務省から電波
を許可として与えられ、その電波を使ってス
ポンサー等と協力して商売をしている企業な
のだ。

当たり前だが、公正公平、正義だけで仕事を
しているのではない。そう考えるとマスメデ
ィアを批判するのも酷と言える。問題はマス
メディアがこうした公正公平、正義に基づい
て放送等をしているという勘違いや期待をし
ている私を含めた国民側に大問題がある気が
して来た。テレビや新聞への過剰な信頼、期
待、信仰に近いものが感じられる。

私が仮に報道マンだったとしたら、やはり会
社という組織に迷惑をかけてでも真実を語る
勇気があるかと問われれば二つ返事で
「はい」
とは言えないだろう。放送局も新聞社も大勢
の人が働いている。早朝来るパートの掃除の
人、食堂の人、深夜来る電気設備の人にも間
接的に迷惑がかかる。どの業界もそうだと思
うが、簡単に自分の信念だけに基づいて仕事
は出来ないのだ。そこに人間の悲しさがある

しかも戦後日本のマスメディア、新聞、政党
の成り立ちも一定の基準に基づいて設計され
、その敗戦利得者によって運営されている。
日本の政治家や省庁役人は常に外圧とギリギ
リ戦わねばならないが、さて、昨今の総理大
臣を鑑みると戦っている様子は無さそうだ。
輸出入も医薬品開発も技術も、防衛産業も何
から何まで持って行かれている。お人好しに
リーダーを任せると大変なことになる。

家族でも、外面が良くて家庭では酒乱という
親が結構いる。家庭内が崩壊していても他人
には一切分からない。外面が良いリーダーは
身内が苦労するのだ。外に優しく、内に厳し
い。偽善者の典型である。私もまた、かつて
そんな人間だったかも知れない。偽善の正体
は権力者から嫌われたり、睨まれないように
する為の保身である。我が国の政治家が恐れ
る相手は簡単に言えば米国だろう。米国から
睨まれたら最悪殺されてしまうのではないか
、という暗示である。その暗示が決定的に政
治家の深層心理に影響を与えたことは間違い
ないと思う。

安倍晋三元総理が令和4年7月8日、午後5
時03分に帰らぬ人となってしまった。私は
安倍晋三氏が必ずしも日本国民に有益な政策
ばかり実行してくれた政治家だったとは思え
ないが、この戦後体制の中でギリギリな線で
外圧と戦った総理大臣だと今になって感じる
のだ。

その後、母が令和5年2月10日に亡くなり
、菩提寺の総本山が奈良県にある為に参拝し
た。その帰路で私は安倍晋三氏が銃撃された
近鉄線大和西大寺駅北口ロータリーに足を踏
み入れた。一人の政治家に全ての政策が出来
るはずはないが、この非業の死が、国の針路
を大きく変えてしまったことは確かだ。

(大和西大寺駅北口ロータリー案内図)

(大和西大寺駅北口交差点)

(近鉄大和西大寺駅改札付近から撮影)

私は対米自立は大事だと思う一人だ。しかし
、保守の側からとリベラルの側では日本の形
は大きく異なるだろう。しかし共通するのは
、物事に極端な人は必ず自己矛盾に突き当た
るだろう。かつて教習所の指導員だった頃の
私がそうだった。政治的思想信条とは違うが
、運営の進め方について疑問視して幹部から
劣等職員の烙印を押されていた。その後、運
命によって警視庁の委託の仕事である企業の
小さな組織の長を9年やった。そこで学んだ
ことは、人間社会は殆ど自分の置かれた立場
や環境からでしか物事を解釈出来ないという
反省だった。当時の幹部もまた、教習所の経
営という部分で推進しなければならない事情
があったと認識する。

このように、その職や人から離れて分かるこ
とが人間には多々ある。安倍晋三氏の死去後
の、令和5年6月16日、LGBT理解増進
法が成立した。当初、安倍晋三氏は当該法案
に反対していた。従って健在の時には性自認
の議連は作ったが、棚上げにして来た法案だ
ったのだ。性自認と差別がセットだと国の方
向を誤らせるということで反対だったのだ。
差別はいけないから、この法案は大事だと思
う人もいるだろうが、要は男性でありながら
心は女性だと言えば女子トイレも更衣室での
着替えも認められるのだ。心の問題だから、
ああだこうだ疑いがあっても犯罪として立件
出来ない。果たして、これで女性を守れるの
だろうか。結局、都知事選ではないが、気分
でしか政策を考えられないのだ。

極めつけは熟練外国人労働者の在留資格、
特定技能2号の大幅拡大である。ここで詳し
く書かないが、移民が大量に入ることが決ま
ってしまった。人間だから、そこから小さな
コミュニティーが形成され、政・官・業の関
係から外国人に特化した有益な法律が次々と
成立し、行く行くは参政権にまで発展する。
既に、宗教上の理由で土葬の土地まで明け渡
す自治体もあるようだ。外国人の宗教上の問
題は、彼らの命より価値の高い問題なのだ。
神様との契約であり、そのルールを人間が変
えることは出来ない。そこに、お人好しで揉
め事が苦手、他人と波風を立てる事の出来な
い外面の良いリーダーだと国益は守れない。
また、その下に連なる議員も小選挙区制度が
影響して何も言えない。結局、今だけ、自分
だけの保身。 


ただ、政治的思想信条となると、人間の生命
や財産の問題なので、双方がそう簡単に妥協
出来ないのである。

都知事選の話しから脱線してしまったが、東
京都は日本の首都である。東京都の政策が少
なからず予算編成から道府県の政策に波及す
ると思うのだ。警察で言えば警視庁の取組み
が他道府県警にまで影響するのと同じだ。た
だ、日本警察の発祥は鹿児島県だ。今、色々
と問題になっている鹿児島県警察は日本警察
には特別な場所なのだ。いずれにしても東京
は良くも悪くも日本の在り方の象徴なのだ。

世論とマスメディア、世論と政治、今も昔も
日本人の空気感の弱さは変わっていない。世
論に従わない者の地位や権利は小さくなる。
それは逆に民主主義が機能している証拠でも
ある。民主主義というのは人気主義でもある
が、世論に従うことはその意図的に作られた
意見(オピニオン)の独裁を認めるというこ
とでもある。

民主主義がこれからの日本人に正解なのか分
からない、というのが私の本音だ。かと言っ
て共産主義はそもそも日本人に合わない。

然しながら、共産主義っぽく政治が動いてし
まっている。与党の政治家自身が自覚して共
産主義に走ろうとしているのではないだろう
が、全体の動きがそちらに傾き始めて、今や
その渦中である。結局、私のような砂の粒で
しかない人間だろうが著名な政治家だろうが
、限られた命の中で、限られた出会いの中で
心を動かされ人生を送る。その人間の出会い
の数に応じて、個人の中の世論が形成される
のだ。

いずれにしても、世論というもので形成され
た狭い空気感で物事が決まって行くのが私の
住む現実社会なのである。しかも、国会議員
にしろ地方議員にしろ、知事にしろ、もっと
言えば会社のリーダーを選出するにしろ、世
論という空気感で決まったことに対して、実
は誰もその後の責任を取らない。投票用紙に
住所氏名等は記載しないから、投票後は当該
当選者を批判はすれど、自分が責任を負うこ
とは皆無だ。これも民主主義の限界だろう。
いつも一方通行なのだ。投票後は他人事を決
め込んでいる。まぁ、それも仕方ない。

当選させたが、どうも予想に反した政策ばか
りだし、公約とやらは全然前に進まないから
憲法16条に規定された公務員の罷免をしよ
うと思ってもその手続きも曖昧である。公務
員の罷免の請願は誰でも可能だが、具体的に
やったというのを聞いたことがない。

マスメディアも政党も、結局、単純な日本人
を世論で形成してしまえばどうにでも精神を
支配出来てしまう。これは高学歴だからとか
、金持ちだからとかの要素で罹患度が異なる
という問題ではなく、世論を無視したらどう
なるか、という人間の孤立感、孤独感に立脚
した神経戦の展開なのだ。

しかも世論に追従した結果、政治も経済も衰
退したとしても具体的な責任の所在が分から
ず、誰も責任を取らない。そこには緻密な立
法、行政、司法の連携もあろう。昨今は日本
の三権分立が怪しいとまで言われてしまって
いる。高額年収のマスメディアの各人も、自
分や家族の生活を抜きに公正公平、正義、真
実等を追求しないだろう。私とて躊躇すると
思う。何故なら、家族を守れない人間は失格
だからだ。

家族を持つというのは個人の責任である。逆
を言えば、結婚出来る男の条件として、先ず
自らを守れること、それが出来て他者を愛せ
るのだし、家族を守れる。家族を守れること
が出来て周囲の仲間や組織を守れる。その結
果として国民や国家にまで目が届くのだ。そ
う俯瞰すると、一企業のマスメディアの人間
だけを責めるのは筋違いだろう。

東京都の出生率が0.99だと言う。これは
一人の女性が生涯に産む子供の数を表してい
るが、東京都では1を下回ってしまったとの
事。今回の都知事選でも少子化についての政
策を主張した候補者もいた。結婚出来ない若
者が増えているとも言う。しかし、結婚と子
供と直接結び付けるのは違うだろうと思う。
勿論、結婚した人が子供を授かるのは当然の
前提としても、結婚しても経済的に子供を断
念する男女も結構いると思う。結婚はカネが
無くても可能だ。寧ろ、カネが無いほど結婚
した方が良い。家賃も電気代も足し算ではな
く、独身より得する部分もある。従って、結
婚と子育ては区別するべきだろう。



人間が生きて行くというのは、完全なる誠実
さでは限界がある気がする。美辞麗句だけの
『政策やります詐欺』の選挙演説では偽善し
か覚えない。その政策をどのように都議会に
理解させ予算を国から取って来るのかという
具体案がない。なんちゃって無所属で出馬し
て、都議会では孤立無援なのではないのか。
高学歴のマスメディアの人々はそうした事も
分かっていながら聞かないので残念だ。

真理=必ず人間は死ぬという物理的なもの
真実=人によって考え方、見え方が違う
事実=起こった結果

ただ、マスメディアはせめて思想信条の異な
る対立軸をもっともっと前面に出した討論番
組を制作するべきなのだ。同時にスポンサー
はもっと寛容にして、番組プロデューサーの
自由度を上げることだ。スポンサーがマスメ
ディアの足を引っ張っているのではないのか
。スポンサーは大企業であり、今や株主最優
先である。株主が善良な日本人ばかりとは限
らない。当然、個人の誹謗中傷は問題だか、
思想信条のタブーは極力最小限にしなければ
日本は更に共産主義化していく。

同時に、企業と政界の関係をもっとシンプル
にしてもらいたい。租税特別措置法によって
特定業界を優遇して減税、特に消費税に反対
しない業界を優遇していないだろうか。それ
が選挙の時に具体的な通達がされてなくても
、日本人の空気感で何等かの取引がされてい
ないだろうか。政治と業界というのは、省庁
からの許可、認可、届出、入札が必要な業界
は沢山ある。そうした権力に立脚した権限の
乱用は人間社会にはどうしても癒着、談合と
いう姿で、その良し悪しは別にして存在する
のである。何でも白にしていたら人間関係は
円滑にはならないというのも悲しいが正しい

今回の都知事選にしても、マスメディアによ
って絞られた4人の候補者を鑑みると、誰が
当選しても東京都の政治をコントロールする
のは可能だったのだろう。要は右からのアプ
ローチなのか左からのアプローチなのかの違
いでしかなく、結論はグローバルな政策にし
かならないのだ。後は落選した人物が今後面
倒な存在なら司法によって排除してしまえば
良い。そんな残酷な世界が選挙だと思う。

また、ある候補者には「ヤメロ」コールが踊
り警察官の警備も大変だったように見えたし
、ある候補者には熱狂的な支持者と反対派が
押し寄せ、こちらも一触即発な状態だったよ
うだ。だが、今の日本の社会を冷静に見ると
、現状維持を希望するものと現状打破に向け
た新しい社会の形成を希望する者との戦いに
見えるが、それは外側の目に見える現象であ
り、実は日常の退屈と苛立ちによる現象なの
ではないのか。

だとしたら、この新しい社会を形成したい集
団の熱狂はすぐに醒めるだろう。昨今の新党
ブームもそれに近い気がしてならない。だが
人生は短いので、何かを皆と共有して明日の
社会の発展、構築の為に行動するのは人間ら
しいと言える。私のように日記でああだこう
だと評論しているよりも美しい姿である。

 (つづく)


(靖國神社大鳥居 令和6年6月6日)

令和6年6月16日(日)
前回の続きを私なりに考えて行きたい。この
民主主義というのは、結局は多数決の思考の
集合体であり、人間の価値基準となっている
。独裁国家のような共産主義や社会主義とは
違い、国民の総意として民主主義が機能して
いる。

確かに共産主義よりは日本人の体質に合致は
しているものの、それは個々の人間の精神が
成熟しているという前提で成り立っている気
がする。それがあって民主主義が正常に機能
し、国民の期待するところなのだろう。

だが、昨今の日本人、とりわけ、政治家、官
僚、マスメディア、財界人等に国家・国民の
繁栄と幸福を第一として思考し働いている人
間がどれほど存在しているだろうか。その繁
栄と幸福は極めて限られた業界、人間に偏っ
ていないだろうか。飾りある言葉を並べて国
民を惑わし、悪の方向に導いていないだろう
か。

民主主義が適正に機能するときは、それぞれ
のリーダーが敏感に内外の人間のニーズを的
確に感じ取り、いわゆる中間層の幸福度を上
げている時だと思う。それが醸成されていれ
ば、中間層より下の人々も安心感を得られ、
限られた財の中でも安定的に人生を送ること
が出来るのではないだろうか。

どの時代にも政治的な課題はあったものの、
いよいよ日本人の中間層が貧困層へと急速に
転落しつつある。国家を司るのは国民一人一
人である。生きる価値がない人間など本当は
存在してはいけないし、希望を失い自ら命を
捨てようと考えてもいけない。

だが、一人一人は現実社会の政治システムの
中でそれぞれの環境下で生きている。その渦
中で絶望を感じて命を絶つ人間も未だ後を絶
たない。以下は令和5年と令和6年の4月中
の自殺者数である。

令和5年 1965人
令和6年 1694人
(いずれも4月中)

確かに前同月では271人減ってはいるが、
都道府県ごとに調べると増えている地域もあ
るのだ。増えている地域だけを記録しておく
(4月中) 令和5年 / 令和6年
全国    1965人  / 1694人
秋田県   18人 / 21人
富山県   19人 / 23人
石川県   14人 / 17人
福井県   7人 / 9人
長野県   32人 / 41人
愛知県   111人 / 119人
奈良県      14人 /  19人
島根県      8人  /  11人
広島県   35人 / 49人
山口県   8人  / 28人
徳島県   7人  / 10人
福岡県  86人 /  90人
佐賀県  10人 /  14人
熊本県  21人 /  26人
宮崎県  13人 /  15人

今年と昨年の4月中の数字だが、西日本を中
心に増えているのが分かる。しかも異常に増
えていたのが山口県だった。但し、自殺者と
して計上されるには警察と厚生労働省では異
なっている。警察庁では、死体発見時に自殺
、他殺あるいは事故死のいずれか不明のとき
には検視調書または死体検分調書が作成され
るだけで計上されないのだ。掲載の数字は警
察庁の暫定数である。ただ、その後の調査等
で遺書が発見されたとかで自殺と判明すれば
その時点で計上しているが、たとえ発見され
たとしても生命保険等の関係もあり申告する
家族は少ない気もする。

これに対し厚生労働省の場合は、自殺、他殺
あるいは事故死のいずれか不明のときも自殺
以外で処理しており自殺に計上していない。
このように、警察庁も厚生労働省もハッキリ
と自殺と断定出来る資料が無ければ数字には
表れないのだ。例えば以下のニュースの場合
はどうだろうか。

(埼玉新聞より)

これは令和6年6月15日付の埼玉新聞のネ
ット記事だ。熊本県菊池市に住む50歳の無
職の男性が埼玉県春日部市の春日部駅で特急
電車に跳ねられて亡くなったという内容だ。
パッと頭に浮かぶのは、仕事を探す為に地方
から関東に出て来たが、思うようにならずに
絶望して駅のホームから電車に飛び込んだ自
殺なのではないのか?という想像である。し
かし、もしかしたら何等かの用事で春日部市
に来ていて、体調不良等でフラついてしまい
、運悪く電車が入って来たのかも知れない。

いずれにしても、このケースでは熊本県の自
宅に遺書があったり、家族からの証言がある
場合を除き、自殺には計上されないのだ。

一応、我が国では平成22年以降、統計上の
自殺者数は減少していることになっている。
同時に毎年の交通事故死者数も減っているこ
とになっているが、自賠責保険の支払い件数
がかなり増加しているのだ。確かに死者数の
減少には自動車メーカーの頑丈な製造技術も
あるだろうし、亡くならずに傷害事故で済ん
だのもあるだろう。医学が発達して、当時な
ら死んでいたはずが傷害で済んだり、24時
間を超えてから亡くなるケースもあるだろう

私は思うが、いずれにしても役所が発表する
統計上の数字は見かけ上の減少である可能性
があると疑っている。現場からの報告の仕方
を変えれば統計の数字も変わる。要は、政府
の各種政策が順調に行われていると言う情報
操作の意図も隠れていると思っている。

昨今は、診断名不明確及び原因不明の死亡が
増加している。勿論、私のように身寄りのい
ない人間も増え、いわゆる孤独死というのが
主流になりつつある日本で、今後、多死社会
で変死体が増えるのは必至だ。家族が居なけ
れば警察も遺族に報告義務は生じないし、役
所間の書類上のやり取りで済む。取扱い方に
差異が出るのもやむ得ない。たとえ自殺だろ
うが、仮に他殺が疑われたとしても、警察側
が外国の来賓警備や行事等で忙しかったりす
れば身寄りのない人間の死に方などいちいち
本気で調べる余裕はないだろう。これからは
身寄りがいるか・いないかで捜査に出せる人
員は調整される気がする。

横道に逸れたが、今の日本人には適正な民主
主義の実現は難しいと思う。かと言って共産
主義や社会主義が日本人に合っているとも思
えない。いずれにしても、人が人を広く信用
出来ない世の中になっている。

最近、ユーチューブを観ていると、やたら投
資家による広告が入って来る。広告が盛んに
流されるのは目障りだが仕方ない面もある。
また、色々な人がユーチューバーとして活躍
しているが、彼らの武器は言葉の巧みさであ
る。その言葉を武器に何等かの目的を達成し
ようとしている。たとえばそれが各種資料や
独自の情報入手から得た洞察力で人々が誤っ
た方向に進まないよう警告を発している人も
いれば、いわゆる迷惑系ユーチューバーとし
て再生数ありきで収益を目的としている人も
いる。

だが、ユーチューバーの目的如何によっては
その行動は際限なく過激化していく運命だと
思っている。その動画配信を辞めることは、
自分の主義主張のみならず、居場所を失うこ
とになる。またユーチューブ等の動画配信を
起点とした政治的団体は、その視聴者の匿名
性から自由であり、リアルな人と人との心の
触れ合いよりも、個々の主観的理論が暴走拡
大して、破壊的要素として顕著になってしま
う危険がある。

不安定な社会からの主観的理論の暴走は、気
軽さ故の安易なコメント、無意味で単純な短
い目障りなコメントが散見され、発信者自身
がその流れる文字に困惑され、次第に気高き
精神は当初の目的がお手軽な無責任で愉しけ
れば良い、再生数が上がれば良いという感覚
に陥ることになる。更には、目的が本人の理
想と徐々に解離して行くのである。

その原因の一つが、民主主義である。その政
治的ネット番組はその本人が目的を持って行
動を起こし発信しているのだが、発信後の視
聴者の受け止め方は千差万別で民主主義に則
って自由に賛否として評価される。そして、
民主主義とは基本的に相互理解ではなく、き
っとある種の命令調の受信になりがちなのだ
ろうと思う。そこには一般常識も然ることな
がら、政治的規範さえも見失って行く。

同時に、同じ主義主張を一にする者同士で盛
り上がる限られた言論空間の為に、そこに相
互性は存在しない。寧ろ、相互性は排除の対
象にすらなる。また排除しなければ混乱を来
たし、方向性を失う。これも民主主義の命令
調の発信と受信の限界に他ならない。

その正体は空気感である。日本人特有の根拠
なき空気感だ。自由だからこそ不自由な結論
を民主主義は導き出して人を支配する。申し
訳ないが、自民党や公明党、維新や国民民主
党は国家を破壊し、立憲民主党や日本共産党
、れいわ新選組や社民党は国体(国柄)を破
壊する力が内在していると私は見ている。

従って、私はそれぞれの政党に賛同出来る部
分と否定する部分がそれぞれある為に、魅力
的な政治家がいたとしても、党員のような集
団に加入しないことにしている。右でもない
左でもない優柔不断な私のような人間が、政
治組織に入ったところで何の言論空間も用意
されることなく、寧ろ圧力を掛けられ村八分
と相成るだろうし、目障りだろう。

(都電と薔薇)

母が令和5年2月10日に逝去し、喪が明け
たので久しぶりに令和6年6月6日に靖國神
社に参拝した。

やはり、日本人は神社に行き、神様と対話し、
菩提寺や自宅の仏壇で世話になった人と対話
するのが基本だろうと思う。靖國神社という
のは、今、何とか日本が、或いは自身が生き
ていられるのは、かつて大東亜戦争で好むと
好まずに関わらず、戦地で戦って散って行っ
た多くの日本人や朝鮮籍の御霊があるお陰な
のだ。正に鎮魂の場所である。

よく、政治家が参拝して問題になっているが
、彼ら政治家には選挙という問題もあり、そ
の中には打算も含まれており一概には言えな
いが、一般の人が拝殿で心静かに二拝二拍手
一拝の礼を行うのは誠の姿だろうと思う。

(靖國神社神門と先に第二鳥居)

(靖國神社にある『さざれ石』)

(靖國神社神門、先に中門鳥居と拝殿)

私はこの日、改めて現在の日本の民主主義が
危機的状況に陥っているのではないかと感じ
た。今、英霊や私の先祖は何を思うだろうか
。勿論、この国において私は砂粒のような存
在であり、誰も読まないこの日記ブログで能
書きを言うに過ぎないのだが、きっと同じく
日本の行く末を案じていることだろう。

このことは、保守思想の立場からもリベラル
思想の立場からも民主主義の崩壊が起こって
いると察しているに違いない。たとえば移民
の問題だ。近頃で言えば改正入管法での技能
実習制度の廃止から育成就労の転換である。

この転換の目的は労働力不足の解消を狙った
もので、従来の技能実習制度では安価な労働
力の確保でしかなく、外国人を劣悪な環境で
酷使していた事実がある。そこで今回の育成
就労では2年以上で転職が認められると言う
のだ。

また、この育成就労でこれまでの特定技能1
号と同水準まで持っていき、更に特定技能2
号までになれば我が国で長期就労が可能とな
り永住資格が得られるという。基本的には、
永住資格は10年以上の在留、又は日本人と
結婚した配偶者、或いは高度な技能や知識を
有する人とされており、令和5年末で89万
人が永住資格を持つ。中国人が33万人、フ
ィリピン人が13万人となっている。

今回の改正によって、保守派は事実上の移民
政策であり、将来禍根を残すとして反対して
いる。私もそれに近い考え方である。一方の
リベラル派も反対している。その理由は永住
資格の取消制度が厳しくなるからという。具
体的には、
①税金や社会保険の滞納
②一定の罪で懲役刑(執行猶予含む)
③入管難民法違反

①〜③に該当すると、
●永住資格取消し→出国
●他の在留資格に変更→生活困難

特に①の滞納については行政の裁量に委ねら
れたり、特定の政党や宗教団体の影響下にあ
れば優遇されたりする可能性も否定出来ない
と私は思う。従って、人によって結果が異な
るのは問題となる。また、滞納は日本人同様
に延滞料の加算や差押えで良く、在留資格ま
で奪うのはどうか、との指摘もある。

いずれにしても、保守派からもリベラルから
も不評だと言える。それをやる意味は何か?
人手不足解消と言うのは建前ではないのか?
経済界からの要請と言うのは、確かにそうか
も知れない。そこには経団連と言う組織があ
るが、経団連の顧問には何故か財務省事務次
官経験者や外務省で米国大使館経験者が就い
ている。要は官僚のエリートである。日本人
の若者を育てるよりも安価な外国人を引続き
雇用して企業の利益を上げようとしていると
しか思えない。人手不足と言うが、昼間から
フラフラしている若者が最近目立つ。企業が
魅力あれば元気に明るく働く若者はいると私
は信じる。

また、人間は誰でも自分の居場所が必要であ
る。外国人には外国人同士が安心する。それ
は否定しないが、そこに独自のコミュニティ
ーなルールを内輪で決められると、日本人が
肩身の狭い想いをしたり、外国人に合わせた
ルーティンになってしまう。

職場に限らずに、町のルールにも影響してし
まうだろう。また、一度、ルールを決めたら
最後、再び元に戻すことは日本人には不可能
だ。そこの職場なり町は事実上、外国人の支
配下になる。

同時に、その町を中心として外国人地方参政
権を推進する政党が台頭すれば、次第にあら
ゆることが習慣化してしまう。私は強くそれ
を危惧している。同時にそれは外国人労働者
の増加を意味し、外国人同士の中での格差も
生じるだろう。

当然、男女がいれば愛し合いセックスもする
だろうし、子供も誕生する。その子供が異国
の地で幸せに暮らすには充実した教育である
。日本語を満足に話せない親が、子供を日本
の学校で学ばせるのは大変なこと。そうなれ
ば、母国語を話せる先生を採用するように議
員に働き掛けて法案を作ることになるし、あ
らゆる政策に発展する。その原資は日本人の
税金だ。それこそ実質賃金が上がらず、税負
担が毎年増加する日本人に、更なる負担は厳
しいと言わざる得ない。

途中で病気等で働けなくなった外国人はどう
するのか?現在、自治体の裁量で外国人に生
活保護を支給している自治体が多いが、実際
は憲法違反である。

昔、イラン・イラク戦争後に疲弊したイラン
人が大量に日本に出稼ぎに来て、彼らは手取
りで30〜40万円を貰っていた。殆ど3K
と呼ばれる肉体労働者だった。しかしリーマ
ン・ショック後、建設業も昔のように族議員
が力を失い、業界は下請け・孫請け会社が安
価で外国人を働かせている。次第に、生活出
来なくなった外国人は違法テレホンカードや
覚醒剤の販売をして逮捕されるようになった
。その後、警察も不法入国や不法残留に厳し
くなるばかりか、稼げなくなった外国人は生
活保護を受給するようになる。肉体労働なら
まだしも、日本語が話せない外国人が多くの
業界で働くのは難しい。

外国人への生活保護支給の根拠は、昭和29
年5月の厚生省の通知で、当分の間、特別永
住者等外国人へも準用との通達によるものだ
。そして、そもそも生活保護法は、生活に困
窮している日本国民を対象にしているはずだ
が、多くの自治体で生活に困窮する外国人に
対しても人道上の観点から、日本国民に準じ
た取扱いをするように通達がされた。これが
令和6年6月の現在も続いているのだ。そこ
から分かるように、日本人は人道的という言
葉に弱い。特に外国人に対しては波風を立て
ると厄介だと言うことことで、次から次へと
外国人に生活保護を人道的立場から支給して
いる。一方で、生活保護を必要とする国民に
対しては細々した要件を設け、福祉事務所か
ら嫌味を言われて気力を失くし、やがて電気
もガスも止められ、遂には水道も止められて
餓死した日本人のニュースが最近よく耳にす
る。要は、行政を司る人間が主張すべき相手
に何も言わず、良い人を演じて、本来救うべ
き人を見殺しにしているのである。

このことは役人だけでなく、政治家も殆ど同
じ傾向だ。救うべきは国民である。しかし、
今、議員バッジを付けて偽善を語っているの
は、民主主義で選ばれた人間たちである。民
主主義だから、政治家だけが悪いのではなく
、何となく有名人であるし、顔も良いし、テ
レビにも出てるから信用がありそうだ。とい
う雰囲気、空気感で選んでいる。要は国民の
責任が大きい。その国民が選んだ政治家が、
国民を苦しめている。しかし、自分が選んだ
政治家がそんな悪いことをする訳がないと思
い、見たくないもの、信じたくないものを否
定し続ける。その結果がこの始末だ。

話しを戻すと、外国人に厳しくなったのは警
察だけではなく、一般国民も次第に厳しい眼
を向けるようになった。それが埼玉県川口市
のクルド人問題である。クルド人というのは
中東のトルコやシリア、イラン、イラクにま
たがって居住している人々で、トルコからの
難民もいる。また今戦時中のイスラエルにも
20万人が暮らし、ロシアには40〜50万
人が住んでいると言う。日本には2500人
程度だと言われている。クルド人という国籍
はないので概ねトルコの国籍となる。

クルド人の歴史的背景は難しいが、要は第一
次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊して、国
境が欧米によって分断されたことに始まる。
こうして、シリア、イラク、イラン、トルコ
等に組み込まれた彼らは従前から住んでいる
住民から激しい弾圧を受け、それがきっかけ
となり、世界のあちこちに離散していったの
だ。我が国には1990年代からクルド人が
入国するようになり、パスポートの国籍はト
ルコなので、トルコ国籍のうち、クルド人が
誰なのか正確には分からない。

そうした彼らの集団が地域のルールを無視し
てゴミ出しや騒音、挨拶もしない等、不良行
為を繰返しているという。しかし、彼らのう
ち不法残留(オーバーステイ)という在留期
間切れの者や不法在留という入国自体が違法
だった者がどの程度いるのか不明である。

ただ、クルド人の福祉的な意味合いを持つク
ルド人協会もあり、日本人とのコミュニケー
ションを図って、地域パトロール等のボラン
ティア活動も実施している。私自身、埼玉県
川口市民ではないし、蕨駅周辺に住んでいる
訳でもないので実際にどの程度の苦情があり
、被害が発生しているのか?また、苦情があ
ったとしても『クルド人』という民族に特化
した事象なのか定かでもない。大体、苦情が
集まる場所としたら警察か不動産屋である。
しかし、ゴミ問題にしても、騒音苦情にして
も、それ以上の不穏当な何かが各別に発生し
たということも聞かない。

そうすると、本件のネット騒動は多少、事実
と異なるのではないか。こうした外国人が絡
む問題に政治的な背景があったりする。そも
そもクルド人を弾圧したのがトルコ政府であ
る。このトルコ政府が何等かの影響を与えて
いると私は見ている。この川口市のクルド人
問題というのは、クルド人と川口市民の問題
ではなく、クルド人とトルコ政府の問題だろ
うと思う。最近、米政府はトルコにF16戦
闘機を売却したりして良好な関係である。そ
れは現在、ロシアとウクライナの戦闘により
、トルコがスウェーデンのNATOへの加盟
を許したのだ。見返りに40機売ったのだ。

これを期にトルコは米国との関係を強化して
おきたい。しかし、トルコの公正発展党のエ
ルドアン大統領とクルド人が支援していた政
党は異なっており、エルドアン大統領とした
ら、トルコ人ではないクルド人は面倒な存在
なのだ。

日本でスパイ活動をしている外国の中で、ト
ルコも入っているらしい。彼らが川口市のク
ルド人を悪者にして、クルド人を排除しよう
と思えば、日本のいわゆる保守層の心に響く
言葉を一滴落とせば、それが水面のように波
紋となって日本全国の保守層に広がるのだ。

当然、保守層の中には警察官もいるだろう。
必要以上の職務質問で外国人の人権を侵害し
てしまう可能性も否定出来ない。しかし、不
良外国人も紛れているのだから徹底した職務
質問は不可欠であるが、公安や外事警察官で
無ければキチンとした判断は難しいだろう。

こうしたことを踏まえると、我が国にこれ以
上に外国人を入国させることは国民を分断さ
せることに繋がると私は思う。日本人は残念
ながら情報の多くを既存のマスメディアから
入手し、その番組構成に則った言論から世間
が醸成されたり、また偏ったネット番組から
個人の深層心理が醸成されるのである。

そもそもテレビや新聞というマスメディアは
、GHQという組織が戦後の新しい日本の民
主主義を形成する為に作ったものである。し
かも日本のマスメディアは、クロスオーナー
シップ制度によってテレビ局と新聞社がリン
クしている。しかしGHQの旗本である米国
では言論の自由を確保する為にクロスオーナ
ーシップ制度を禁止している。

そればかりか、日本ではテレビ局の生命線で
ある電波が政府、総務大臣が握っているのだ
。総務大臣というよりかは、総務省の役人と
いうのが正しい。従って、テレビ局は他の省
庁の不正は辛うじて報道出来たとしても総務
省の情報には手をつけられないだろう。

それでは新聞社の正義に期待したいと思って
も、残念ながら新聞社はテレビ局の主要株主
であり、相互に不利益になるシステムなのだ
から難しい。出せる情報と出せない情報、出
したくない情報、出せと命令される情報があ
ると見ている。こうした事情もあってマスコ
ミの人々には口止め料としてなのか分からな
いが、高い給料が支払われている。

こうした中で本当の民主主義が日本人に、否
、少なくとも私のような学歴も教養もない人
間にはその是非は判断出来ないのだ。同時に
、今、マスメディアやネットから現れている
政治的リーダーにも私は些か懐疑的である。
こんな時代だから、発信力のあるリーダーを
求めたい気持ちもあるが、それは日本人の依
存体質からの思考のような気がして、私の心
を躊躇させてしまうのだ。部分的には合点し
ても、全体として不幸に国民を導いてしまう
気がするのだ。

政治的リーダーが誰であれ、日本の政治シス
テムは変わらない。自民党から民主党に変わ
った時、財務省の緊縮財政は加速し、消費税
が上がったのは記憶に新しい。反省をした自
民党と公明党だったが、再び政権を担うも、
更に国民生活は悪化した。残念ながら、今の
同じ顔ぶれでは言葉こそ飾っているが、政治
家を何期やっても時間だけが過ぎ去るだけで
彼らの議員報酬が積まれ、国民は命を削られ
るだけというのが現実だろう。その絶望の中
で、小さな幸せを見つける勇気が必要かも知
れない。人間には限られた時間しか生きられ
ないのだ。

本物の政治家がいるとするなら、他党の裏金
がどうのこうのよりも、不倫の追及で質疑の
時間を費やすよりも、何度も何度も、外交ル
ートを使うなり、自ら大使館等に行ったり、
渡航したりして外国と折衝する勇気が必要だ
と思う。特に、国会議員を何期もやっている
ベテラン議員がワイドショーのようなことを
繰り返していれば、国民も次第に国会をワイ
ドショーと見なし、それを求める。当然、視
聴率を取るような質疑になる。カッコ良い男
性議員、美人の女性議員なら注目も浴びる。
あの議員なら、こんな刺激的な質疑で岸田を
追及してくれるだろうと期待する。勿論、岸
田政権は国家、国民を叩き落としてしまった
が、そもそもこの国には口が達者な議員はい
るが、国益に適う本物の議員はいない。

(靖國神社の支柱)

最早、日本は先ず日本人の心から破壊されて
行く気がする。たった十年ちょっと生きただ
けの若者が絶望して死んで行く国。かつて、
大東亜戦争で国家存続や家族の未来を信じて
散った命とは異なるが、現代は経済戦争、精
神戦争とも言える。昔も今も米国や中国から
圧力を掛けられている。米国と言っても、米
国の一般人も経済的被害者である。何故なら
ば、米国政府を動かしているのは大統領では
なく、米ドル紙幣の発行権を有する金融企業
家たちである。従って、どうしても金儲けに
偏ってしまう。金儲けの為なら戦争も仕掛け
るだろうし、公衆衛生的なテロも仕掛けるだ
ろう。

(靖國神社の桜の開花木)

人間社会というのは残酷なものだ。出来るな
ら、二度と人間に生まれ変わりたくないもの
だ。こうした喧騒な心からそっと静かな精神
を取り戻す場所が神社や菩提寺である。

神社や菩提寺、総本山、大本山は過去、現在
、未来を一つに結ぶ拠点である。私はそう確
信している。かと言って、私自身は身寄りも
ないので、この世から消えればその骨はホー
ムレスのような人々とごちゃ混ぜに合祀され
るだろう。私の骨はゴミ同然である。しかし
それで良いのだ。火葬したならば骨などゴミ
袋に入れて廃棄して結構だ。勿論、家族がい
る人なら大切に墓地に埋葬するのが鉄則だろ
うと思うが。

新しい人間が生まれれば、次第に古い人間は
忘れ去られるのが通常である。血の繋がりが
あっても、精々、祖父祖母くらいまでで、そ
の先は分からない。従って、今を生きている
人もいずれ完全に忘れ去られる運命にある。
寧ろ、名前が残る人というのは極限られた偉
人か、犯罪者だろう。しかし、せめて自分が
生きている間は、親や世話になった人、見知
らぬ英霊に手を合わせることは大事なことな
のではないか。

(文京区、護国寺)

(私の念珠)



令和5年5月15日(水)
今、これほどまでに社会秩序が壊れていくの
を感じたことはない。下の1〜5番の記事の
ように、日本各地で毎日のごとく鉄道人身事
故が発生している。特に首都圏ではそれこそ
緊急事態だと思う。

(1 鉄道人身事故記事 レスキューナウ)

(2 鉄道人身事故記事 レスキューナウ)

(3 鉄道人身事故記事 レスキューナウ)

(4 鉄道人身事故記事 レスキューナウ)

(5 鉄道人身事故記事 京都新聞)

それでも、自分が乗合せた電車でなければ、
「またか」と溜め息をついてホーム上でスマ
ホを見ながらイライラするのが日常だろう。
その裏で、飛込んだ本人がどのような人生を
歩み、どのような事情を抱えて自ら命を捨て
ようと決意したのかは知る由もない。そんな
ことよりも、今、自分が向かおうとしている
場所や待たせてしまう相手ヘの負目で頭が一
杯になる。所詮、人間個人の思考は常に亡く
なった他者やその関係者に想いを向けるので
はなく、自分の保身にある。

だが、間違いなく亡くなった人に家族がいれ
ばその人達の悲しみは他人でも感じようと思
えば、それは想像を遥かに超えるだろうこと
は人間であれば誰でも分かる。分かるが、現
実として何をしてあげられるわけではないの
だ。そればかりか、逆に駅員に怒鳴り散らす
人間まで現れるのだから困ったものだし、車
内放送で車掌が遅延を「電車が遅れて申し訳
ありません」と、車掌に何等か責任等ないの
に謝罪している始末だ。

しかし、本当に謝らなければならないとした
ら、国民を絶望に陥れたこの国の指導者層の
人達だろう。確かに一人一人の道すがらの人
間の人生まで知らないにしても、国民が何に
悩み、何に悲しんでいるかくらいは心で感じ
て、そして改善して欲しいものだ。ところが
、彼らは国民から得た税金を裏金としてキー
プし、国民に開示出来ない使途不明金にして
いた。

(6 自民党派閥政治資金問題 テレ朝)

(7 岸田、バイデン TBSニュース)

(8 岸田売国訪米 チャンネル桜)

政治は果たして「誰」のものか。今、私がマ
スメディア等から発信され認知している政治
家らの言動や行動を操っているのは果たして
誰なのか。そして、この国に真の民主主義が
存在しているのか。そもそも民主主義が本当
に素晴らしい政治手法なのか。だからと言っ
て、共産・社会主義が正しいとも思えない。
そもそも私は、民主主義に限界を感じている
。しかし、共産・社会主義は平等を掲げて、
国民の資産を国家に上納して、貧困層は一見
して安定した生活が保障される気もするが、
それは権力者によって如何様にもカネを差配
出来ることを意味し、国民全体が心まで支配
される気がする。同時に、民主主義の成立は
マトモな国民の民度によってのみ成立し、そ
の成熟度に直結する。

国の政治の方向性を決定づけるものの一つが
選挙である。思うに、政治家選択は右でも左
でもなく、いわゆる無党派というどっちつか
ずの、日頃政治に無関心な人々によって決定
されるものだろう。何故ならば、特定の政党
支持者は固定され、大凡の数字は計算出来る
からだ。要は、一部の思想を持った人間集団
による政治政策の実現である。例えば、海外
投資家等のグローバル企業、宗教団体、慈善
団体だ。この者達ちによって組織票を固め、
それらが優遇される政策が実行されている。
同時に、今の体制を維持するには、どっちつ
かずの無党派層を選挙に行かせない為の工作
をしなければならない。政治的特定者は頭打
ちだが、無党派は無尽にいる。数の上では、
一番強いのだ。

また、昔も今も政治に関心がある人と無関心
な人の割合は大して違わないと思っている。
それが良くも悪くも日本人の体質なのだ。ま
た世代間でも多少の違いはある。政治に関心
がある層では、主に団塊の世代はリベラルの
人が比較的多い。彼らの親世代が大東亜戦争
で戦った為、その反動というか、反戦の意識
が強く、それがいわゆる『公(おおやけ)』
という精神よりも『私(わたくし)』を大事
にした世代なのだろう。彼らの青春時代、
『個』を重視、そこから出発した人間の感情
の中に潜む矛盾が、映像や音楽といった芸術
の世界で内なる心を投影した。

一方で、その矛盾が『公(おおやけ)』を破
壊しようとして国民から強い怒りも買った。
彼らの青春時代、私は幼稚園か小学生だった
。その頃、最寄り駅の改札口前には、手や足
が無い人がゴザを敷いて、ハーモニカやアコ
ーディオンの楽器を弾きながら物乞いをして
いたのを今でも鮮明に覚えている。後に、そ
の人々が大東亜戦争で戦い、爆弾等で手足を
失った人だと分かった。そう考えるとリベラ
ルこそ、靖國神社に参拝すべきと思う。

このような光景を見ると、どうして国家の為
に戦った人がこのような物乞いをしているの
か、甚だ疑問であると同時に、国がこの人の
手となり足にならねばならないだろうと思っ
た。それが原因かも知れないが、当時、リア
ルタイムで観ていた仮面ライダーという番組
で、些かショッカー戦闘員に同情を禁じ得な
かった。子供ながらに、仮面ライダーもショ
ッカー戦闘員も同じようにショッカー首領に
改造された仲間だ。しかし、仮面ライダーは
脳の改造前に脱出して助かり正義のヒーロー
となるが、戦闘員は人間から完全に改造され
てしまう。元は同じ人間だったということと
、首領に強制的に改造されたという点では戦
闘員も同じなのだ。違うのは、仮面ライダー
の正義の発心は、正常な脳からの怒りと憎し
みである。ショッカー戦闘員は従順に真面目
に首領の目指す世界を実現させる為に戦う。
些か、我が国の政治家や役人を気の毒に思う
ことさえある。彼らは単なる戦闘員かも知れ
ない。日本の本当の首領は誰か?

ところが、戦闘員は悪としてその命を終えて
いくのである。私は非常に複雑な思いで観て
いた。この感情が一種のリベラルかも知れな
い。あくまでも戦闘員個人の生涯を中心とし
た考え方だ。他方、人間が生きる上で、その
命の基盤を形成しているのは『公(おおやけ
)』という社会だと言うことだ。仮面ライダ
ーを観ることが出来たのは、本郷猛にしろ、
一文字隼人にしろ、怒りと憎しみの中から生
まれた正義だが、そこには慈愛と他者ヘの労
りが描かれていたからだ。それは正に『公』
の精神である。勧善懲悪的なストーリーなら
分かりやすいが、人間の精神をダメにする。

人間はどんな時でも必ずこの社会システムの
中で生きている。どんなにニヒリズムに浸っ
ても社会があって自分の存在がある。その考
え方、これが保守思想だろう。

要は、『個』を出発点とした生き方なのか、
『公』を出発点とした生き方なのかで政治的
思考が決定される。

しかし、私の心の中には確固たる政治的思考
はなく、左というリベラルの要素も右という
保守の要素も含有されている。従って、私は
一つの政党に固執しないので、何等かの政治
的な集まりで、リベラル、保守それぞれ居心
地が悪いのだ。例えば原発問題にしても賛成
・反対という二者択一の結論を強要して、賛
成なら右、反対なら左という単純な回答を求
めるが、本当にそれで良いのか。賛成の中に
も原発に危険な要素があるのではないかと危
機感はないのだろうか。原発のゴミ処理はど
うするのか。また、反対というなら、原発に
変わる安定的なエネルギーはあるのか。今、
話題の太陽光パネルだが、ほぼ中国企業が運
営している。エネルギーやインフラを外国資
本にやらせて外交上問題ないのか。賛成にも
反対にも心配な面があるのに、賛成派は賛成
派でつるんで、反対派は反対派でつるんで、
「そーだ、そーだ」と気炎を上げているだけ
なので、何も進まないばかりか、政治家の利
権で物事が決まってしまう。食糧問題にして
も日本は劣勢で、海外に足元を見られている
のだ。結局、単純に言えば右も左も同じ穴の
狢であり、右は右の利権を欲し、左は左の利
権を欲しがる。取り残されるのはその他大勢
の無党派層である。更に、政治的に熱心な人
は、案外、時間的余裕のある人か暇人である
。多くの無党派層は毎日毎日、仕事で忙しい
のである。政治に向合う時間はない。ないか
らこそ、一部の組織票が跋扈する。その意味
で絶望を感じる。

唯一、右も左も声を上げているのがどんどん
進んでいる増税だ。国民に見えない形でやっ
ているから『ステルス増税』と言われている
。国民の負担が更に増す。国民から取った税
をウクライナの戦後復興支援に使うのではな
いかと疑われている。本当に日本に政府があ
るのか甚だ疑問である。未だに戦後の占領支
配を続けている気がする。戦後利得者は保守
にもリベラルにも食い込み、互いの役割の中
で国民を洗脳し、ある一定の勢力拡大を計っ
ているように思えてしまう。どちらが優勢で
も必ず儲かるように出来ているのだ。

このように、一人の一般国民が保守主義に走
ろうが、リベラルに走ろうが、それは日本の
体制を決定づける首領からしたらどうでも良
いことなのだ。そもそも個人はそれぞれどん
な家族の下に生まれたか、どういった職業の
中でどんな人間関係を生きて来たかで、概ね
の思想が想像出来るし、学校や職業の価値観
で人間形成されていくものだ。その過程の中
で出会った人間関係から、より深い確固たる
思想が出来上がる。

しかし、私はこうした曖昧な人間なので、確
固たる政治的信念のある人々と深く繋がるこ
とはしない。その意味で集団から外れた場所
で生きているので、思想的に深い人間関係と
いうのは、なかなか築けない。それは人間と
して、もしかしたら致命的なのかも知れない

(9 大乱戦東京15区 文化人放送局)

(10 選挙妨害 産経新聞)

(11 さとうさおりさんの動画より)

(12 岩田温さんの動画より)

(13 選挙妨害 文化人放送局から)

(14 よつば特派員さんの動画より)

(15 選挙妨害 飯山陽さんの動画より)

昨今、東京15区という選挙区で衆議院補欠
選挙があった。その選挙戦の最中、立候補し
ていた者が同じく立候補者に対して拡声器等
を使用して大音量で選挙妨害をして話題にな
った。

確かに、立候補者にはそれぞれ主義主張があ
るので、それは良いとしても、各立候補者の
演説を聴きに集まり又はたまたま通行中に足
を止めて聴く人々の妨害行為になったと思う
。妨害行為を行った立候補者は、当選をして
自己が目指す政治を実現したいわけではない
ようなので、そもそも他の立候補者とはその
目的が異なる。広義の解釈としたら、彼らも
何等かの勢力に利用されているのかも知れな
い。

ここで感じたのは、妨害を受けた立候補者の
うち誰が最も被害を受けたのかというのは主
観的問題だが、やはり警察や多数のボランテ
ィアに警備されなかった立候補者と言える。
それと同時に、妨害者の政治的思考が正しか
ったとしても、日本人気質からして合点出来
るものではない。だが、こうしたことに発展
したのも、日本の政治、政治家、選挙が軽く
なってしまった証拠であり、冒頭の鉄道自殺
ではないが、政治が人間の命を左右している
という現実を軽視した結果だろう。政治がエ
ンタメの一つになってしまった。

民主主義が次第に破壊されつつある。民主主
義の限界が今回の東京15区の選挙妨害者の
姿である。政治的な思想云々ではなく、そも
そも民主主義は最低限の道徳心に立脚された
ものでなければならない。だが、残念ながら
民主主義が不道徳な人物を生み出すのも事実
である。今回の件もそうだが、民主主義は世
論誘導を企図するには大変便利でもある。大
衆を扇動すれば良いのだから。従って、民主
主義が真っ当に運営出来るのはマトモな国民
がいるうちだけなのだ。国民の民度がおかし
くなればおかしなリーダーが生まれる。あの
ヒトラーも民主主義の選挙で国民が選んだ政
治家だ。独裁は共産圏ばかりか、民主主義か
らも生まれるのだ。

(つづく)