第373号 民主主義の限界 その2(20240616) | 生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。


(靖國神社大鳥居 令和6年6月6日)

令和6年6月16日(日)
前回の続きを私なりに考えて行きたい。この
民主主義というのは、結局は多数決の思考の
集合体であり、人間の価値基準となっている
。独裁国家のような共産主義や社会主義とは
違い、国民の総意として民主主義が機能して
いる。

確かに共産主義よりは日本人の体質に合致は
しているものの、それは個々の人間の精神が
成熟しているという前提で成り立っている気
がする。それがあって民主主義が正常に機能
し、国民の期待するところなのだろう。

だが、昨今の日本人、とりわけ、政治家、官
僚、マスメディア、財界人等に国家・国民の
繁栄と幸福を第一として思考し働いている人
間がどれほど存在しているだろうか。その繁
栄と幸福は極めて限られた業界、人間に偏っ
ていないだろうか。飾りある言葉を並べて国
民を惑わし、悪の方向に導いていないだろう
か。

民主主義が適正に機能するときは、それぞれ
のリーダーが敏感に内外の人間のニーズを的
確に感じ取り、いわゆる中間層の幸福度を上
げている時だと思う。それが醸成されていれ
ば、中間層より下の人々も安心感を得られ、
限られた財の中でも安定的に人生を送ること
が出来るのではないだろうか。

どの時代にも政治的な課題はあったものの、
いよいよ日本人の中間層が貧困層へと急速に
転落しつつある。国家を司るのは国民一人一
人である。生きる価値がない人間など本当は
存在してはいけないし、希望を失い自ら命を
捨てようと考えてもいけない。

だが、一人一人は現実社会の政治システムの
中でそれぞれの環境下で生きている。その渦
中で絶望を感じて命を絶つ人間も未だ後を絶
たない。以下は令和5年と令和6年の4月中
の自殺者数である。

令和5年 1965人
令和6年 1694人
(いずれも4月中)

確かに前同月では271人減ってはいるが、
都道府県ごとに調べると増えている地域もあ
るのだ。増えている地域だけを記録しておく
(4月中) 令和5年 / 令和6年
全国    1965人  / 1694人
秋田県   18人 / 21人
富山県   19人 / 23人
石川県   14人 / 17人
福井県   7人 / 9人
長野県   32人 / 41人
愛知県   111人 / 119人
奈良県      14人 /  19人
島根県      8人  /  11人
広島県   35人 / 49人
山口県   8人  / 28人
徳島県   7人  / 10人
福岡県  86人 /  90人
佐賀県  10人 /  14人
熊本県  21人 /  26人
宮崎県  13人 /  15人

今年と昨年の4月中の数字だが、西日本を中
心に増えているのが分かる。しかも異常に増
えていたのが山口県だった。但し、自殺者と
して計上されるには警察と厚生労働省では異
なっている。警察庁では、死体発見時に自殺
、他殺あるいは事故死のいずれか不明のとき
には検視調書または死体検分調書が作成され
るだけで計上されないのだ。掲載の数字は警
察庁の暫定数である。ただ、その後の調査等
で遺書が発見されたとかで自殺と判明すれば
その時点で計上しているが、たとえ発見され
たとしても生命保険等の関係もあり申告する
家族は少ない気もする。

これに対し厚生労働省の場合は、自殺、他殺
あるいは事故死のいずれか不明のときも自殺
以外で処理しており自殺に計上していない。
このように、警察庁も厚生労働省もハッキリ
と自殺と断定出来る資料が無ければ数字には
表れないのだ。例えば以下のニュースの場合
はどうだろうか。

(埼玉新聞より)

これは令和6年6月15日付の埼玉新聞のネ
ット記事だ。熊本県菊池市に住む50歳の無
職の男性が埼玉県春日部市の春日部駅で特急
電車に跳ねられて亡くなったという内容だ。
パッと頭に浮かぶのは、仕事を探す為に地方
から関東に出て来たが、思うようにならずに
絶望して駅のホームから電車に飛び込んだ自
殺なのではないのか?という想像である。し
かし、もしかしたら何等かの用事で春日部市
に来ていて、体調不良等でフラついてしまい
、運悪く電車が入って来たのかも知れない。

いずれにしても、このケースでは熊本県の自
宅に遺書があったり、家族からの証言がある
場合を除き、自殺には計上されないのだ。

一応、我が国では平成22年以降、統計上の
自殺者数は減少していることになっている。
同時に毎年の交通事故死者数も減っているこ
とになっているが、自賠責保険の支払い件数
がかなり増加しているのだ。確かに死者数の
減少には自動車メーカーの頑丈な製造技術も
あるだろうし、亡くならずに傷害事故で済ん
だのもあるだろう。医学が発達して、当時な
ら死んでいたはずが傷害で済んだり、24時
間を超えてから亡くなるケースもあるだろう

私は思うが、いずれにしても役所が発表する
統計上の数字は見かけ上の減少である可能性
があると疑っている。現場からの報告の仕方
を変えれば統計の数字も変わる。要は、政府
の各種政策が順調に行われていると言う情報
操作の意図も隠れていると思っている。

昨今は、診断名不明確及び原因不明の死亡が
増加している。勿論、私のように身寄りのい
ない人間も増え、いわゆる孤独死というのが
主流になりつつある日本で、今後、多死社会
で変死体が増えるのは必至だ。家族が居なけ
れば警察も遺族に報告義務は生じないし、役
所間の書類上のやり取りで済む。取扱い方に
差異が出るのもやむ得ない。たとえ自殺だろ
うが、仮に他殺が疑われたとしても、警察側
が外国の来賓警備や行事等で忙しかったりす
れば身寄りのない人間の死に方などいちいち
本気で調べる余裕はないだろう。これからは
身寄りがいるか・いないかで捜査に出せる人
員は調整される気がする。

横道に逸れたが、今の日本人には適正な民主
主義の実現は難しいと思う。かと言って共産
主義や社会主義が日本人に合っているとも思
えない。いずれにしても、人が人を広く信用
出来ない世の中になっている。

最近、ユーチューブを観ていると、やたら投
資家による広告が入って来る。広告が盛んに
流されるのは目障りだが仕方ない面もある。
また、色々な人がユーチューバーとして活躍
しているが、彼らの武器は言葉の巧みさであ
る。その言葉を武器に何等かの目的を達成し
ようとしている。たとえばそれが各種資料や
独自の情報入手から得た洞察力で人々が誤っ
た方向に進まないよう警告を発している人も
いれば、いわゆる迷惑系ユーチューバーとし
て再生数ありきで収益を目的としている人も
いる。

だが、ユーチューバーの目的如何によっては
その行動は際限なく過激化していく運命だと
思っている。その動画配信を辞めることは、
自分の主義主張のみならず、居場所を失うこ
とになる。またユーチューブ等の動画配信を
起点とした政治的団体は、その視聴者の匿名
性から自由であり、リアルな人と人との心の
触れ合いよりも、個々の主観的理論が暴走拡
大して、破壊的要素として顕著になってしま
う危険がある。

不安定な社会からの主観的理論の暴走は、気
軽さ故の安易なコメント、無意味で単純な短
い目障りなコメントが散見され、発信者自身
がその流れる文字に困惑され、次第に気高き
精神は当初の目的がお手軽な無責任で愉しけ
れば良い、再生数が上がれば良いという感覚
に陥ることになる。更には、目的が本人の理
想と徐々に解離して行くのである。

その原因の一つが、民主主義である。その政
治的ネット番組はその本人が目的を持って行
動を起こし発信しているのだが、発信後の視
聴者の受け止め方は千差万別で民主主義に則
って自由に賛否として評価される。そして、
民主主義とは基本的に相互理解ではなく、き
っとある種の命令調の受信になりがちなのだ
ろうと思う。そこには一般常識も然ることな
がら、政治的規範さえも見失って行く。

同時に、同じ主義主張を一にする者同士で盛
り上がる限られた言論空間の為に、そこに相
互性は存在しない。寧ろ、相互性は排除の対
象にすらなる。また排除しなければ混乱を来
たし、方向性を失う。これも民主主義の命令
調の発信と受信の限界に他ならない。

その正体は空気感である。日本人特有の根拠
なき空気感だ。自由だからこそ不自由な結論
を民主主義は導き出して人を支配する。申し
訳ないが、自民党や公明党、維新や国民民主
党は国家を破壊し、立憲民主党や日本共産党
、れいわ新選組や社民党は国体(国柄)を破
壊する力が内在していると私は見ている。

従って、私はそれぞれの政党に賛同出来る部
分と否定する部分がそれぞれある為に、魅力
的な政治家がいたとしても、党員のような集
団に加入しないことにしている。右でもない
左でもない優柔不断な私のような人間が、政
治組織に入ったところで何の言論空間も用意
されることなく、寧ろ圧力を掛けられ村八分
と相成るだろうし、目障りだろう。

(都電と薔薇)

母が令和5年2月10日に逝去し、喪が明け
たので久しぶりに令和6年6月6日に靖國神
社に参拝した。

やはり、日本人は神社に行き、神様と対話し、
菩提寺や自宅の仏壇で世話になった人と対話
するのが基本だろうと思う。靖國神社という
のは、今、何とか日本が、或いは自身が生き
ていられるのは、かつて大東亜戦争で好むと
好まずに関わらず、戦地で戦って散って行っ
た多くの日本人や朝鮮籍の御霊があるお陰な
のだ。正に鎮魂の場所である。

よく、政治家が参拝して問題になっているが
、彼ら政治家には選挙という問題もあり、そ
の中には打算も含まれており一概には言えな
いが、一般の人が拝殿で心静かに二拝二拍手
一拝の礼を行うのは誠の姿だろうと思う。

(靖國神社神門と先に第二鳥居)

(靖國神社にある『さざれ石』)

(靖國神社神門、先に中門鳥居と拝殿)

私はこの日、改めて現在の日本の民主主義が
危機的状況に陥っているのではないかと感じ
た。今、英霊や私の先祖は何を思うだろうか
。勿論、この国において私は砂粒のような存
在であり、誰も読まないこの日記ブログで能
書きを言うに過ぎないのだが、きっと同じく
日本の行く末を案じていることだろう。

このことは、保守思想の立場からもリベラル
思想の立場からも民主主義の崩壊が起こって
いると察しているに違いない。たとえば移民
の問題だ。近頃で言えば改正入管法での技能
実習制度の廃止から育成就労の転換である。

この転換の目的は労働力不足の解消を狙った
もので、従来の技能実習制度では安価な労働
力の確保でしかなく、外国人を劣悪な環境で
酷使していた事実がある。そこで今回の育成
就労では2年以上で転職が認められると言う
のだ。

また、この育成就労でこれまでの特定技能1
号と同水準まで持っていき、更に特定技能2
号までになれば我が国で長期就労が可能とな
り永住資格が得られるという。基本的には、
永住資格は10年以上の在留、又は日本人と
結婚した配偶者、或いは高度な技能や知識を
有する人とされており、令和5年末で89万
人が永住資格を持つ。中国人が33万人、フ
ィリピン人が13万人となっている。

今回の改正によって、保守派は事実上の移民
政策であり、将来禍根を残すとして反対して
いる。私もそれに近い考え方である。一方の
リベラル派も反対している。その理由は永住
資格の取消制度が厳しくなるからという。具
体的には、
①税金や社会保険の滞納
②一定の罪で懲役刑(執行猶予含む)
③入管難民法違反

①〜③に該当すると、
●永住資格取消し→出国
●他の在留資格に変更→生活困難

特に①の滞納については行政の裁量に委ねら
れたり、特定の政党や宗教団体の影響下にあ
れば優遇されたりする可能性も否定出来ない
と私は思う。従って、人によって結果が異な
るのは問題となる。また、滞納は日本人同様
に延滞料の加算や差押えで良く、在留資格ま
で奪うのはどうか、との指摘もある。

いずれにしても、保守派からもリベラルから
も不評だと言える。それをやる意味は何か?
人手不足解消と言うのは建前ではないのか?
経済界からの要請と言うのは、確かにそうか
も知れない。そこには経団連と言う組織があ
るが、経団連の顧問には何故か財務省事務次
官経験者や外務省で米国大使館経験者が就い
ている。要は官僚のエリートである。日本人
の若者を育てるよりも安価な外国人を引続き
雇用して企業の利益を上げようとしていると
しか思えない。人手不足と言うが、昼間から
フラフラしている若者が最近目立つ。企業が
魅力あれば元気に明るく働く若者はいると私
は信じる。

また、人間は誰でも自分の居場所が必要であ
る。外国人には外国人同士が安心する。それ
は否定しないが、そこに独自のコミュニティ
ーなルールを内輪で決められると、日本人が
肩身の狭い想いをしたり、外国人に合わせた
ルーティンになってしまう。

職場に限らずに、町のルールにも影響してし
まうだろう。また、一度、ルールを決めたら
最後、再び元に戻すことは日本人には不可能
だ。そこの職場なり町は事実上、外国人の支
配下になる。

同時に、その町を中心として外国人地方参政
権を推進する政党が台頭すれば、次第にあら
ゆることが習慣化してしまう。私は強くそれ
を危惧している。同時にそれは外国人労働者
の増加を意味し、外国人同士の中での格差も
生じるだろう。

当然、男女がいれば愛し合いセックスもする
だろうし、子供も誕生する。その子供が異国
の地で幸せに暮らすには充実した教育である
。日本語を満足に話せない親が、子供を日本
の学校で学ばせるのは大変なこと。そうなれ
ば、母国語を話せる先生を採用するように議
員に働き掛けて法案を作ることになるし、あ
らゆる政策に発展する。その原資は日本人の
税金だ。それこそ実質賃金が上がらず、税負
担が毎年増加する日本人に、更なる負担は厳
しいと言わざる得ない。

途中で病気等で働けなくなった外国人はどう
するのか?現在、自治体の裁量で外国人に生
活保護を支給している自治体が多いが、実際
は憲法違反である。

昔、イラン・イラク戦争後に疲弊したイラン
人が大量に日本に出稼ぎに来て、彼らは手取
りで30〜40万円を貰っていた。殆ど3K
と呼ばれる肉体労働者だった。しかしリーマ
ン・ショック後、建設業も昔のように族議員
が力を失い、業界は下請け・孫請け会社が安
価で外国人を働かせている。次第に、生活出
来なくなった外国人は違法テレホンカードや
覚醒剤の販売をして逮捕されるようになった
。その後、警察も不法入国や不法残留に厳し
くなるばかりか、稼げなくなった外国人は生
活保護を受給するようになる。肉体労働なら
まだしも、日本語が話せない外国人が多くの
業界で働くのは難しい。

外国人への生活保護支給の根拠は、昭和29
年5月の厚生省の通知で、当分の間、特別永
住者等外国人へも準用との通達によるものだ
。そして、そもそも生活保護法は、生活に困
窮している日本国民を対象にしているはずだ
が、多くの自治体で生活に困窮する外国人に
対しても人道上の観点から、日本国民に準じ
た取扱いをするように通達がされた。これが
令和6年6月の現在も続いているのだ。そこ
から分かるように、日本人は人道的という言
葉に弱い。特に外国人に対しては波風を立て
ると厄介だと言うことことで、次から次へと
外国人に生活保護を人道的立場から支給して
いる。一方で、生活保護を必要とする国民に
対しては細々した要件を設け、福祉事務所か
ら嫌味を言われて気力を失くし、やがて電気
もガスも止められ、遂には水道も止められて
餓死した日本人のニュースが最近よく耳にす
る。要は、行政を司る人間が主張すべき相手
に何も言わず、良い人を演じて、本来救うべ
き人を見殺しにしているのである。

このことは役人だけでなく、政治家も殆ど同
じ傾向だ。救うべきは国民である。しかし、
今、議員バッジを付けて偽善を語っているの
は、民主主義で選ばれた人間たちである。民
主主義だから、政治家だけが悪いのではなく
、何となく有名人であるし、顔も良いし、テ
レビにも出てるから信用がありそうだ。とい
う雰囲気、空気感で選んでいる。要は国民の
責任が大きい。その国民が選んだ政治家が、
国民を苦しめている。しかし、自分が選んだ
政治家がそんな悪いことをする訳がないと思
い、見たくないもの、信じたくないものを否
定し続ける。その結果がこの始末だ。

話しを戻すと、外国人に厳しくなったのは警
察だけではなく、一般国民も次第に厳しい眼
を向けるようになった。それが埼玉県川口市
のクルド人問題である。クルド人というのは
中東のトルコやシリア、イラン、イラクにま
たがって居住している人々で、トルコからの
難民もいる。また今戦時中のイスラエルにも
20万人が暮らし、ロシアには40〜50万
人が住んでいると言う。日本には2500人
程度だと言われている。クルド人という国籍
はないので概ねトルコの国籍となる。

クルド人の歴史的背景は難しいが、要は第一
次世界大戦後、オスマン帝国が崩壊して、国
境が欧米によって分断されたことに始まる。
こうして、シリア、イラク、イラン、トルコ
等に組み込まれた彼らは従前から住んでいる
住民から激しい弾圧を受け、それがきっかけ
となり、世界のあちこちに離散していったの
だ。我が国には1990年代からクルド人が
入国するようになり、パスポートの国籍はト
ルコなので、トルコ国籍のうち、クルド人が
誰なのか正確には分からない。

そうした彼らの集団が地域のルールを無視し
てゴミ出しや騒音、挨拶もしない等、不良行
為を繰返しているという。しかし、彼らのう
ち不法残留(オーバーステイ)という在留期
間切れの者や不法在留という入国自体が違法
だった者がどの程度いるのか不明である。

ただ、クルド人の福祉的な意味合いを持つク
ルド人協会もあり、日本人とのコミュニケー
ションを図って、地域パトロール等のボラン
ティア活動も実施している。私自身、埼玉県
川口市民ではないし、蕨駅周辺に住んでいる
訳でもないので実際にどの程度の苦情があり
、被害が発生しているのか?また、苦情があ
ったとしても『クルド人』という民族に特化
した事象なのか定かでもない。大体、苦情が
集まる場所としたら警察か不動産屋である。
しかし、ゴミ問題にしても、騒音苦情にして
も、それ以上の不穏当な何かが各別に発生し
たということも聞かない。

そうすると、本件のネット騒動は多少、事実
と異なるのではないか。こうした外国人が絡
む問題に政治的な背景があったりする。そも
そもクルド人を弾圧したのがトルコ政府であ
る。このトルコ政府が何等かの影響を与えて
いると私は見ている。この川口市のクルド人
問題というのは、クルド人と川口市民の問題
ではなく、クルド人とトルコ政府の問題だろ
うと思う。最近、米政府はトルコにF16戦
闘機を売却したりして良好な関係である。そ
れは現在、ロシアとウクライナの戦闘により
、トルコがスウェーデンのNATOへの加盟
を許したのだ。見返りに40機売ったのだ。

これを期にトルコは米国との関係を強化して
おきたい。しかし、トルコの公正発展党のエ
ルドアン大統領とクルド人が支援していた政
党は異なっており、エルドアン大統領とした
ら、トルコ人ではないクルド人は面倒な存在
なのだ。

日本でスパイ活動をしている外国の中で、ト
ルコも入っているらしい。彼らが川口市のク
ルド人を悪者にして、クルド人を排除しよう
と思えば、日本のいわゆる保守層の心に響く
言葉を一滴落とせば、それが水面のように波
紋となって日本全国の保守層に広がるのだ。

当然、保守層の中には警察官もいるだろう。
必要以上の職務質問で外国人の人権を侵害し
てしまう可能性も否定出来ない。しかし、不
良外国人も紛れているのだから徹底した職務
質問は不可欠であるが、公安や外事警察官で
無ければキチンとした判断は難しいだろう。

こうしたことを踏まえると、我が国にこれ以
上に外国人を入国させることは国民を分断さ
せることに繋がると私は思う。日本人は残念
ながら情報の多くを既存のマスメディアから
入手し、その番組構成に則った言論から世間
が醸成されたり、また偏ったネット番組から
個人の深層心理が醸成されるのである。

そもそもテレビや新聞というマスメディアは
、GHQという組織が戦後の新しい日本の民
主主義を形成する為に作ったものである。し
かも日本のマスメディアは、クロスオーナー
シップ制度によってテレビ局と新聞社がリン
クしている。しかしGHQの旗本である米国
では言論の自由を確保する為にクロスオーナ
ーシップ制度を禁止している。

そればかりか、日本ではテレビ局の生命線で
ある電波が政府、総務大臣が握っているのだ
。総務大臣というよりかは、総務省の役人と
いうのが正しい。従って、テレビ局は他の省
庁の不正は辛うじて報道出来たとしても総務
省の情報には手をつけられないだろう。

それでは新聞社の正義に期待したいと思って
も、残念ながら新聞社はテレビ局の主要株主
であり、相互に不利益になるシステムなのだ
から難しい。出せる情報と出せない情報、出
したくない情報、出せと命令される情報があ
ると見ている。こうした事情もあってマスコ
ミの人々には口止め料としてなのか分からな
いが、高い給料が支払われている。

こうした中で本当の民主主義が日本人に、否
、少なくとも私のような学歴も教養もない人
間にはその是非は判断出来ないのだ。同時に
、今、マスメディアやネットから現れている
政治的リーダーにも私は些か懐疑的である。
こんな時代だから、発信力のあるリーダーを
求めたい気持ちもあるが、それは日本人の依
存体質からの思考のような気がして、私の心
を躊躇させてしまうのだ。部分的には合点し
ても、全体として不幸に国民を導いてしまう
気がするのだ。

政治的リーダーが誰であれ、日本の政治シス
テムは変わらない。自民党から民主党に変わ
った時、財務省の緊縮財政は加速し、消費税
が上がったのは記憶に新しい。反省をした自
民党と公明党だったが、再び政権を担うも、
更に国民生活は悪化した。残念ながら、今の
同じ顔ぶれでは言葉こそ飾っているが、政治
家を何期やっても時間だけが過ぎ去るだけで
彼らの議員報酬が積まれ、国民は命を削られ
るだけというのが現実だろう。その絶望の中
で、小さな幸せを見つける勇気が必要かも知
れない。人間には限られた時間しか生きられ
ないのだ。

本物の政治家がいるとするなら、他党の裏金
がどうのこうのよりも、不倫の追及で質疑の
時間を費やすよりも、何度も何度も、外交ル
ートを使うなり、自ら大使館等に行ったり、
渡航したりして外国と折衝する勇気が必要だ
と思う。特に、国会議員を何期もやっている
ベテラン議員がワイドショーのようなことを
繰り返していれば、国民も次第に国会をワイ
ドショーと見なし、それを求める。当然、視
聴率を取るような質疑になる。カッコ良い男
性議員、美人の女性議員なら注目も浴びる。
あの議員なら、こんな刺激的な質疑で岸田を
追及してくれるだろうと期待する。勿論、岸
田政権は国家、国民を叩き落としてしまった
が、そもそもこの国には口が達者な議員はい
るが、国益に適う本物の議員はいない。

(靖國神社の支柱)

最早、日本は先ず日本人の心から破壊されて
行く気がする。たった十年ちょっと生きただ
けの若者が絶望して死んで行く国。かつて、
大東亜戦争で国家存続や家族の未来を信じて
散った命とは異なるが、現代は経済戦争、精
神戦争とも言える。昔も今も米国や中国から
圧力を掛けられている。米国と言っても、米
国の一般人も経済的被害者である。何故なら
ば、米国政府を動かしているのは大統領では
なく、米ドル紙幣の発行権を有する金融企業
家たちである。従って、どうしても金儲けに
偏ってしまう。金儲けの為なら戦争も仕掛け
るだろうし、公衆衛生的なテロも仕掛けるだ
ろう。

(靖國神社の桜の開花木)

人間社会というのは残酷なものだ。出来るな
ら、二度と人間に生まれ変わりたくないもの
だ。こうした喧騒な心からそっと静かな精神
を取り戻す場所が神社や菩提寺である。

神社や菩提寺、総本山、大本山は過去、現在
、未来を一つに結ぶ拠点である。私はそう確
信している。かと言って、私自身は身寄りも
ないので、この世から消えればその骨はホー
ムレスのような人々とごちゃ混ぜに合祀され
るだろう。私の骨はゴミ同然である。しかし
それで良いのだ。火葬したならば骨などゴミ
袋に入れて廃棄して結構だ。勿論、家族がい
る人なら大切に墓地に埋葬するのが鉄則だろ
うと思うが。

新しい人間が生まれれば、次第に古い人間は
忘れ去られるのが通常である。血の繋がりが
あっても、精々、祖父祖母くらいまでで、そ
の先は分からない。従って、今を生きている
人もいずれ完全に忘れ去られる運命にある。
寧ろ、名前が残る人というのは極限られた偉
人か、犯罪者だろう。しかし、せめて自分が
生きている間は、親や世話になった人、見知
らぬ英霊に手を合わせることは大事なことな
のではないか。

(文京区、護国寺)

(私の念珠)