江藤日記 -5ページ目

そして人となる  2013.7  NO6


沖縄修学旅行への想いー大宮北高校での実践ー (1)


  今日のNHK22:00からの「プロフェッショナル」に沖縄のバスガイド、崎原さんの話が出ていて、修学旅行生達の反応を見ていて、思わず涙が流れた。忘れられない思い出があるからだ。

 1968年から1972年まで、私は沖縄に行きつめた。特に1970年からは一か月二か月、八重山諸島の離島を転々としていた。そこでの多くの出会いが私の沖縄体験のかけがえのない原点となった。語り始めればきりがないほど、命の原点ともなったものだった。しかし1971年の返還協定調印、そして1972年5月の沖縄返還。その状況の中で、島人がみんな話していたことが「本土に還れることはうれしいが、大和は、本当にウチナンチューのことを考えてこれからやっていってくれるだろうか?」という言葉だった。返還協定の内容は、沖縄の人々の願いとはあまりにもかけ離れていた。あくまで本土の都合だけで返還を推進した政府に憤りがあった。そして同じ「大和の人間」として、それを阻止できなかったことが許せなかった。1972年5月以後、沖縄に行くことを断念した、行かないことにした。それまでのパスポート「渡航証明書」の時代にあれほど行ったのに、何も必要でなくなった瞬間から沖縄に行くことを拒否した。それでも、心はいつも沖縄に在った。沖縄の文化、人すべてが心を占めていた。街を歩いている時に、ラジオでテレビで三線が流れただけで、心はあの八重山の海と空になびいていた。

 沖縄にいけない、行かないと決めて20年が過ぎた。1995年(?およそ)以後、埼玉県教育員会が修学旅行で飛行機の利用を許可した。その瞬間、生徒たちを沖縄に連れて行きたいという思いが膨れ上がった。沖縄の真実、沖縄の文化、そして沖縄から見た本土がどう見えるのかを、高校生に見せたかった。きっとそれは、自分を見つめ直す大きな視点になることを確信していたからだ。

 私が担任となって修学旅行先を決定できるまで少し時間があった。でもそれは逆に沖縄修学旅行の夢をはぐくむ時間として有効だった。沖縄修学旅行解禁から2年がたった。埼玉県の多くの高校が沖縄修学旅行に出かけていく状況になった。でも私にはその内容が不満だった。修学旅行の前半に南部の沖縄戦跡を巡り、それで「平和教育」とし、そしてそれで終わりだった「平和教育」を続ければいいのではない。もっと大事なものがある。それは沖縄の人々の心、沖縄の人々の素顔の顔と出会うことこそが必要だと思っていた。南部戦跡で行われる「平和教育」で終わってしまったなら、本土の高校生は、それは単なる一つの記憶になってしまう。本土に帰っても、沖縄のことに触れると、具体的な顔が浮かぶ関係を作ることが必要だと確信していたのだ。

それを実現したかった。それは、私が青年期に体験したことが原点だった。きっと、もしそれが実現できれば、生徒たちは単に「沖縄」「戦争」「平和」だけでなく、人間が生きていく中で、何が大切かを私と同じように気づくに違いないと思ったのだ。  長くなるので、今日はここまで。  続く  



・・・そして人となる.2013.7.17 no5

  東日本大震災の被災地・岩手県宮古市の子ども達へ花火を!

 昨年8月、宮古市の崎山仮設と宮古市のマリンパークで花火大会を開きました。子どもたちは本当に喜び、大人も喜んでくれました。8月の花火は、亡くなった人々への鎮魂の意味があります。亡くなった人々と想いを共有する、盆踊りなどと同じ性格のものです。夜空に上がった美しい花火を見て亡くなった人を想い、手元に広がる美しい花火を見ながら、大切な人を思うことができるのです。

 6月に宮古に行ったとき、また花火大会できればやりたいと語ると、ぜひともお願いしますという言葉が返ってきました。それで決断しました。今年もやることを。そのためには資金が必要です。昨年は約8万円かかりました。その大部分はアメリカニューヨークのピアノバーを経営する日本人の方が、お客と一緒に集めたものを使いました。今回は私たちの力で集める必要があります。皆さんの協力をお願いします。

花火大会支援コンサート

8月3日午後12時開場 13時開演~15時  

料金2000円 (軽食お茶付)

場所 浦和駅西口徒歩五分 会場 日本メロディック(埼玉浴場協会ビル4階)

内容 パンフルート演奏 津軽三味線 楽しいリンパ体操 その他友情出演あり

「花火」

夜空に上がる打ち上げ花火は

亡くなったみんなのために

手元の花火は

友達のために

手に持つ線香花火は

私のお母さんお父さん

そして弟のために

だから

・・・

花火をしたいのです


ぜひともご参加ください。申し込み・問い合わせ 

江藤 09018090993 email pan-f@ezweb.ne.jp


江藤日記

江藤日記

江藤日記

江藤日記

江藤日記


木浦大学おじさん留学記 日本にて 森のコンサート


江藤日記

江藤日記
5月3日の四時頃から長野県東御市にある里山のコンサートに出かけた。10年前に里山保全活動を大宮北高校生の一年生がHR合宿で行った場所だ。その後7年間ほど継続して一年生が枝打ちや下草刈りを行った。現地で真剣に森の保全活動をしている方の名前は森勝さん森昌子さん。15年ほど前に初めて二人に出会い、その考え方生き方に強くひかれた。もともと埼玉で里山保全活動にかかわっていたこともあったので、ぜひとも北高生徒達に環境問題を考えてもらいたいという思いで始めたのが最初だった。実際に作業した高...





江藤日記




 4日のコンサートは最高だった。障害者の太鼓演奏やプロの声楽家まで、幅の広い音楽がさわやかな新緑の森にこだました。その後、10年前に卒業生が枝打ちし、下刈りした四季の森に出かけた。本当に美しい森だ。二人もだんだんと記憶がよみがえってきたようだった。記念写真を一枚撮った。森さんと一緒の写真は、ブチ君が半身しか撮れてなかった!ごめんよ!でも、北高生徒が汗して整備した他の森も含めて、きれいだった。歩きながら、「あそこも、ここも、北高の生徒さんが汗を流してくれたところだよ!」と森さんが話してくれたが、そこはみんな、枝打と下草刈りの結果きれいな森となっていた。地元の人がみんな感謝していた。卒業生のみんな、いつか、行って見てほしい。あの時の森がどんなになっているかを。新緑の森をわたる風を受けながら、心豊かな時間をもった。やはり、自然、人、そしておいしいお酒と音楽。これが最高だね!

校生は、あまりその活動の意義は理解できなかったかもしれないが、いつかはわかる時が来ればよいと考えていた。今回その場所近くで森を守るコンサートをするのでぜひとも参加してほしいと森さんからの誘いがあった。それなら、実際に作業をした卒業生が一人でも来てくれればと思い声をかけたら、二人の卒業生が参加してくれた。前日の7時ほどに森に到着。すでに来ていた関係者と合流、二人以外はみんな60代以上。彼らも最初はかなり緊張したと思うけど、「おじさんたち」の音楽と地球と人間を愛する熱い思いと陽気さに、酒も手伝って一体化した。ビールにウイスキー・焼酎と飲みほし、夜中の2時過ぎまでギター・パンフルート、ピアノのセッションで盛り上がった。二人ともギターやピアノで自己表現して、喝采を受けた。本当に楽しい前夜祭だった。

モッポ大学オジサン留学記 追加 2013.4.18 国際貢献の在り方


木浦だより2
木浦大学に現在日本人が5人います。四人は交換留学jの生徒達でした。初めて会うのですが、彼女たちの先輩がみんな私を知っているので、間接的に知っていることになります。一緒に食事をしたのですが、話の中で、木浦に留学することが決まってから、ネットで検索して偶然私の留学日記のブログを呼んだということです。これは驚きました。
木浦大学の留学生の日記はわずかですから、当然なんだけどね。
 もう一人、中米の国に28歳から「海外青年隊」で現地の農業支援に出かけ、その後そのまま58...歳まで住んでいるという男性です。JAIKAの活動を支えているようです。でも内戦の厳しい時からずっとがんばっているそんな人がいることに感動しました。昨年、木浦大学に彼が留学の情報をほしいとメールしたら、事務のほうから日本人だから私が連絡してほしいということになったので、昨年から知っていたわけです。それと帰国する時に私が使っていた電気器具を彼が使えるようにしていました。彼の活動は、現地の貧しい農民が少しでも豊かになれるように、現地にあった工夫をすることを目指していました。たとえば、現地には水がなく乾季には作物が取れないが、井戸の工夫でできるように実現していました。また現金収入のために古代からマヤ文化で知られていた針なしミツバチの養蜂を実現し地元の農民と一緒に技術を作り上げ、人材を育成しているのです。
大きなお金で、大規模工事をしたり電気のないところにモーターや機械をつぎ込む開発支援ではない、こうした支援こそが世界が必要とていることだと思います。もっと日本はこうした支援にこそ、有効にお金を使うべきです。改めて、今の日本の国際支援の方向が自衛隊の派遣や、ODAで巨大な開発支援などでない、現地の実情にあったものにするべきです。

江藤日記
江藤日記

江藤日記

モッポ大学オジサン留学記 その後2013.4

今、韓国の木浦に来て、ギタリストの家に泊まり込んでいるところです。
留学中にであった素晴らしい人たちと旧交をあたためています。
ついたその日に熱烈な歓迎。一度行ったことがある「土然窯」という
山の中にある窯に皆が集まってくれました。
窯主が韓国茶の作法でお茶をたて、それを飲む。本当に自然があふれる
空間と人々の想いを茶に溶かして静かに時間が過ぎました。。
...
やがて、手作りのおいしい料理が出て、地元のマッコリ(マッコリは各地域で味が違う)を飲みながら話が弾みました。ミュージシャンが4人もいるので、音楽会に当然なり、普段は粘土をいじり器を作る場所が、音楽会場になりました。いつの間にか11時近くになっていました。本当に楽しい時間をいただきました。


江藤日記

江藤日記

江藤日記

江藤日記

江藤日記