江藤日記 -6ページ目

モッポ大学おじさん留学記

岩手県山田町山田湾
江藤日記
海が輝いている

771人の命を飲みこんだ山田湾が

美しく荘厳に輝いている

この海を見ながら

この海に生き

この海で死んだ人々の

慟哭と絶望と怒りと全てを飲みこんで

きらきらと美しく輝いている


そのあまりの腹立たしさに

そのあまりの残酷さに

そして

そのあまりの美しさに

私は絶句する


海よ

どうしてあなたはそうなのですかと

問うてみても

静かに

きらきらと輝くだけのあなたが

そこに

いるだけだった



モッポ大学おじさん留学記(現在日本滞在中)

乾かぬ涙を!         (私的オープンレター)

御無沙汰しております。この文書は、江藤の友人に送っています。

3.11以後、「絆」という文字が流行語のように溢れました。もちろんこの言葉が果たした役割も大きかったのですが、でも私はこの情緒的で一方的な言葉が最初から嫌いでした。

「絆」の語源は飼い主が馬や犬などを繋ぎとめる紐・綱から出たもの。一体、誰が誰に綱を付けると言うのだろうか!人間が動物を家畜にした瞬間から飼い主は最後まで責任を取らねばならない。「絆を付ける」とは、付ける側の責任の所在があることが意識されている。でもそこから切っても切れぬ深い関係という意味が生まれ、主従関係などの人間関係にも使われるようになった。そもそも「絆」という文字を選んだのは被災者ではない。被災しなかった側の人間が選び、好み使ったのだ。「絆」という情緒的な言葉に溺れ、涙を流し、それで自己充足する危うさが初めからそこには潜んでいた。あの、全てが焼きつくされ流された被災の現場を前にして、被災者にとって必要なものは、今生きて行くために、これから生きて行くための具体的な援助であり長期的な支援だ。短期的な慰めの言葉ではないのだから。もうすぐ二年目になろうとするのに、継続して被災地を見ていると、何も進展せず、むしろ困難が更に拡大さえしている。なぜなのか!

この秋、被災地は秋祭りを行っていた。ペンペン草が生えている被災市街地のなかを、それでも必死に願いを込めて人々は神輿を担いでいた。そのひたむきな願いに、被災していない私達はどれだけ応えているのだろうかと、思わざるを得なかった。しかし、あの大好きな「絆」を喧伝し、涙を流した人達は、絆の綱の一端を最後まで持つという責任を、もう放り投げているような感がある。

他者に流した涙はすぐ乾く。今必要なのは、絆という言葉ではない。乾かぬ涙を自らの心の内に流し続けるための、ささやかな行動だけが必要なのだと思う。3.11を生き抜いた人々の命を絶対に守らねばならない!それが無念にも亡くなった人々の命に対する責任だと私は考えている。その想いで、仮設住宅の高齢者に誕生日の花籠をこれまで贈って来た。これからは更に継続して誕生日の手紙を、より多くの人に贈り続けたい。一人ではない、遠く埼玉県で、被災者にすこしでも寄り添いたいと願っている人々、苦難を少しでも分かち合いたいと考える人々がいることのメッセージを、伝えたいのです。被災者が孤独感に陥り自殺するという、さらなる悲劇をくいとめる力になるからです。

誰でもが、できることを継続してやって行きませんか!あなたの少しの時間を割きませんか、被災者の姿を想いながら、一緒に手紙を書きませんか!

活動日   毎月偶数月(2.4.6.8.10.12)は第1週の木・奇数月(1.3.5.7.9.11)は第1週の金曜です。

活動場所  浦和駅東口 パルコ9階 市民活動広場 コムナーレです。

活動時間  午後6時~8時まで作業 一時間でもかまいません。

モッポ大学おじさん留学記348

2013年1月、あけましておめでとうございます。

今日は1月9日です。随分、ブログをご無沙汰しました。

この一カ月、本当は書ききれないほどの行動がありました。でも、日本での活動なので、つい遠慮してしまいました。モッポ大学はとりあえず終了しましたが、

今後も、モッポとは関わり続けますので、題名はそのままにしておきます。

江藤日記として読んでください。


 年賀状に以下の記事を書きました。まずはこれを掲載して挨拶にします。


風の記憶 no27  20131

 昨年9月、2010.9月からの韓国モッポ大学留学を終了し帰国しました。しかし大震災があったので被災者支援のボランティア団体「宮北会」の立ち上げと活動で、実質は1年半程度。でも、モッポでの大学生活は、「二度目の青春」と言っても過言ではない素晴らしい出会いと発見の連続でした。改めて、民族や国家を越えて人は理解しあえることを確信した時間でもあります。こんな時間を与えてくれた家族と友人たちに心から感謝です。ここで得た韓国の友人知人、歴史の事実をさらに生かしていきたいと思っています。

この1224日から26日まで岩手県宮古市・山田町の被災地に入り「宮北会」14回目の活動を展開してきました。何も進展しない被災地、むしろより厳しい現実が現れようとさえしている姿を、新たなこの国の為政者達は見ようとはしないようだ。一人暮らしをしている高齢者、生き残った被災者を独居死に追い詰めてはならない。それが私達の責任だと思っています。継続した支援の必要性を痛感しています!

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「宮北会」では、被災高齢者に誕生日プレゼントを送る活動をしています。誰でも参加できます。場所 浦和パルコ9階 市民活動センター

作業日―奇数月は第一週の金曜  偶数月は第二週の木曜

14日金午後6時より 27日木午後6時より

222日(金)7時 被災地は今! 報告の集い

    さいたま市民会館浦和コンサート室。

ゲスト 山田町障がい者施設在園 詩人佐藤啓子

 佐藤さんの「海をうらまない」という素敵な詩を聞いて下さい。前に向かって生きる姿を皆と共有したいです。


モッポ大学おじさん留学記347  民間での国際友好こそが大切

しばらくこのブログを書く余裕がありませんでした。

モッポを後にしたのが8月末、それから沖縄・岩手県宮古と動きまわり、11月に入ると、私が実行委員長をしている川越唐人揃い・多文化共生国際友好パレードの準備で忙しく過ごしました。

江藤日記

 そんなことで、本当にこのブログを書く余裕がありませんでした。いつも読んでくれている皆さんには本当に申し訳なく思っています。

それにしても、書くことが余りに多すぎて、逆に書ききれないほどです。でも、幾つかのことは報告も兼ねて書いておきましょう。

江藤日記

川越唐人揃い 国際友好パレードが11月11日に2万名の人をあ
つめて、大成功しました。国と国ではなく、市民と市民が 直接交
流することが、一番大切なことだと思います。
江藤日記

日韓関係、日中関係がこんなときだから、大切にしたいものです。



江藤日記

モッポ大学おじさん留学記346  沖縄と東北被災地を結ぶ旅8

   沖縄読谷FMと岩手県宮古市災害FMがつながった!
江藤日記

  沖縄読谷で、読谷FMに出演した時に、宮古災害FMと関係が深いことを聞いて、必ず宮古災害FMを訪ね、沖縄の宮古島の島人達の支援の想いと活動を伝えたかったからです。宮古市での災害支援でお世話になっている橋本議員に災害FMのことを聞くと、「江藤さん、あれは、私が作ったんですよ」「え?そうなんですか?」「はい!災害時にFMが必要だと言う事で立ち上げたんですよ!行くのなら、私が電話しておきますよ」、思いがけない話でした。こうしてすぐ行くことが出来ました。

江藤日記

 駅前に近いビルの一角に宮古災害FMがありました。局長の佐藤さんを訪問すると、とても喜んで迎えてくれました。宮古島での活動などを話したり、これまでの宮古市や山田町の支援活動の実際などを話していると、急に「江藤さん、今からすぐにON AIRしましょう!」と声を掛けました。まったく突然の話ですが、多くの人々に伝えることが出来るならこれほど嬉しいことはありません。

 部屋の放送室の一角にマイクがあり、そこで一人の女性アナウンサーが放送していました。そしてそれが終わると、私はマイクの前に座りスタンバイ。手に寄る合図で、「今日は、埼玉県からお客さんが来ています。災害ボランティア宮北会の代表の江藤善章さんです・・・」宮古災害FM放送局から、宮古市内にON AIRの瞬間でした。とても楽しい時間でした。

江藤日記

  右が近田さんです。

途中から、DJの近田さんが参加してきました。さすが彼は、慣れたものでした。何しろ、埼玉の有名なFM795ナックファイブの音楽番組のDJをやっていましたから。ますます賑やかな雰囲気になり、三人のトークになりました。いろんな話をしながら、沖縄のことや、今必要なことなどを話していきました。こうして、沖縄と岩手県が繋がったのでした。