手からはじまる『手医』物語~手枷(てかせ)、手ほどき~
その手医の名前は、安倍吽馬易(あべのうんめい)という。
手医とは手にまつわる、いろいろな身体の不具合の専門家のことです。
足医(足病医)という足にまつわる、いろいろな身体の専門家がいることは知っている方もいらっしゃるかもしれません。
馬医という馬にまつわるいろいろな馬の専門家がいたことは知っているかもしれません。
実は、手に関しても同じような専門家がいることを知っていますか?
その専門家が呼ばれている通称、それが、『手医』、この物語の主人公であります。
(注:この物語はフィクションであり、名称、その他、すべて架空の人物、物、場所であります。)
「手枷(てかせ)、手ほどき」
吽馬易(ウンメイ)の独り言を、先日、不意に聞いてしまった。
どんな内容かというと、
「私と出逢ってしまったことは、もしかしたら、手枷(てかせ)になっているかもしれない。」
というような内容だった。
盗み聞きするつもりはなかったのだが、
不意に聞いてしまった弟子の山下(仮名)が、
びっくりして、
吽馬易(ウンメイ)への信頼感が揺らいでしまっているようです。
吽馬易(ウンメイ)は、そのことを知っているのか、知らないのか?
全く、傍目(はため)には、図(はか)りかねるのですが、
吽馬易(ウンメイ)には、時々、深い意図があることが多い。
そこで、吽馬易(ウンメイ)に聞いてみることにした。
吽馬易(ウンメイ):「私が手枷(てかせ)になっているかもしれないといったことについて、知りたいのですね。」
私:「はい、とても気になっています。」
吽馬易(ウンメイ):「もしかして山下から聞いたのですか?」
いきなりの弟子(山下)の名前が出てきてびっくりして、返事につまりながら、
私:「えっ?!直接聞いたわけではないのですが、そんな話を耳にしたものでして・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「そうだったのですね。噂になっているのですか・・・。」
と、軽く笑みを浮かべながら、話す吽馬易(ウンメイ)。
私:「噂というほどではないかと・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「噂でもそうでなくても、まぁ、どっちでもいいですね。」
吽馬易(ウンメイ):「で、私が手枷(てかせ)になっているとはどういうことかでしたよね。」
吽馬易(ウンメイ):「それは、良くも悪くも、弟子(山下)が、私の基準に合わせようとしているところなんですよ。」
私:「先生の基準ですか?弟子って先生が絶対じゃないんですか?」
吽馬易(ウンメイ):「やはりそう思われていますか?弟子って云っても、私がなにかしらお伝えすることはあっても、私のコピーになれというつもりはないし、それどころか、それは、とても困ります。」
私:「吽馬易(ウンメイ)先生と同じようにできるようになることではないのですか?」
吽馬易(ウンメイ):「それは、違いますよ。私と同じようにできることは、絶対にないですし、それは、弟子たちの元々持っている才能をつぶすことになるんですよ。」
私:「吽馬易(ウンメイ)先生が、弟子の才能を潰しているということですか?」
私:「そんなことありえない。と思うのですが・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「そうだといいんですけどね。私のようになろうとして、意思決定をしたり、行動したりしてほしくないんですよね。」
私:「それで、手枷(てかせ)になっていると云われたのですね。」
吽馬易(ウンメイ):「まぁ、そんなところです。」
私:「弟子って、先生のようになりたくて弟子になるのではないですか?」
吽馬易(ウンメイ):「だから、あまり弟子をとりたくないんですよね。」
私:「たしかに、吽馬易(ウンメイ)先生はほとんど弟子っていないですね。」
私:「何故、弟子を育てないのか、それも気になっていました。」
吽馬易(ウンメイ):「それは、弟子を育てるっていうことは、どういうことかというとですね。『出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)』という諺を知ってます?」
私:「聞いたことあります。確か、中国の故事にあったような・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「そうですね。中国戦国時代の思想家である荀子(じゅんし)の教えのひとつ。荀子の思想書『歓学』には、『学はもって已(や)むべからず。青は之を藍(あい)より取りて藍よりも青し』という言葉があるんです。」
私:「荀子、ちょっと待ってください。」
スマホを取り出して、調べてみました。
口語訳は「学問に終わりはなく怠ってはならない。青は藍から取って藍よりも青い。」、
吽馬易(ウンメイ):「スマホって便利ですね。そうですね。ここには弟子と師匠の関係については一言も述べていないのですが、そこから『出藍』が取り出され、転じて師より弟子の方が優れていることを称えるときに用いられるようになったようです。」
私:「やっぱり吽馬易(ウンメイ)先生とお話していると勉強になります。」
吽馬易(ウンメイ):「何かしらお役に立てたら嬉しいですね。」
私:「で、それと手枷(てかせ)がどんな繋がりが・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「弟子は、師匠を追い越すこと。その為にいろいろなことを教えたり、伝えたりするのが、師と呼ばれる者の役割かと思っています。」
私:「吽馬易(ウンメイ)先生らしいというか・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「その役割が弟子(山下)にとって、私は出来ていないのではないか?私が居ることで、逆に手枷(てかせ)になってしまって、成長を妨げてしまっているのではないか?私の教えや考えが絶対になってしまっているとしたら、どうしたものかと思って、意図的に、聞こえるようにぼそっとしゃべっていたんですよ。」
吽馬易(ウンメイ):「少しでも、私を絶対的に信用する思考が揺らいでもらったのであれば、ありがたいですね。」
私:「手枷(てかせ)を外す、手ほどき、って感じですね。」
吽馬易(ウンメイ):「手ほどき、ですか、そんな偉そうなことは云えませんが、云い得て妙ですね。」
私:「吽馬易(ウンメイ)先生にそう言ってもらえると、嬉しいですね。」
吽馬易(ウンメイ):「こちらこそです。」
「手枷(てかせ)、手ほどき」
一見、
手ほどきをしているように見えて、
長い目で見ると、
大きな見えない手枷(てかせ)になってしまっている。
その逆もしかり、
手枷(てかせ)をはめられて、身動き取れないようにされてたようで、
実は、
長い目で見ると、
今までのやり方、考え方を壊して、
新しい考え方、やり方を創造するきっかけだったりするかもしれません。
それは、手ほどきしていると云えるかもしれません。
吽馬易(ウンメイ)の教えは、
じわじわと
私の人生の中で、
振り返ると手ほどきしてくれていたと
思えることが多いと改めて感じた
エピソードでした。
(この物語は、すべてフィクションです。登場する人物、その他、すべて架空のものです。ただし、内容に関する記述については、できる限り、実際に経験したエピソードを元にした内容でおります。)
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