手からはじまる『手医』物語~手は口ほどに物云う~
その手医の名前は、安倍吽馬易(あべのうんめい)という。
手医とは手にまつわる、いろいろな身体の不具合の専門家のことです。
足医(足病医)という足にまつわる、いろいろな身体の専門家がいることは知っている方もいらっしゃるかもしれません。
馬医という馬にまつわるいろいろな馬の専門家がいたことは知っているかもしれません。
実は、手に関しても同じような専門家がいることを知っていますか?
その専門家が呼ばれている通称、それが、『手医』、この物語の主人公であります。
(注:この物語はフィクションであり、名称、その他、すべて架空の人物、物、場所であります。)
「手は口ほどに物云う」
なにかしら、フレーズが違うような気がするのだが、・・・。
吽馬易(ウンメイ)、自信満々に何度も云っているので、
そのような諺(ことわざ)が、あるのだろうと、思ってしまうくらいです。
吽馬易(ウンメイ)の造語です。
本来は、「目は口ほどに物を云う」だったはず。
[ここから、吽馬易(ウンメイ)と弟子の山田(仮名)とのやり取り]
吽馬易(ウンメイ):「目だけじゃない、手だって、口ほどに物云うんですよ。」
弟子(山田):「確かに手のジェスチャーで、何か伝わることあるってききます。」
吽馬易(ウンメイ):[身振り、手振り、だけじゃない。マイクロジェスチャーってあるんですよ。」
弟子(山田):「マイクロジェスチャー?!マイクロ?」
吽馬易(ウンメイ):「心理学的な用語なんですが、簡単に云うと非言語コミュニケーションなんです。」
弟子(山田):「非言語ですか?先生がよく云ってらっしゃる言語を使わないコミュニケーションのことですね。」
吽馬易(ウンメイ):「手の位置って、気にしたことあります?今、この瞬間、どんな風に手を置いてる?動かしてるかな?」
弟子(山田):「急に云われるとドキッとします。自分の手がどこにどんな形で置いてたのかすら意識していないですし、・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「指を動かしていたことも無意識ですよね。無意識で行っている仕草、手に現れる動き、指あそびもそうですし、知らぬ間にどこかを触っていたり・・・。」
弟子(山田):「子供の頃、よく人の話を聴いている時に指あそびするなって怒られてました。」
吽馬易(ウンメイ):「よく指うごかしてますよね。そんな時、話をちゃんと聞いてないですけどね。」
弟子(山田):「ちゃんと聴いてますよ。・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「今も指動かしてましたよね。」
弟子(山田):「指動いてました・・・。無意識で、動かしている。これがマイクロジェスチャーですか?」
吽馬易(ウンメイ):「う~ん、ちょっと違うんだけど、なだめ行動っていう場合もあるんですよ。」
弟子(山田):「なだめ行動?今日は聞きなれない言葉が多いです。」
吽馬易(ウンメイ):「聞きなれないって、ちゃんと知識を学んで貰わないと、いつまで経っても、成長しないですよ。」
弟子(山田):「ちゃんと学んでます。先生がいつも新しいことを話してくださるので、ついていくのがやっとですが・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「今、その手、どこにある?頭掻いてるよね。それ、なだめ行動の仕草のひとつなんだよね。」
弟子(山田):「あっ?!頭掻いてた・・・、なだめ行動ですか?」
吽馬易(ウンメイ):「なだめ行動って、自分の気持ちを無意識で落ち着かせようとする仕草のこと。」
弟子(山田):「なだめ行動って、もしかして、昔よく云っていた貧乏ゆすりもそうですか?」
吽馬易(ウンメイ):「貧乏ゆすり、懐かしいですね。最近、している方、あまり見かけないですね。なだめ行動といってもいいかもしれませんね。」
弟子(山田):「そういえば、自分で云っておいて、あれ、ですが、貧乏ゆすりしている人見かけないかもしれません。何故でしょう・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「何故だと思われるかなぁ?」
弟子(山田):「なぜか?貧乏じゃなくなった?」
吽馬易(ウンメイ):「ははは、面白いけど、たぶん違うと思うよ。」
弟子(山田):「う~ん、なだめ行動ってことだから、なだめ行動しなくてよくなったから?」
吽馬易(ウンメイ):「そうかもしれないですね。なだめ行動として、貧乏ゆすりをしなくてよくなった可能性高いですよね。代わりにどんななだめ行動をしていると思いますか?」
弟子(山田):「代わりにしている行動ですか?想像つかないです。」
吽馬易(ウンメイ):「もしかしたらですよ。私の考えですが、スマホとか関係するかもしれません。」
弟子(山田):「気づいたら、スマホ、観てますね。」
吽馬易(ウンメイ):「スマホを見ることで、なだめ行動をしなくていいかもしれないですね。なだめ行動って気持ちを落ち着かせたり、心理的不安やストレスを身体を動かす仕草で緩和させたり、隠したりして、防御する無意識の行動だと考えたら、スマホがもたらした依存性がそれらの代償行為となっているかもしれないですね。」
弟子(山田):「先生の考えっていつもびっくりします。」
吽馬易(ウンメイ):「私の仮説ですけどね。」
弟子(山田):「先生の仮説って当たるんですよね。」
吽馬易(ウンメイ):「今の手の位置、どこにある?」
弟子(山田):「あっ、油断してた、さっきとは違う手の形、指の形になっている。無意識ってヤバいです。」
吽馬易(ウンメイ):「手の自然な動きって難しいんです。役者さんが演技する時、手の位置って結構気にするんですよ。役を演じる時って意識的に動かすのですが、その役自体の姿勢や手の動きは自然じゃなきゃいけないんですよね。身振り、手振りも自然に動かしているように演じるわけです。」
弟子(山田):「身振り、手振り、手は口ほどに物云う、ですね。」
吽馬易(ウンメイ):「今、自分の手はどこにありますか?よく、指を鳴らす人っていますよね。鼻に手を当てる人、無意識で拳を握っている人、口元に触れる人、喉や首回りをさするように触れてしまう人、頭や髪の毛を触る人、指をさする人、・・・。」
弟子(山田):「どれもやっているような・・・。」
吽馬易(ウンメイ):「手の動きから、自分を俯瞰してみることができるかもしれないですね。自分を見つめるきっかけに、自分自身からの無意識の非言語コミュニケーション。」
(この物語は、すべてフィクションです。登場する人物、その他、すべて架空のものです。ただし、内容に関する記述については、できる限り、実際に経験したエピソードを元にした内容でおります。)
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