人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
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お笑いとして面白い企画なのだがコメント欄を眺めると、お笑いとして消化出来ずに、渡辺への非難とひょうろくへの同情が集まっていたのでマジレスしてみようと云うのが今回の趣旨である。

一連の流れからすれば渡辺がひょうろくに誤って外れ車券を渡してしまった、ところがひょうろくがそのことを言ってこない、渡辺は渡辺でいつ言ってくるのかなと思いつつ黙ったまま、換金期限が迫ってきたので換金・事務所社長でもある森田に相談、協議の上で当該企画実施となったわけである。結論から言うと一番悪いのはミスをそのまま流して問い合わせなかったひょうろく、次に悪いのが悪ノリして企画にした森田、渡辺は三番目に悪いと云うことになる。まずメインとなるひょうろくは後回しにして森田が二番目に悪い理由だが、森田が渡辺に「ちゃんとひょうろくに金を渡さなければダメだ」と指導すればよかったわけであり、しかしそうせずに悪ノリして企画にしてしまい、渡辺を糺す機会を得ながらそうしなかった、故に渡辺よりも森田の方が悪いと云うことになるわけである。

ミスをすることよりもそのミスを糺さない姿勢の方が問題になる、何故なら人はミスをするものだからである。したがってこのロジックを適用するので、一番悪いのはひょうろくと云うことにもなるわけである。しかし渡辺とて同じであろうと云うことにも当然なるわけだが、それはたまたま今回については渡辺が自分のミスに気付いたからそう言えるわけであり、渡辺がミスに気付かないままと云う状況も当然あり得るわけである。加えてそのミスによって損害を被るのは渡辺でなくひょうろくであるわけだから、ひょうろくがミスに気付いた時点で糺す行動に出なければならない。権利と云うものは主張し、行使してなんぼのものであると云う側面があり、黙ったが故に死蔵化した場合は黙った人間が悪いと云うのがこの世界の建付けでもある。誰かがどうにかしてくれると期待していたならばそれは甘いと云う話になる。渡辺は特段「いい人」ではないようだからスルーするが、ではひょうろくは本当にいい人なのか、愛があるのか。ミスを指摘せずに黙ったままでいることが善い事なのか。何故指摘できなかったか、それは波風が立つのが嫌だったから、つまり自己保身の為ではなかったか。

当該動画の中では別の芸人がいわば代理出頭のような形でひょうろくに対して「犯行」を自供し、金を返そうとするのだが、ひょうろくは煮え切らないような曖昧な態度に終始している。彼が本当にいい人であるなら、こんな態度はとらない。結論をどうするかは悩むにしてももっと相手に対する思いをきちんと言うことになる。それが真心、本心だからだ。だが彼はそれをしない、何故なら彼の本心は本当に相手のことを思ってはおらず、自己本位だからだ。別にそれは当然のことではある。盗られた金を返しに来たわけだから、別に金を受け取ればよいのだ。だが彼はそうしない。それは金に執着しているとか情けと云うものがないのかとか、そういうふうに見られるのが嫌だから(加えて自分自身がそういう「嫌」な人間であると自己認識するのが嫌、と云う面もあるだろう)、それ故に金を受け取りたいと云う本心を隠す、だが相手のことを思っているわけでもない、その結果として押し黙った状態が長く続くことになったわけである。

それは彼が・・・彼自身を納得させる為に別の理由を持つようにしているけれども・・・渡辺に対して換金出来なかったことを報告しなかった理由でもある。金に執着している小さな人間だと思われたくない、ミスを指摘する恰好となることによって渡辺の自分に対する心証が悪化するのが怖い・・・だから言えないわけである。売れっ子になってきて金に困っているわけでもなく、自分が悪く見られるかもしれないリスクとを天秤にかけた結果、黙ったままでいたわけである。彼は「代理出頭」芸人に対してレースで金額を倍にしようと云ったことを考えたわけだが、自分は本来得られた金を受け取れて相手も金を返さずに済む方法としてそう云う考えになる・・・これは現実逃避をした結果であり、結局彼の人の好さと云うものは自分を悪く思われないようにしたい、その為にも何とか軋轢は避けたい、それ故の現実逃避的態度の結果としての「いい人」であり、それは自己本位の結果としてのいい人状態であるからいい人風に見えるだけであり、真のいい人であるわけでないのだ。真のいい人であれば、罪の告白をしてくれて返してくれる意志を示してくれただけ十分であるとするか、もしくは相手のことを考えると曖昧にせずに罪を糺すことは重要であるから返済は受け入れるけれども一括だと苦しいのであれば少しずつ返済してくれて構わないとするか、そのどちらかであってまかり間違っても曖昧な態度に終始した挙句、賭けで2倍にしましょうかとはならないわけである。

何故、見た目からは余り差が分からない「真のいい人」と「似非いい人」を峻別する必要性があるのか。それは似非いい人が跋扈することは社会悪となるからである。

例えば今度の件で言えば、ひょうろくはミスをスルーし、金を受け取らなかった。罪の告白をして金を返却しようとした動きに対してもスルーし、受け取らなかった。そうすると今後どういうことになるのか・・・それはミスを指摘したり、金を受け取った人間に対して、細かいことにいちいち五月蠅い面倒な人間であるとか、金に執着している人間であるとか、情け容赦のない人間であるとか、そういうふうに見られかねない状況が生まれるわけだ。ひょうろくと比べてコイツはね・・・と云った具合に。自分の体面を異様に気にする「似非いい人」のせいで真っ当な権利主張をする人間が生き辛い社会になってしまう、そういった環境が醸成されてしまう以上、社会悪であると云う評価になるわけである。権利主張することを避けたり諦めたりして、第2第3の似非いい人になってしまうことにも繋がる。「いい人」であることを強要されるような状況に陥ることとなり、これは素晴らしく悪循環な結末である。余りにも権利主張が激しくなるとそれはそれで社会が機能不全に陥るものだが、基本的には死蔵化させずに権利主張を行うことが公正な社会の発展には不可欠なのである。したがってマジレスするのであれば、一番悪いのはひょうろくであり、渡辺ではないことになるわけである。このようなひょうろくの態度を称賛することは生き辛い社会を醸成することに加担する行為であり、廻り回って称賛の陰でひょうろく自身をも生き辛くする結果となるものでもある。

いい人を止めた所で悪い人になるわけではない。ごくノーマルな人になるだけである。透明な自分に誤魔化されずに、汚れある実存の自分であることを恐れずに生きていけばよいのだ。
強面の人が最初優しくてそのうち掌返しして怖くなる爆弾低気圧な展開は私も経験したことがある。このフェーズが移り変わる局面では優しくしてもらった恩義によって精神が雁字搦めにされ、ある種のストックホルム症候群になる。その後にもう逃れられない恐怖が先方の激烈な威圧感ある態度によってもたらされるのである。

私もあの時は死ぬ気で抜け出したものだ。精魂尽き果てた気分になったものだ。その位、それは困難なミッションであった。

Xが何も関与していないと云うのはちょっと難しい趣である。彼が何故そこまで親切なのか、故黒木昭雄の調査に同行しまくりなのはどうしてか。監理と云う言葉しか思い浮かばないからだ。黒木が何をどう調査しているのか把握することのみならず、証言を得る際に同席することで証言者が「勝手」な発言をしないように管理・牽制しているわけである。このような行動を見るに事件とは無関係であるとは中々思えないものである。

一番シンプルなこの事件の真一的見立てと云うのは、小原が出した被害届を無効化する為には小原が死ぬか、犯罪者になってもらうのが一番である。しかし小原が死ぬと被害届の元凶者が真っ先に疑われることになるから、小原が誰かを殺めたことにすればいいわけだ。そこで梢Aを召喚しようとしたが出てこなかったので代理出頭させられたような恰好の梢Bを手に掛ける・或いは手に掛けさせることで小原を殺人犯にして以て被害届を無効化したと、これが一番シンプルではある流れとなろう。被害届の中身そのものは大したことはないのだが、ここを突破口にされて警察の介入を許す事態を恐れたのだろうと思うものである。梢Bの遺体が特に隠すわけでもなく割と簡単に見つかるように処置されていたことから考えて、早くバレて欲しかったと云う点がポイントになるのだろう。そうすると可能性としては小原を早いところ殺人犯と認定させたかったか、或いは梢Bが小原とは関係なく発生したトラブルによって見せしめ的制裁の形で殺害遺棄されたか、恐らくそのどちらかにはなるわけだ。どちらかではなく合わせ技一本と云う展開もあり得るものだが。それにしても胸が吉里吉里してくる一件である。

梢Bでなければならなかったのか、それともある程度誰でもよかったのか、ここは分からないところだが、小原が死ななければならなかった・・・警察的には指名手配犯だがまず生きていないだろう・・・その理由を考えると色々と自供されても困るわけで口封じが必要だったのだろうと見る。だが小原単独で死ぬと先述の通り、強く疑われる人間が出てくるから梢Bが死に、そして小原が死ぬ(行方不明になる)ことで、B殺害の犯人は小原となり、罪の意識から小原が自殺したと云う線も生きてくるわけである。したがってそれが梢Bでなければならなかったのか、そこの部分はブラックボックスであるけれども、誰か少女が死ななければならない状況があったのだろうと見る。小原単独で死ぬことは出来なかったのである。八王子スーパー従業員殺害事件で狙われたのはパート中年女性なのだろうと見てきたが、女子高生2人が巻き添えになっていることでパート中年女性が狙われたとするならお蔭で怨恨説と云うのはかなり弱まったわけである。それと同様の構図なのかなとも思うところである。

辻田真佐憲に対して抱いていた不満を猪瀬直樹が、ずばりどどんと代弁している格好か。要するに辻田は緻密に色々分析して戦前の日本のここが問題だったと言うわけだ。そのせいで開戦に至ったということである。ところが問題提起はするのだが結論としては、それは仕方のない行動だったんだ・選択だったんだということにいつもなってしまう。その流れになったら仕方ないでしょう・当時の常識的対応でしょうということでそこで戦争回避するのは無理であるとして手当の対象を過去に遡らせる。これに対して猪瀬は、「この一点」という判断の際となる場面が常にあって、過去に原因を求めて遡らなくとも、その時点でやろうと思えば回避することは出来たという主張であり、私もそのことに賛同するものである。辻田の主張というのは責任回避であって他責になっていくわけである。実際、遡ると結局は「強制開国」に行き着くのだ。それは石原莞爾の言っていたことと同じわけでもある。

では何故開国しなければならなかったのか。それは鎖国していたからである。鎖国していなければ開国する必要もない。だから徳川に問題があることになる。ところが辻田はそれは余りにも昔のことだからとして、その部分を追及しない。しかし開国を原因にするのであれば鎖国を原因にしなければならない。「強制開国」に原因があったという主張自体は間違いではないと私も思う。だがそれは鎖国と云う選択を問題視してこそのものだ。鎖国したから植民地化されなかったと一般には思われているが大間違いである。たまたまオランダが徳川の圧迫に耐えて貿易を続行したから西洋からの情報が途絶えずに流入したのである。オランダが撤退していたら開国即植民地化の憂き目に遭っていたであろう。或いは、徳川吉宗が漢訳洋書の輸入を解禁したから蘭学も盛んになって江戸時代の内に開国の準備や近代化の準備が為されていたから植民地化されずに済んだのだ。この幸運な二点があったお陰で鎖国したにもかかわらず、生き残ったのだ。したがって「あの戦争」の根本原因は日本が鎖国してしまったことにある。根本原因としてはそうだ。仮に鎖国していなければ、江戸時代の内に大東亜共栄圏的なものが出来上がっていた可能性だってあったわけだから。後の帝国主義的西洋列強のイメージがあるから過大に評価しているのであって、当時の西洋はそんなに強くはない。オランダは鄭成功によって台湾から追い出された。清の康熙帝率いる大軍を前に追い出された等ではない。地方政権の鄭成功如きにオランダは勝てなかった。その程度の力だったのだ。


マァこれを眺めると日本のジャーナリストが取材対象者と距離を取らずに接近し、御用聞き的存在に堕する原因と云うものが垣間見える。対象者が凡そ合理的ではないようなことをやる。合理的説明がつかない。馬鹿なのか?それとも意図があるのか?これは対象者の懐に入らないと見えてこない。近しい関係になって対象者の言行を観察してその意図を汲むことに注力する。だから対象者と会食を何度したかと云ったようなことが誇るべき物事となる。そうやって意味のないものに意味を付与する作業を連綿と行うこととなる。対象者はしばしば後付けでジャーナリストの解釈に自己都合に応じて乗っかっていく。ここに同床異夢、もとい、どうしようもない意味の「絆」が誕生する。それは、傷の名を隠すためのものである。

これは中々凄い映像。
この手の映像は結構あるけれど
落ちた瞬間
の表情がくっきり出ているものと云うのは中々無いのではなかろうか。
人間の生死の程度は枝に依存する。猿の時代から。
原始、木造住宅は枝であった。