歴史の話ではなく先だってのサッカーの話である。マァいずれこれも歴史の話になるものであるが。
ブラジル戦の敗因は先制してしまったこと、そして二点目が取れなかったことである。非常にそらそうだろと云うことになるのだが、まずは一つ目、先制してしまったこと。ドイツ戦もスペイン戦も、そして先日ブラジル戦初勝利を挙げた一戦にしても、前半に相手に先制され、後半にこれをひっくり返す。これが格上必勝パターンだったわけだから先制して「しまった!」時点でヤヴァいと云う話である。それでも二点目が前半の内に或いは後半早々に取れていれば流石に相手に焦りも出て前にしようもなく突っかかってきたところをカウンターと云う手が使えたわけだが、二点目が取れなかったが為にそれも叶わず。
今回は史上初めて少しの運が向けば優勝可能な大会であった。昨今なぜ日本が強くなったかを考える。相手が油断してくれている、日本対策をしてこない・・・この前提をまず踏まえつつ、他の要素を見ると、それは相手がパスサッカーをしてくれるから、ここに尽きる。日本の苦手だった自在なドリブル突破、ゴール前に上げられたロングボールに屈強な長身FWが襲い掛かってくる、この手の戦法が半ば絶滅状態になってしまって、兎にも角にもパスパスパスと、外国人が苦手な箸を何とか使いこなそうとするが如く、大男たちもモダンでおしゃれなサッカーをやろうとする、これはもう日本にとっては好都合、わざわざ自分たちの土俵の上に立つ予測可能なサッカーだった。
それは初戦のオランダ戦である程度余裕ある引き分けだったことと3戦目のスウェーデン戦が薄氷の引き分けだったことの差に出ている。オランダの方がスウェーデンよりも強いのに(5-1で圧勝)、こんなことになったのもスウェーデンが意外にもシンプルにゴール前にボールを上げてくるスタイルだったからである。したがって相手がパスサッカーしてくれなかった場合にそれが即、日本の優勝はない!と云うことになってしまうのだ。ブラジル戦にしてもゴール前になりふり構わずボールを放り込まれての失点であった。
それから選手層の薄さも大きかった。これは怪我人の多さ、大会前から目立っていた上に大会に入ってから久保の負傷、これは予想以上に痛かったように見えた。そして鎌田。ここで保一監督が意図的に選手層を薄くしたことが響く。例の守田問題である。ボランチは守田と鎌田だった。ところが佐野が急伸してきて佐野がいるから守田なんかいらねーみたいな感じになった。しかしこれが間違いなのだ。中日の抑えをやっていたマルティネスが巨人へ移籍した。大丈夫大丈夫、その穴は8回に投げていた松山をスライドさせれば埋まる、と云うことだった。事実そうなった。では8回の松山の穴は?・・・ここが問題、埋まらなかったわけである。佐野がいるから守田は要らない、では佐野が怪我をしたら?実際には佐野ではなく鎌田が負傷したわけだが、守田も呼んで初めて選手層が厚くなったと言えるわけであって、佐野がいるから守田いらねーでは選手層は薄いままなのである。実際、守田がいれば鎌田を3戦目に出さずに済んでブラジル戦もそこそこのコンディションで戦えたわけだから、保一監督のエゴが日本敗退を導いた格好になったわけだ。
こう云うことをやっていれば運を自分から逃がすことになってしまうわけである。本当に何の為のスピリチュアルだったのだろうか。その観点から言えばブラジル戦前の塩貝の「ビッグマウス」、相手の闘志にわざわざ火をつけることを言ってしまう、これは非常に愚かなものだった。マァ、ブラジルよりもモロッコの方がやりやすかったことは事実だろう。ブラジルは直近の一戦で日本に負けているわけだから碌な日本対策などせずに臨むことは望めないわけで死んだふり作戦的なものを使えなかったのはちょっと致命的だったのかなと思う部分はある。結局ドイツとスペインに勝った前回と比較してチュニジアにしか勝てなかったのが今回と云うことになった。無邪気に応援すればいい、批判することに意味があるのか・・・そんな風潮はあるけれども、厳しい批判に晒されずにサッカー村の秩序の中で快適に過ごした結果が、今大会の全く進歩の感じられない経過と結果とに繋がったものである。家族・ファミリーと云う語を強調する組織は碌なことにならない。臭い物に蓋をする便利な発明品にアディオス!
この事件には大きな特徴があった。「この人は犯人じゃない、冤罪です」これはよくある話だ。だがこの事件は「この人は犯人じゃない、真犯人はこいつです」と云う事件となっているわけである。「犯人」小原勝幸の冤罪を訴えてきた人物=ジャーナリスト黒木昭雄がZと云う人物を事実上真犯人視する形で主導してきた。この黒木の活動を全面的に後援したのが当初黒木から犯人視もされたと云うXと云う人物なのであった。他方、警察は梃子でも動かぬ様子で疑念を抱かれる言行を交えつつ、小原犯人視絶対なのである。この事件には明確に、小原を犯人にしたい勢力と小原を犯人にしたくない勢力がいるわけである。
この事件が急展開を見せ始めたのは2008年6月28日からだ。小原と車中等で寝食を共にし働いていた(働かされていた)梢Aが盛岡競馬場近くのホテル付近から宮城の実家へと逃走する・・・ここから破局へ向けて大きく動き始めたものである。黒木説では梢Aは小原の隙を見て逃走したことになっているが、盛岡競馬場周辺は市街地から離れた場所に位置しており、盛岡駅までの足をどう確保したか、ここが不明だったわけである。一応バスの便はあるのだが、梢Aがその存在を知っていたか、知っていたとしてバス停の位置やダイヤを正確に把握することが出来たか、ここに疑問をまず持つわけである。次に把握することは出来ていたとして実際にそれを使って決行に及ぶのかどうか、バス停までの間に小原に気付かれて連れ戻される、或いはバス停で待っている間に見つかって連れ戻される・・・その後に小原からの激しい暴行が待ち受けているであろう点を考慮すればバスを使って逃走すると云うことは選外となるだろうと思うものである。
その一方で梢Aは小原からの求めに応じて実家到着後に小原の携帯電話にワン切りしており、また小原から実家へAの私物を送ったと云う話もあることから身の危険を感じた小原が恋人であるAを実家へと逃がしたとの説もある。この事件の被害者=犯人によって殺害されたAと同姓同名の梢Bと云う人物に対してAは自分の身代わりで殺された旨、告白しているわけだが、Aは殺され得る人間だったにも拘らず、特に不安そうな様子もなくメディアに出てきている。その点を考慮すると外形的には小原の下から逃走したとの黒木説を採る。だがAの身がその後も安泰だった点を鑑みれば、黒木説によって如何にも想起される追っ手を気にしながらの逃走劇ではなくもっと堂々としたもの、即ちAが宮城側に小原を売り、以て今後は免罪扱いとされたことや駆け付けた彼らによって駅まで送迎された点を推察するものである。それと云うのもAが小原の下を離れてから急に小原が被害届の取り下げに動き始めたからだ。従来これは被害届を出された側であるZからのプレッシャー加減によるものとされてきたが、A逃走後に急にこの話がクローズアップされた点を踏まえれば、Aが盛岡に呼び寄せた宮城側の人間による要求だったと見る方が自然だろう。
但し小原自身が嘘をついて宮城側からの要求であることをZからの要求だと周囲に漏らしていた可能性はある。小原の心理状態として過度に追い詰められることを防ぐ為に、より重い存在の宮城ではなく、より軽い存在のZの名を出すことで周囲から過度に深刻に受け止められずに、以て自分はまだイケる存在なのだと思い込みたかったはずだとも思うからである。一般的にも例えば、本当は重い負傷であるのにそんなに大したことはない、大丈夫だとアピールすることは多々あるものだがそれに近い状態だったと見る。宮城側とヤバい状況だと云うことが知れ渡れば小原から人が離れて独りぼっちになる可能性を考えるだろうからそこを避けるために嘘をつく・・・と云ってもZから取り下げるよう要求されているのもまた事実だろうから小原としては嘘をついているわけでもなく、より都合の良い事実を選択しているに過ぎないとも言えるわけだが。
宮城側が小原に被害届の取り下げを要求したのは、小原が警察と関係を持つことをリスクと捉えたからだと見る。元々小原は信用されていない上に(恐らく小原は宮城側に黙ってA等を使い闇営業をしていたのだろう)裏稼業をしている人間が自分から、それも正規ルートを使って警察との関係を求めるとは何を考えているのかと云うところだろう。小原は警察との関係を基に自分たちをゆすってくることを宮城側はリスクとして危惧していたのだろうと見る。そこで小原は被害届取り下げへと向かうが、この被害届をとっかかりにしてZを検挙したい警察からは、梢Aと連名で出したのだからAも一緒に来るようにと言われる。小原はAに対して戻ってくるように説得するがAは一切聞き入れない。そこで同姓同名の梢Bを召喚して被害届取り下げを目論んだのだろうと推察する。だがここで小原は気付いてしまった。宮城側が自分に対して被害届取り下げを強く要求してきた背景を。小原は兎に角金欠だった。金に困っていた。そこでBを使って宮城側から金を脅し取ろうとした。自分が囲っていたAに比べてBは宮城側の内情に通じているから脅しはより有効に作用すると小原は踏んだのだろう。自分は警察と繋がっている(小原は例の警部補との関係をあることないこと織り交ぜて大いにアピールしたに違いない)。Bは連中から見れば商品でもある。したがって連中は手を出してこないだろうと小原は高を括っていたが予想に反してBは殺害されてしまい、見せしめとして比較的分かりやすい場所へ遺棄された・・・こう云った可能性を見るものである。このように、BはAの身代わりとして召喚されて殺害されたことと、BはBとして殺害されたことは両立するのである。
或いは単純にZ側から宮城側へ依頼があっての取り下げ要求かもしれず、Zがパクられることが宮城側にとってみても不利益を被る恐れありと見て取り下げ要求したと云った可能性も無論あるのだろうなと思うところである。いずれにせよ重要なことは小原からすれば、何と云っても被害届の取り下げには自分と梢Bが必要である点だ(Aが実家から出てこない以上は)。この被害届の存在が当初はZに対する御守りとして、そして今や宮城側に対する御守りとして機能しているわけで、当然自分の身も保障され、梢Bの身についても保障されるものと思いきや、あっさりBが殺害されたとなれば小原は自分の命が危ないことを思い知って非常にビビることになる。あのいきなり狼狽し、絶望に打ちひしがれる小原の様子とも辻褄は合うところでもある。Zに対する被害届である以上、小原が死ねばZが犯人視されることは確実なわけで宮城側からすれば痛くも痒くもない。小原はその点を見落としていたわけである。加えてB殺害犯として最も疑われるのも外形的には呼び出した格好の自分となるのだからこれはたまらない。
黒木はZがB殺害の犯人と見做していたが、Z絡みでこの事件が起きた場合、黒木の主張とは裏腹に小原が殺害犯である可能性はかなり高くなると見る。それと云うのも、Zが何故Bを殺害しなければならないのか、私もZ説を考えてきたがここがやはり弱いのだ。Zが検挙されるとZ自身というよりもその後ろで暗躍している人たちが危険になる、だからZは捕まるわけにはいかず、警察もまた被害届の取り下げに応じずにZを検挙しようとしていたのだろう。ZはAの顔を知らないからAとしてBがやってきたとしてもそれが偽物だとは気付かない。また警察にしてもAの顔を知っているのは例の警部補くらいかもしれず、BがAとして警察に向かってもバレなかったのではとも思われる。その前に、Z側にBを殺害する動機が余りないように思われるわけである。あるとすればBを殺害し、その罪を小原に被せることで小原からの被害届を無力化させてZが検挙されないようにすると云う線だけだが、その可能性はあるけれどもそこまでして警察から追及されたくない何かがZに連なる人間にあったのか、とはその線を記述しつつも正直感じてしまったものでもある。Z側からすれば被害届を取り下げてくれればそれでいいわけだから、その為の切り札である梢(AであれBであれ)を殺害するのか、そうもスパッと被害届取り下げ要求から小原を殺人犯に仕立てることによる被害届無力化へと舵を切ることが出来ただろうかとも思うところである。
そうするとBが言うことを聞かないことに腹を立てた小原が衝動的にBを殺害してしまった線が実はZ説では一番有力なものとなる。そうなると遺体の遺棄スタイルが問題となる。如何にも見せしめ的に遺棄されていたわけだ。小原が犯人ならもっと見つかりにくい場所に遺棄することは出来ただろうと云うことである。私もその点は強く考えていたが小原と云う情緒不安定な人物が殺人を犯してしまったと云う点を考えれば自暴自棄的に、見つかりにくい場所と云う部分は重視せずにその辺りに遺棄することは有り得るなとも感じたものである。いち早く車と遺体とを分離させたいと思ったならば、さほど複雑でもない場所に遺棄するだろうなと云うわけである。逆に宮城説の場合、Bを殺害したのは小原と云うよりも宮城側の人間の方が可能性として高いと見る。
XとZの主張は真っ向から対立しており、XとZ、どちらが犯人かと云った議論が湧いていたけれども、Zが犯人だと可能性は元より低いものだった。その最大の論拠は黒木の自殺である。大々的に小原の無実とZ犯人視説を流布してきたが小原が犯人ではとの疑念或いはZは犯人ではないのではとの疑念が湧き上がったのではと見るものである。但し、Zに連なる人物が殺害に及んだ可能性はなお残る。ではXはどうなんだと云うことになるが、Xの登場の仕方=小原自損事故現場に颯爽と現れる、がどうにも芝居臭い。その後、黒木の調査に献身し、上出の調査にも全面協力する・・・破格である。自分が犯人視されない為との域を超えている。また、強硬にZ犯人説を主張する点にも違和感を覚える。本件を見ていく中でXが強烈にノイズを発している点を評価するなら、Xは宮城側と協調していると見るのが自然であろう。無論、犯人ではない。Xが犯人である可能性はZより低い。
梢Aの逃走は小原にとって痛恨であった。小原の命脈はここに尽きたと見るものである。Aが宮城の実家に戻ったことは単なる地理的な意味合いでAが宮城の人間になったものではない。概念的・精神的な部分で宮城の人間になった、つまりは宮城側の人間になったと云うことである。したがって小原はAに岩手へ戻ってくるように執拗に言いながら自ら乗り込んで連れ去ると云うことはしなかった。これはAが概念的に宮城側の庇護を受ける側へ戻ってしまったことを意味しているものである。この事件、元々は宮城県内で展開されていたものだ。小原とA・Bの出会いからして宮城でのことだった。小原の故郷・田野畑村の田の字もない。ところが最終盤になって小原は急に田野畑へと顔を出し、滞在もするようになる。三陸の片隅にある故郷へと小原は追い詰められたわけである。Aが小原を売って自由を手にしたようにいつ小原が自由になるべく自分らを売るとも限らない。そこで自殺偽装と云う方法を宮城側が発案する素地が出来上がる。自殺したことにしてしまえば警察に捕まることはない。また、自殺した人間が出頭すると云うことは(概念上)起きない。或いは、自殺したことにしてしまえばその後に殺害しても明るみになることはない。
残る疑問は警察の異様とも思える小原犯人視についてである。小原が犯人でないと警察は困るわけである。第一にそれは小原が犯人だからだと云う見立てによるものであろうが、警察の失点としては小原と警察が接触していたにも拘らずその最中に小原によって召喚された梢Bが殺害されてしまったと云うことである。警察は小原からの被害届の存在を否定している。これにより警察が小原からの被害届の取り下げ要請に応じなかったからBは殺害されるに至ったのだとのロジックを潰しにかかる恰好となっている。警察とすれば小原と警部補との関係性が、そこに何らかの違法性が全く無くともそれ自体が黒歴史と化しており、小原に洗いざらい話されることは避けたい。小原を徹底的に犯人視して圧力を加えることによって小原が姿を現し辛い状況を逆に作り出している。仮に小原が犯人でないならば、なおのことその効果は絶大だ。ここまで強烈に犯人視されると絶望によって支配されて、裁判で潔白をなとどはとても思えないであろう。その結果、小原が死を選んでくれることは警察にとっても都合が良い。
この事件は登場人物に比してスケール感が大きいことが特徴で、黒木説に基づく見立てが従来中心だったわけだが、非常に違和感もまた大きく残るものであった。梢Bが何故殺害されなければならなかったのか、小原が何故偽装自殺を図ったのか・誰が入れ知恵したのか、ここが中々見えてこない代物だった。とてもZはその顔ではない。とすればZに連なる誰か位しか思い浮かぶものはなかった。Xと云う人物が上出遼平の登場と共に前面に出てきた。自殺偽装についてはこのXによる指南の可能性もあるなとは感じたが、B殺害の霧は一向に晴れることはなかった。だが宮城と云う存在を踏まえるならばこの事件に対して抱いた違和感は拭い去られる。宮城説が推理上は妥当なものであると云えそうである。
上出遼平プロジェクトを通じて、この事件の第一人者とされてきた黒木昭雄の評判が落ちていった。黒木の調査・推理範囲は岩手オンリーであり、意図的に宮城の事情には触れていない。そしてXの「監理」の下、Z犯人説へと傾いていった。だが肝心なところでは黒木は外していなかったのではなかったか。それが小原が梢B殺害の犯人ではない、と云う部分だ。小原自身の能力だけでは、自殺偽装を発案することも環境を整備して実行に移すことも出来ない。自殺を偽装している時点で誰かがこれに関与している。自殺偽装の「効用」は先に記した通りだ。したがって小原の今後の口封じと云う要素を鑑みれば、「100%そうだ」とは言えない。言えないがかなりの確率で、自殺偽装と云う手段を採ったと云うことは、小原はB殺害をしておらず、しかしその汚名を着せられたのだと云うことが言える。宮城側はいつでも小原を殺害することが出来た。だがそれをしなかった。小原を殺害すると誰が小原を殺害したかと云う点についてはZ側の人間だろうと云う話になるとしても、ではBは誰によって殺害されたのかと云うことが問題となる。Bは小原に殺害されたと見られたがその小原も何者かに殺害されたとなれば、Bも実は小原以外によって殺害されたのではと思われることになるであろう。そうなると宮城側の人間がBを殺害したのではないのかと云う展開にならないとも限らない。したがって小原がBを殺害し、追い詰められて自殺したと云う展開が必要となる。
仮に小原がBを殺害していたならば追い詰められた小原は出頭したのではないかとの意見を持つ人間が少なからずいるようだ。私もその可能性は高いのではと見る。小原は弱虫だから自殺することが出来ず(ヤケになって自損事故を起こした際も死ねなかったどころか大した怪我もしない有様だった)、また例の警部補との近い関係もあって、寧ろ追い詰められた場合には洗いざらいぶちまける方へ廻る気もするのである。あの自殺は偽装である、偽装である以上は小原が犯人ではない・・・この事件の、この根っこの部分は、様々な迷路に苛まれているこの事件の中にあって、その迷路全てをも押しのける真実として黒木は訴えているように感じるのである。
書きたいネタが沢山あるのだが振り向けるエナジーが中々ない。困ったところである。ワールドカップが終わったわけだが32チームから48チームに増えた影響で試合数が一つ増えて8試合になった。もし前回までの7試合制だったならばアルゼンチンが粘り勝ちしたかもしれない。アルゼンチンはスペインと比較して高齢選手が多かったからマァ、キツかったなと。
アルゼンチンの「汚いサッカー」が結構好きだ。あれぞ人間味溢れている。タンゴが反転するとああなるのだな。中南米自体の構造としてヨーロッパによる征服、先住民抑圧、黒人奴隷導入、北米同様のサラダボウルになる一方で北米以上にメルティングポットにもなり、クリオーリョの、本国に対する怨念と現地に対する優越と色々あって中南米は矢鱈と嫌味に戦闘的なわけだがアルゼンチンはその中で例外的に白人移民が圧倒的多数でヨーロッパ志向、だが先進国から途上国へと没落、そこにフォークランド紛争と更に拗れているキャラクター。綺麗な体で生き抜けられるほど甘くないと云うことなのだろう。
同じ南米、ライバル同士でも淡白なブラジルと粘着質なアルゼンチンは好対照。マリーシアなところは両者同じなのだが、ブラジルはプレッシャーに弱い。が、アルゼンチンは中々強く、より魂で戦うのはアルゼンチン。マァ、ブラジルでもアルゼンチンに近い南部では割とそう云う気質らしいが。深いタックル、見えない所での肘打ちとか最高だ。弱者の怨念のサッカー。これは背景風土を知っていれば嫌いにはなれないな。サッカーをしているわけではないのだ。サッカーは勝つための手段なのだよ。したがってフェアプレー精神溢れる「綺麗なサッカー」=貴族の蹴鞠遊びのようなもの。
「汚いサッカー」は弱者が表面上取り繕った偽善溢れる強者を倒すためのツール。実際のところ、フェアプレーが貫徹されたらどうなるか。体格と身体能力が全ての競技になるだろう。バスケやバレーのような、或いは陸上のようになる。現に近年のヨーロッパ優位はこの恩恵に浴している部分がある。日本も今のところそうだ。韓国の低迷はラフプレーをし辛くなったことも影響している。だがこれが徹底されると日本にとって不利になってくるであろう。5-6人、アフリカ系の選手を揃えないと勝てなくなる恐れが出てくる。フェアプレーを推進した結果、アンフェアプレーな状況となる・・・世の中、よかれと思って推進したことが全くダメになることはよくあることだ。強者と云うものは不正を働いて強くなるわけだがしかし、正論を進めても強くなる場合もある。弱者もまた、強者の不正を暴いて勝つこともあれば、強者に対して「不正」を犯して勝つ場合もある。地球世界はこのように経糸と緯糸が折り重なって出来ている布地なのである。
アルゼンチンの「汚いサッカー」が結構好きだ。あれぞ人間味溢れている。タンゴが反転するとああなるのだな。中南米自体の構造としてヨーロッパによる征服、先住民抑圧、黒人奴隷導入、北米同様のサラダボウルになる一方で北米以上にメルティングポットにもなり、クリオーリョの、本国に対する怨念と現地に対する優越と色々あって中南米は矢鱈と嫌味に戦闘的なわけだがアルゼンチンはその中で例外的に白人移民が圧倒的多数でヨーロッパ志向、だが先進国から途上国へと没落、そこにフォークランド紛争と更に拗れているキャラクター。綺麗な体で生き抜けられるほど甘くないと云うことなのだろう。
同じ南米、ライバル同士でも淡白なブラジルと粘着質なアルゼンチンは好対照。マリーシアなところは両者同じなのだが、ブラジルはプレッシャーに弱い。が、アルゼンチンは中々強く、より魂で戦うのはアルゼンチン。マァ、ブラジルでもアルゼンチンに近い南部では割とそう云う気質らしいが。深いタックル、見えない所での肘打ちとか最高だ。弱者の怨念のサッカー。これは背景風土を知っていれば嫌いにはなれないな。サッカーをしているわけではないのだ。サッカーは勝つための手段なのだよ。したがってフェアプレー精神溢れる「綺麗なサッカー」=貴族の蹴鞠遊びのようなもの。
「汚いサッカー」は弱者が表面上取り繕った偽善溢れる強者を倒すためのツール。実際のところ、フェアプレーが貫徹されたらどうなるか。体格と身体能力が全ての競技になるだろう。バスケやバレーのような、或いは陸上のようになる。現に近年のヨーロッパ優位はこの恩恵に浴している部分がある。日本も今のところそうだ。韓国の低迷はラフプレーをし辛くなったことも影響している。だがこれが徹底されると日本にとって不利になってくるであろう。5-6人、アフリカ系の選手を揃えないと勝てなくなる恐れが出てくる。フェアプレーを推進した結果、アンフェアプレーな状況となる・・・世の中、よかれと思って推進したことが全くダメになることはよくあることだ。強者と云うものは不正を働いて強くなるわけだがしかし、正論を進めても強くなる場合もある。弱者もまた、強者の不正を暴いて勝つこともあれば、強者に対して「不正」を犯して勝つ場合もある。地球世界はこのように経糸と緯糸が折り重なって出来ている布地なのである。
昔よく見た映像。金正日唯一の肉声と云うことで金日成が死んだ際など、小泉訪朝までの間は金正日と云えばこの映像。懐かしい。しかし中々面白い映像。13秒辺りに出てくる死にそうな顔したおばちゃん軍団がイイ。そして92年だからまだギリギリ、シアヌーク殿下。北京大好き殿下、北朝鮮は目と鼻の先でお安い御用。一人だけ、蹴鞠遊びのような拍手がいい味出している。一人だけと記述したがよく見ると後ろの方でお付き合いして同じように拍手している北朝鮮側の人間が一名。我々はあなたを見捨てない。決して孤独な存在ではない。
指原莉乃プロデュースのノイミーが新メンバーを募集することが先日発表された。2017年にイコラブ、19年にノイミー、22年にニアジョイとこれまで3つのグループが誕生してきたが追加で新メンバーを募るのは初めて。ということで色々とざわついているわけだが、AKBや坂道等の秋元系とは異なり、指原系はオリジナルメンバー固定化策を採ってきた。後輩メンバーが入ったところで先輩メンバーやそのファンへの遠慮や委縮が出て伸び伸び活動することが出来ず、結果そのメンバーも伸びず、やがてはグループも伸びなくなり・・・と云う状況となりがちである。グループの色がやがて変質していくと云う懸念もある。それならば新メンバー用に丸々別の箱を用意したほうが生き生きと活動することが出来てイイと云うところだろう。
しかし当然ながら問題点もあってそれは割かれるリソースには限りがあると云うことだ。新グループ立ち上げとなれば費用もかかる上に指原への負担が増大する。一からメンバー対応をしなければならなくなり、制作すべき曲数や企画数も桁違いだ。それから各グループの差別化をどう図るかと云う難問もある。この点、AKB系は地域色と云う差別化要素があるから楽だ。そしてそれが出来ない坂道系は乃木坂・櫻坂・日向坂の3つしかないわけだ。三国志とか御三家とか日本三景とか世界三大〇〇のように、3つまでなら対比させやすい。それ以降は難しさが格段に増す。しかし「人口ボーナス」がなければ事業は回っていかない。3年程度に一度の新メンバー投入は必須なのだ。22年のニアジョイ誕生から4年が経過し、どうするんだろうなと思っていた。ハッキリ言って今までの指原のやり方は詰んでいたわけであり、ここで何も手を打たないならばそのままメンバーの離脱と共に全てのプロジェクトが終焉する形になるところだった。この度、これまでの「禁」を破って毀損グループに新メンバーを投入すると云う手法へと修正を試みたことは、指原たちが今後ともアイドルプロジェクトを推進したいとの意思表示と見た。マァ、指原本人と云うよりも周りの利権に与っている人たちが、というところだろうが。
しかし当然ながら問題点もあってそれは割かれるリソースには限りがあると云うことだ。新グループ立ち上げとなれば費用もかかる上に指原への負担が増大する。一からメンバー対応をしなければならなくなり、制作すべき曲数や企画数も桁違いだ。それから各グループの差別化をどう図るかと云う難問もある。この点、AKB系は地域色と云う差別化要素があるから楽だ。そしてそれが出来ない坂道系は乃木坂・櫻坂・日向坂の3つしかないわけだ。三国志とか御三家とか日本三景とか世界三大〇〇のように、3つまでなら対比させやすい。それ以降は難しさが格段に増す。しかし「人口ボーナス」がなければ事業は回っていかない。3年程度に一度の新メンバー投入は必須なのだ。22年のニアジョイ誕生から4年が経過し、どうするんだろうなと思っていた。ハッキリ言って今までの指原のやり方は詰んでいたわけであり、ここで何も手を打たないならばそのままメンバーの離脱と共に全てのプロジェクトが終焉する形になるところだった。この度、これまでの「禁」を破って毀損グループに新メンバーを投入すると云う手法へと修正を試みたことは、指原たちが今後ともアイドルプロジェクトを推進したいとの意思表示と見た。マァ、指原本人と云うよりも周りの利権に与っている人たちが、というところだろうが。