1933年と云うから川島芳子にとっては絶頂期、しかしその終わりの足音が近づきつつもある頃。絶頂期ならでは、勢いで出したレコード。流石に歌声が素人っぽいとでも申しましょか、ビミョウな塩梅で歌唱パートの分量が全体からすると少ない印象を抱く。これも苦肉の策を講じた結果、と云うところか。
川島芳子については、大日本敗戦後の1945年10月に漢奸として逮捕され(満州族の出なのだから「漢」奸もクソもないだろう…お前ら滅満興漢だったんじゃないのか、何で漢民族繁栄に協力しなければならんのだと云うツッコミを入れたくはなるがマァ「中華民族」の一員のクセに、と云うところなのだろう)、48年3月に処刑されたことになっているが生存説と云うものがあるわけである。2008年から09年にかけて結構盛り上がったものだった。
処刑されたのが替え玉だったのか本人だったのか、ポイントとなるのは「髪の長さ」。処刑された人間は肩までの髪の長さだったが川島芳子は本来、耳出しショートの断髪姿。だから替え玉だろ!と云う話になるのだが、秘書が最後に芳子を見たのが恐らく47年2月。処刑まで13か月あるから最低でも13cmは伸びる。月に1.5cm伸びるとすれば19cm。いやァ、ビミョウだ。全て耳出しショートで耳が隠れている写真は無い。但し中にはオールバック的に比較的長めのショート姿の写真もある。刈り上げ的な耳出しではなく、少し長くなった髪を耳に掛けての耳出しであったなら十分に肩まで伸びる形にはなるだろう。