色々な人間が色々な政党を立ち上げ、色々なことを主張してきた。泡沫政党・泡沫候補がごまんと出ては消えていった。しかしその中で燦然と輝く存在がある。明らかに異色の存在なのである。口では何とでも云える。が、しかし口だけではなく、実が伴っていると云う点に於いて、だ。
先般の都知事選挙では立花孝志率いるNHK党が候補者を大量に擁立したこともあって選挙ポスター用掲示板が巨大なものとなった。その掲示板を、NHK党のポスターがぐるっと三方を塞ぐ形で占拠した。それだけでも大胆だが、候補者本人のポスターではなく党に寄付した人間が好きなポスターを貼れると云う斬新な発想によるものでもあった。同じようなデザインのポスターが一斉に貼られているさまは壮観であったが、選挙をおもちゃにした立花のやり方へ批判が相次いだものでもある。良く云えば、立花は閉ざされた公を民へと開放している。悪く云えば、それは公私混同とか私物化と云うことになる。立花の「暴挙」に対して、民主主義社会の堕落・危機のように云う人間も多く居たが、殊に清和会系政権が民の目に直接触れぬ形でやってきたことが立花の手によって遂に可視化されたに過ぎないのである。清和会系政権が政治を私物化し、政治を個人的ビジネスの対象として如何に儲けることが出来るか追求しても人々はそのさまを具体的にイメージすることが出来なかった。ゆえに批判も限定的なものに止まった。しかし今回初めて立花の手によって、私物化・ビジネス化のさまが可視化されたわけである。別に立花が神聖なる民主主義を汚したわけではない。既に汚されていたのを可視化させ気付かせたに過ぎない。
立花孝志は稀代のアーティストだなと感心させられる。NHK党を通して政治を最大限の自己表現の場にさせている。占拠された掲示板を目にし、ナムジュンパイクのようだなと思った。あの先進的・未来的なヴィデオアートに対し、こちらは古典的薫り漂う選挙ポスター掲示板。しかしそれでいてQRコードを埋めこみそこへアクセスすると妖しいサイトへと誘導される…一方的・平面的に訴え掛けるだけでない双方向性をも兼ね備える極めて現代的スペックの世界をも共存させている。超アナログにして超デジタル。ナムジュンパイクより古く、しかしナムジュンパイクより先を進んでもいる。
明らかに立花孝志は異色である。傑出した存在である。常に物議を醸し、最も検挙に近い存在であると同時に、社会を現に前進させているからである。それは他の泡沫・諸派系の政治活動をしている人間の追随を許さない。NHKが評判の悪い集金業務の外部委託を止めて縮小の方向へ舵を切ったのは立花NHK党による数々の嫌がらせによって社会的コストが上昇した賜物である。ジャニーズ問題の公然化はガーシーがカウアンを招いて配信したからだ。ここで重要なのは国会議員であるガーシーがカウアンを招いて配信したからBBCが取り上げやすい状況になったと云うことだ。それではガーシーを国会議員にしたのは誰か。立花であり、投票した「リテラシーの低いふざけた有権者」である。ガーシーは国会議員としての業務は何もしなかったが仕事は十二分にした。人権王国を標榜しながら立民や共産がまるで出来なかった大規模性被害からの救済を、立花NHK党がやってのけてしまったのだった。
このように立花NHK党は立ち位置の近い参政党や保守党とは異なり、社会を前進させる実績を少数精鋭、泡沫政党ながら残してしまったのである。そのインパクトは橋下徹や維新の会以上のものですらあるように思う。なぜなら彼らは巨大な勢力を擁しているにもかかわらず、では社会をどのように前進させ、人々をどのように救済したのだろうか。彼らの行ったことは所詮、大阪府市等の統治機構のスリム化に過ぎず、それらは人々へ痛みを強いるものでもあり、統治機構は強化されても社会を弱体化させてしまった。コロナ蔓延時の大阪の状況は酷いものであった。そのことを考えると、あれだけの少数勢力ながら舌鋒の鋭さだけに終わらずに、明確に社会を前進させる実績を伴った立花のアーティストぶりには目を見張るだけの素晴らしいものがある。