リーダーとしての一つの「姿」。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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「自分のままで“養護教諭”になる」をコンセプトに、YOU(あなた)とYOU(あなた)を繋ぐYOUKYOUカフェを主宰しています。

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ぱちここと柏木むつきです。

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先日、とある料理店でシェフとして働いている方とお会いする機会がありました。

厨房のリーダーとしてスタッフの育成も行っている方。

 

その方が、

「俺、結構仕事中に皿洗いをしているんだよね」

と話し始めました。

 

最初は、

「ん?シェフなのに皿洗い?リーダーなのに?」

「皿洗いはその他のスタッフの仕事じゃないの?」

と思っていた私。

 

シェフはこう続けました。

「毎回毎回、皿洗いばかりしていたらスタッフも面白くないだろう?

『あぁ、今日も皿洗いのためだけに働くのか…』

と思う人もいるかもしれない。

だから、時々料理の中でお願いできそうな部分をお願いすることで、

『私もこんなことができるんだ』

『こんな仕事もさせてもらえる職場、楽しいな』

って思ってもらえたら、もっと積極的に働いてくれるだろう?

もちろん下準備は俺の責任でやるけれど、

そうやって職場の人たちが気持ちよく働いてくれる方が、

お客様にも最高のおもてなしができるだろう??」

 

 

 

この話を聞いて。

「あぁ、こういうリーダーも一つの姿だなぁ」と。

 

今の時代、

「求められるリーダー像」というフレーズで、

「リーダーはこうあるべき」という「枠」が示される機会も多いと思います。

(学校現場なら「管理職研修」というのがありますよね)

 

組織管理力だったり統率力だったり。

マネジメントスキルだとか、コミュニケーションスキルだとか。

「あなたにはリーダーとして○○が足りないから、そのスキルをつけましょう」

というのは、

その人そのものが持っているものを「否定」しているような気がしてなりません。

あくまで私の考えではありますが、

そもそも全てを足し算のように「足りないものを補う」という考え方は、

私はあまり得意ではないのです。

 

 

これは、養護教諭のような一人職にもいえることだと思っています。

「求められる養護教諭とは」

「理想の養護教諭像」

というもので、「枠」の中に当てはめすぎてしまう。

カウンセリングスキル、コーディネータースキル、コーチングスキル…。

もちろんその全てが不要だというわけでは決してないのですが、

その人がその人らしく働くことを良しとしない状況は、

結果として、子どもたちにとってマイナスな面が生まれることも否めないと思うのです。



(この前、出席した披露宴のシェフも素敵な方でした^ ^)

 

 

 

冒頭の話に戻りますが、

色々なリーダーがいて良いと思っています。

(もちろん、暴力的だとか人権侵害甚だしい、とかそういうのは論外です)

余談になるかもしれませんが、

私個人はあくまでも生徒の委員会活動は、

養護教諭の手伝いに留まらせたくないと思っています。

シェフの立場を養護教諭にたとえて考えてみると、

似たような感じかな、と思いました。


 


もっともっと肩書が持つイメージから自由に。

そんな働き方がスタンダードになった時、

「自分のままで“養護教諭”になる」というYOUKYOUカフェのコンセプトが、

良い意味で「死語」になるのだと思います。

そして私は、そうなれば良いな、と思います。

 

 

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