やっぱり人生は「ノビシロだらけ」。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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月曜日。

ゼミの発表でした。

気づけば私も博士課程1年となり、

修士課程の学生は「後輩」にあたります…。

 

率直に言えば、

年数だけ経ってしまい、中身を伴わないまま博士課程に上がってしまった…そんな感じの私。

 

私より沢山本を読んで、

私より沢山知識を持っていて、

私より上手にレジュメを作成できる後輩なんてそこらじゅうにいるわけです。

「私なんかが発言したら周りに何と思われるか…」

そんなことを考えてしまうことだってあります。

 

「劣等感」

まさにそんな言葉がぴったりと当てはまる場所。

それが、私にとっての「ゼミ」なのだと思います。

 

 

「咲き誇れる場所で咲く」

もちろん、私という人間の生きる権利が奪われる場所にとどまるくらいなら、

別の咲き誇れる場所へ行くことはとっても大事なことだと思います。

それは「逃げ」ではないから。

それは「失敗」ではないから。

 

でも、時としてその言葉を都合の良いように“解釈”し、

本当の本当に自分自身が叶えたい「夢」を諦めるための口実にして、

「ここは私の咲き誇れる場所ではない」

と言い聞かせているのであれば。

 

たとえ「劣等感」にまみれる場所で在っても。

今は全く咲けない場所で在っても。

いつか咲き誇れる自分を夢見て、その場所にしがみつくことだって「美しい」と私は思います。

 

百年に一度しか咲かない花が、

今年は咲かないからと言って、

「この花は「咲かない花」だ、花としての人生を終えている」

なんて、誰も思わないでしょう?

 

 

要は「自分」がどうしたいか。

周りがどうこう言おうとも、結局はそこなのだと思います。

 

だってやっぱり人生は「ノビシロだらけ」なんだから。

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