「ありがとう」を求めない。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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先日参加した研修会で、

とあるお医者さんがお話してくださったこと。

 

「ありがとう」を求めるとしんどくなる。

 

そんなお話でした。

 

 

あくまでそのお医者さんのお話ではありますが、

その先生は昔、

目の前の患者さんを治すことに必死になりすぎて、

「ありがとう」と言われることを前提に仕事をしてしまっていた時期があったそうです。

 

だから、

中々治らない患者さんを前にして、

「ありがとう」がもらえないことに焦ったり無力感を抱いたり。

時には、

「どうして俺の言うことを聞かないんだ」

「この人は治す気があるんか」

と腹ただしく思ってしまったり…。

 

しかし、ある日ふと気づいたのだそうです。

 

「俺が頑張っても意味がない。

俺が頑張れば頑張るほど、

患者は「先生が何とかしてくれる」と自分の病気のことなのに他人任せになってしまう。

俺が頑張るということは、

患者自身の中にある「力」を信用していないということなのではないだろうか…。」

 

そう思ったその先生は、

「「ありがとう」という見返り欲しさに、

自分の評価欲しさに、頑張ることはもうやめよう…」

そう決意し、医師としての在り方を考え直したそうです。


 

 

このお話を聴いた時、

「あぁ、教師にも当てはまるな…」

そう思わざるを得ませんでした。

 

教師として頑張りすぎるあまり、

子どもたちの中にある「自助能力」を信頼する気持ちが薄れてしまう。

その結果、

子どもたちのは自分のことなのに自分で決めることを辞めてしまう…。

その根っこには、

「先生、ありがとう」

その言葉を見返りに求めすぎてしまっている。

そんな気持ちがあるのかもしれません(私はそうでした)。

 

「ありがとう」という言葉は、結果としてついてくるものであって、

「ありがとう」という言葉を目的に仕事をしてしまうと、

「ありがとう」という言葉がもらえない時にとっても苦しくなってしまうと思います。

 

 

「ありがとう」を求めない。

それはきっと、

自分のことも相手のことも信じているからこそ生まれる姿勢なのだと思います。

 

 

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