「自分の代わりはいくらでもいる」。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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私、働いていた時に、良く叱られていました。苦笑

比較的小さな学校だったので、

勤務当時は中々若い先生がおらず、

私の次に若い先生は約10歳上。

20代の常勤職員が私しかいなかったのですよね…。

 

ほとんどの先生が40代、50代。

そんな職場だったので、

とっても目をかけてもらい、時に厳しくも沢山のことを教えてもらいました。

 

 

ある日、私はとってもとっても大きな失敗をして、

ベテランの先生にこっぴどく叱られたんです。


 

その時、その先生は私にこう言ったんです。

「あなたの代わりなんて誰でもいるから、

そんな状態で学校にいるのなら、今すぐにでもこの仕事を辞めてしまいなさい」

 

当時の私は、自分に対する自信が全くなく、

他者の評価を軸に生きていたので、

その先生の言葉の中身をきちんととらえることができなかった。

 

「評価」「肩書き」「成果」などが私にとっての大事な存在価値だったから。

誰かにとって必要とされることだけが、私の存在価値の指標だったから。

自分自身が「自分のままでそこにいていい」と思えなかったから。

 

だから、そういわれた時に、

「あぁ、私なんか生きる価値がない人間なんだ」

「この先生も私のことをそうやって思っていたんだ、

きっと周りの先生も私のことをそう思っているに違いない」

「やっぱり私がこの学校にいるより、他の人がいる方が子どもたちにとっても良いんだ」

「私なんて、生きているだけで目障りなんだ」

「私の代わりなんてどこにでもいる。それくらい私は必要ない人間なんだ。」

そんなことを考えてますます落ち込んでしまったのですよね。

まさに負のスパイラルです。

(そこから抜け出した出来事についてはまた別の機会に)

 

 

 

あの時の私は本当にボロボロで、負のオーラ満載だったんです。

そんな状態で生徒と向き合っていたんです。

そんな私を見かねて、その先生は私に、

「あなたの代わりなんている」と言ったんですよね。

一見、突き放したような言い方で。

 

養護教諭としての代わりはいくらでもいるけれど、

“あなた”の代わりはいないんだよ。

自分を苦しめて周りに心配をかけるような働き方をするようなら、

仕事を辞めてでも“あなた”を取り戻しなさい。

 

そういう意味だったのだと思います。

その時には分からなかったけれど、今なら分かります。

 

 

先日の記事ともリンクしているかもしれませんが、

「心が痛いこと」と「耳が痛いこと」の見極めって、

自分の人生をきちんと自分の足で生きていれば、

もしかしたら想像以上に簡単なことなのかもしれません。

 

それが、自分迷子になってしまうと、途端に難しくなってしまう。

難しくしているのは自分自身の心なのかもしれません。

 

自分のことを過大でもなく過小でなく、等身大で受け入れられるということ。

そういう自分との関係の延長に、

周りの人との関係があるのだと私は思います。

 

 

(世界は自分がどう見るかで酸っぱくも甘くもなる。

スイーツのような人生も創れると思うのです。

キウイだって立派なスイーツ、ですものね。)

 

 

 

 

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