当たり前すぎて忘れていること…。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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「自分のままで“養護教諭”になる」をコンセプトに、YOU(あなた)とYOU(あなた)を繋ぐYOUKYOUカフェを主宰しています。

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ぱちこと柏木むつきです。

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(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)

 

 

今、養護教諭として働いている人。

(講師でも正規採用でも構いません)

これから、養護教諭を目指そうと考えている人。

 

当たり前すぎて忘れてしまっているかもしれませんが、

「養護教諭」という職種があるから、

養護教諭として学校にいることができていますし、

養護教諭を目指すことができるわけですよね。

「養護教諭」という職種がなかったら、

今、養護教諭として働くこともできないし、

そもそも目指すこともできないわけです。

 

私が常々このブログやインスタグラムの中で、

「『養護教諭』という肩書きにとらわれない」

とお伝えしているのは、

この、当たり前すぎて忘れてしまいそうなことを忘れてほしくないからです。

 

 

多くの養護教諭関係者はご存知だと思いますが、

養護教諭は、日本で独自に発展を遂げてきた職種です。

 

そして、戦後GHQの管轄下に置かれていた時には、

職種自体の存続の危機でした。

欧米の制度と同じように、

教育職員ではなく、医療関係職種の一つになるところだったこと、

ご存知の人も多いと思います。

(養護教諭関係者以外は中々知られていないことだと思いますが)

 

 

そのような危機を乗り越えて、

「養護教諭」という職種はあります。

 

紆余曲折を経てこの職種が現在の日本の学校にあること。

今、当たり前のように学校に存在する時代にとっては、

つい忘れてしまいそうになりますよね。

 

だからといって、

その「肩書き」の上にあぐらをかいていてはいけないと思うのです。

 

「肩書き」というある種の境界線で引かれた「枠」の中でお仕事をするのではなく、

もっともっと拓かれた形で「肩書き」の可能性をとらえる。

そのような時期に来ていると思うのです。

 

 

その「肩書き」のせいで、

養護教諭自身が苦しくなってしまうのは本末転倒。

 

 

 

「養護教諭」という「肩書き」は、

皆さんの可能性を狭めるためではなく、

皆さんの可能性を広げるためにあるから。

 

 

当たり前にあるものに気づく。

まずはここからがスタートなような気がします。

 

そのスタートに立つ人の背中を押したい。

YOUKYOUカフェはそういう想いをこめて創ったし、

私はそういう想いも込めて発信しています。

 

 

 

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私が養護教諭のことを専門に研究できる大学院ではなく、

養護教諭を取り巻く教育そのものを対象にする大学院を選んだ理由も、

今日の記事のようなことが関係しています。

 

 

 

 

今日のメッセージが、今、必要な人に届きますように。

 

 

 

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