このブログでは、今まで、瀬戸弘幸氏のことを「瀬戸センセー」と表記してきました。実は、瀬戸弘幸氏をどのように表記するかは、ブログの初期においては悩みの種で、ブロクの開始直後には「瀬戸さん」と書いていたこともありました。しかし、当時は、ブログを開始したという高揚感があったために瀬戸弘幸氏を批判する意識が強く、また、内容的にも文体としても「瀬戸さん」では締まらないので、「瀬戸センセー」と表記することとしたわけです。


 しかし、私が東村山問題に取り組み始めたのは、瀬戸弘幸氏を批判することが本来の目的ではなかったはずです。まず、東村山で過去に何が起こったのか、そして今、何が起こっているのかを正しく理解すること、そして、瀬戸弘幸氏に、矢野穂積氏らが流すいい加減な情報をそのまま(時にはより劣悪な形で)流布することをやめて頂くということが目的だったはずです。私は、社会活動家としての瀬戸弘幸氏を抹殺しようと考えているわけではないのです。そして、ようやく最近になって冷静にブログを書くことができるようになり、本来の気持ちに立ち返ることができるようになってきました。


 このような考えの下では、やはり、瀬戸弘幸氏を「瀬戸センセー」と表記することはふさわしくないように思われます。瀬戸弘幸氏を「瀬戸センセー」と表記している限り、私の言葉は決して瀬戸弘幸氏には届かない。そこで、今回のエントリー以後は、「瀬戸弘幸氏」又は「瀬戸先生」と表記することにしたいと思います。


 次回のエントリー以降は、再度に「現職警察官の内部告発」について言及し、その後は、朝木明代氏の万引き被疑事件及び転落死事件に関する瀬戸先生の主張について、検証していくことになろうかと思います。これは、瀬戸先生を批判することを目的とするものではなく、「現職警察官の内部告発」が信憑性が低いものであること、そして、矢野穂積氏らの主張が根拠に欠けるものであることを、瀬戸先生に(そして、支持者の方々に)理解して頂くことを目的とするものです。困難ではあると思いますが、私は、まだ瀬戸先生を説得する路線を捨てていません。そして、瀬戸先生を説得しようとする作業は、私自身が、東村山で過去に何が起こったのか、そして今、何が起こっているのかを理解する手助けになると思っています。特に急ぐ事情はありませんから、朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki を作成しながら、ぼちぼちやっていきますよ。


 ところで、瀬戸先生、前回のエントリー「瀬戸先生へ公開質問 」のご回答はまだ頂いていないようです。もちろん、回答を強要するものではありませんが、ご回答を頂ければ幸いに思います。「現職警察官の内部告発」については、多くの人が関心を持っていますので。


 ここで公開質問について補足しますと、「内部告発者の瀬戸先生への連絡方法は、電話だと考えています」と書きましたが、より正確には、携帯電話(080で始まる番号)ではないかと考えています。これは、ほとんど直感に近いのですが。では。


 朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki を作成するために様々な資料に当たっていると、色々と気になることが出てきます。そして、資料を読むうちに、次のような推測をするようになりました。


 瀬戸先生に単刀直入にお聞きします。


 「現職警察官の内部告発」があったのは、2008年7月28日(即ち、7月29日八王子街宣の前日)ではないですか?


 内部告発者の瀬戸先生への連絡方法は、電話だと考えています。電話でなく、直接に内部告発者に会ったという可能性も否定しません。しかし、電話と直接対面以外はないでしょう。


 このように判断した根拠は、今は秘密にさせて頂きます。


 もしよろしければ、瀬戸先生には、以上の判断が正しいか否かの見解をコメント欄に書き込んで頂ければ幸いに思います。もちろん、強制しているわけではなく、あくまでお願いです。瀬戸先生がお忙しいことは理解しておりますので。私の思いは、現在、進行している事態について深く理解したいということだけです。最も望ましいのは、ご自身のブログで「現職警察官の内部告発」について瀬戸先生に説明していただくことですが、そこまでは望みません。


 なお、コメント欄は現在、承認後に公開の設定になっております(試してみてください)。もし、瀬戸先生からコメントを頂ければ、コメントのうち、公開をお許しいただけた範囲のみを公開いたします。ただし、上記の判断が正しいか否かの結果のみは公開させて下さい。


 とりあえず、1週間お待ちいたします。

 前回のエントリーのコメント欄で、「グーの根」でググるとこのブログが検索位置3位になるという、恐ろしい事実を教えて頂きました。コメントを頂いた方、有難うございます。もっとも、このブログには、検索から来る人は少なくて、一番多いのがブックマークから、残りは、殆どが3羽の雀の日記 と、C.I.L から来る人ですが。こんなブログにブックマークして頂いている方々には感謝の言葉もありません。


 さて、コメントで「語源など紹介すると良いと思いますよー」ということなので、コアな東村山ウォッチャーには今更という話かも知れませんが、改めて紹介したいと思います。


 瀬戸センセーは、7月29日の八王子駅前の街宣において「現職警察官の内部告発」の存在を公表した後、東村山ウォッチャーと論戦を繰り広げてきました。そして、9月1日の東村山駅前の街宣時に洋品店「表敬訪問」事件を引き起こした後は、更に多くの批判を浴びてきました。特に、9月後半には、朝木明代市議の万引き被疑事件が「でっち上げ」である、或いは、朝木明代市議の転落死が他殺である、ということを説得力のある根拠を持って論証できず、瀬戸センセーは、論戦において(P2Cから見れば)かなり劣勢になっていたのです。


 このような流れの下、せと弘幸ブログ『日本よ何処へ』の2008年10月2日のエントリー「洋品店の証言者とは誰ですか? 」で、その名言は生まれたのです:


 さて、何を書いても最近はケチをつけて来る人が多くなったので、グーの根も出ない材料を投下して置くことに致しましょう。


 このフレーズは、多くの人の心を揺さぶりました。2ちゃんねるのスレッド「新風連と新風をヲチ 」でスレタイに採用されたことはもちろんのこと、多くの人が「グーの根」について多くの言葉を費やしています。もちろん、アンサイクロペディアの「瀬戸弘幸 」の項でも「グーの根」について説明されています。


 様々な反応の中で、私が最も秀逸だと思ったのは、ニャロメ氏のブログ「孫と東村山Rhapsody 」のエントリー「ジャンケンポン 」でした。この頃に本ブログを作成することを考えていたP2Cは、ニャロメ氏のこのエントリーに深く感銘し、ブログタイトルに採用することにしたというわけです。これには後日談があり、ニャロメ氏に感化された私は、孫と東村山Rhapsody のコメント欄にブログを開設した旨をブログのURL付きでコメントしたのですが(URL自体は非表示)、これを3羽の雀氏が鋭くキャッチし、このブログがコアな東村山ウォッチャーの間に知られるようになったわけです。


 ところで「グーの根」について瀬戸センセーをちょっと弁護すれば、私のPCで「ぐーのね」を変換すると、まず出てくるのは「グーの根」です(このブログを作成する前から)。MS-IMEは本当にあほ不親切です。では。

 涙目になりながら「朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki
」を作成しているP2Cです。


 さて、P2Cは、現在、せと弘幸blog『日本よ何処へ』 に次の記事:

(1)11月15日に広島で行われた維新政党・新風の党大会の報告

(2)宇留嶋氏に出したメール、及びその返事

(3)故朝木明代の万引きが冤罪であると記事の続き

が、何時出るのかが気になっています。しかし、「第三回 政治と宗教を考えるシンポジウム 」以来、故朝木明代市議関連のエントリーは出てきません。先日の「偽うんこ」事件以来、瀬戸センセーの立場は一層に厳しくなっていると思いますので、同情もしますが、ぼちぼち、上の3つの記事も書いて頂きたいものです。


 といいながら、故朝木明代市議関連の事件の流れがゆったりとしてきたことは、実は、P2C的にはむしろ歓迎です。P2Cは、妻も子供もいる勤め人なので、そんなにほいほいとリアルタイムで事件を追っていけないのです。2ちゃんねるシベリア板で頑張っていたときは、相当無理をしていたことをここに正直に告白します。


 本題に入ります。

 このブログは、本来、瀬戸センセーの行動を分析することを目的としていたはずですが、段々、違う方向に進みつつあります。何の因果か宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』と、乙骨正生著『怪死』と、矢野穂積・朝木直子共著『東村山の闇』とを詳細に読む羽目になってしまいました。


 さて、先日の警察と検察の関係(6)(7) のエントリーでは、乙骨正生著『怪死』が信用を置ける文献でない、と解釈できるようなことを書いてしまいました。しかしながら、改めて読んでみると、万引き事件と転落死事件とに関する事項であり、且つ、矢野穂積市議が情報のソースでない部分については、結構、信頼を置ける著書であることが分かったのです。しかも、矢野穂積市議がソースである部分は、それが理解できるように書いています。『怪死』には、万引き事件や転落死事件に直接関係ないこと(創価学会に対する批判)が一杯書いてありますが、それは無視すればいいだけです。


 私の読んだ範囲では、乙骨正生著『怪死』は事実の「解釈」や「評価」が警察と異なるだけで、裁判の判決と明らかに相違することは、ほとんど見受けられませんでした。重大な齟齬は、次の1点だけでした:

  『怪死』によれば、ハンバーガー店の店長と「管理人」との間で「救急車を呼びますか」という会話が行われており、店長が故朝木明代氏に「救急車を呼びますか」と問いかけた事実はない。

 これは、乙骨氏の取材の結果らしいです。これをどのように解釈するかは各人によるでしょう。ところで乙骨先生、「管理人」って誰ですか?。


 P2Cとして興味深いのは、乙骨正生著『怪死』の出版時期です。『怪死』のあとがきには、1996年4月17日の日付が打たれています。そして、『怪死』の第1刷の発行日は、5月20日です。注目すべきことは2つあります。


 まず、この時期には、まだ、検察による捜査結果は出ていないことです。検察の最終発表は、転落死事件から1年半以上たった1997年4月14日です。


 次に、乙骨正生著『怪死』の出版が、矢野市議らが信田検事が創価学会員であることを知った「直後」であることです。「直後」というところを強調したいと思います。信田検事が創価学会員であることをスクープする週刊新潮は、1996年4月26日号です。もちろん、実際には、発行の日付のちょっと前に発売されるわけですから、『怪死』のあとがきを作成する前に乙骨氏が信田検事が創価学会員である事実を知っていたことは確実です。実際、『怪死』には、担当検事の信田検事、及び東京地検八王子支部の支部長の吉村検事が創価学会員であることが記載されています。


 しかしながら、脱稿は上記の事実を知った直後であり、おそらく、『怪死』全般に渡って記載を見直す時間はなかったのでしょう。まず、『怪死』のあとがきには『怪死』の脱稿が予定よりも大幅に遅れていたことが記載されています。加えて、信田検事や吉村検事については、『怪死』の最後の方の章でちょっと取り上げただけであり、事件の経過を示す主要な記載には、信田検事や吉村検事の名前は一切出てきません。更に、信田検事や吉村検事が、創価学会員であるから不当な捜査をした、とまでは書いていません(まだ、捜査の結果が出てませんので)。一応、「検察への疑惑」とは書いてあるのですが、記載としては何とも歯切れが悪いのです。


 これらのことから、P2Cは、『怪死』は、転落死事件が発生した後、矢野市議らが信田検事が創価学会員であることを知る前までの矢野穂積市議・朝木直子市議の考えを知る上で、絶好の著書であると考えています。即ち、「信田検事らによる不当な捜査」という主張をし始める前の矢野市議らの主張を、『怪死』を読むことによって知ることができます。『怪死』と『東村山の闇』との比較は、面白い題材になると思いますよ。多分。


 というわけで、P2C内の『怪死』の位置づけは、かなり格上げです。P2Cとしては、宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』で分からないところを、乙骨正生著『怪死』で補うという読み方がお勧めです。残念ですが、矢野穂積・朝木直子共著『東村山の闇』は、事実に基づいたフィクションの扱いです(ただし、矢野氏らの主張を把握するための重要資料であることには変わりありません)。現状でP2Cが考えるソースの信頼度は、次のとおりです。


 裁判の判決文>宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』>>乙骨正生著『怪死』>>(高い壁)>>>矢野穂積・朝木直子共著『東村山の闇』


 矢野先生、反論があれば、是非コメント欄にどうぞ。あ、月影兵庫氏でもいいですよ。


 涙目になりながら「朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki 」を作成しているP2Cです。


 この週末、ちまたでは、「うんこ事件」、いや「偽うんこ」事件が大評判でしたね。正直、この事件が私に残したのは、脱力感以外の何者でもありません。「偽うんこ」事件の最初のエントリー「威嚇・脅迫行為が始まった! 」を見たときは、(無常観を感じつつも)裁判に不安を感じているんだろうと思いましたが、まさか「偽うんこ」事件のエントリーが3つ続くとは・・・。


 正直、こんな人を相手にするために本気でまとめWiki の作成を開始したことが情けなく思ってます。まあ、まとめWiki は本命の矢野市議の問題を考えるために役立つでしょうから、今後もちまちまと作業を続けるつもりですが。くやしいので、まとめWiki には西村修平邸連続「偽うんこ」事件 について独立してページを設けました。


【追記】 

 ところで、西村さん、保健所(又は他の民間の検査機関)に「偽うんこ」の検査を出しましたか?まあ、一日で結果はでないと思いますが、検査結果がでたら早く教えてくださいね。