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なぁ助の勝手にレビュー☆

ミーハー気分に任せて好きなマンガ、アニメ(たまにお芝居)を勝手に愛で散らかすブログです。
自分のいいように解釈して、ただただ「いいなぁ~❤」「好きだなぁ~❤」を垂れ流すだけですが、
話の合う人がいないので、「それ、わかるわ~」という方を求めてます。

久々にマンガ読んで泣きました。

というか、気づいたら涙が出てて自分でビビった。

 

「ランフェイで笑って」全22巻

 

 

今日読み始めてね、さすがに読み終わるのにちょっと時間かかりそうだけど、それまで待ってられないから、とりあえず3巻読んだところでレビューしちゃう!

あくまでも3巻までのレビューだから、作品全体としては間違ってることもあるかも。それはそれで、読み終わってから自分で答え合わせをしようと思いますので、ご了承くださいませ。

 

まず、思ったのは、これは、いわゆる『スポ根モノ』だな、と。

絵はかわいげだし、女性ファッションの話で、冒頭女性モデルが主人公然として出てきてるから、少女漫画かな、って思ったのね、第一印象は。でも、中身がどうも女子っぽくない。

 

まず、ショーモデルを目指す主人公「千雪」が女っぽくない。というと、語弊があるんだけどね。身長は低いけど、細身のモデル体型の美人だし、振る舞いだって普通に女子なのよ、確かに。かわいいしね。なんだけど、話しているときの様子とか、男性に対する振る舞いとか、気持ちいいくらいフラットなんだな。自然体。女性的なところと男性的なところの塩梅がいいんだろうね。

 

で、生き様はめっちゃ男前 目

パリコレモデルという熱い夢があって、でも、「低身長」という、努力ではどうにもならないハンデを負っている。そして本気だからこそ、自分のハンデが絶望的に大きいことも痛いほどわかってる。いろいろあって迷ったり決心が揺らいだりするんだけど、でもやっぱり夢が捨てられない自分に気づいて、その夢が、もはや自分のアイデンティティなんだって自覚する。で、夢を追うことでしか生きられないってわかったら、もう「やるしかない」よね。

 

不可能に思える壁にぶち当たって苦悩しながらも、周りを知り自分を発見しながら少しずつ成長していく。これってもう、スポ根でしょ? しかも、才能あふれているのに致命的なハンデ背負ってるとか。もう定番中の定番じゃん!

 

それで掲載雑誌を確認したら『週刊少年マガジン』だったわ。少年マンガだったのね。ジャンプじゃないけど、努力、友情、勝利……ってことですかね。

 

で、でね。そういう出だしだったから、千雪の物語かと思いきや、ダブル主人公なのよ。ってか、むしろ、こっちが主人公なのか。少年マンガなんだから。

 

デザイナーを目指す貧乏少年「育人」。地味で目立たなくて自分に自信のない高校生。でも服を作るのが大好きで、実は天賦の才能を秘めてる。家庭の事情があって夢を追える立場になくて苦しんでる。

 

育人の家族がみんな愛情深くてね。お互いがお互いを思い合いすぎてて、かえってギクシャクしちゃってるパターン。子供4人を1人で育ててきた母は過労で倒れて入院中。長男の育人を筆頭に、学業優秀な長女とスポーツに秀でた次女、それからまだ5歳の三女。経済的に逼迫している中で、育人は家族の幸せを優先し、服飾系の学校への進学を諦めて就職を選ぶ。育人はファッションの道に興味のないふりをしているんだけど、家族はみんな育人がファッションデザイナーになりたいのを知っていて、その夢を諦めさせたくないと思っている。でも、自分の夢を追いかけていいよ、と言ってやれる状況にはなくて苦しんでる。

 

なんか、こうやって書くと設定ベタだなぁ、って思っちゃうけど、なんだろ、「ベタ」って感じがしないんだよね。多分、出てくるキャラクターが作り物っぽくないというか、この家族に限らずね、みんな人間味に溢れてるっていうか、人格がリアルで厚みがある。まあ、一言でいうとバランスがいい。

 

こういうところが、物語全体の魅力につながってるんだろうな、って思う。

 

だってね、158cmのランウェイモデルだよ?

素人でもわかる。それはありえない。まあ、昨今の風潮で、雑誌モデルなんかは体型のバリエーションも求められているみたいだけど、服を見せるためのショーモデルさんとしてはありえないよね。

 

ファッションデザイナーだってさ、いくら才能があるからって、いきなり新進気鋭のデザイナーの事務所に高校生が雇われるとか、ないよねー。

 

でも、そんな設定は些末なことなのよ。所詮フィクションなんだからね。つまり、物語というのは、現実をよりわかりやすい形で(誇張したり置き換えたりして)提示するものなんだから。大事なのはそこで展開する人間模様。それがリアルであれば十分に共感に値するのよ。

 

この作品は、それがなんかいい感じなの。

 

自分に自信がなくて、家族の生活もあって、「ファッションデザイナーになりたい」っていう気持ちをずっと封印してきた育人が、いろんな人に会って、怒濤の出来事に巻き込まれながら、自分の気持ちを見つめ直して、自覚して、最後の最後に「僕な、ファッションデザイナーになりたいんだ」って妹たちに言ったシーン。泣いた。気づいたら涙出てた。あっ、思い出しただけで目頭が。

 

最近思うのはさぁ、好きなことを「好き」って自覚するの、意外と難しいんだよね。「好きなことがない」っていうのは、実は好きなことはあるのに、それを「好き」って自覚できていないってことが多い。仮に気づけたとして、それを「好き」って自分から宣言するのも勇気がいったりするじゃない。ましてや、それで「食っていきたい」って言うのはさ、もう、どんな覚悟なの?って思うわけ。

 

だから、このシーンで「あー、育人、覚悟を決めたんだな」って思ったら、涙出てた。ここで物語終わっていいよ、っていうくらいの名場面だよラブ

まだなにも始まってないんだけどさ爆  笑爆  笑

 

少年マンガとしては、主人公=育人、ヒロイン=千雪、ってことなのかもしれないけど、千雪はヒロインっていうより、ダブル主人公ってスタンスで展開していってほしいなぁ、という願望あります。そして、この作者さんのふわっとしたあったかい雰囲気がそのまま生かされる形で最後まで行ってほしいなぁ、と願いつつ、残り19巻を購入するタイミングを見計らっているなぁ助でございます。

 

読破したら、またレビューします✨

 

 

板チョコアイス。

すでにコラボ商品は品薄ですね。先日、通りがかりのコンビニで伏黒買ったんですが、昨日、近所のスーパーに行ったら、棘と野薔薇の2個しか残ってなかった目

 

で、棘をチョイス。

ごめんね、野薔薇。売れ残りみたいにして。いや、ってか、100円くらいなんだし、冷凍庫に入れときゃいいんだから、両方買ってくればよかったか爆  笑

 

ということで、ウチの本棚には伏黒と棘が追加参戦飛び出すハート

 

 

のんびり推しから買い揃えていたら、こんな中途半端な感じになっちゃったよラブラブ

 

 

なんか、マンガ・アニメジャンルのくせに、芝居になると熱が入って長々と書いちゃうから、これジャンル違いじゃね? ってなりそうなので、今日はアニメです。

 

『呪術廻戦』1期の放送始まりましたね。

で、やっぱりなんですけどね。

 

あたし、自称「悟の女」なんだけど、目隠しした悟が好きなのよ。目が出てるのは、好みじゃない。

いや、カッコイイよ? ステキだよ?

でも、なんか違和感。

 

最初は「やっぱりあの美しい目は隠されてこそのものだから、隠しておくべきだ」とか、「ちらリズムがセクシーなんだ」とか、そんなふうに理解しようとしてたんですよ、自分の気持ちを。でも最近、「いや、そうじゃないな。そんな抽象論じゃなくて、どうも目が出てると好みじゃないらしい」と気づいたのよ。特に両方とも完全に出してるやつは、どうしても違和感があるというか、とってつけた感じがするわけ。別人に思えちゃうのよ。

 

それで、その理由を考えたんだけど、どうも、目が出てるヤツって、顔の輪郭が違ってる気がする。これ、アニメ限定の話ね。あたし原作はちゃんと読んでないから(いや、堂々と言うな!)

 

とにかく、目隠しした(アニメの)悟を見ながら、あのくりくりおめめがその向こうにあるって想像してみたわけ。そしたら、なんかバランス悪い気がするの。だって、あのシュッと縦長のかなりほっそーい輪郭だよ? あれに、あんなくりっとした目を入れたら顔のバランス崩れそうじゃない?

 

それで、いくつか見比べてみたんだけどね。

正直、なかなか同じ条件で比べられないし、TVアニメ、映画、宣材で作画も違うだろうし、検証といえるほどのものでもないんだけどね。でも、あたしの見立てでは、少なくとも正面を向いている場合、目が出てる悟の輪郭は、アゴに向けて斜めになっている輪郭の線が少し曲線的になっているか、あるいは、アゴに向けて斜めになる曲がり角の位置が、若干下になってる。

 

うーん、文字だけだともどかしいな。

 

こんな感じ。まあ、これはちょっと大げさにしてるけど、ちょっと頂点が下がるだけで、丸顔に近づく気がしない?

 

あたし、細くて長くて尖ってるのが好きだから、輪郭がちょっと丸顔っぽくなると、敏感に察知するのかも。無意識に爆  笑

それで「あれ、これはちょっと悟っぽくないな」って思っちゃうのかも 目

 

例えば、こんなの

(著作権引っかかるかな。ごめんなさい💦)

  ↓  ↓  ↓

 

ね、ね、ね?

顔の輪郭が明らかに違うでしょ?

髪型も下ろしてるから余計に重心が下がるよね。より丸顔っぽくなるし、幼くなる。

 

いや、髪型はいいのよ。下ろしてても。てか、それは、「休日の彼氏、初めて見たわぁ。髪セットしてなくてもステキ❤」的なね、改めて惚れ直す感じがあるから、たまに下ろしたりはしてほしいんだけどさ。

 

目が出てるのはねぇ。やっぱりなんか違和感があるのよ。どうしても、同一人物に思えないあたしがいる。

変ですかね、あたし?

単に、悟の目は切れ長であってほしいという勝手な願望なのかもしれないけどさ爆  笑

 

実のところどうなんですか?

目隠しと目出しで、そういう描き分けはあるんですかね?

関係者の方、あるいは絵の専門の方、ぜひ教えて!

 

 

 

先日のエンディングご提案編に追記で!

 

冷蔵庫のドアが自動で開くという仕掛けをやめてウイリーが自分で開けることにしたらどうかな。そうしたら、ウイリーの意志=自殺、っていう印象がより強く出るし、観客の視線も関心もウイリーの動きと共にあるから、あそこまで唐突にならない気がする。気持ちがウイリーに寄り添えば、そのあとの展開にも共感しやすくなるよね?

 

うーん、思うに、演出の方、この「最後に冷蔵庫が自動で開く」というアイディアに若干固執してたのでは?

 

あそこだけあれだけ流れが浮いているというのは、そういうことなのかな、と思うのよ。あたしの勝手な想像だけど。制作あるあるだよね。そのこだわりを手放したら、もっともっと良くなったと思う。

 

……って、「もう考えるのやめる」って言いながら、やっぱり考えてるあたしのほうが、よっぽどしつこくこだわってるわ爆  笑 しかも自分に関係ない他人のお芝居で笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

まぢ、もうやめますびっくりマーク爆  笑飛び出すハート

 

 

セールスマンの死のエンディングが残念すぎて、気がつくとそのことばかり考えている。病気か、あたしはガーン

 

だってさぁ、それ以外はホント良かったのよラブ

 

でね、じゃあ、どんなエンディングだったら、受け止められたかな、と考えてみたわけ。

 

正直、あたしは原作通りでいいと思うのよ。「ウイリーが最近よく自動車事故を起こしてる」っていうくだりはカットされてなかったんだから、あそこをあんなバタバタと急いだ感じではやし立てるんじゃなくて、もう少し間をとって印象付ける感じにすれば、客の記憶に留められると思うわけ。

ああ、ウイリーは車を運転しなくちゃ仕事にならないけど、運転自体がままならないんだな。で、どうもわざとぶつかってるっぽいんだな。ってね。

そうしたら、ラストは自動車の爆走音だけで、十分自殺を表現できる。

 

でも、まあ、今回の演出の方は、敢えて冷蔵庫を選んだんだから、冷蔵庫でうまくいく方法はないかな、と考えてみたわけ。

 

まず、あの冷蔵庫が抽象的な存在で、何かを象徴しているということを観客に伝えないといけない。本当は、それをお芝居の流れの中でできるといいんだけど、ちょっと難しいよね。今回、セットは抽象的にアレンジされてるけど、役者は原作に忠実なリアル演技で、超どストレートプレイになってるもんね。余計なことしたら、それこそ台なしになる。

 

とすると、あとは、やっぱり冷蔵庫が開いたときに、それを示唆するしかないと思う。中があんなにリアルだと、もう冷蔵庫にしか見えないから、やっぱり中身を変えるのがいちばんかな。

内側に赤のビロードとか張ったらどう?

棺桶のイメージ。あの、ドラキュラとか入ってそうな、だれが見ても「棺桶!」って思えるようなステレオタイプなやつ。

そうすると、ウイリーが自らそこに入っていくことで自殺を暗示できるよね。

 

で、その棺桶は緑の葉っぱに縁取られて、中からは豊かな自然を想起させる明るい健全な黄緑のライトがあふれるの。まあ、黄色でもいいけどね。

原作では、(私の記憶が正しければ)ウイリーの精神が過去に迷い込む場面で、舞台が緑で縁取られるというト書きがあったんだよね。このお芝居の「緑」って古き良き時代を象徴しているのよ(と、かつて論文で主張してみたことがあります。あたしの勝手な解釈かもしれないけど)。そのト書き指示を、この冷蔵庫棺桶に活かして使うの。そうすると、古き良き時代の夢を捨てきれないウイリーが、ビフを救うために自殺しようとしているという解釈が実現できそう。でも、それは「冷蔵庫」に象徴される、ウイリーの中の古い価値観に飲まれるということでもある、ってね。

 

でもって、ウイリーが棺桶に入っていくお芝居の最中に、そのきれいな黄緑の光がだんだん濃くなって、不気味な緑色に変化していく、っていうのはどう?

緑は西洋では「死」を暗示する色だからね。原作では、車の走り去っていく音→錯乱的な音という形で「死」を暗示してるじゃない。つまり聴覚に訴えてる。今回は「冷蔵庫」で視覚的に表そうとしているんだから、なんか、その「死」を暗示する「錯乱的な何か」を「視覚的」に示したらいいんじゃないかな、と思って。きれいな色のまま棺に入るより、不気味な陰りの中で消えていくほうがウイリー・ローマンぽいかな、と。あるいは、それこそ錯乱的に暗い緑の光の断片が入り乱れていくとかね。

いや、ここは入り乱れないほうがいいかな。静かに色が変わっていくほうが、かえって不気味さを表現できそうな気がする。

 

え、いいじゃん! これなら、なんか少しは伝わりそうな気がするぞ。

 

、、、って、あたし、完全に他人のふんどしで相撲取ってるし、自己満足だし爆  笑爆  笑爆  笑

 

でも、まあ、冷蔵庫でもやりようはあるね。

うん、なんか、それで、あたしの中では決着ついたから、そろそろ、残念話は終わりにしよう。引きずっていてもしかたない。

 

次行こう、次!

 

 

役者編に引き続き、演出編です。

 

上演を知ってからずっと、どんなセットになるのか、すごく気になってました。原作通りにしたら、絶対ダサくなる。でも、ある程度リアルなセットにしないと、世界観が出ないというか、夢と現実との行き来をうまく表現できないはず。チラシを見ると、役者さんの衣装はかなり原作に忠実だから、いわゆる「翻案モノ」ではないみたいだし、どうなるのかなぁ、と。

 

で、緞帳が上がったら、まさかの背景なし。

舞台上にパネルはなく、全体が消し炭色のがらんとした倉庫のような空間。多分舞台奥まで全部見せてたと思う。

中央には象徴的な、古びた大きな冷蔵庫。

その上に吊られている2本の電信柱。

少し手前に、商品サンプルを入れる巨大なスーツケースが置かれていて、傍らに立つ段田さん。

 

おお、インパクトあるね。

原作に漂う無機質な世界観がうまく出てる。

見た瞬間、期待値上昇しましたね。

 

でもさあ、これってくたびれたウイリーの心象世界であって、ここで現実の場面もやるの? それってどうなの? とか思ってた。

 

そしたら、なんと!!!

ちっちゃなキューブ状のリアルなセットが、袖からゴロゴロと押し出されてきた。いかにも1900年代前半のリアルなキッチンのセット。ダイニングテーブルにはリンダ役の鈴木保奈美が座っていて、運ばれながら、なんか普通にセリフ言ってるんですけど?

 

なんですかこれは!!

新しすぎる!

 

消し炭色のガランとした空間に、現れては消えるリアルな舞台セット。なんかね、砂漠のように枯れ果てたウイリーの精神の中に浮かんでは消える、現実や夢のカラフルな世界を見事に再現してるんですよ、セットが!!!

暗転じゃなくてね。芝居継続しながら現れてくるのよ、黒子さんに押されて。で、キューブセット上の役者さんは、セットが定位置に配置されるのを待たずに、ごろごろ押されながらお芝居は継続してるわけ。それがね、遠くから声が聞こえてきてふわーっと現実に引き戻されるウイリーの精神状態そのものなのよ。

 

すごい! 超名案!

感動したわ。アイディアの勝利。

 

キッチンの他に、子供部屋と、緑の茂った庭もあったね。これらが、右から左から、時にはぐるっと遠回りをするようにして舞台上に入ってきたり、はけたりするわけよ。しかも、リアルセットだからテーブルやら二段ベッドやら、とにかく、大通具、小道具満載で、ときには役者が3人も乗っているというのに、動きが流れるようなの。きれいな弧を描くようにして回り込むように現れたり、ホント、自由自在。その動きがなめらかで美しすぎて、きゅんきゅんしましたわ。しかも音がしない。あたし今回は前から3列目だったから、かなり近かったはずなんだけど、セットが動く音は全く記憶にないのよ。すごくない? 職人技だよね。アイディアもスゴイけど、それを完璧に実現した大道具さんも超一流だよね?

 

間口も奥行きも広くなったパルコの舞台だからこそ実現できたアイディアだね。

 

あと、レストランの場面転換も良かった。

ウエイターとかの役者さんたちがテーブル持ってきて踊るのよ。入りだったか、はけだったか、両方だったか忘れちゃったけど。でも、とにかく、みーんながテーブル持ってキレッキレのダンスをするの! 無表情で! 無機質な世界観が出てて良かったわあ。それで、無駄にテーブルがいっぱい並べられててね、いちばん上手の手前の席にいるハッピーが、下手の方の奥の席にいる女の子と会話するとかね、その対角線の感じとか、なんかおしゃれだったわ。

 

でも、でもね、最後に1つだけ書かせてほしい。ほんと申し訳ないんだけど、1つだけどうしても残念すぎることが。

 

舞台の中央に冷蔵庫を置いたのは、原作を知っているあたしとしては、いいね、って思ったのよ。でも、それについて何の説明もないと気になるよね。本当にびっくりするくらい完全無視で話が進んでいて、何も知らない人はどう思ってるのかなぁ、って気になっちゃってね。でも、あまりにも完全無視なんで、ま、ストーリーに直接関係ない、ちょっとしたイメージ用の置物みたいな位置づけなのかな、って思い始めてね。そのうち役者さんの演技のエネルギーで、ストーリーに巻き込まれちゃったから、冷蔵庫の存在すら気づかないくらいになっちゃってね。

 

なのに!!!!

なのに、なんでよ?

なんで、最後の最後で、しかもめっちゃ大切な、この作品のタイトルとテーマに関わる重大なエンディングの場面で、突然、何の脈絡もなく冷蔵庫が自動で開いたの?

それが、中身が妙にリアルでね。カラフルな野菜とか食材が並んでてね。

グレーを基調とした舞台の中で、内側から光を放つ冷蔵庫は確かにインパクトがあったけど、あまりに唐突すぎて「?」しか浮かばないよ。

それまでのストーリー、吹っ飛ぶよね。

そんでもって、なんでウイリーは冷蔵庫の中に入った????

しかもめちゃめちゃ厳かに。

で、

冷蔵庫のドアが自動で閉まって、緞帳降りたんですけど?

ナニゴトデスカ?

 

もうね。降りてくる緞帳見ながら

ナニゴトデスカ?

の嵐ですよ、頭ん中。

ある意味、それしか残ってなかった。

 

あれはだめ。絶対許せない。それまで積み上げてきたもの、全部台無しにしたよ。なんであんな最後にしたの? 別に、変えるなら変えるでいいのよ。それが芝居の楽しさだし、演出の妙味だからね。でも、あれは改悪。

 

「冷蔵庫」「光」「色」あたりで、何か象徴的な意味を持たせようとしたのかもしれないけど、それならもっと誘導してくれないと。しかも冷蔵庫の中があまりにリアルすぎて、「象徴」っていう感じで受け止めることができない。何か象徴したかったなら、扉を開いたときにもっと抽象的な見た目にするべきだったと思う。

 

あるいは、冷蔵庫の中のリアルさは、強い意図を感じるレベルだったから、そのリアルさに何か意味があったのかもしれない。キューブセットと同じ位置づけ? だとしたら、観客がそう受け取れるように、それまでの流れの中で、冷蔵庫の意味について誘導が必要だった。とにかく唐突すぎて受け止められない。

 

観客をはっとさせるサプライズのつもりだったのかな。だとしたら、最後まで完全に気配を消しておいて突然出したんじゃだめだよね。そこに何かがありそうって、今回の場合は、少なくとも冷蔵庫になにか意味がありそうっていう「匂わせ」をきちんとしておかないと。じゃないと、ただのびっくり箱でしょ。「うわ、びっくりした」で終わっちゃう。

エンターテイメント性の高い作品だったら、それでいいよ? いやあ~、最後で冷蔵庫開いてびっくりだよねー、で。

でも、これ、チョー文学的な作品で、しかもその文学性を全面に押し出した演出だったんだよ? 基本的に原作にかなり忠実につくられていたし。なのに、なんで最後の最後のいちばん大事なシーンをこんなふうに変えた?

 

ほんと、それ以外は、演出、舞台装置、演技、、、全体としてすごく良かったのよ。そもそもアーサー・ミラーはジャーナリスティックな劇作家だから、彼の作品を原作の設定のまま、現代の日本で演出すること自体がとても難しいと思うのよ。だから、リアルなところと、抽象的なところとバランスよく、うまいことやってるなぁ、って思って見てたのよ!! 

それなのに……もう、ホント残念。

アーサー・ミラーが草葉の陰で泣いてるって。

 

だって、冷蔵庫の中に入るって、もう笑えるレベルでしょ? ウイリーの選択の滑稽さを出したかったのかなぁ。だとしても、間違ってるよなぁ。ウイリーの滑稽さは、ああいう滑稽さじゃないもんなぁ。何がしたかったのか、全然わからない。

 

一緒に見に行った人は原作を知らないから、開口一番「あの最後って原作通りなの?」って聞いてきた。「一瞬笑いそうになった」って。

うん、そうでしょうともよ。あたしも、「えっ!」て声上げそうになったよ。あれじゃ、自殺したことの暗示にもならない。

いや、まじ、ひっさびさに怒、怒、怒。

 

あまりに残念すぎてね。確かにあたし、原作の細かいところは忘れちゃってるしね、ちゃんと確認しなきゃ失礼かな、と思ってamazonで原作ポチりましたよ。

やっぱり、最後の場面に冷蔵庫はなかったよ!!!

 

 

あたし、なにげに英文科卒で専門はアーサー・ミラーだったんですよ。マリリン・モンローの3人めのダンナさんね。

で、そのアーサー・ミラーの代表作である『セールスマンの死』を、あたしの大好きな段田安則さんがやるっていうんだから、もう、行くしかないわぁ。ということで、パルコ劇場に行ってきました!

 

 

ちょっと前にあの、狂乱の『ロッキー・ホラー・ショー』をやってた劇場とは思えないくらい趣きが異なる。もー、めちゃくちゃ暗ーい、救いのないお話ですからね。覚悟はいいですか、みなさん爆笑

 

さて、やっぱり何と言ってもウイリー・ローマン役の段田さんの渾身の演技!!! これに尽きます。

冒頭、セールスマンのトレードマークである大きなスーツケースの傍らで、疲れ果てた風情で立っている段田さん。もう哀愁漂っててヤバかった。夢と現実の間で疲れ果てた感じ、それでもなんとか生きている感じ、立ってるだけでウイリー・ローマンだったよえーん

そしてあの声。ほんと、いい声だねぇ。段田さんの声は本当に独特。低いんだけど、鼻にかかっていて、なんか音が二重に響くんだよね。それがなんともいえないニュアンスを漂わせてる。

それから無駄を削ぎ落とした必要十分な演技ね。今回はとにかく動きに無駄がないなぁ、という印象。「老い」の表現なのかな。で、そのミニマルな演技を通して、ウイリーが精神的にギリギリのところでなんとか生きてるという張り詰めた緊張感が伝わってくる感じ。

その一方で、空想から現実に戻る瞬間に一瞬足を止めるとか、リアルではない示唆的な仕草もあって、それがわざとらしくなく印象深く響くんだよね。さすが、いぶし銀の演技だわ。

そもそも段田さんのお芝居は、なんというか、優雅な感じがあるから、今回の重々しい役にぴったりハマったんだね。以前シアターイーストの三谷幸喜のお芝居で段田さんを見たときには、ちょっとコミカルな要素もある役だったんだよね。で、なんかちょっと笑いにくいというか、少し違和感があって、あれー段田さんってこんな感じだったっけ?って思ったんだけど、今回はバッチリだった。まあ、合う合わないはあるよね。

とにかく、もんのすごい緊張感の続く渾身の演技。いいもの見せていただきました!!!

 

意外性のあるところでは、林遣都のチャラい役が予想以上にハマっててよかった。林遣都って、見るからに繊細で線の細い感じを放っているじゃないですか。現実にどんな方かは知らないですよ。多分、見た目とは裏腹にすごく男っぽいのかもと思ったりはするんだよね。「おっさんずラブ」で、あんなに話題になったのに、イメージが定着するのが嫌だからって、続編に出なかったっていう噂あるし。でも、まあ単純に見た感じは、触れたらこわれそうな感じですよね。で、林遣都が演じたハッピーという役は単にチャラいんじゃなくて、父親であるウイリー譲りの「現実逃避」を背景にもっている人物なんだよね。薄々自分のちっぽけさをわかっていながら、それを受け入れられず、そこから目を逸らすためにチャラく生きてる、っていう設定。だから、はまり役だったのかも。チャラく振る舞いながらも、そこはかとなく漏れ出る繊細さっていうんですか、ちょっと何かあったら壊れそうな危うさっていうんですか、そのあたりのバランスがすごく良く出てた。あー、まさにハッピーだねって思ったわ。キャスティングした人、スゴイな。

それであれを思い出したわ。フジテレビのドラマの『カラマーゾフの兄弟』の三男の役。おぼろげな記憶しかないんだけど、あれは、逆に、なんか暗さと繊細さが凝縮してた気がするんだが。もう1回見直したいな。

 

そして、福士誠治

舞台で見たのは2度めなんですが、前回は着物だったから気づかなかったんだけど、いや、めっちゃスタイルがいい。顔がきゅって小さくて足が長くて、モデルさんだね。そして、お芝居がこなれてる。なんだろう、器用な人なんでしょうかね。ソツがない感じがします。

ビフも難しい役どころで、小さいころから父親のウイリーを崇拝していたのに、運悪く彼の浮気現場に出くわしてしまったことで夢から覚めた人。そのせいで人生を棒に振ってしまったわけで、父親を憎んでいてもおかしくないんだけど、父への愛情は失ってなくて、正気を失いつつあるウイリーを気にかけている。ハッピーより父親への情愛は深いんだよね。でも、近くにいると父の現実逃避の世界に引きずり込まれてしまうから、父を突き放してそこから必死で這い出ようとしている。その微妙な感じを違和感なく演じていたと思う。どうも、朝ドラの『純情きらり』のイメージが強くて、あまりお芝居上手じゃないイメージが拭えないんだけど(第一印象って怖いね)、研鑽を積んだ演技派さんなのかも……。

 

鈴木保奈美は、出だしの演技が大仰で、段田さんとの落差に、うわ、どうしよう、って思ったけど、ウイリーを守るために息子たちに激しく詰め寄る長台詞の場面とか、圧巻でした。さすが。

なんだろう、鈴木保奈美の声って高くて響くから、舞台で声を張り上げると変に浮いちゃうのかな。だから抑えた演技しなくちゃならないときにけっこうキツイのかも。舞台より映像のほうが合うかもね。

復帰作のNHK大河『江』のお市を見たときは、あれだけのブランクがあったのに、すげーな、と思ったし、あと織田裕二と共演が話題になった『スーツ』の所長も良かった。演技というより、雰囲気と存在感で女優張ってるタイプなんじゃないかな、と思うわ。

まあ、個人的には、川井一仁と結婚したっていう事実だけで、きっと男気のあるいいヤツ、って思ってる。当時私もF1にはまってて、毎回テレビ中継見てたし、川井ちゃんのピットレポートとか最高だったから、鈴木保奈美見る目あるじゃん、って、保奈美株バク上がりでしたわ。

 

あと、白いスーツの高橋克実、最高!

出番少ないけど、重要な役どころのベン。ウイリーの年の離れた兄で、成功者の成金。セリフが断片的だから、ウイリーの憧れの対象として圧倒的な存在感を出すのが大変なキャラクターなのに、白のスーツと白のハットをバシッと着こなしていて、立ってるだけで「ベン」感めちゃめちゃ出てた。で、あのしゃがれた声が、ちょっと野蛮というかワイルドというかそんな感じを漂わせてていい感じだったわあ。やっぱり、叩き上げの役者さんだよねぇ。

まあ、個人的にはね、当時大好きだった、「夢の遊民社」の段田安則と、「劇団離風霊船」の高橋克実が、円熟した姿で共演している図が感慨深かった。時の流れ、偉大だわね。

 

そうそう、今回は掘り出し物があったのよ。前原滉

まず、冒頭の大事な場面で、すんごくゆっくり自転車漕ぎながら、ウイリーを見つめなくちゃいけなくて、もう、見てるだけで自転車倒れないかしら、って、ハラハラしたわ。この人すごく練習しただろうな、とか、めちゃくちゃ緊張するだろうな、とか、芝居と関係ないこと考えちゃって、それでまず記憶に残ったわけ。役柄は隣家の息子のバーナード。ビフとの比較対象キャラね。子供時代のメガネと半ズボンの姿がなんか違和感あって、ますます気になっちゃったわけ。演技は安定してるのに、この違和感はなんだろう、って。で、成長して弁護士になった姿を見て納得。いや、めっちゃスタイルがいい。福士誠治といい勝負。メガネと衣装でダサくしてたけど、長い脚が目立っちゃって違和感だったんだわ、きっと。雰囲気もよくてねぇ。この人、もっとお芝居上手になったら売れるかもって思っちゃった。

カーテンコールは間近で見られたんだけど、顔はなんというか、星野源タイプ? 決してイケメンという感じではないから、どっかの劇団の人かな、と思って調べたらトライストーン・エンタテイメントなのね。小栗旬とか綾野剛とかの。んで、なんと次、大河に出る! 小栗旬繋がりのキャスティングだろうね、きっと。

『鎌倉殿の13人』の5月1日の第17回!

なんというナイスなタイミングラブ

テレビの演技に注目したい目

 

……と、なんか長くなったので、今回はここで一旦中断。

次回は、演出について書きます~ラブラブ

 

 

せっかくなので本棚に並べてみた。

悟を探せ!

 
答えはココ✨

 
課題図書とかの健全な物語群に紛れ込んでる感じが良くない?

爆笑爆笑爆笑

 

 

この前は、外箱を真っ二つにしちゃったから、再度購入。

 

 
 
 

今度はいい感じ。

 

写真撮ろうとしたら、

ななみんだけ顔認識された爆笑

黒のサングラスはOKだけど、

黒の目隠しはダメなのね。

 

 

ちょっと、みなさん、『鎌倉殿の13人』第15回見ましたか?

すばらしい、もー、素晴らしかった。

男たちがとにかく、もー、とにかく素晴らしかった!!!

 

なかでもダントツで大泉頼朝でしょう?

ってか、「大泉頼朝」とか呼んだら失礼ですよね、っていうくらい、本当にすばらしい人物造形だった。なにより、あんな難しい微妙な立ち位置を、見事に演じきった大泉洋に、ただただ喝采を送りたい。

 

頼朝は回を負うごとに、人物に深みが増してくるね。

頼朝のために一肌脱いだ上総介に、全ての罪を負わせて殺す。しかも、上総介を陥れて殺すという策略を立てたのも頼朝自身で、あろうことか腹心の小四郎まで騙して実行したんですからね、極悪非道に見えますよ。そりゃもう、人非人レベルですよ。でも、確かにね、上総介は、頼朝に懐疑的な坂東武者たちの信頼を一身に受けていて、彼らをたやすく束ねることができる器量をもってるわけだからね。生かしておくのは危険すぎるよね。頼朝からしたら、目的の達成のために最も効果の高い手段を選んでるだけなんだよね。

「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」

うんうん、その通り。信じられる味方がほとんどいない頼朝からしたら、ちょっとした綻びも残すわけにはいかないから、最善をつくしているわけですよ。裏切る前に殺せ、的な。

でも、じゃあ本当に冷血で極悪非道かというと、そこはね。だって、もう殺すことが決まっているんだったら、前日に上総介と飲む必要なくない? そこ、敢えて酒席を設けてねぎらっているわけよ。そして「私なりに礼は尽くした」と言うわけ。これはね、建前じゃなくて本当にそうなんだと思うの。少なくともそう思わせる演技になってる。頼朝は彼自身の大義と良心に照らして行動してるってことなんだよね。

 

で、やっぱり来たね。上総介の手習いの伏線回収。死後に上総介の手書きの封書が見つかったじゃん! やっぱりねー。手習い匂わせシーン、絶対に伏線だと思ったのよ。あのときは小四郎が「子供の手習いですか?」って聞いてたけど、今回は頼朝に「子供みたいな字だ」と言わせて、あのシーンを想起させていましたね。覚えている人は「あー、上洛後のことを考えて手習いしてたんだっけな。」って思い出すよねー。そしたら、上洛できずに殺された切なさが増すよねぇ。上総介は上洛を待ち望んでいたのに果たせなかった、って、直接言わずに見事に視聴者に伝えたねぇ。

 

さて、上総介の封書を渡された頼朝は「こんなの読めん!」と興味なさげに無造作に小四郎に渡すんだけど、小四郎が内容を読み上げると、そこには「これから3年のうちにやるべきこと」が列挙されていて、「これ、すべて、鎌倉殿の大願成就と東国の太平のため」って結ばれてた。

いやー、泣ける。小四郎が泣きそうになりながらも、涙を流さずに読み切って、頼朝にうやうやしく封書を差し上げたのが、これまたよかった。あそこで泣いたらダメだったよね。だってさ、小四郎もギリギリのところで広常が斬られるのを傍観したわけで、ある意味、最終的に加担したんだから、頼朝の策略に。だから、あそこで泣いたら薄っぺらくなるところだった。ト書きにあったのかどうか知らないけど、やっぱすごい。

 

そして、内容を聞いて封書を受け取ったときの頼朝は、今までで最高の演技じゃないですかね。まず、その子供のような稚拙な文字を無表情でじっと見つめる。それから、それをぐしゃっと丸めて捨てると、何も言わずに立ち上がり、立ち去る……かと思いきや、途中立ち止まって背中を向けたまま、一言、「あれは謀反人じゃ」とつぶやく。そして去っていく。

いいねぇ。ずっと無表情なのがよかった。表面上は、あくまでも絶対的君主としての顔を崩さない。でも、その微妙な「間」が、心の中の逡巡を思わせる。お見事。もう、お見事と言うしかないっすよ。大泉のアニキ! 

こういうのって、どこまでト書きでどこからが役者さんなんですかね。知りたいなぁ。

小栗旬と大泉洋の張り詰めた演技が、ものすごい緊張感を生み出していて、本当にリアルで説得力のあるすばらしいシーンだったと思う。

 

あー、これで上総介退場かぁ。楽しみが1つ減っちゃうねぇ。最初は御し難そうな感じで出てきたけど、お茶目で憎めなくてほんといいキャラだったのに。

 

しっかし、今回は見納めサービスなのか、上総介の見せ場てんこ盛りだったねぇ。

まず、序盤は謀反組に加わっているように見せかけながら、うまく御家人たちを誘導するところ。微妙な立場を表す顔芸がすばらしかった。大ベテランの演技力。

それから、頼朝との酒席。相変わらず「武衛」呼びでね。「お前はわがままだけど、そのままでいい」なんて頼朝に言っちゃってね。素朴で子供みたいに無邪気なところがよく出てた。

そして、斬られるシーンね。梶原に斬りつけられ、信じていた小四郎に拒まれ、すがった頼朝に謀反人呼ばわりされ……信じてた人に順々に裏切られていく中で、少しずつ状況を理解して、絶望していく感じが、もう全身から伝わってきた。

 

極めつけは、封書を書いている回想シーンだね。無邪気さ爆発。あの無邪気な表情としぐさで、天真爛漫に頼朝のためを思って、子供のような字で「これから3年のうちにやるべきこと」を書いてたのかと思うと、もうひたすら泣ける。切なくて言葉もない。ここのところ、というか、謀反ばなしの前から、本筋に関係ないのに何度か小四郎と上総介の2ショット場面があって、「え、なんで上総介?」って思うことがあって、上総介が何かのキーパーソンになるのかなぁと思ってたけど(多分そんなこと書いた気がする)、この場面のための下地づくりだったんだねぇ。

 

とにかく、これまでの破天荒な感じとか、感情のままに動いてしまうところとか、ぜーんぶ今回で回収されましたね。私は芹沢鴨より圧倒的に好きでしたよ、上総広常。今回の上総介を見ながら、何度か『マジックアワー』のデラ富樫を思い出したりしてたんですがね、新たに佐藤浩市の伝説の役が生まれたね、って感じですね。最高でした。ありがとうございました!!!

 

あと、今回は小四郎の見せ場もあったねぇ。これまで、個人的に交流を深め、スパイを頼めるくらいまでに信頼関係を築いてきていた上総介を、最後の最後で見捨てたんだからね。しかも、信じていた主君に裏切られて。それはもう、心臓えぐられるような思いだったろうけど、でも最終的には自分の意志で見捨てたわけだ。今回、頼朝に騙されて仕方なく、という演出にはなってなかったね。あくまでも、ギリギリのところで、小四郎自身が自分の意志で決めた、って形で見せてる。だから、多分この選択が、これからの小四郎のあり方を暗示しているんだと思う。1つの転機になるのかな、きっと。義村とのシーンで「おまえ、気づいてないかもしれないけど、鎌倉殿に似てきてるぞ」って言われてたから、これもきっと伏線、あるいは読者の誘導だよね。

 

いずれにしても、小栗旬、今回は抑えたしぶーい演技でよかったっす。頼朝に対する複雑な思いをぐっとこらえて、普通に振る舞おうと努めている感じがすごく伝わってきた。ここまでは比較的ゆるーい感じだったから、今回の、内に秘めた激情を必死に抑える感じがすごく際立ってた。特に目ヂカラがもう半端なくよかった。小栗旬、絶対目ヂカラ演技を意識してるよね。目に力があるときとないときの落差がすごすぎるもん。イケメン系役者さんはさあ、かっこよくあろうとするのを捨てると、演技が格段によくなるよね。小四郎も情けないときは思いっきり情けなく演じられているから、ここぞってときの迫力が増すんだろうね。俳優小栗旬、これからも楽しみっす。

 

そしてこのタイミングで北条泰時が生まれているっていうね。ここから北条家の権力への道が始まりますよ、的な? 頼朝への複雑な思いをきっかけに、亡き兄の愛之助宗時が語っていた「坂東武者のための国を作って北条が治める」っていう理想への道が始まるんですかね。泰時を抱いたときの小四郎の表情も微妙だったので、その辺も気になりますなぁ。

 

ところで、ちょっとWiki先生に聞いたら、泰時は庶子で、母親の出自は不明なのね。いやー、ここに八重さんをもってくるスキがあったわけね。大河ドラマは歴史から外れることをあまり好まないはずなのに、なんで八重姫がガッキーなのかな、って思ってたんですよ。八重姫は頼朝と別れてからの記録がなくて、すぐ退場するような人物なのに、ガッキーのような大物女優さんが配役されるのは変だなぁ、って。どうして小四郎の初恋の人なんて位置づけにしたのかなぁ、って。でもやっと意味がわかったわ。出自不明の女性なら、うまいこと実在の人物を重ねちゃってもいけるよね。記録がないから同一人物にしちゃえって感じですかね。頼朝の最初の妻が後に義時の内縁の妻になるって、ドラマチックだしね。今後なにか絡んだりするのかな。その辺の楽しみも増えるしね。いやー、さすがだわ、三谷先生!

 

あと、最後におまけなんだけど、今回、小池政子が御台所として成長しててほっこりした。三浦義澄らを前にして、「あなたたちがそれほど思い詰めていたと気づきませんでした」って言って、すまなかったと、深々と頭を下げてましたね。これからは頼朝に言えないことは私に言えと。敢えてこのシーンを挟んだのも意味があると思いますよ。北条家の権力の道に政子は欠かせないですからね。エイコの今後も楽しみ❤