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なぁ助の勝手にレビュー☆

ミーハー気分に任せて好きなマンガ、アニメ(たまにお芝居)を勝手に愛で散らかすブログです。
自分のいいように解釈して、ただただ「いいなぁ~❤」「好きだなぁ~❤」を垂れ流すだけですが、
話の合う人がいないので、「それ、わかるわ~」という方を求めてます。

第21回のレビュー書いてる最中なんだけど、NHKのホームページ覗いたら、第7次出演者が発表されてましたね。

 

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=34525

 

菊地凛子!!

そう来たか。これは、エイコと張れるやつ。小四郎の第三の妻か。うーん。楽しみ。

 

あと、山中崇!

この人、すごく雰囲気あるんだよね。ただ、役の当たり外れが大きい。なんでかな。ルックスが地味だからなのか、役によっては平凡に紛れちゃうんだけど、うまくハマるとものすごく色気があったりする。単に味があるってだけじゃない気がするのよ。時政とりくの娘婿。か。歴史うといから、よくわからないけど、なんか「悲劇を呼ぶ」とか書いてあるね。あんまり惨めな感じにはなってほしくないなぁ。救いのある感じでお願いしますね、三谷センセ。

 

そして、なんと、山寺宏一!

この人はねぇ。なんですかねぇ。器用にホドがあるよねぇ。なんでもこなすよねぇ。

でも役者で出てるの見たことはあるんだけど、演技はあんまり記憶にないなぁ。僧侶か。不気味な感じでハマりそうかな。やりすぎなければおもしろくなると思う。どれだけ抑えた演技ができるか、かな。期待して見ていきます!

 

それ以外の方は、名前を見たことがあるとか、あまり存じ上げない方なんですが、きっと新しい発見がいっぱいあるはずなので、全員注目しながら見ていこうと思います。

 

それにしても、次から次へと実力者たちをとっかえひっかえ。どんだけ贅沢なドラマなの? これも三谷先生の実績ゆえですかね。と三谷幸喜推しのあたしは、よいことは全て推しのお陰ということにする爆  笑

 

 

なんか、前回誤解させるような書き方をしてしまったのですが、あたし、八重さんを悪く言うつもりは毛頭ございません。

ガッキーよかったと思うもん。あの現実感のない、微妙な浮遊感が彼女の持ち味だと思うし、そんなほっこりの中で、頼朝のこと「あれは気の迷いでした」って、目をくりっとさせてきっぱり言うから、セリフに力が出るっていうかね。もう、あれは、新垣結衣にしか出せないやつ。あたしの中で同じジャンルに堀北真希も入ってるんだけど、イメージ伝わるかな。古くは田村正和。役柄を自分に引き寄せるタイプで、しかも御本人に生活感がないっていうパターンね。良くも悪くも現実感がないから、役とか演出とかがハマると不思議なパワーを見せる。古畑任三郎とか、逃げ恥とか。あ、そういえば、古畑任三郎は三谷幸喜じゃん。

 

ただ、そういう独特の浮遊感があるから、役によっては不自然で下手に見えちゃったりする。八重さんは全然問題なかったと思うけど、今回に限っては、ストーリーのタイミングと演出との兼ね合いで、まあ、ベストとはいえない状況で最期を迎えちゃったなぁ、っていうのが、すごく残念でね。

 

 過酷な脚本環境

まず、ストーリー的=脚本的に、今回は、後半に向けての準備回だったということ。そのため、新登場の人物が多かった。合議制に参加した13人の1人八田知家や、北条氏の次世代を担う北条時房、鎌倉時代といったら社会の教科書にも出てくる運慶、あとオリジナルキャラの鶴丸も。一挙に顔見せだったよね。それだけでもおおわらわでしょ? 畠山は今までも出てきたけど、今回初めて「北条家」の身内として紹介されたし、もう一人の妹のダンナ稲毛も出てきた。これらを、自然な流れで出してくるだけでも大変な作業だよ。

しかも、そこに、北条家の内側の火種も仕込んでたしね。りくの暴走とか、大姫のサイコパス化とか、畠山&ちえと稲毛&あきの扱いの格差とか。

 

そこにメインの「八重さんの死」だよ。

いやもう、どんだけよ。45分しかないんだよ? もりもりにも程があるって!

 

また、状況が厳しいことにね。八重さんは、そもそも小四郎を描くための装置的な側面が強かったから、ここまで八重さんメインで描かれてなかったんだよね。頼朝LOVEのときはね、八重さん自身がキーパーソンだから、なかなか尖った強烈なキャラとして描かれてたんだけど、その後は、まあ、歴史的資料の裏付けのない、限りなくオリジナルキャラに近い存在だったから、どうしても小四郎とセットで出てきて、小四郎の心情描写のためのシーンに寄り添う感じだったよね。それが、上総介や九郎たちとは大きく違うわけよ。キャラクター描写の積み上げがない。

 

でも、さらりと死なせたくなかったんだろうね。あるいは、この後の展開の事情があるのかな。いずれにせよ。八重さんの死を大きく取り上げることにしたわけだ。

 

足りない人物描写をたった1回で埋め合わせるにはどうするか。まあ、セリフベースの説明になるよね。《頼朝とのことでいろいろ大変な思いをしてきたけど、いまは小四郎のおかげで幸せに暮らしてるんですよ》っていう変化を見せなくちゃならないから、とりあえず政子に「顔つきが変わった」「幸せなのね」とか言わせるしかない。セリフベースなのでどうしても説明的になっちゃって、取ってつけた感が出ちゃうよね。

そんで頼朝がいきなり昔話を始めたじゃん。びっくりするよね。おいおい急にどうしたよ?ってね。みんなが気まずくて話題を逸らそうとしてるのに、強引に思い出話に引き戻そうとするし、場面が変わったあともその話題引きずってて、「金剛とオレ似てる」説のゴリ押しキョロキョロ それ自体は愉快で、あたしの好きなタイプの笑いなんだけど、なんせ、そこでその話題に固執する理由がわからん。必然性がない。もしかして小四郎と張り合ってるのかなぁ、とかね。あるいは、八重さんに「あれは気の迷いでした」と言わせるためなのかなぁ、とかね。でも、八重さんと頼朝、前回一瞬すれ違ったけど、そのときはもう主従な感じだったじゃん。ここでいかにも元夫風情で蒸し返すのか?と。

 

だいたいあの小四郎&八重、頼朝&政子のダブルカップルが談笑してるっていう設定もナゾでしょ。確かにあるかもしれないよ、そういう状況は。でも、これまで八重が公の場に出てくることほとんどなかったんだよ。なのに突然頼朝&政子のところにお呼ばれしてたり、北条家勢ぞろい場面に出てきてパパに手作りのわらじあげたり、大姫のお手伝い買って出たり。そして行く先々で褒められてる(笑)政子なんてべた褒めよ? しかもめっちゃ説明的に褒めてる(笑)前述の「顔つきが変わった」→「幸せなのね」とか、「世話してる子供は何人になったの?」ってあちこちで聞かれて「10人」→「11人」→「15人」って増えてって、最後に政子が「徳が高いわね」と言って〆るとかね。こういうセリフベースの八重描写が、もう気になって気になって。積み上げがない分をセリフでまかなうのは、まあ常套手段だと思うけど、悪く言えば作り手の魂胆丸出し。まあ、事ここに至っては他に術はないのでしょうけれど。

 

川で流された子供を救いにいくのもね、「鶴丸」という仕掛けを設けたせいで、かえってごちゃごちゃしちゃった。今まで全然触れられてなかった「千鶴」のイメージを、ここで敢えて匂わす必要あった? もうむしろ、名もない子供が流されて、それを救ったってほうが、むしろ八重さんらしかったんじゃないかとすら思っちゃったよ。「どんな子供も平等に救いたい」っていうね。なのに匂わせのせいで鶴丸に特別感が出ちゃった。鶴丸が千鶴を想起させたから助けに行ったのなら、「他の子だったら行かなかったのか」って疑問の余地がある。もしそうなら、来る者拒まずで15人も面倒見てる八重さんのイメージとずれてくる。そういう些細なところで八重さんの人物像をがぼやけちゃってる気がするのよ。

 

ていうか、「千鶴」と「鶴丸」の匂わせも半端すぎて困る。最初に名前を聞いたシーンで八重さんが反応してるし、オリジナルキャラであえて「鶴」使ってるんだから、そこはイメージを重ねようとしたんだと思うんだよね。金剛も微妙な反応してたし。でも、金剛との喧嘩シーンでなんか積み上げをするのかと思いきや、ただのone of themと喧嘩しちゃいました、っていう扱いにしかなってなかった。なのに、川に入るときは、八重さんが「千鶴」を思っていることを匂わせる芝居になってた。それが「鶴丸」に反応してたのか、それとも「川で溺死」ということを思い出していたのかは不明なんだよね。なんか、もう、いろいろ中途半端でもやもや、もやもや……めっちゃ困ってる

 

まあ、でも問題点はね、回数が足らなかったってことなんだろうね。人物多いし、内容もりもりだから、ここに至るまでに八重さんに関する描写に時間がさけなかったっていうかね。まあ、そういう意味では、三谷センセだから、なんとかここまでもってこられた、ってことなんだと思うんだけどね。

 

 

 暴走気味の演出

で、そんな、脚本面でキビシーい状況の中、演出面がそれをフォローしきれてなかったんじゃないかな、って思うのよ。

 

個々のシーンを取り上げたらどれも良かったと思う。頼朝たちのダブルカップルのシーンもね、元夫、元妻、今夫、今妻っていうすんごい組み合わせで4人の駆け引きと掛け合いが絶妙だったよね。ただ、前後の脈絡がないのよ。単純にそのシーンがぽんと置かれてる感じ。シーン単体はめっちゃいいんだけど、全体の流れの中に位置づけされてない。

 

北条氏の家族会議もね。ストーリー自体が盛りだくさんでわちゃわちゃしがちなところに、さらにドタバタ要素満載の演出になってたよね。ドタバタ演出は嫌いじゃないし、ここで使うのもいいんだけど、でも、なんかね、なんだろう、この感じ。つくりが荒い? 荒削り? 行き当たりばったり? なんか、ほんとうまく説明できないんだけどちぐはぐな感じが否めない。脚本と演出と役者さんが、共通認識できてないまま作っちゃった、みたいな。とりあえず、役者たちの勢いでいっちゃえ、みたいな。

 

それで言うと、八重さんが流されたときの義村もなんかリアリティがなかったよね。鶴丸だけ受け取って八重さん放置したときも、敢えて八重さん見ないようにしてるように感じたし、川から上がってから振り向くまでが無駄に思わせぶりな間だった。クイズミリオネアで、解答者が「ファイナルアンサー」って言った後のみのもんたみたい。ドキドキ感をあおりたい、っていう作り手の意図が透けて見えちゃって、引き延ばしすぎてリアリティを壊しちゃってる感じ。川から上がれずに立ち尽くす八重さんのシーンも長かった気がする。はよ、なんとかせい、って思うくらいの長さではあった。しかも、声も出なかったのはなぜ? 冬の寒さで凍えたわけじゃなさそうだし。疲労困憊ってこと? まあ、感じ方には個人差があると思うけどね。あそこは、八重さんの死に直結する場面で、しかも、不慮の事故なんだから、説得力をもたせるためにも、もっとリアリティを追求してほしかった。

 

でもって、政子に報告したあとの義村のセリフ。「あれはもう助からないだろう。小四郎もほとほと運のないやつだ」って。え、今、あなたがそれ言う?って思いませんでしたか? ある意味、自分の力不足で死なせちゃったところもあるわけで、しかも義村だって八重さんと長い付き合いじゃん。幼なじみレベルでしょ? 伊東の娘なんだからさ。それで敢えてあそこであのセリフを言わせた意図はなんなんだろう、っていうね。あ、これは演出じゃなくて、脚本だね。

 

演出でいうなら、あれも気になった。小四郎が仏像を前に飲んでるシーンと、八重さんが川で流されるシーンが交互に映るやつ。いや、わかるのよ。やりたいことは。でも、あれ、不自然じゃなかった? こま切れすぎたのかな。行ったり来たりせわしないというか、「はい、こっち」「はい、次こっち」「はい、またこっち」みたいな感じがした。何が気になったんだろう。ああいう見せ方は別に普通にあるし、あの場面であの演出を選ぶのもよくわかる。だけど、なーんかね、自然な流れになってない感じがしたんだよなぁ。「いま、二人を対比的に見せるために効果的な工夫してますよ~」って、お芝居じゃなくて、エフェクトのほうが主張しちゃってたのかも。切り替えるタイミングとか、それぞれのシーンの長さとか、どこで切るかとか、原因はいろいろあると思うけどね。

 

 

 まとめ

まあ、そんな感じです。役者さんたちも今までどおりよかったし、脚本も特別おかしなところがあるわけじゃない。演出は、、、ちょっと不安定? かもしれないんだけど、もしかして、こんなもりだくさんな回じゃなければ、うまくまとめられてたのかもしれない。何が特別ダメだったとかじゃなくて、なんかいろいろタイミングが悪くて全体的にちぐはぐになっちゃってたなぁ、って感じですかね。

 

50回もあるんだからね、そりゃ毎回神回になるわけないからね。無茶言っちゃいけないと思ったんだけどね。やっぱり気になってちょっと書いてみました。ま、ホント個人的な感想です。周りにきいてみたら、別にそんな違和感なかったよ、とか言われたし、あたしが勝手に細かいところを気にしすぎてるだけなのかも。……って話を、長々をさせていただきました。

 

 

なんかね、今回はどうしたもんかなぁ、って思っちゃってね。ちょっと、メインのところのレビューをどうしようか迷い中なんで、周辺領域から攻めますね。

 

あたしの中で、今回の最優良シーンは、八重さんの死を告げるティモンディ高岸。いや、マジ、お芝居うまかったでしょ? 「あー、ほら、やっぱ、うまいじゃん!」って思ったんだよ。あたしの予想は合ってたね、的な?

 

これまでも、伝令とか、ものを運んでくるとか、逃げる先導とか、なにげに重要な場面を任されてるんだよね。あの喋り方は特徴的だし、見た目もなんとなく存在感があるから、目立っちゃうじゃん。だから、そんなピンポイントでひょいって出てきて悪目立ちしないかしら、っていつも心配するんだけど、意外とギリギリのところで収まってるなぁ、って思ってたわけ。そしたら今回、な、なんと! 八重さんの最期を伝えるすごく重要な役もらっちゃって。このシリアスな場面をどう演じるのか、期待しつつも不安も拭えない感じで見てたんだけど、うまかったよね。勘がいいんだろうなぁって感じがする。個人的には、第二の原田泰造になる可能性が高いと思ってる。独特な雰囲気があるし、ガタイが良くて見栄えがするし、いつもヘラッて笑ってるからわかりにくいけど、真顔になったら多分爽やかイケメンじゃん。顔小さいし。でもって、いるだけでなんか愉快なんだけど、シリアスな場面で浮かない、ってことならばね、これ、超優良物件では? けっこう推してますニヤリ

 

 

あと今回は、とにかく新登場人物が多かった 目目

 

まずは、何と言っても市原隼人。個人的に好みなんだよね。強面で笑顔がかわいいの。だから、めっちゃ楽しみ。あたしの中にぽっかり空いてしまった菅田くんの穴を、ぜひ埋めてほしいデスラブ

今回の出番は冒頭ちょこっとだったけど、あの静かな話しっぷりは、いいわぁ。ぜったい凄まないほうがステキだよ。もってまわったような台詞回しはちょっと気になるけど、今後に期待だわ~ラブラブ

そもそも、あたしの市原隼人の第一印象は「繊細」なのよね。野村萬斎が主演した映画『陰陽師Ⅱ』に須佐役で出てたの。なつかしすぎる。お芝居はまあ、まだ若くて微妙だったんだけど、醸し出される繊細な感じが、もうどうにもよかった。なのに、なんで熱血イケイケの役ばっかやってたのかね? もったいないなぁって思ってたら、来ました『カラマーゾフの兄弟』。あれもナイスキャスティングだった。今回はどんななのかなぁ。三谷先生の見立てが楽しみっす✨

 

あと、瀬戸康史登場でイケメン補充ですね。菅田くんが抜けちゃったから、イケメン枠の穴を埋めていかないとね。いきなり大姫に振り回されてたけど、「いい人」な感じで出てきたのでちょっとホッとしてる。小四郎にせよ、政子にせよ、主要人物はもうどんどん緊迫した状況に追い込まれつつあるからさ。しばしほっこり担当でお願いしたい。ま、五郎もそのままってわけにはいかないだろうから、これからどんな感じになっていくのか見守っていきますニコニコ

 

そして、忘れちゃいけないのが運慶ね。

やっぱり来ました相島一之。これだけ、サンシャインボーイズ出身者が出てるんだから、まあ、来るよね。相島さんいないと寂しいですから。にしても、ずいぶん突き抜けた運慶きたね。時政パパにタメ口だよ。見てるあたしがビビったわ。あそこで、まあ納得して「酒でも一献」っていったのは、やっぱりさすが時政パパだわ、って思ったけど、あたし、その前に気になっちゃったのよね。馴れ馴れしい態度の運慶を見てムッとしたパパの表情。今までだったら、きっとそんなの気にも止めてなかったと思うし、むしろ、パパ自身が失礼なヤツだったのにね。ずいぶん偉くなって、メンタリティも変化してきたってことなんだろうね。歴史上の北条時政があたしの知ってるあの人だとすると、これからぐいぐい変わっていくのかね? あのチャーミングなところ、消えてほしくないなぁ。こちらもどんなふうになるのか、目が離せませんな。

 

で、時政パパだけじゃなくてね。北条家全体が動き出してますよね。

 

最近増えていた北条家の家族会議は、とうとう公の場で全員勢ぞろいと相成りましたしね。これからこのメンツで行きますよっていうね。顔見世っていうんですか? 見事に並んだよねぇ。

 

しかし、あの北条家総会。妙にちぐはぐでぞわぞわしたんですけど爆  笑 なんていうか、がっちゃがちゃで、「え、待って、芝居として大丈夫?」って思っちゃったんだけど、あえてあの演出になってるんだとしたら大成功だわ。なんとも形容しがたいんだけど、若い劇団のガチャガチャ感。見ててわざとなのか、本当に制御できてないのかイマイチ判断できない。やたら不安が募る感じガーン

 

まず、大姫がヤバい。ヤバすぎる。前回、義高の名前が出ただけでふと顔を曇らせて走り去ったあの健気な少女はどこに行っちゃったの? 九郎退場の後を継ぐサイコパスぶり。怖い。「葵」ってネーミングも怖い。暗示だよね。政子と実衣が『源氏物語』の話してたもんね。「葵の上」かぁ。政略結婚。よそよそしい夫。で、やっと夫婦の情が通ったと思いきや、六条の御息所に呪い殺されたっていうね、『源氏物語』の中でも代表的な悲運の女性だよ。もう、嫌な予感しかないよ。サイコパスからの悲劇的な死っていうのは、九郎だけで十分なんですけどえーん

 

あと、特筆すべきはりくさんかなぁ。まあ、あからさまに火種ですわね。トラブルメーカーの名乗りあげましたよ、って感じ? それにしても、宮沢りえのあの存在感よ! さらに声もいい。独白の声の張りが美しすぎて聞き惚れちゃったよ。舞台で鍛えられた発声。でもセリフ回しはわざとらしくなくてね。コミカルな演技が絶妙にうまい。「今までがまんしてきたけど、どうしましょう」→「言っちゃおうからしら」→「言っちゃいましょう」というくだり。最高爆  笑 あのちょっと天然っぽい感じを、威厳を失わずにやれちゃうところ、ほんとすばらしい。そもそも、りくは権力&陰謀好きの腹黒女なんだけど、なんとなく憎めない感じだよね、今のところ。今回も自分の息子を「跡継ぎ」って明言したり、みんなの前で畠山をなじったり、結構むちゃなことしてるんだけど、それほど嫌な女感はなかったよね。ちょっと浅はかで、ときどきやりすぎちゃうけど、自己中なだけで悪い人じゃない、っていう印象。ただ、もう既に政子とは意見が合わなくなってるし、、、ってか、あそこは最初から合ってなかったか笑い泣き とにかく、これからあの天然ぽい感じでどんどん暴走していきますよ、っていう所信表明でしたわね爆  笑

 

で、次回は、小四郎回っぽいですが、キーワードは「天罰=バチ」ってことになるんだろうか。まず、八重さんの死については、おそらく「天罰」という観点で語られるかと。ここは確信してる。なんせ、今回は冒頭から少々強引に「バチ」の話が盛り込まれてたからね。道路工事について「あんなところを掘り返してバチがあたらないのか」とか、「命じたのは鎌倉殿だからバチが当たるとすれば頼朝だろ」とか。その後のシーンでは、「九郎を殺したから泰衡にバチがあたって攻め滅ぼされたのだ」とか。

頼朝なんか、小四郎に向かってあからさまに「バチ談義」してたよね。「小四郎、悔やむな」とか言っちゃって。「自分がやったことについてよかったのか悪かったのか思い悩んでも無駄だから、私はその判断を天に任せてる。だから、天罰が下るまでは、やり続けるのみ」っていうようなことを、偉そうに語ってたよね。

で、その論理からすると「八重さんの死=小四郎への天罰」ってことでしょ。小四郎には天罰が下っちゃったってことだから、立ち止まって考え直すタイミング、ってことになるよね? 小四郎の生き方が、ここからなんか変わってくるってことなのかも……って、思ったんで、NHKの公式ページ確認したら、次回のタイトルが「義時の生きる道」ってなってる!!! おお、ってことは、あたしの予想もあながち外れてないかもよ。

そういえば、今回八重さんに向かってぼやいてたもんね。頼朝とは違いすぎる、って。相手は源氏の頭領だから、自分がどう思おうが、命じられたら結局従うしかない。そうやって不本意でも残酷なことをやってきたのだ、みたいなこと言ってたわ。その辺が、八重さんの死(=天罰)を通してどう変わるのか、あるいは変わらないのか、ってところに注目ということになろうかと。

 

で、どうすっかなぁ、八重さんの話。

書かないわけにいかないよなぁ。あんまりディスるようなことしたくないんだけどなぁ。うーん、とりあえず、持ち帰って相談します。(誰と?爆  笑

 

 

買ったはいいけど、もったいなくて着られなかった悟Tシャツ。

大事なものは、もったいなくてなかなか使えない派爆  笑

 

でも、テンションUPのために買ったので、タンスの肥やしにするのは違うと思って、着てみました~

 

 

いいね。気分いい。

でも、背中の悟が気になって仕事になんない。

 

……結局、何やっても仕事にならんのか、あたしは笑い泣き

 

 

ヤバい、書き忘れたよ。女性陣のお話!

 

今回の女子は、まあ、誰に聞いても静御前だったでしょうね。

いったんは、自分と子供の命を守るため、九郎に言われたとおりに別人のふりをするんだけど、結局、比企の人間に煽られて、自分が静御前であると明言し、疑うなら舞でそれを証明しようと啖呵をきる。舞うことで自分を証明するって、かっこよくってぞくぞくしたよ。唯一無二の踊り手であるという自負。プロだよね、超一流の。さすが義経ほどの人が惚れた女だよね。

 

でも、小四郎に諭され、九郎の「生きてくれ」という思いを受け止めなければと考え直し、改めて別人のふりをするために下手に踊ることにする。当然、鼻で笑われる。あの踊りで静御前とかありえない、って。そこで、もう一回翻意。すっと表情が変わって、顔に気力が満ちていく。ゆったり時間をとった、九郎顔負けの顔芸だったと思う。そして、これぞプロという声で歌い、舞い始める。この役者さんの歌や踊りが本当に極上だったのかどうかは、アマチュアのあたしにはわからないけど、少なくともそう思わせるに十分な演技だった。

 

その静御前の姿を見て、政子は「女としての覚悟」と解説してたけど、あたしはね、やっぱりそこにプロとしての誇りとか、最後まで自分でありたいというアイデンティティとか、そういうものを感じたんだよね。よく考えるとさ、女が男に娶ってもらうことでしか生きる術のない時代にあって、白拍子って、ある意味自立した女性だったとも言えるよね。現実はまあ、きれいごとだけじゃないのだろうけど、芸で身を立てるって、職業女性の走りじゃん。自分の芸を貶めない。それが白拍子としての矜恃であり、愛してくれた相手に対する礼儀、っていうね、そういう感じがした。かっこよかった。

 

静御前、最後の最後でほんといい仕事されました。

ありがとう!!

 

そんでもって、静御前が命をめぐる緊迫した場面を繰り広げている横で、お笑い担当が場を和ませていましたね。

中川大志、我が家の坪倉、山本耕史の坂東三人衆。

もう、このシーン大好き!

 

静御前が、自分を証明するために舞を舞うことになって、その伴奏をすることになった三人。

中川大志が、いかにも真面目な畠山らしく、「長年磨いてきた芸を、鎌倉殿の前で披露できるとはこの上ない喜び」みたいなこと言ったのに対して、坪倉は「長年、鼓しか打ってこなかったから……」とか言ってね、おいおい武士の本分はどうした?って、ちょっと笑わせたところで、山本耕史が太鼓を抱えながら「こんなの、適当に合わせて打っときゃいいんだろ」ってだるそうに言う。なんせ、彼の目的は静御前だからね。女好き。ブレない(笑)。で、その瞬間、すかさず中川大志の怒号。「だまらっしゃい、私がこの芸を身につけるのにどれだけの時間をかけたと思っているのか」と、ものすごくご立腹のご様子。

 

で、でね。そんなに怒るなら、さぞかし鍛錬を積んだのであろうよと思ったのに、フタをあけてみたら、中川大志くん、誰でもすぐにできそうなちっちゃな鐘を、チョー真顔で真剣に打ち鳴らしてる、っていうね。まあ、あれだよね、イメージとしては、音楽に命懸けてます、って言っといて、舞台上でカスタネット叩いてたって感じかね。

 

それがさ、中川大志が山本耕史を叱りつける感じがもう絶妙なの。めっちゃ真剣なんだけど、あ、これオチがありそうだな、って匂わせてる。このバランスが絶品。まだ23歳なんだよ。お笑いの坪倉と、芸歴40年以上の山本耕史と並んで見劣りしないコメディアンぶり。すえおそろしいわよね爆  笑

 

これね、絶対「LIFE」のおかげだと思うよ。けっこう無茶ぶりされてたもんね。で、頑張って受け止めてた。愛のムチを。ウッチャンをはじめとするコメディアンやコメディ得意なベテラン役者さんたちの愛のムチ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

すごいね。ちゃんと吸収して本業で発揮してる。中川大志はLIFE初登場から見てたからね。なんか、親戚のオバチャンみたいな気持ちになっちゃったよ。よくガンバってるね、ってニヤリ

 

中川大志みたいに見るからにイケメンの男子は、「カッコイイ」のカラを破るのがなかなか難しいから、コメディできるようになるって大変だと思うのよ。事務所が許さないとかもあるだろうし。でも、それができるようになると役者として伸びる、という勝手な思い込みがあってね、あたし。単におもしろいのが好きってだけかもしれないけど爆  笑

でも、古くは、つかこうへいに開発された阿部寛とか、最近では『今日から俺は』で振り切った賀来賢人とか、今回の主役の小栗旬もそう。コメディできるようになって深みが増したイケメン俳優さんってけっこういるよね。

 

つまり、

中川大志を目覚めさせたウッチャンはすごいね、って話。

あ、いや、ちがった。

役者としての中川大志の今後に期待、って話爆  笑

 

 

で、最後に、今回の政子ね。

冒頭から紫の衣装が美しかった。目を引くよね。やっぱり紫は高貴な色だからね。セリフは少ないのに存在感あるよね。回を重ねるごとに政子の気品と風格が増していくよ。エイコ最高ラブ飛び出すハート

 

 

第20回、メインの義経以外にも、見せ場がいっぱいあった。

 

まず衝撃だったのは、田中泯。

冒頭、いい感じに九郎を受け止めてさ、怪しげな雰囲気満々なのに、あの優しい笑顔。絶妙すぎてね。これは九郎じゃなくても泣くわ~、とか思って。で、「秀衡、満を持して登場じゃん。何してくれるのかなぁ、今回❤」ってワクワクしながらオープニングが終わるの待ってたわけよ。

 

そしたら、なんとびっくり

次に現れたときは、もう死の床だったんですけどガーン

 

ええ~、マジかよ。

田中泯、これで終わり?

見せ場はあの冒頭シーンだけ?

って、ちょっとがっかりしちゃったえーん

 

だって、今までもちょいちょい出てきてはいたけど、どれもみんなイメージ映像程度で、見せ場らしい見せ場なかったじゃん。なんか、ここぞ、っていうの期待してたんだよね 目

 

まあ、死ぬシーンは印象的だったけどね。まず起き上がって外に出るシーンの足のショットが最高だった。なんていうの、足首に力が入らなくて足がダラーってしてしまうから、うまく床に着地できない、踏ん張れない感じ、っていうのかな。おぼつかない感じが足のアップシーンだけで伝わってきてね。うお、この足を見られただけでよしとするかね、って思ったくらい。(そういや、前に文覚も足だけのシーンがあったな。もしかして同じ監督さんなのかな。足フェチ爆  笑

 

あと、白装束に真っ赤な紅葉の背景も良かったね。真っ赤な葉っぱがちらほら地面に散ってて、命を散らすメタファーとしては定番なんだろうけど美しかった。周りの木々は緑なのにね、そこだけ真っ赤なの。あの一部分だけ赤いのがかえって印象的だったね。

 

まあ、まあ、そんな感じであっさり死んじゃって拍子抜けではあったけど、そういう扱いだったかぁ、と思ってね。もう諦めて気持ちを切り替えて続きを見ていたわけですよ。

 

そ、そしたらっ!!!

 

見ましたか。みなさん、あの、九郎の前に現れた亡霊を!!

舞踊でしたね。完璧に。舞踊パフォーマンスでした。思わず「ああ、このためだったのか!」って声に出しちゃったよ。

 

素晴らしかった。死者だから声がないことにも違和感ないじゃん。ダンサー田中泯の本領発揮だよね。

 

まず、土を両手に持って立た時点で、もうね、示唆的。これは踊りが来るぞ、って思った。あの土は奥州の土地ってことだろうなぁと。あ、これはあたしの勝手な解釈なんでね。もしかしたら違うかも。でも秀衡の奥州への思いを考えると、あの手の上の土は奥州そのものにしか見えんかった。もしかしたら、その前に、九郎が土地を耕して百姓していた場面とか、九郎の指の爪にも土が挟まっていたとか、そういうエピソードもうまく作用してたのかもしれない。計算されてたのかも。

 

とにかく、立ち姿、踏み出す足、厳かに両手を上げて天を仰ぎ見る姿……全て素晴らしかった。1ミリも無駄な動きがなかった。ピンと張り詰める肉体の感じが画面越しに伝わってきて目が離せなかった。セリフなんかでは語れないような何かを、体じゅうに充満させていて、そこからものすごいエネルギーを放出してる感じがした。これはもう、世界的なダンサーだからこそだよね。よくわからないうちになんか何かを説得されちゃった感。すごい。

そして、どこまでが脚本で、どこからが演出なのかわからないから、だれを賞賛すべきかわからないけど、あんなに自然に大河ドラマに現代舞踊を取り入れたのは快挙じゃないですか? そう思いました。

 

なーんて、偉そうなこと言っちゃって、実はあたし、田中泯を初めて知ったのはNHK連続小説「まれ」のおじいちゃん役でね、塩田の職人だったやつ。そんときは、うわ、なんか無駄に存在感があって渋いな、くらいしか思ってなくて。宇野重吉とか、そういう系?とか思ってた。

 

で、注目するきっかけになったのはNHKのコント番組「LIFE」に出たとき。ウッチャン扮する宇宙人総理の運転手役で、どえらいカツラを被った珍妙でヌケサクの宇宙人をやってたんだよね。それでもう気になっちゃってね。そこで調べてみて、初めて世界的な舞踊家だって知ったんだけどね。ま、その程度の知識なんですけど、こんなところで本業を垣間見られてちょいと感動してしまいました。

 

そして、その舞踊場面を受けた菅田九郎義経の演技もよかったねぇ。相変わらずの顔芸で。全てを受け入れるような、穏やかで柔和な笑顔だった。「悟り」的な? 何か完結しそうな感じがした。奥州を守りたいという秀衡の心を受け止めたってことなのかな。で、それが、きっとその後の「この首で平泉が守れるなら、本望」という言葉につながったのかも。死を覚悟した場面だったんだろうね、きっと。

 

いやいや、田中秀衡。なかなか強烈な印象を残して退場ですね。

 

 

ああ、そうだ、主人公にも触れておきたい。

日に日に目ヂカラが半端なくなってきてる。ヤバいね小四郎。え、小栗旬ってこんなに目玉でかかったっけ、って思うことが増えた爆  笑

 

でも、今回はさすがに、「どうしよう、あたし、小四郎嫌いになっちゃうかも」って心配になったよ。だって、もうすごかったでしょ。冷酷さが。頼朝の考えた義経殺しの策を聞いたときに、「こいつ、またかよ」という感じは少し出してたけど、もう、それほど葛藤もない感じでね。そういう仕事に慣れてきてるんだな、って感じが出てたよね。

 

自宅のシーンも挟み込まれてて、無邪気な子どもたちや八重の姿を見せてたけど、別にそこで葛藤が高まるって感じでもなかったからね。腹は決まってるし、妻子には隠し通すってことでもう決着ついてる感じだった。

ただ、そうだとすると、今回小四郎の家庭風景が何度も出てきた意味がよくわからんから、もしかすると、あれは次回以降の布石なのかな、とか思ってる。

 

奥州に向かった小四郎は、より酷かった。常に善児を伴ってたから、もうその絵面だけで悪徳感が増し増しになってたし。そもそもあいつ、千鶴丸殺しだし(八重さんなんで普通にスルーしてるの?)、愛之助も殺してるし(小四郎知らないの? お兄ちゃんのカタキだよ?)。

 

さらにっ!

奥州に到着してからの小四郎は、無駄なく淡々と罠を仕掛けていって、「計画通り」「種まきはすんだ」みたいなことを平然と言ってる。泰衡を焚きつけて義経を暗殺させようとするシーンなんか、もう冷酷そのものだった。弟の頼衡が小四郎の陰謀を察知して切りかかってくるのを、善児が眼の前で殺したって、もうピクリともしない。そればかりか、むしろその衝撃を逆手にとって「泰衡殿、もう後にはひけませんよ」って追い詰めちゃう。その鬼気迫る表情。もう、ヤバい。あのぼんやりして人がよくて、ついまわりに振り回されちゃう小四郎はどこにいっちゃったの?って感じだったよね。

 

そんなわけで、あまりに平然と頼朝の極悪非道な陰謀をこなしていくから、えー小四郎嫌いになりそう、って思っちゃって。これはさすがに、どうやってこの「悪徳」感をひっくり返すんだろうかと心配してたんだよね。それとも、これからどんどん嫌なやつになっていくのかな、とか思ったりして。いや、やめてー、っていうあたしの心の声爆  笑

 

でも、ちゃんと用意されてたね。義経との最後の場面。義経の最後の見せ場であると同時に、小四郎に小四郎らしさが残ってることを示すシーンにもなってた。お手軽に「いい人」感を出さなかったのがさすがだったと思う。

 

そう考えると、ほんとに今回の大河は、チャレンジングな作品だよなぁ、って思うのよ。ほとんどまともな「小四郎回」はないじゃん。小四郎の周りの人を丁寧に描いて、そこに直面したときにどう対応するかで主人公を間接的に描写していくというね。なかなか新しい手法だと思うんだけど、そういうまわりくどいやり方だからこそ、回を重ねるごとに、小四郎像が複雑で絶妙なバランスになってきてる。

 

最初は気弱でめっちゃいい人、って思ってたけど、実はそんな単純なことじゃなかったんだろうね。責任がなくてぼんやり生きていられるうちは、いい人風情でいられたってだけのこと。「お人好し」で「ことなかれ主義」だったから、いい人に見えただけなんだよね。聖人君子的な、意志のある「いい人」なわけではない。だから、成り行きで頼朝を担ぐことになり、兄が死んで北条家を背負わざるを得なくなり、権力を持つ代わりに頼朝の命令が過酷化してきて、だんだんあっちにもこっちにもいい顔をすることができなくなってきた。最初の方で、義村に「みんなの意見をきいてたら回らなくなるぞ」的なことを言われてたよね。ホントその通りで、権力を持つようになるにつれて、もうみんなにいい顔するのは無理だとわかってくる。で、家族を守るために覚悟を決めたわけ。「守る」ために「切り捨てる」覚悟。だから、何かを守るためには酷いこともするようになった。変わったのはその部分。でもお人好しなところはそのまま残ってるから、できるだけ切り捨てなくてもいいような方法を探ったりするし、切り捨てなくてもすむ方法があればそっちを選ぶ。そんな感じなんだと思う。

 

だから、九郎暗殺の算段が済んで鎌倉に帰ろうとしていたところを九郎に呼び出されたとき、なんとなくついてきちゃうところとか、自分が陥れた相手と普通にしゃべっちゃうところとか、そういう姿と見ると、ああ、やっぱり小四郎だわ、って思えて安心するんだよね。いい人とか悪い人とかじゃなくてね、めっちゃフラットな人なんだよ、きっと。だって、よく考えるとすごい場面だよ。自分が暗躍したことで、今まさに殺されようとしている九郎を前にして、詫びることも、悪びれることもなく、今までと同じように話をしてる。確かに、小四郎のやったことはあの時代の常識だったのかもしれない。でも、現代のドラマとして描くには、それをどう現代人に共感させるか、あるいは自然に思わせるかが勝負だったりする。見てる側に「うーん、微妙だけど、きっとあのころはそういうもんだったのかね」って思われちゃったらダメじゃん? そこのところ、ほんとうまーい具合に描かれてると思うのよ。

 

ま、ある意味、小四郎は役人気質なのかね。仕事と感情を分けて考えられるのかも。割り切りがすごい。九郎が見せた鎌倉攻めの策にも素直に感心しちゃったりしてね。梶原景時への文も申し受けてる。全然普通。申し訳ないって感じは全然なかったよね。「仕事ですから」みたいな。でも、別れ際に頭を下げたときは涙をぐっとこらえている様子だった。義経の死は仕方ないことだけど、別れはつらい、って感じだったのかな。

それだって、よく考えたらさ、そこでぐっとくるくらいなら、こんなことするなよ、ってなってもおかしくないでしょ? ほぼ自分が殺すようなもんだよ? しかも、九郎と頼朝の不運なすれ違いをいちばん近くで見てきていて、九郎の無念も誰よりもわかってたはずなのに。もう少しなんとかできなかったのかよ、って思われたっておかしくないよね。でも、このシーンを見て小四郎だけを責める気持ちにはなれない。悲劇的な現状は、いろんな人の立場や思い込み、すれ違いの結果であって、小四郎だけの責任じゃないって思える。それは、三谷大先生が、物語の中で、少しずつ少しずつ、丁寧に丁寧に、出来事と心情を積み重ねて描いてきてるから。ほんとに、こういうこところが三谷幸喜の真骨頂なんだって思うのよ。こんな難しい立ち位置の人物をしれっと描いちゃうところ、すごいって。これ、ぜったい名作! まだ半分も終わってないけど、あたしの中で、もう殿堂入りですラブ飛び出すハート

 

次は「仏の眼差し」ですって。なんだろう。でも奥州攻め始まりそうですよね。

 

 

ねえ、どうするんですか。

今期の大河ドラマ。

毎回、毎回、盛りだくさんすぎてレビューが追いつきません。毎回見せ場がいくつもあって、ぎゅうぎゅうてんこ盛りなの。なんなのこの脚本家、天才かよ。

 

スゴイよね。45分のドラマを50回近く書く前提で、今まで1回も水増し回がないんだよ。水増しって、つまり、ちょっと内容を薄めたり、あるいはどうでもいいことを挟んだりして時間をもたせる、ってやつね。私の記憶では1回もない。木曽義仲とか、出てきたと思ったらすぐ退場だったよね。やろうと思えばいくらでもエピソードはあるのに、そこは、本筋をブレさせないために、余計なことはしない。この捨てる勇気!!!ラブ

 

それだからこそ、こんなにたくさん登場人物がいるのに、1人1人が印象的で記憶に残る。義高だってさあ、あんだけ見目麗しくてネットもざわつかせてたんだから、も少し引き延ばしちゃおうかな、って思ってもおかしくないじゃん。なのに、無駄な引き延ばし、一切なかったよね。魅力的な人物が次々現れては消えていく。しかも、一流の役者さん使ってるのに。この忖度ない感じ。スピード感。すごいって。

 

で、今回もてんこ盛りすぎて、1回では書ききれなかったんで、2回シリーズになります。

 

まずは、タイトル通り、義経が鎌倉に無言の帰還した件。

泣きましたわ。頼朝が首桶と対峙する場面。

 

大泉洋の演技よ! 間もすばらしかったけど、今回は感情のクレッシェンド感が光りましたね。

 

まずは大泉頼朝のアップ映像。「九郎、よお頑張ったな」の第一声。え、何、会えたの?と、ちょっと期待しちゃうあたし。なんせ、九郎が死んだシーンはなかったからね。義経不死説?とかね。だけど、カメラが引きになって、頼朝の前に黒い首桶があるのがわかる。ああ、そうでしたか。そんな形でご帰還ということなんですね、と。

大泉洋の芝居が静かに語る調子なので、見てる方も静かに納得できていくんだよね。

 

真横からのショットもよかった。背筋をピンと張って、まっすぐに首桶に向き合って、静かに語る。一ノ谷、屋島、壇ノ浦……と、九郎の目覚ましい功績を列挙して「どのようにして平家を討ち果たしたのか。お前の口から聞きたいのだ。」と話しかける。「いや、もう口きけないから、あんたのせいで」と心の中で突っ込みながら、もう涙止まらん。「ああ、もう九郎は話すことができないんだ」ってじわじわ伝わってくる。

 

で、頼朝の感情が少しずつ高まっていって悲しみがあふれて慟哭になるまで。その心情のうねりに、見ている側がまんまと巻き込まれちゃう感じ。静から動への自然な流れが良かった。多分、頼朝が九郎の死を実感していく過程を、見ている側も追体験してるんだろうね。まあちょっと激しく泣きはじめると大泉洋感が強く出ちゃう感じがしたから、もうちょい静かに泣いても良かったのかもとも思うけど、そこは、まあ好みの問題だよね。

 

とにかく、あの泣きに至るまでの絶妙な演技で見事に見てる側の心をつかんじゃったからさ、自分で殺しといてなに泣いてんの? みたいな白けた感じに全くならなかった。ほんと難しいところだと思うのよ。だって、実の弟を悪質な謀略をもって殺してるんだよ。しかも自分を慕ってて、ほんと無欲に自分のために命をかけて平家討伐してくれたんだよ。なのに、自分は手を汚さず、メンタル的にも追い詰めて殺しちゃったんだよ。泣く権利ないじゃん、全然。でも、あのシーン見たらそんな疑問吹き飛んじゃうよね。すごい説得力があった。これまでに積み上げてきたもの、兄弟愛とか、すれ違いとか、すべて回収したね。脚本と演出と演技がそろってこその見事なシーンだったなぁ、って思う。

 

で、あのシーンで実際に演技をしたのは頼朝だけど、その土台を作ったのは菅田九郎義経なんだよね。たった45分の中でほんといろんな表情を見せてくれました。それはもう、あの手この手。菅田くん、ほんと器用だよな、って思う。九郎の魅力、詰め込めるだけ詰め込んだ感。上総介が死ぬ回に挟み込まれた手習いのシーンみたいなのを、もっと大々的にやった感じ?

 

まず、あの冒頭の秀衡とのシーンの涙。微動だにしないで、涙だけダーッて流れるの。まるでマンガみたいなこと実際にやっちゃうのね。ずーっと駒として使われ続けてきた九郎が、やっと。やっと、1人の人間として「頑張ったな」って受け止めてもらえたんだよね。疲れ果てて麻痺しかけてた九郎の心に人間らしさが戻った瞬間。それがあの静の演技からにじみ出てた。奥州に戻ってよかった。奥州で生きよう。って九郎が思うのに十分な理由だよね。

 

でも、まあ、ここまでいろんな経験してきちゃったからね。九郎自身の言葉を借りるなら、「何でも信じすぎる」人間から、「いろいろ学んだ」人間になったわけだ。で、より複雑になった人格を、絶妙に表現してた。たとえば、百姓としての生活をそこそこ楽しんでるふうでね、「平家を倒したオレが、今はこおろぎと戦ってる」とか冗談言ってる姿は無邪気なのに、その流れの中で平然と「奥州に攻めてきたら、鎌倉が灰になるまで戦う」って凄んでみたりする。その目はやっぱり怖かったけど、それは以前のサイコな九郎の目とは違ってた。正気だったね。前みたいに、自分の感情がコントロールできなくて狂気に走っちゃう、って感じは、もうどこにもなかった。真っ当に奥州を守ろうとしている正気の睨み。大人になった感あったわ。なんなん? この微妙な演じ分けは。

 

あ、あとあのシーンもびっくりした。小四郎がうっかり口を滑らせた体で静御前の話をするところ。「知らないならわざわざ話しません」的な小四郎の態度に、九郎が「いいから話せ」と命じたところ。農作業中だった九郎が手を止めたままそこに立ち尽くして、もう微動だにしないの。その小四郎に向けた圧がすごくて、菅田くんの周り1m四方になんかオーラが見えた気がした。すごいよ。「微動だにしない」っていうのの見本みたいな演技なの。まじ、じっとしてるだけなんだけど、周りの空気が変わるっていうのかな。ちょっとぞわわってきた。なんであんなことが可能なんだろうね。そういうものまで演技でコントロールできるもんなんだなぁ、って思ったよ。若いのに、すげえ。

 

すげえ、と言ったら、あのシーン。

正妻の里が、「京で義経と静御前に刺客を手引したのは自分だ」って暴露したシーン。九郎はずっと頼朝が差し向けたんだと思っていて、それが、まあ、早い話、このすれ違いの悲劇の大きな原因の1つになってたからね。自分が勘違いしてたって知った驚きとか、妻に裏切られた怒りとか、勘違いに対する後悔とか、まあ、いろいろ去来したと思うんだけど、その時のセリフ。「お前が、呼んだのか」ってね。ほんと短いんだけど、「お前が」と「呼んだのか」の間の表情の変化が半端なかった。瞬間に閃いた殺意っていうの? それが顔芸で瞬時に表現されてたのよ。だから、次の瞬間に里を刺し殺したことに違和感がなかった。本当なら、いやちょっと、それは短絡的というか、居合抜きですか?みたいなね、そんな瞬間的に殺す?っていうくらい衝動的な行動なんだけど、あの一瞬の表情の変化で見るものを納得させちゃった感じがする。でも、あくまでもサイコではなかった。すごいよね。徹底的にサイコパスは封じてたと思うよ、今回。

 

もうね、そういう細かいところ挙げたらキリがないくらいの小技のオンパレード。九郎の見納めだからね、三谷センセ出血大サービスってところでしょうか。

 

で、最後も九郎らしかったねぇ。あれは脚本の妙だと思うけど。

 

自分をはめた小四郎を呼んで、鎌倉攻めの策を聞かせるとか。これはまさか事実じゃないよね。フィクションだよね?でも、「奇策で世間をあっと言わせて勝利すること」=「生きること」だった九郎らしい。生きた証を残したかったんだな、って。「どうよ、この策」って、わかってくれる人にどうしても見せたかったんだろうね。結局のところ、九郎の欲望はこれに尽きるのよ。この承認欲求が強い感じ。でもその承認欲求が強すぎてやりすぎちゃって身を滅ぼしたことを考えると、最後の最後まで、なんともはがゆい九郎の人生を物語っているようで、どうにもやりきれない気分になっちゃったよ。

 

ただ、あれを敢えて梶原景時に見せようとしたのはなんでかね。「なぜそこで梶原殿?」って思ったんだよね。だって、そんな特別な関わりがあったようには描かれてないよね。まあ、一緒に平家討伐に行ったけどさ。特に何かエピソードあったっけ?って感じ。

 

しかも、ここまで、けっこう微妙なのよ、梶原景時の描き方が。何ていうの、つかめない。そのスタンスがよくわからん。最初に、頼朝を助けたのも謎だし、その後もいかにも裏切りそうな感満載で、でも結構重用されてるっていうね。不思議な感じ。獅童さんの演技もまあ、見事に表情がないから、ほんと読めん。今回、義経から手紙をもらったというのが、この後のなんかの伏線になってるのかね。だってよ、小四郎は口頭で聞いただけだから「知らなかった」ってしらを切れるけど、景時は書面でもらっちゃってるじゃん。なんか証拠持たされた形になってない? 考えすぎかな。

 

そういえば、今回小四郎に善児をつけたのも景時じゃん。あれもなんかわざわざ「梶原さまに言われて」みたいに言ってて、気になったんだよね。善児を演じてるのが梶原善だから、「おいおい、梶原が梶原を推薦してるのかよ。」とか思って1人でほくそ笑んでたんだけど、よく考えると、ちょっと意味深かもね。今後気をつけてみていこう。

 

関係ない話ついでに、今作では武蔵坊弁慶の扱いが雑すぎてびっくりレベルだったよね。義経との出会いとか完全に省かれてたし、描かれ方も驚くほどとってつけた感じで、単なるいじられ要員だった。いるの忘れちゃうレベルに出てこなかったし。しかも、最後、仁王立ちしたまま絶命するという超英雄的な伝説のシーンも、あろうことか「きゃはは、弁慶ガンバってるぅ~」って、義経に笑われて終わるっていうね。いや、なんですか、この徹底した軽視っぷりは。三谷センセ何のつもりだったんだろう。こんな扱いなら、もうむしろ出さないほうがよかったんじゃないの? って思うのはあたしだけ?

 

私の予想としては、脚本の時点ではもう少し出番があったんじゃないかなと思うのよ。おかしいもん。ディスってるわけじゃないんだけどね、現場の判断とかでカットされたんじゃないかなぁって思ったりしてる。

 

なんていうか、ちょっと言いにくいんだけど、役者さんの演技が慣れてない感があって見ててとちょっとハラハラするっていうか、「がんばれ」って応援してしまう感じ? コメディやるにはあと一息っていうかね、、、とか失礼なこと思いつつ調べたら、元ラガーマン俳優さんだったよ。え、まって、「ノーサイド・ゲーム」に出てたの? もう、大好きなんだけどあのドラマ。でもラグビー選手は主立った人しか覚えてない。って、えー、里村亮太役の人じゃん!! 思いっきり「主立った人」じゃん。全然わからなかった。まじかー。やっぱり時代劇で衣装がちがって、立ち居振る舞いとかもちがってくるといろいろ難しいものなのかねぇ。あんまり大柄っていうイメージも出てなかった気がする。確かに背は高かったけど。

 

なんだろ、九郎が緊張感のある役だったから、本当は頼朝に対する亀的な位置づけだったのかなと思うわけですよ。ふっと場を緩める感じ。だとしたら、もう少し遊べた気はするのでちょっともったいなかったね。もっとふりきっちゃってもよかったのかもね。でも、シリアスなストーリーの中でのコメディ要素って、めっちゃ難しいからねぇ。

個人的には、ティモンディの高岸をもってきたほうが面白かったんじゃないかなぁって思うのよ。なんか、立ってるだけで愉快だし。そういう方向性だよね、今作の弁慶の設定が。ってか、ずーっと気になってたのよ。高岸さんの使い方。あれ、なんであそこに置いたのかな、って。良くも悪くも目立つじゃない。存在感あるんだよね。で、ちょいちょい出てきていい味出してたと思うのよ。あっっ! もしかして、最初は弁慶やる予定だったとか? なんか大人の事情があったとか? そう考えると腑に落ちるんだけど、まさかね、さすがにそれはないよね。あー、でも、想像すればするほど「高岸ティモンディ弁慶」見たかったかも 目

 

ま、でも弁慶の最後はよかった。戸の隙間から九郎が見ている姿を想像させるという終わり方は、演劇的ですごく好き。その前に、竹の鎧を着込んだりとか、コミカルな場面があったし、菅田くんの「きゃはは」っていう軽~いノリが効いていて、悲壮感が全然なかったのがよかった。その延長線上に生じるであろう菅田九郎義経の死も、「まあ、こんなもんでしょ」的な明るさをもって迎えられたのだろうと、視聴者に想像させるいい仕掛けになっていた気がする。

 

小四郎との別れも軽かったしね、「あ、もういいよ。来た道帰って。」って振り返りもしない。もう、この世に未練はないって感じだった。妻も娘も殺しちゃってるしね。

 

あの軽さがあってこそ、最後に首だけで鎌倉に帰ってきたことがね、見てる側としても、なんか実感ないというか、え、やっぱりそうなの? 死んじゃったの? ほんとに? みたいな感覚を生んだと思う。

 

見事な最後だったよ、菅田くん。もういないのかと思うと、めちゃ寂しい。来週から何を楽しみに見たらいいんだろうえーん

 

第20回、まだ書けてないことがあるのよ。

続きは、またあとで。

 

 

GUの『呪術廻戦』とのコラボTシャツ。

結局、レディースとメンズ両方買っちゃったよ。

 

ホントはトートバッグも欲しかったんだけど、売り切れてたえーん

 

 

メンズ(右)の悟はやっぱカッコイイじゃん。

これは買うよね。

 

レディース(左)は、大好きなロスティンペリダイだから、買うしかないじゃん。いやー、1期再放送中だけどさ、何度見てもカッコイイよねー、あのエンディング。

 

でもね、なんでこのメガネの場面? 選んだ人、理由を教えて!いや、だって、ぜったい踊ってるところでしょ?

そもそもこの色味がちょっとななみんっぽいからさぁ。

せめてポージングとヘアスタイルはいかにも悟っぽいところを取り出してほしかったよ。セクシーなやつ!!!

え、私だけなの、あの踊ってるところでキュンキュンするの。

みんなするよね? 心拍数上がるよね?

あの悟を背負いたかったっすラブ

 

でも、ま、これもかっこいいから許すけどねラブラブラブラブラブラブ

早速これ着てテンション上げて行こうかと爆  笑飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

いやー、今回は、まさに三谷幸喜劇場でしたね。

ほんのちょっとしたボタンの掛け違いによって、当事者の思惑に関係なく、怒濤のごとく状況が展開してしまう感じ。1人1人が現状に本気で向かい合えば向かい合うほどすれ違っていく。もう、三谷幸喜の真骨頂的な?

 

まず、九郎も頼朝もお互いを兄弟として特別に思い合っているということがちゃんと読者に伝わっていることが、この2人の物語が悲劇的に展開する上での土台になるんだけど、前回までにその地ならしはほぼ終わってるからね。九郎が頼朝を大好きなのは言わずもがなですけど、ってか、むしろ盲目的で怖いくらいだけど、前回、頼朝の心の内もきちんと明示されてましたよね。立場上いろいろあるから、平家を滅ぼしたという報告を聞いた場で「九郎を叱っておかなければ」って、厳しいコメントしたけど、その直後に政子のところに報告に行ったときに「九郎がやってくれた」と泣きながら繰り返したじゃん。あえてこの2つの場面を続けて見せたのがポイントだよね。公人としての立場と私人としての思いのギャップがはっきり見えた。

 

つまり、2人はちゃんと兄弟愛でつながってるってこと。

 

でもって、頼朝が、喜ばしい場で公然と九郎に否定的なコメントをしたことで、臣下は義経に対して厳しいことを言いやすくなったよね。あのとき、多分大江だったか、臣下たちが顔を見合わせていたショットがあってちょっと気になってたんだけど、そういう意味合いもあったのかな、とか思う。

 

で、前回、せっかく会いに来た九郎を、鎌倉に入れずに追い返した頼朝だけど、今回も伊予守に任じたりして、本当は和解したいという気持ちを形にしてる。九郎だって、これからは法皇さま第一で、とか言ってたけど、自分を無下に追い返した頼朝を憎むでもなく、やっぱり頼朝に尽くしたいと思っている。こう見ると、この2人の心の結びつきは、結構細かく丁寧に描かれているよね。うん。これ大事。

 

でも、老練な後白河法皇の思惑があってね。会わせてもらえないんだよね。頼朝から「伊予守に」っていう文をもらって、あんなに喜んでいた九郎を見てたらさぁ、その気持ちが頼朝に通じないどころか、むしろ九郎の策略だとすら思われてるとか……切なすぎじゃん。「ああ、ちょっとZoomでもすれば問題解決なのにね」とか、あたしの隣で言ってるやつがいました爆  笑

たしかに、このすれ違いは、あの時代ならではのリアリティだね。現代では成り立たない悲劇ではある。

 

それにしても、後白河法皇、どんだけワルなのよ。前例のない伊予守と検非違使の兼任させて、脈が止まった演技までして九郎を手元に留め置いて、頼朝討伐まで命じて……んで、うまくいかなかったからって、手のひら返して頼朝に九郎討伐を命じるとか。

でも、考えてみれば、平家には相当ひどい仕打ちを受けてきたわけだからね。武士に巨大な権力を持たせないことが最優先案件になるのも道理だよね。

 

そのあたり、後白河法皇が極悪人に見えないように、コミカルな工夫が散りばめられてましたね。あれはもう、西田敏行にしかできない。座ってるだけで堂々たる風格がありながら、めっちゃかわいらしい。あの脈が止まったフリするところとか、コメディアンよねぇ。手鞠を脇にぎゅっと挟むと一瞬脈が止まるとか言っちゃって。え、ほんとかよ?って思った瞬間、長澤まさみが真面目な調子で「真似をしてはいけない」ってナレーション入れるとか。いや、もう、笑うしかない。

 

御前会議の場で、法皇が、頼朝討伐から手のひらを返して、九郎討伐を命じさせる場面も好き。

「頼朝に、義経討伐の宣旨を出しなさい。」って命じたときに、兼実が聞き返すじゃん。「もう一度お願いします」って。しかも2回も。聞き返す方もココリコ田中だから、それだけで笑えるのに、西田敏行が命じ直すときの2回め→3回めと変化する演技がもう絶品。最後は、自分でも一瞬どっちにどっちを殺させるのかわからなくなるっていうおとぼけぶり。その塩梅が、わざとらしくないスレスレなのが、やっぱプロ中のプロよねぇ。あれ、下手なやつがやったら、コントになるからね。ホント難しいヤツだから!

 

そして、やっぱり今回の見せ場は、菅田くんかね。相変わらず顔芸がすごい。義経の役作りとしては、目がいっちゃってるサイコな武人がデフォルトになってるみたいだけど、静御前といっしょにいるときは、視線は正常でちょっと柔和になってるよね。ちょっと人間らしいラブラブ

 

そういや、静御前もあまり品がない感じで描かれてるね。なんか、亀の前と通じるものが。いや、亀ほど下品じゃないけどさ。静御前との物語を単なる美談にせず、もっと人間味のある愛にしようとしているのかな。いや、待てよ。そういえば、巴御前も眉毛つながってて変だったわ。なんだ、なんか愛人の描写にこだわりがあるのか? 三谷センセの思惑が読めんな。ちょっと気になる。

 

脱線しちゃった。菅田くんの顔芸に話を戻そう。見せ場は、やっぱり最後の時政と義時との場面かね。薄汚れた姿で現れた九郎は、毒気が抜けた感じで、真剣な思い詰めた表情が印象的だった。で、法皇が九郎討伐の宣旨を出したと知り、全てを諦めて去るときの半分振り返った表情。絶望とサイコパスのないまぜになった感じで、完全に目が死んでて、ああ、もうあとは散っていく覚悟なんだな、っていうのがわかった気がした。すっっごくいい表情だったから、できればあの場面は菅田くんの別れの言葉で余韻を残して終わってほしかったかも。九郎が去った後に「平家を討伐するためだけに生まれてきたような人だなぁ」云々の解説はないほうがよかったかな、って思っちゃった。大した情報じゃなかったし。

 

まあ、でもそれは別として、やっぱり時政パパはここぞってときにいい仕事するよね。捕まる覚悟で現れた九郎に「義経は九州に逃げたはずだから、お前は偽物だ」と言って微笑む姿とか、去り際の九郎に、「自信をつけるのに必要なのは経験だ。まだまだこれからだ」と言って死に急ぐことはないと言いかけるところとか、とにかくセリフに重みがあるんだよね。ちょっとした言葉がすごく印象的に残る。これはホントすごいなぁって毎回思う。一方で、京都守護を任じられたのに及び腰で、妻のりくにどやされてたりね。「早く準備しなさい」って叱られて「はい」ってしょんぼりするところとか、西田法皇とはまた違ったチャーミングさが出てるよね。やっぱ、これから極悪非道に走っていく布石なのかね、これ。

あと、当初に比べて立ち居振る舞いが少しずつ洗練されてきてない? あれも演出なのかな。まあ衣装がもう坂東武者って感じではなくなってるから、それだけで上品に見えるのかもしれないけど、衣装の変化に合わせて立ち居振る舞いも少しずつ変えてるんじゃないかな、ってちょっと思ってる。まあ、そういうことに詳しくないから実際のところどうなのかはわからないんだけどね。

 

あと、最近のチェックポイントは、北条家の家族会議。

以前、まだ上総介が存命だったころ、毎週小四郎との2shot会談があったけど、最近は北条家の家族会議、多いよね。今日もちゃんと全員勢ぞろいして(あ、妊婦のりくはいなかったか)、頼朝と義経の問題をどうするか話し合ってましたね。だんだん本格的に始まるんですかね。北条氏の権力への道が。だって、木曽義仲も息子の義高も死んじゃったし、武田も権力なくなったし、義経もまもなく退場でしょう? そうしたらもう後半戦、北条氏の台頭の物語だよね。早くも、一家としての結束がサブリミナル的に刷り込まれ始めてるんじゃないかな、と思う今日このごろ。

 

次回は奥州だよね。

ってことは田中泯?

めっちゃ楽しみ❤

 

 

なんかいつも同じ話題で恐縮なんだけど、どこも売り切れになってる板チョコアイス。ふらっと入ったコンビニでまだ売れ残ってた。

 

で、なんで主人公の悠二が残ってるかなぁ笑い泣き

コンプは諦めたけど、かわいそうだから引き取ってまいりました。

 

 

 

それにしても、なんなんだろう。最近は影の薄い主人公が流行りなのかね。鬼滅の炭治郎もそうだけど、地味め?

 

あ、ってか、これは逆に伝統的なのか。

あたし、『源氏物語』思い出しちゃったよ。

あの主人公って言われる光源氏ね。

実は、関係する女性たちを見せるための装置って言われてる。

 

そういえば悠二も、炭治郎も、本人がキラキラ輝いてるっていうより、彼らがいることで周囲の人たちが輝く感じがするよね。

そういう伝統的な主人公が戻ってきてるって考えると、それはそれでおもしろいニヤリ

 

で、空き箱を撮影しようとして気づいたんだけど。

商品名の「チョコ」が「(イタ)チョコ」になってるびっくり

地味にツボる爆  笑爆  笑爆  笑