「手書き人我輩」さんというブロガーがいた。
2月には彼の思い出を書きたい、と
思っていたのだが月末になってしまった。
「2月ももう終わり」という「投稿ネタ」が
出てきてしまったので、なんとか書いてみる…
慶應通信に出願する前、情報収集のために
いろいろなブログを訪問していた。
そのうち一つが、オンジさんのブログだった。
オンジさんはツイッターの質問箱を運営しておられた。
そこで見かけたのが、全レポートを手書きで出されるという
「我輩」と名乗る先輩だった。
入学後にアメブロを始め、しばらくした頃に
「手書き人我輩」と名乗る方からメッセージをいただいた。
これが、上記の「我輩」さんだった。
「手書き人我輩」さんは、アメンバー限定でブログを
公開されていて、そこに招待いただいたのだった。
「手書き人我輩」さんは、そのブログで、
人生の振り返り・学びの振り返りを綴り、
試験代替レポの時期には、私を含む
他の学生を励ましてくださった。
また、アメンバーから寄せられたコメントを見ると、
出願前に参考にしていたブロガーさんたちが多数いらして、
さながらオールスターのように思えたものだった。
また、全レポートを手書きされているということから、
もしかして年配の方かも?と思った「手書き人我輩」さんが
意外と若い方であったこともブログで知った。
個人的には、いろいろな地域ごとに歴史や文学の科目を履修し、
その経過を「スタンプラリー」と称しておられたのが
特に印象に残った。私も過去にいた大学で、範囲を決めて
いろいろな科目を広く履修する、という試みをしていたので
ああ、言い得て妙だ、と思って感心した。
ところがあるとき、残念な記事が載った。
ご体調を崩して退学される、という知らせだった。
入院されたということだったが、時折書き込みがあり、
いつかまた快復して続きを書いてくださると信じていた。
昨年2月のこと、自閉症の次男を連れて
出かけていく途中、スマホを見ると、
久しぶりに「手書き人我輩」さんの
ブログの更新通知が届いていた。
しかし、その記事は「手書き人我輩」さんご自身に
よるものではなく、あとを託された遺族の方の記した
「手書き人我輩」さんの訃報だった。
たぶんこれからも、2月が来るたびに、
また慶應通信の学生時代を思い出すたびに
「手書き人我輩」さんのことも思い出すだろう。
【追記】
ブログタイトルは「頑固一徹の記録」では、
というご指摘をいただいた。
たぶん、ブログのタイトルはそうだったように思う。
実は、ブログのタイトルの記憶は曖昧である
(だから上の記事でもタイトルに触れていない)。
ただ、そのブロガーさんは、
オンジさんの質問箱で「手書き人我輩」と名乗っておられた
(正しくは「全レポート&卒業論文三冊手書き人」というような
長い名前を略して、そう名乗られた)。
この名前が私には一番馴染んでいたので、
そのように呼ばせていただいている。
ただ、上で「『手書き人我輩』と名乗る」と
書いたのは、正しかったか自信がなくなってきた。
もしかしたら、「手書き人我輩」さんは
メッセージでは(ブログタイトルの)「頑固一徹」とか、
別の名前を名乗られたかもしれない。
いただいたメッセージに対して、こちらからは、
「ご連絡ありがとうございます。
オンジ様の質問箱におられた手書き人様でしょうか?」
というふうな書き出しで返信したことは憶えている。
