ニッポンをバージョンアップする方法

ニッポンをバージョンアップする方法

こんにちは、尾崎です(^^)
バイオミメティック経済論、教育論、テレビの内容などの話題を書きたいと思います。

Amebaでブログを始めよう!
桜の開花が始まりましたね。
今年も花見に行きたいと思います。

毎年、桜の花を見て思うことがありますので、少しその話題にお付き合いください。

桜の花って、どの方向を向いて咲いているかご存知ですか?

チューリップのように上を向いて咲いていると思っている人が多いようですが、よく見ると多くの花は下向きに咲いています。
よく観察してみると、多くの花は人間の目線に合わせて咲いているようです。
つまり、たんぽぽのような小さい花は上を向き、ひまわりのような背丈ぐらいの花は横を向き、桜の花のような高い花は下を向いて咲いています。
考えようによっては、人間のために咲いているようにも思えます。

私は特定の宗教は持っていませんが、神様は存在すると考えています。

そして、宇宙や森羅万象は神様の意志によって作られたのではないかと考えています。
(つまり、ノンクリスチャンでありながら、創造論を信じている稀有な人なのです。)

私は、神様は人を喜ばせるために世界を造られたのだろうと考えています。
科学的な反論はご自由にしていただいて結構ですが、それに対して反駁(反論に対する反論)するつもりはありませんので、返事は期待しないでください。

動物のために綺麗な花を咲かせても、動物は花を愛(め)でてはくれません。
しかし、人間には理性があり、情緒があり、花を愛でることができます。

「馬鹿なことを言うな、生物は全て進化し、適者生存、自然淘汰によって、このような姿になったのだ!」とダーウィン様を信じる人に言い返すつもりはありません。
しかし、神様が人間のために美しい花を咲かせてくれた、と思って眺めた方が、私は感動するし、生かされていることに感謝もできるのです。

花が色とりどりの色をしていても、動物には分かりません。
動物は私たち人間のような豊かな色彩の世界に住んではいないからです。

適者生存なら、全ての葉っぱの形が最も生存に適した形であってもいいはずですが、葉っぱは様々な形をして、私たちを楽しませてくれます。

花だけではありません。
果物も神様からの賜物(たまもの)です。
イチゴ、リンゴ、バナナ、ぶどう、みかん、桃など、人間の味覚に美味しいように、しかも食べやすいようにできていると感謝せざるを得ません。
砂糖を撒かなくても、ちゃんと甘くなるんですから不思議です。
甘いだけでなく、色とりどりですし、私にはそれだけの大きさの実をつけることが果物の生存戦略にとって益があるとは思えません。
むしろ、邪魔なのではないかとさえ思えます。

野菜もそうです。
様々な形状、味、歯ざわりなど、バラエティに富んでいて、人間に美味しく食べてくださいと言わんばかりです。

神様がアリのために果物を創ったのなら、それは大きすぎます。
ゾウのために創ったのなら、それは小さすぎて物足りません。
それに、動物には微妙な味覚もなければ、それに感動する細やかな感情もありません。

自然もそうです。
この世がアリのための世界なら、雨粒は大きすぎます。

もし、自然の全てが神様から人への賜物だとしたら、私たちはそれらを大切にしないといけませんね。
そして、神様にもっと感謝をしないといけませんね。
神様に自分の欲望をおねだりするだけの人も、たまには神様に感謝してみるのもいいかもしれませんよ。
それに、もしかしたら、そうした方が神様も願いを叶えてくれるかもしれません。
(そうして願いが叶わなくても、クレームは受け付けません。)

まあ、そういった幸せな気持ちになるだけでもいいじゃないですか。
非科学的な話だと夢のないことを言わず、桜の花を見るときだけでも、神様の存在を感じてみてはいかがでしょうか。


6歳の息子とつくしとりをしました。

数日前には、「つくしはまだ生えてないね」と言ってたのに、数日であっという間にたくさん芽を出していました。

中には、しおれかけているものもありましたが、抹茶のようなきれいな緑色をした胞子をいっぱい蓄えているものもありました。

そこから少し先に、毎年い~っぱいのつくしが生えてくる場所があるので、そこにも見に行って来ましたが、早かったのか、今年は生えないのか分かりませんが、全く生えていませんでした。

つくしは卵とじにして食べるのが好きです。
苦味が美味しいんです。

写真がなくて、ごめんなさい。

こちらでお楽しみください。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97&hl=ja&safe=off&prmd=imvns&source=lnms&tbm=isch&ei=aNp0T5LqKurPmAWVmsG5DQ&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=2&ved=0CB8Q_AUoAQ&biw=1920&bih=912


PCで文章を書くようになって、長文を紙に書くことができなくなりました。
ですから、手書きの必要がある場合、エディタで文章を書いてから、それを紙に書くという無駄な作業をすることになります。

4月から小学1年生になる息子の連絡帳に書いた内容から、子育の参考になりそうなものが残っていましたので、ブログのネタとして掲載したいと思います。
たま~に、学校の先生に私の教育方針を知ってもらうことを兼ねて、こうした長文を連絡帳に書くことがあります。
幼稚園、保育園の先生にそれを押しつけることはありませんが、先生方の参考になればと思うからです。

参観日での出来事や感想を書いた連絡帳からの転載です。
参観日では、お家の人と一緒に新聞紙を使って、洋服を作って、ファッションショーをしようという内容でした。


.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*:・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.

参観日はご苦労様でした。
新聞での服作りですが、テープが思わぬ所に張り付いて、せっかくできかけていた服をくしゃくしゃにしてしまいました。
家でもうまくできないと悔し涙を流すことがありますが、その時も悔しくて泣いてしまいました。
以前は物にあたることもありましたが、今は人にあたることもなく、物にあたることもなく、ひとりで泣いています。
ただ、失敗した折り紙や漢字を書いた紙をくしゃくしゃにしたり、鉛筆で上からぐちゃぐちゃにしたりすることは今でもあります。
悔し涙を流すこともいい人生経験だと思いますし、泣いたら周りが解決してくれるということを学んでほしくないので、家では感情がおさまるまでそっとしておくことが多いです。
それに、成長するにつれて、そういうことも自然となくなってくると思うので、そういった成長とともに自然にできるようになることに関しては特には心配はせず、おおらかな気持ちで接しています。

自分がくしゃくしゃにした結末を自分で体験することもいい経験だと思って見守っていましたが、順番を後回しにしてくれた先生の心遣いや、急いで素敵な服を作ってくれた近くのお母さん方のおかげで、半泣きながら、みんなに発表することができました。
失敗から学ぶことも貴重な体験ですが、今回のように、人から助けてもらう経験はそれに勝るとも劣らぬ貴重な経験です。
そこからいろんなことを感じ、学び、成長するのだと思います。
ですから、先生の行為もお母さん方の行為もとてもありがたく感じました。
桃太郎の布絵芝居が終わる頃には、何事もなかったかのように、友だちとはしゃいでいました。

教室に帰った後、「服を作ってくれたお母さんにお礼を言いに行く?」と尋ねると、「行く」と言いました。
「ひとりで行ける? それともお父さんと一緒に行く?」と尋ねると、「ひとりで行く」とお礼を言いに行っていました。
少しずつ成長している息子の姿やお友だちの様子を見ることができ、いい参観日となりました。
今後ともよろしくお願いいたします。

.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*:・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.


以上がその内容ですが、少し補足をしていおきます。

成長とともに自然にできるようになることに関しては放っておく」ことで、
親の負担を減らすことができます。

泣いたら周りが解決してくれるということを学んでほしくない」です。
泣くのは構いません。
「男の子だから泣くな」とも言いません。
ただ、泣くこと、怒ること、怒鳴ることで人を自分の思い通りに動かそうとする人にはなってもらいたくありません。
冷静に、言葉にして、自分の考えや望みを伝えることができる人になってもらいたいと思っています。
子供の頃は特に、経験から、周囲の態度から、言葉から、自分の性格を創りあげていく時期です。
人は経験から多くのことを学びますから、不適切なインプットの可能性がある経験は可能な限り排除したいと思います。

「以前は物にあたることもありましたが、今は人にあたることもなく、物にあたることもなく」
見方を変えて、子供の良い点に注目しましょう。
「腹が立った時に物にあたる」というのも、考えてみれば、人にはあたらないという適切な行動と見ることもできます。
物にあたる場合でも、壊れる物にあたるのと、枕やクッションにあたるのでは後者の方が適切です。


このブログの読者は知的な人が多いようですので、知的な子育てを目指すのもいいかもしれません。
それは自己の向上にもつながります。


前回、多くの人が心臓は左にあると思っているという話をしました。
しかし、当然のことながら、医療関係者は心臓の正しい位置を知っています。

でも、お医者さんも「心臓の役割は何?」っていうと、「全身に血液を送るポンプの役割をしている」と言います。
もちろん、一般の方もそう信じ込んでいるでしょう。

しかし!
本当にそうでしょうか?

心臓は1分間に5~6リットルの血液を送り出していると言われます。
1日にすると、8000~10000リットル、つまりタンクローリー1台分の血液を送り出していることになります。
ちなみに、正常な心臓であれば、1分間に60~70回の拍動を行なっています。

毎日休まず、タンクローリー1台分の血液を....。
心臓に感謝ですね。

で、人間の血管の総延長は毛細血管も含めて約10万キロメートルと言われます。
地球2周と半分です。

考えてみてください。
地球2周半分もある血管に、ポンプの力だけで毎分5~6リットルの血液を循環させるために必要な力はどれくらい必要でしょうか?
しかも、血液は水よりも粘度が高い(粘っこい)ので、水の場合よりもさらに大きな力が必要になります。

毛細血管は約51億本あると言われ、血液は約11秒で体内を循環するとのことです。
そんな力が本当に心臓にあるのでしょうか?


心臓はポンプではないということを主張している西式健康法の本には計算上のその力は90トンとありました。
(「難病に挑戦する奇跡の西式健康法」 山崎佳三郎著 1988年)
その本にも、その90トンという値は、「一説によると」とありましたので、正確ではないかもしれません。
その数値の妥当性はともかく、かなり大きな力が必要になりそうだということは想像していただけるのではないでしょうか。

それにも関わらず、心臓はそんなに大きな力で血液を押し出しているわけではありません。
では、血液はどのような仕組みで循環しているのでしょうか?


理科で「パスカルの原理」というを習いました。
パスカルの原理 - ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86

簡単に言うと、「流体(気体や液体)が入っている入れ物の内の単位面積当たり圧力はどこでも一緒だよ」ということです。
(文系の人にとっては全然簡単じゃないよね。もっと上手な説明をネットで探してね。)

人体にそのままそれが当てはまるとしたら、心臓での単位面積当たりの圧力と、大動脈や末梢血管や毛細血管のそれは一致するはずです。
しかし、実際は心臓から大動脈、末梢血管、毛細血管へと行くに従って、かかる圧力は減っていって、毛細血管にかかる圧力は 約20mm/Hg とのことです。

ということは、血管が単なる入れ物ではないということでしょう。

西式健康法によると、その力は毛細血管現象によるものと、細胞が栄養や酸素を求めて血液を引き寄せる力によるものに起因しているとのことです。
心臓はただその調節をする働きに過ぎないとのことです。

私もそれにほぼ賛成です。
素人考えですが、心臓は大動脈などの大きな血管に血液を送り出す働きや、循環のタイミングをとる(同期をとる)働きをしているのではないかと思います。


バイオミメティック経済論は人体の血液の循環を経済に応用し、全ての人が飢えることのない経済システムの構築を目指していますが、
血液の循環に関しては、西洋医学的な、心臓がポンプとなって、血液を循環させているという立場ではなく、西式健康法の立場をとっています。

一般社団法人全国銀行協会のサイトには、銀行は心臓の役割をしていて、そのポンプがなかったら社会に血液(お金)が循環しないとありました。
そんなことはありません。
確かに、資本主義社会で、銀行がないと不便ですが、銀行がないと全くお金が回らないというのは嘘だと思います。

西式健康法の理論のように、各家庭、個人、企業がお金を回していく力が主なお金の循環の原動力ではないでしょうか。