「よかったさがし」

「よかったさがし」

ふっと幸せな気持ちにしてくれる「よかった」はまわりにたくさん転がっている。
それを見落とさない感性を養うために日々感じ、考え、学ぶことを怠ってはいけない。
その日がどうなるかは自分次第。

 2 月4 日(日)のフィラデルフィアの熱狂ぶりはすごかった。この日、フィラデルフィアに拠点を置くアメリカンフットボールのチーム『フィラデルフィア・イーグルス』がスーパーボウルを制し2017 年シーズンのチャンピオンとなったのだ。チーム史上初のこの快挙に試合終了後のフィラデルフィア市内はファンで溢れた。メインの大通りは身動きがとれないほどの混雑ぶり。もともとお行儀が決してよくないとされるイーグルスファンは信号、街頭、屋根など、ありとあらゆる「登れるもの」に登り、夜通し喜びの雄たけびをあげた。


 その週の木曜日にはチームの凱旋パレードが行われた。市内を南北に走る大通りで行われるパレードには600 万人が詰めかけるとされ、混雑を緩和するためにフィラデルフィア市外から市内への電車は朝9 時半からその日の夜まで運行停止となった。その影響でペンシルベニア大学含むフィラデルフィア市内の学校は休講(!)、企業も休みとなったところが多かったようだ。


 正直アメリカンフットボールに興味があるわけではない。もっといえばルールがわかるかもあやしい。それでも学校の事務の人に「歴史的瞬間なのよ!歴史家として絶対にパレードは見るべき!」と言われ、パレードを見に行った。大学院の友人5 人で落ち合ってパレード見物をする予定が通行止めなどで全員揃わないなどというハプニングもあったが、トロフィーを掲げて手を振る選手らを遠目にみて、やはりありとあらゆるものに登るファンをみて、フィラデルフィア市民に支えられてこそのチームだと実感した。

 

凱旋パレードにて。信号に登る「フィラデルフィア・イーグルス」のファンら


 異国の地に暮らすということは、インターネットやテレビ・新聞を通してある種選択的に情報を得るのとは違う体験だ。知り合いの輪を少しずつ広げ、暮らしの中で現地の人々と「共にする」部分が増え、喜怒哀楽を分かち合う中で、思わぬ発見や気づきがあり、そのような中でその土地のことを多方面から知っていく。


 1 カ月に1 度ほどのペースで通うベトナム料理屋さんがある。先日、顔なじみになった店長さんと話していたら、ポルポト政権時代にアメリカに亡命してきたカンボジア人だという。当時東南アジアからの移民をアメリカが大量に受け入れたとは聞いていたが、その歴史がこんなにも身近にあった。ここでの暮らしに溶け込んできたからこその発見だった。


 本連載は今回が最後となるが、私は感性のアンテナをあちらこちらに向けてしっかりとたてながら、引き続きフィラデルフィアでの生活を丁寧に過ごしていこうと思う。

 

(SAITAMAねっとわーく2018年3月号)

 大学院で学びつつ、核兵器のない世界をめざして被爆者の証言を世界に広めるピースボートの「おりづるプロジェクト」に10 年来関わる私にとって、昨年2017 年は振り返ってみると信じがたいほどに歴史的な1 年であった。7 月、国連で核兵器禁止条約が成立した。原爆の恐ろしい威力が世界に示されてから72 年、被爆者をはじめ多くの人が夢にまで見た条約だった。それを受けて10 月にはノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に贈られることに決まった。12 月の授賞式ではICAN のメンバーとともに被爆者のサーロー節子さんがスピーチをし、被団協の田中煕巳さんと藤森俊希さんも式に参列した。式後のコンサートでは、アメリカの有名アーティストであるジョン・レジェンドが被爆ピアノを弾いた。核兵器のない世界に向けて確実に新しい風が吹いていると感じる。

 

ノーベル平和賞授賞式のあとに行われたたいまつパレードの様子​(Credit Photo: Ari Beser)


 一方で、核兵器禁止条約のことも、ICAN の活動も、なぜ核兵器が悪とされるべきなのかも、私たちが信じたいと思うほどには日本国内に伝わっていない現実に直面したのも昨年だった。核兵器禁止条約の締結までに二期にわたって開かれた条約交渉会議に日本政府は参加しなかった。もちろん条約への署名もしていない。それどころか「核兵器保有国と非核兵器保有国の対立が深まる」「ゴールは共有するが手段が違う」として、政府は核兵器禁止条約に明確な反対を示している。スウェーデン、ノルウェー、スイス、アルゼンチンなどの国では、核兵器禁止条約に加盟した場合に安全保障上どのような影響があるかなどを調査しているというが、日本にそのような動きはまだない。そしてそのような議論を国会に求める声はなかなか大きくならない。反対に、北朝鮮の脅威などを理由に核兵器や核の傘の必要性を訴える声は広まっているようにさえ思える。


 使わないことが前提の「抑止」を理由に核兵器を保有しているはずの国がいつの間にか使える核兵器の開発に乗り出していることや、核兵器の管理にミスや事故がないと言いきれないことは、核爆発の影響を再び人間が受け得る可能性を示している。たくさんの方に被爆証言を聞かせてもらった私にはそれが許されるべきではないとわかる。しかし、被爆者の話を一度も聞いたことがないという人は実は国内でも多い。私はそのような人に被爆証言を聞いてほしいと思っている。


 埼玉にしらさぎ会があるように、日本には全国各地で長年にわたって証言を広めるべく活動に励んできた団体がある。そのようなみなさんと協力しながらもっと多くの人に核兵器の被害の実相を考えてもらいたいと思い、クラウドファンディングに挑戦した。2 カ月で100 万円を超
えるお金が集まった。現在も募集中だ。今できることを着実に積み上げたい。 

 

(SAITAMAねっとわーく2018年2月号)

 アメリカの大学スポーツの試合では、各大学のマスコットキャラクターが登場して応援するのは日本でも知られていると思う。コロンビア
大学はライオン、プリンストン大学はタイガーといった具合だ。ハーバード大学が創設者ジョン・ハーバードを用いているように、人物がマスコットになる場合もある。ペンシルベニア大学はというと、「クエーカー」がキャラクターだ(写真参照)。彼は一体何者なのか。

 

スタジアムでポーズするペンシルベニア大学のマスコットキャラクター「クエーカー」


 マスコットとしては人間の形をしているが、クエーカーは実はクエーカー教という宗教の一派、あるいはその信者のことを指す。そしてペンシルベニア大学のマスコットに起用されていることからもわかるように、ペンシルベニア州とクエーカー教は深いつながりがある(ただし大学自体は無宗教)。キリスト友会とも称されるクエーカー教は1650 年代初めにイングランドで始まった宗教だ。しかし、クエーカー教徒の活動が拡大すると、クエーカー教徒に対する迫害も広がるようになる。その中で、ウィリアム・ペンが、クエーカー教徒が安全に暮らし、信仰を守れる安住の地として作り上げたのがペンシルベニア州なのだ。今でも州都フィラデルフィアにはアメリカのクエーカー教徒が集中していると言われる。


 クエーカー教は何よりも、その揺らがない平和主義で知られている。私もいくつかのクエーカースクールにお邪魔したことがあるが、「私たちは人間一人一人に神が宿っていると考えているから、誰かに暴力を振るう、ましてや誰かの命を奪うということは、神への冒涜でしかないのだ」と先生が説明していたのが印象的だった。暴力は常に誤りだというこの信念が故に、クエーカー教は歴史的に多くの良心的兵役拒否者を生んできたことでも知られている。ちなみに第二次世界大戦直後の1947 年のノーベル平和賞はアメリカとイギリスのクエーカー団体に贈られている。


 アメリカの歴史をみても、非暴力や平等への信念を曲げないクエーカー教徒が果たしてきた役割は大きい。アメリカで初めての奴隷制度廃
止運動団体をつくったのはフィラデルフィアのクエーカー教徒だ。以前も紹介したが1911年に女性の参政権を求めるアメリカで最初の屋外集会が行われたのもここフィラデルフィアで、これにもクエーカー教徒が関わっていた。これまた過去に記事にしたが、初めて「犯罪人の真の反省と更生」を目指したことで知られるイースタン州立刑務所の設立にもクエーカー教徒が関わった。


 クエーカー教が示してきたような「平和の実践」が、いかにして不可能を可能にし、多くの人の尊厳を取り戻し、世界の歴史を形作ってきたかということを、今一度見つめ直したい。

 

(SAITAMAねっとわーく2018年1月号より)

 

 

 またもや国政での議論が私たちの暮らしを直接脅かす事態がやってきそうだ。11月16日、米連邦議会下院は共和党の税制改革法案を可決した。個人的には税制の話は難しいと思っているタイプである。「あぁまた難しい税の話か」と流し見をしていたが、どうやら博士課程の学生である私たちにも大きな影響がありそうだ。この2日ほど学内はこの話でもちきりだ。全国紙にも連日各地の大学院生のオピニオンが掲載されている。


 日本におけるこの改革についての報道をみていると「法人税率を今の35%から20%に引き下げる税制改革…」などといった記述が目立つ。これは事実である。しかし、決して大きく取り上げられない部分に人々の生活へ直接影響する落とし穴があるのが常である。
 そのような意味で、今、アメリカの大学院生の間でもっぱら話題になっているのが「Section 117(d)(5)」がなくなるという点だ。この条項があることで、これまで大学院生の学費は課税の対象外とされてきた。それが破棄される。どういうことになるのか。
 

 これまでも紹介してきたが、アメリカの大学の多くは博士課程の学生の学費を免除し、さらに彼らを研究員や教員補佐として「雇う」ことで生活費に足る「手当」を支給している。このしくみのおかげで大学院生は最低限の「収入」を得ながら学位を取得できるしくみになっている。現在の税制のもとでは大学院生はこの「手当」が所得とみなされ、その額に応じて所得税を納める。対して改革法案後は「免除されている分の学費+手当」を合わせて「所得」とするという。
 

 私の例で考えよう。ペンシルベニア大学の学費は年間約360万円。私はこれが免除され、その上で年間約300万円の手当をもらっている。つまり大学は私に年間660万円使っていることになる。これまでは手当の300万円のみが所得とみなされ、私はそれに対する15%の所得税45万程度を毎年納めてきた。仮に今回の改革案が通り学費分が控除の対象とならなくなれば、私の所得は660万円ということになり、所得税率は22%にあがる。これまでの3倍近い145万が所得税としてとられることとなるのだ。実質300万しかもらっていないのに、である。これはつまり、月々12万で生活をしろということである。生活が成り立つか際どい金額である。貯金などとんでもない。
 

 お金をもらって博士課程に修学できること自体が贅沢な話ということもできる。しかし、格差の大きいこの国では、このような措置を導入することで裕福でなくても研究者を目指せるようになってきていたし、大学の国際的な競争力の源にもなっていた。今回の改革案は明らかな後退である。上院での否決をせつに願う。まずは、来週、デモに行く。
 

 アメリカには「ドリーマーズ(DREAMers)」と呼ばれる若者がいる。両親に連れられて幼い頃にアメリカに不法に入国し、そのままアメリカで育った子たちのことだ。自分ではどうしようもできなかった事情により不法移民という運命を背負った子たちだ。
 

 このようなドリーマーズに法的地位を与え、いずれは彼らが市民権を取得できる道筋をつくろうと、アメリカでは2001年頃から様々な議論がなされてきた。そもそも賛否が分かれやすい論点であることからなかなか決着がつかない中で、とりあえずの救済措置として2012年につくられたのがDACA(若年移民に対する国外強制退去の延期措置)だった。DACAは16歳になる前にアメリカに入国した31歳未満の若者で、犯罪を犯していないなど一定の条件を満たしたドリーマーズ対して、更新可能な2年間の滞在・就労許可を与えるものだった。DACAにも多くの欠点はあったが、少なくともこれによってのべ80万人の若者が国外退去を恐れることなく働いたり、学校に通ったりできるようになった。それまで「自分は存在してはいけない」と、自分がドリーマーズであることをひた隠しにしていた多くの若者にとって、DACAは希望だった。


 しかし9月初め、トランプ大統領はこのDACAを突如撤回するとした。具体的には、DACAの新規申請を受け付けないとし、また現在DACAの認定を受けている人の滞在許可の更新も10月5日以降は受け付けないとした。やっと条件を満たしDACAの申請ができると思っていた若者、今後もDACAの更新を通してアメリカで生活を築いていこうと思っていた若者の未来が一瞬で閉ざされた。


 これを受けて、ペンシルベニア大学はじめ多くの高等教育機関は在学中のドリーマーズについてはDACAの認定を受けているかどうかに関わらず卒業まで守り抜くとした(ここでは割愛するがアメリカの私立大学にはそもそも不法移民も受け入れるしくみがある)。他にも更新手続きに関するアドバイスなど、当事者に対するサポート体制が緊急に敷かれた。そして今この瞬間も、なんとかしてDACA更新の期限を延長できないか、どうにかトランプ大統領によるDACA撤回を撤回(!)できないかと奔走している法律の専門家や政治家、活動家がいる。


 私も大学職員らを対象とした説明会で今回直接影響を受けたドリーマーズの体験談を聞く機会があった。どんなにがんばっても他の人と同じ機会を得られず、故郷に帰ることもできず、そして今回のような法律改正のたびに振り回されてきた彼女の話はリアルだった。法律は、より多くの人、とりわけ自分ではどうしようもできない環境に生まれ落ちた人を救済するものであってほしいと心から思う。

 

DACAに関する説明会は情報をもとめる学生や教職員で溢れかえった。

 

(SAITAMAねっとわーく11月号 PDF版はこちらから)

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