100日間の船旅の先にあるもの | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

100日あまりの地球一周の船旅から帰ってきてちょうど1か月。もう長いことこの仕事をしているのに、本当に地球を一周したなんて信じられないと毎回思う。そして久々の地球一周なのですっかり忘れていたのだが、ちょうどこのくらいの時期に、一緒に船に乗っていた人たちがとても恋しくなる。

 

昨今のピースボートには、日本に加えて、シンガポール、マレーシア、タイ、中国、韓国、台湾、香港など、アジア各地から乗客が参加する。昨日はシンガポールの人から「澄子が夢に出てきたの!」と連絡があり、一昨日はマレーシアの人から「明日からメッカに巡礼にいくけれど、2月の終わりにはマレーシアに戻るから絶対に遊びに来て」とのメッセージ。なんだか懐かしくなって船から持ち帰ったあれこれを整理していたら、韓国の方が降り際に紙ナプキンに(!)したためてくれたお手紙が見つかった。グーグルレンズ翻訳によると「澄子さんのことが恋しくなったら船で見ていたように青い空を見上げます」とのこと。「私は死んでないぞ!」と突っ込みながら、笑みがこぼれる。これは私たちが100日かけて築き上げた、国境をこえた、顔の見えるつながり。また会いたい、何かあったら手を差し伸べに駆け付けたいと思える関係。私が思う、小さいけれどとても大事な平和のいしずえだ。

 

船旅の間に形を変えて何回か、中国、韓国、日本の若者で歴史教育や歴史認識をテーマとした企画を行った。準備のプロセスも含めて本当に面白かった。学校教育の文化を比べ、教科書を比べ、カリキュラムにおける重点テーマを比べ、互いの国に対して持つイメージを比べた。なぜみんなそれぞれに自分の国が被害国だと思っているのか、なぜこうも私たちの歴史認識はすれ違うのか、私たちの世代に責任はあるのか、どこに未来へのヒントがあるのか。多少のことでは関係性は揺らがないという信頼のもと、普段は聞けない様々なことをお互いに聞いた。着地点が見つからないと焦りながら、何度も何度も話し、手繰り寄せるように自分たちの思っていることをひとつずつ言葉にしていった。ようやくできあがった75分の企画を終えたら、ものすごく晴れやかな気分になった。「中国と日本は・・・」「韓国と日本は・・・」と評論家はいうけれど、私たちは分かり合えるということを、誰よりも私たちが知っている。

 

分かり合えないことがあっても人と人はリスペクトをもって共存できるということも、船旅を重ねながら得た大きな学びだ。ふとしたことで意見が真っ向から対立することはある。なんなら、よくある。意見が分かれそうなテーマを扱った企画のあとに「畠山さんと話がしたい」と呼び出されてドキドキしながら駆けつけると、案の定「さっきのあの話は納得できない」と言われる。私も納得できなくて、議論が始まる。その場で決着はついたりつかなかったり。しかし本気で意見を交わすと、まずはその真摯さを互いに称えたくなったりするのだから不思議なものだ。最終的に「あなたの意見には納得はできないけれど、あなたの情熱と本気度は伝わった」などと言われ、「agree to disagree(意見が違うことを認め合う)」で終了。でも、少ししてからレストランで再会したら、なぜか「How are you?」と声をかけてしまう。意見が違う人たちを仲裁していたら、ひょんなことから糸口が見つかって「なーんだ、だからそう考えていたのか」なんてあっさり決着がつくこともある。まずは愚直にぶつかってみなければ何がどう運ぶかはわからない。

 

100日間を共に過ごすというのは、言うほど簡単ではない。自分を繕って「いい人」で居続けるには長すぎる。適度に自分をさらけ出して、納得がいかないことは言葉にして、でも明日また朝ごはんで会うかもしれないその人と関係性を保とうとする…そんな絶妙な力学で保たれる100日間。それは、向き合うということであり、逃げないということであり、腹をくくるということ。今どきの言葉で言えば「関係性にコミットする」ってやつか。それとなく付き合っていればなんとなく人間関係が成り立って、嫌になったらシャットアウトできるデジタル主軸の関係性とは真逆。時代と逆行するような泥臭い感じ。はっきり言ってしまえば面倒で、時につらい。でもその先にある関係性はプライスレスだと私は思う。

 

だから私はきっとまた船に乗る。