サグラダファミリアのチョコレ-ト親父
Diagonal通りに面したところに宿をとる。
後で知ったことだが、ここからはサグラダファミリアへも、
ガウディの建物が並ぶGracia通りにも近かった。
サグラダファミリアは、当然のごとく建設中だった。
着工から100年以上経っても、まだ、中心の塔も出来ていない。
100年。なんと長い時間なのだろう。
施主ももうとっくに死んでいる。
それでもいろんな人が入れ替わり、毎日コツコツ造り続けるなんて、
ガウディという人は、本当に偉大なものを設計したものだ。
技術が発達した今、
これほど長い年月をかけても完成しない建物なんて他にあるだろうか。
未だ未完成の建物。それは言い換えれば、常に変化しているという事。
ある意味生きているともいえる。
自然の法則をふんだんにその建築に取り入れようとしたガウディの集大成は、
建設中であるということ自体にも、価値があるように思えた。
それはともかく、今日は休日。
平日なら中で働いている職人さんたちの仕事を直に見ることが出来たかもしれないが、
教会内は観光客以外だれもいない。
さまざまな工具がそのまま置きっぱなしになっているのみだった。
出来上がっている塔には登ることができた。
一人5ユーロのエレベーターには長蛇の列ができている。
30分待ちは覚悟の上で並んでいると、どこからともなくおじさんがやってきて、
「なんでここに並ぶんだ?」ときいてきた。
「いや、もちろん。塔に登りたいからだけど。」
すかさずおじさんは、「あっちの方にもエレベーターはある。
そっちはガラガラで待たずに乗れるよ。」と言った。
本当か?
なんでもおじさんは、ここで並んで上まで行ったあと、
別の乗り場があったことを知ったらしい。
「30分も並んで、バカみたいだ。」
後でそれを知ったことをはげしく後悔していた。
言われたように、出口の方へ行くと、
果たしてガランガランのエレベーターがあった。
係りのお姉さんは暇そうにしていたが、私たちが行くと、
やっと客が来たといった風に急にハリキリだした。
塔の階段は狭い。
人一人がやっと通れるくらいだ。
ところどころにバルコニーのようになっているところがあり、
そこからは市内を一望できる。
が、足元は下支えのない出っ張りになっているので、
今にも崩れるのではないかと、ヒヤヒヤものだった。
塔の内部は落書きだらけだった。
すごい数の落書きで埋め尽くされていた。
なぜに、みんなそこまで自分の名前を刻みつけたくなるのか?
それほど、サグラダファミリアが
人々に慕われているということの裏返しなのかもしれない。
生誕の門と復活の門の装飾のスタイルが全然違うことに気づいて、
サグラダファミリアをあとにする。
宿への帰り道、信号待ちをしていると、
頭に変な感触がした。
上から何か落ちてきたような。。。。
まさか鳩の糞か?
かぶっていた帽子を脱ぎ、急いで確かめると、
それはチョコレートだった。
チョコレートウエハースをぐちゃぐちゃにかんで、
ペッと吐き出したようなものが、べったり付いていた。
それはパーカーにまで及んでおり、
首筋から肩のあたりまで汚らしいものがべったり。
ユリのほうを見ると、ユリの後頭部も汚されていた。
髪の毛にチョコがからまり、やはり肩口までべったり。
一体誰だ?こんなことしやがるのは?
と、辺りを振り返る。
後ろのマンションの住人か?
上を見たが、その形跡はない。
チクショーと思って、キョロキョロしていると、
少し後ろにいた親爺が「やられたね。」といった風に近づいてきた。
親爺は「かわいそうに。」といった様子で、
ちょっとおいで。とすぐ後ろのマンションに私たちを連れて行った。
一階でしばらく待たされると、まもなく水とティッシュを持って来てくれた。
「さぁ。これで拭いてあげよう。」
親爺はそういうなり、私たちの帽子や服をティッシュで拭き始めた。
なんて親切な人がいるのだろう。
はじめは、そう思っていたが、
親爺の手は次第にチョコのついていない前の方に及んできた。
ふと見ると、ウエストポーチのファスナーが開いている。
確か閉めたハズだが。。。
念のため財布の中身を確認してみる。
何も無くなっていなかった。
すると途端に親爺の態度が急変した。
さっきまで熱心に拭いてくれていたのに、
私がウエストポーチのことに気付くと、
「じゃ。わしはそろそろ行くから。」
と、その場を立ち去ろうとする。
そして財布の中から名刺のようなものを出して説明しだした。
何を言っているのか分からないが、明らかに怪しい。
その様子は、必死で弁明しているようだった。
まさかこいつが噂のツバかけ強盗か?
バルセロナはちょくちょくこの手の犯罪があるらしい。
拭いている間、「子供が上から飛ばしたんだよ。」とか、
「大きな鳥だよ。」とか言っていたが、
実は親爺が自分でプッとやったのではないのか?
しかし、マンション内へ入るにはカギがいる。
親爺がここの住人であることは間違いなさそうだが。。。。
いづれにせよ金品が無くなっていないのは確かなこと。
親爺がツバかけ強盗であったかどうかは、推測の域をでない。
が、汚らしいチョコレートは拭いても拭いてもなかなかとれなかった。(yo)
カダケスのダリ
カダケスにあるダリの家ミュージアムは、完全予約制だった。
前日までに予約しておかないとせっかく足を運んでも追い返される。
インターネットで予約して近くのネットカフェで、
予約書をプリントアウトしなければいけなかった。
カダケスへ行くには、1度フィゲラスまで行き、
そこからバスに乗らなければならない。
しかし、このバスがなかなかやっかいで、オフシーズンのためか、
グッと本数が少なかった。
1日に4本。しかも午前の便は8時発しかなく、その次は13時30分。
なんとか8時の便に乗りたいところだが、
ジローナから列車を使っても
フィゲラスに8時前に到着するのは不可能だった。
なので、必然的に13時30分の便に乗らなければいけない。
まぁ。でも、実際行ってみたら、他にも出ているかもしれない。
そう思ってとりあえずダリの家に15時の予約を入れ、
ジローナからフィゲラスへと向かった。
バスで50分かかったのが、列車ではわずか30分。
こんなことなら、昨日も列車を使うのだったなぁ。
カダケス行きの乗客は少なかった。
やっぱり利用客が少ないから本数があまりないのだろうか。
フィゲラスを出ると、
やがて道路脇にクルーザーの店が目立つようになってくる。
しばらく海沿いを走ったあと、道は山道差しかかった。
景色が良くて一見穏やかな道のようだったが、
山に沿って造られた道はぐねぐねと曲りくねり、
次第に気持ち悪くなってくる。
急カーブも多いので、
一歩間違うと谷へ転落という事態にもなりかねない。
ゆっくり慎重に進むバスの後ろには、
いつの間にか車の列が出来ていた。
バスが山を超えると目の前には青い海と白い家々が見えてくる。
カダケスは海辺の小さな漁村だ。
冬だというのに白い建物が青空に映え、
まるでさわやかな夏の午後を感じさせる。
だが、町並みを味わう間もなく私たちはダリの家を目指す。
15時30分の予約では30分前の15時には、
最低でも着いていなければならないルールだった。
14時30分にバスを降りて、私たちは急いだ。
海辺に立っているダリの像を通り過ぎ、
ポルトリガドと書かれた小さな標識だけを頼りに進む。
カサダリのあるポルトリガドへは丘を一つ越えなければいけなかった。
急いで丘をかけ上がったため、息切れをおこしてしまった。
ユリもかなり疲れたらしく、やっと丘をのぼり切ると、
息を整えるのにしばらく休憩が必要だった。
ダリの家は海辺にある。
カダケスにあるほとんどの家と同じように、白い壁がきれいだ。
家の前は船着き場になっており、岸には数台ボートが置かれている。
急いだおかげで、なんとか15分前に着くことができた。
受け付けで予約書を見せると、おばさんはにっこり笑って、
15時30分からだけど、もうすぐ15時のツアーがあるからそれでもいい?
と言ってきた。人数が少なかったようだ。
多少、融通が効くところを考えると
何もあんなに急いで丘をかけ上がることもなかったのかもしれない。。。。。
いよいよダリのお宅に潜入する。入ってすぐ歓迎してくれたのは、
白熊の剥製。
巨大な白熊が二王立ちde銃を構えていた。
入り口のすぐ横には古風な電話。
そして、その横には草模様の唇ソファが置かれていた。
隣のリビングには、本棚が並びテーブルと椅子が置いてある。
椅子はめちゃくちゃ小さく、天井も低かった。
ダリってそんなに小柄な人だったっけ?
と思いながら覗き込むようにして見ていると、
警報ブザーが鳴った。
家の中では、保護のため調度品に近づいてはいけない事になっていた。
立入禁止のロープが張ってあり、それを越えるとブザーがピー。
結構シビアなので、一行は何度もブザーを聞くことになった。
2階にあがるとアトリエがあった。
大きな窓が開いていてカダケスの海が良く見える。
壁には未完成の絵がそのまま置いてあった。
絵の具や絵筆なども、まるで今までダリがそこに座っていたかのように、
そのまま置かれていた。
下の階にある絵の具置き場への階段には、ガラの写真が貼ってあった。
アトリエの横は寝室になっていて、
ピンクのシーツがしかれたダブルのベッドが置いてある。
バスルームは2つあった。
ダリの方には入れなかったが、ガラのものの方が大きいようだ。
驚いたことに、ダリとガラはそれぞれ専用のバスルームを使っていた。
ガラのバスルームを抜けるとクローゼットに出る。
壁一面にはびっしりとダリの写真が貼ってある。
その奥の談話室は特殊な構造になっており、
小声でも反響して大きく響いた。
中庭に出ると、大きな卵が乗せられた鳩小屋の奥に、
巨大ながらくたで出来た像が横たわっている。
どうやらキリストらしい。
細長いプールには、ミシュランのマスコットが置かれ、
フェラーリの看板の前には、唇ソファが置かれていた。
プールの水がきれいに青かったところを見ると、
まめに入れ替えているようだった。
約1時間の家ツアーは、とてもおもしろかった。
ガイドはありませんと言っていたが、
案内係の人が軽く英語で説明してくれた。
奇才ダリの家はこじんまりとした室内のわりに、
設備の整った素敵な家だった。
できることならこんな家に住みたい。
そういえば、キッチンを見ていないがどこにあったのだろう?
カダケスは不便なところだが、わざわざ来て良かった。
帰りもやっぱりバスの本数は少なかった。
18時15分のバスまで2時間ほど時間があった。
カフェに入るお金ももったいないので、
スーパーでサンドイッチを買ってしのぐ。
海辺の夕方は風が強く寒かった。
フィゲラスのダリ
私たちの泊まっているユースホステルは、どうやら学生の利用が多いようで、
昨夜は合宿か何かの団体が、夜遅くまで騒いでいた。
すぐ上の部屋でどんちゃん。どんちゃん。なぜか椅子をひきずるような音まで、
聞こえてきてうるさいことこの上ない。
12時になると静かになるだろうか?と我慢していたが、
12時どころか1時になっても収まらない。
そればかりか、どんどんエスカレートしていった。
さすがに我慢の限界を感じ、受付の人にたのんでおさめてもらったが、
アルコール禁止のホステルでよくもあれだけ騒げるものである。
若いっていいなぁ。と急に自分が老けたような気がした。
それはともかく。
どうして私たちがこのジローナ。(格安航空会社のライアンエアが、
バルセロナの空港として利用しているジローナ空港で有名なジローナ。)
に来たのか?
それは、ダリに会うためだった。
20世紀シュールレアリズムの巨匠として、強烈な個性を放つ天才。
ダリの故郷がこのジローナにほど近い、カダケスにあり、
そして同じく近郊のフィゲラスには、ダリ劇場美術館がある。
私たちはダリの2大聖地を訪れるため、ジローナにやってきた。
バスで50分。フィゲラス行きはすいていた。
チケットは往復で買うと、1ユーロほど安くなった。
特に目立つ案内板もなかったが、
バスターミナルから左手の方向に適当に進んでいくと、
地面のまのびしたダリの顔を筒状の鏡で見ると、
ちゃんとした顔に見える屋外アートが置いてあった。
そのそばに、ようやく「Museo Dali」の案内板があるのを見つけた。
胸を高鳴らせながら、坂を上がっていく。
と、赤い壁に無数のクロワッサンが敷き詰められ、
屋根にはアカデミー賞のオスカー像のような人形と、巨大な卵が載せられた、
独特の外観の建物にたどり着いた。
入り口が分からずしばらくウロウロする。ぐるっとまわった反対側だった。
館内は思ったよりも狭かった。
入ってすぐに現れる中庭には、
車内に雨が降っている車の前に、大きな肉つきのよい女性の彫刻。
車のうしろにそびえる塔の上には、手こき舟が浮かぶ。
奇妙な作品を中心にして、同心円状に中庭を取り囲む壁には、
無数の男だか女だか分からない顔が、ぽっかり口を開けていた。
中庭の奥は、バルコニーになっていて、後ろの壁一面には、
頭の割れた男がうつむいている巨大な絵が描かれている。
バルコニーの中心には、一角だけまわりとは色の違う、
大体たたみ一畳ほどの細長い石がはめこまれている。
多くの見学客は平気でこの石の上を歩いているが、
ここが天才のお墓だった。
中庭横の部屋から地下へ入ると、ダリの棺の側面が顔を出していた。
館内には他に絵ハガキにもなっている唇ソファで有名な顔の部屋や、
お金を入れると原子モデルのような機械が動いて絵が出てくる
謎の作品があった。
リンカーンの肖像、ピカソの肖像など、有名な作品は数えるほどしかなく、
絵画自体の点数は少なかった。
裸婦や風景をすべて岩で構成して描かれた、
岩シリーズが展示してある部屋は、
なかなかおもしろかった。
が、正直。思っていたよりもこじんまりとしていて、
「なんだこんなものか」と、思ってしまった。
期待が大きすぎたのかもしれない。
美術館の隣には、ダリジュエリーが併設されていた。
ここには、ダリのアイデアによる装飾品が展示されてあり、
アイデアスケッチと、実物の両方を見比べて鑑賞することができた。
ダリのスケッチもおもしろいが、それにも増してスゴイのは、それを形にする職人だ。
どれも、ダリの突飛なアイデアを必死になって形にしようとしており、
細部に至るまで、よくここまでできるなぁ。
とひたすら職人技に感激した。
さすがに、水晶の中に時計を入れることはできず、
後ろに時計をつけることでごまかしていたが、
それでも、できるだけスケッチに忠実に造ろうとする
職人たちの意地には本当に頭が下がる。
劇場美術館で少しがっかり気味だった私たちも、
ダリジュエリーで再び盛り上がった。
ショップでは、ユリがずーっと探していた
唇型のシルバーリングが売られているのを発見してくれた。
うれしくなって、思わず購入してしまった。(yo)
宝石でできた動く心臓も
ストライキのあと スペインへ
その事実を知ったのは、昨日。
荷物を送ろうと郵便局に行ったとき、
「日本までどのくらいで着きますか?」の問いに、
職員は「さー、わからないね。」と一言。
続けて「今、空港はストライキ中だからね。」としれっと言った。
「本当ですか?」驚いた私たちに、
「テレビ見てないの?」職員は、みんな知ってるよ。
と、別に驚くこともないだろうに。といった様子でしれっとしていた。
部屋にはないので、当然テレビなんて見ているはずもなかった。
しかし、これは困った。このままストライキが続けば、
スペインへ行けなくなってしまう。
私たちは、ブダペストからバルセロナへ飛行機で行くつもりだったのだ。
しかし、幸いなことにストライキは私たちがまさにストライキの事実を知ったその時、
つまり昨日の夕方に解除された。
危なかった。
1日ずれていれば、空港で一夜を明かすことになっていたかもしれない。
かくして、格安エアラインの easyjet でバルセロナまでひとっとび。
空港に降り立った途端。あたたかい風を感じた。
さすがスペイン。太陽の国。
12月のなかばだというのに、半そでで歩いている人がいる。
市内への列車のプラットホームには、まばゆいばかりの夕日がさしていた。
ほっとしたのも束の間。
バルセロナのノルドバスターミナルから北を目指す。
1時間ほどして、ジローナについた時は、もうすっかり暗くなっていた。(yo)
走る!子供鉄道
ブダ+ペスト、ブダ&ペストでブダペストということらしい。
グレンラガンというロボットアニメがあったが、
あれはグレンというロボットとラガンというロボットが合体して、
グレンラガンというロボットになっていた。
ハンガリーの首都はまるで合体ロボのような名前なのだった。
それはさておき、ブダペストには子供鉄道という鉄道が走っている。
ブダ側のモスクワ広場から、トラムに乗り、3つめくらいの駅で、
今度はフォガシュケレクという山の斜面を登るケーブルカーに乗り換えて、
終点まで行くと、山間を走る小さな鉄道の片方の終点駅にたどり着く。
距離が短いから子供鉄道ということではない。
この鉄道では、運営する職員がすべて、子供。
文字通り、子供たちの鉄道なのだった。
大体、小学校の高学年から、高校生くらいだろうか。
でも、こっちの人は早熟だからもっと若いかもしれない。
大きい子や小さい子、男の子、女の子がそれぞれ自分の担当する仕事を
やや恥じらいながらこなしていた。
切符売り場も列車の到着するアナウンスも、切符をチェックする車掌も、
出発進行の合図をする人もすべて子供。
そして、運転手も!
といいたいところだが、こちらはさすがに無理で、唯一おっさんだった。
2両編成の車両には、私たちの他には、ハンガリー人のおじいさん、
おばあさんとその孫たちのわずか2組の客しかいなかった。
途中にいくつも駅があるが、乗ってくる人もいなければ、降りる人もいない。
ただ一度、終点間際に乗ってきたのは、チェーンソーをもった鉄道関係者らしき、
おっさんのみだった。
あまり詳しくは分からないが、この鉄道は社会主義時代の
職業訓練所のようなところだったらしい。
それが、そのまま残され、今ではブダペストの名物列車として、
多くの観光客を運ぶようになっている。
といっても、今回はたったの2組とむなしいことになっていたが。。。。
シーズン中は結構な人のようで、
駅舎にはたくさんの人たちで賑わっている車内の写真がはってあった。
本当は週2回、特別に走る蒸気機関車に乗りたかったのだが、
それは休日のみの運行だったらしい。
受付の女の子に聞くと、「今日はないわ。」と笑われた。
そんな事を知らずに毎日走っているのだと思っていた私たちは、
急いで駅にやってきた訳だが、11時15分の機関車の時間には、
間に合わなかった。
これというのも宿のオーナー、アダムに「そこまでどれくらいかかるか?」
と聞いたところ、「そんなに遠くないよ。30分くらいかな。」ということで、
そのつもりで出発したのだが、
行ってみれば結局、合計1時間もかかってしまった。
ゆっくり進むフォガシュケレクの車内で、「どこが30分なんだ!」と、
ブダペストの街を見下ろしながら、はるか遠くのアダムに文句を言った。
でもどの道、時間通りに着いたところでスペシャルカーには乗れなかったのだけど。
帰りにブダ王宮に行ってみた。
ここもチェコのプラハ城と同じように、それ自体が町のようになっていた。
ヒルトンホテルの横にある漁夫の砦は閉鎖されていたが、
この辺りからは、ブダペストの街がよく見渡せ、景色は抜群だった。
伝統衣装を着た鷹匠たちが、写真を撮らせようと観光客に話しかけていたが、
観光客はそんなことより、ブダペストの街を写真に収めることの方に熱心で、
鷹匠たちは暇そうにしていた。
ハンガリーは食事がおいしいらしい。
いつもは節約して、大したものも食べていない私たちだったが、
夜は少し奮発してレストランに行くことにした。
何品かたのんだなかで、特にグヤーシュというピリ辛スープがおいしかった。
そして何よりも世界三大貴腐ワインである、トカイアッスの濃厚で甘い味わいは、
久しぶりに入ったレストランでのひと時を最高に盛り上げてくれた。
こんなワインがあるなんて知らなかった。
普段お酒の飲めないユリも、顔を赤くしながらおいしそうに飲んでいた。(yo)