開館以来、私が博物館協議会の委員をつとめている長浜市長浜城歴史博物館 が30周年を迎え、今年は1年間「羽柴秀吉天下統一への足跡」と題する特別企画を行っています。年間、いくつかのテーマを設定し、特別展示をしているのですが、いよいよ7月20日から、第3回テーマ展「秀吉に備えよ!!~羽柴秀吉の中国攻め~」がはじまり、先日、見に行ってきました。

秀吉の播磨入りからはじまり、上月城の戦い、三木城の戦い、鳥取城の戦い、備中高松城の戦いなど、秀吉の中国攻めに関する資料が多数展示されており、みごたえがありました。

今回、はじめて世に出た資料もあり、県外に貸し出されたのがはじめてという資料もいくつかありました。中でも私が注目したのは、上月城攻めのときの様子を記した下村玄蕃助宛の秀吉書状(「一般財団法人下郷共済会蔵」)です。活字ではみたことがありますが、原本ははじめてで、そこに、「子どもは串ざし、女は磔にした」とある部分には目が釘づけになりました。

また、三木市の別所氏菩提寺法界寺に伝わる「播磨三木城合戦図」も、模本ですが、その迫力に圧倒されました。この第3回テーマ展は9月1日までということですので、秀吉に関心ある方は足を運ばれるといいと思います。

現在執筆中の黒田官兵衛の本で、石垣原の戦いを詳しく書こうと思っていて、先日、別府で講演がありましたので、前日に現地入りし、調査してきました。

安岐城は熊谷氏(西軍)の居城で、関ケ原の戦いのとき、官兵衛が攻めています。地図をみると大分空港のすぐ近くだったので、タクシーで行きましたが、地元の運転手さんもそこに城があったことは知らなかったらしく、一緒に車を降りてついてきたくらいです。空港取り付け道路がすぐそばを通ってしまったため、遺構としてはほとんどありませんでした。

別府では、石垣原の戦い関係の場所を探して歩きました。細川軍が本陣を置いた実相寺山から、官兵衛が本陣を置いた角殿山をながめ、角殿山の一角に官兵衛の本陣跡を示す石碑がありましたが、案内板など全くなく、探すのに一苦労しました。

南立石公園の横の橋の名前が古戦場橋となっていて、その近くに古戦場碑がありました。

大友義統の陣所跡はかなり離れたところにあって行くのが大変でした。しかし、そこから正面に実相寺山と角殿山がみえ、その中間地点で戦いがくりひろげられたことがよくわかり、石垣原古戦場めぐりのスポットとしては一番いい場所かもしれないと思いました。

去る7月14日、福岡県築上郡築上町で築上町主催による歴史シンポジウム「豊前宇都宮氏と豊臣政権」が開催され、特別講演として、「豊臣政権と九州統一」と題する講演をしてきました。他に、市村高男氏の「中世宇都宮氏の成立と展開」、土居聡明氏の「伊予宇都宮氏について」、則松弘明氏の「豊前宇都宮氏と黒田氏」、高尾栄市氏の「城井谷の城館」の4本の報告があり、パネルディスカッションも行われました。

築上町は人口約2万人弱ですが、この日、会場には500名ほどの方が訪れ、会場に入りきれず、急遽、別室にモニターを設けるほどでした。町長の話だと、歴史の講演会でこれだけの人が集まったのははじめてのことだということです。築上町の城井谷を本拠とする宇都宮(城井)鎮房が、秀吉の転封命令を拒否し、黒田官兵衛・長政によって謀殺された歴史があります。築上町およびその周辺には、このときの「豊前一揆」の中心となった宇都宮鎮房遺臣の末裔の方が住んでおられて、関心の高さに圧倒される思いでした。

築上町教育委員会では、このシンポジウムにあわせ、「豊前宇都宮氏の世界展」を開催し、シンポジウムのはじまる前、「豊前国城井谷絵図」のほか、宇都宮鎮房文書、「城井軍記実録」など、貴重な史料をはじめて目にすることができ、有意義でした。

なお、私は、シンポジウムの前日に入り、行橋市の馬ヶ岳城に行き、終わったあとも1泊し、中津市の長岩城にも行ってきました。長岩城は残念ながら山上までは行くことはできませんでしたが、宇都宮鎮房と同じく黒田軍に攻められた野仲鎮兼の支配地をみることができ、成果がありました。


なお、以前から、築上町のあたりに行くと、みやこ町の「九州菊 」(林酒造場 )を必ず呑むのですが、今回、特別限定品の「樋の口酒」というのを呑ませてもらいました。おいしかったです。