雑誌『文藝春秋』の企画による歴史座談会がありました。出席者は古代が倉本一宏氏、戦国が私、幕末・維新が中村彰彦氏、近代が半藤一利氏です。古代・中世が研究者、それ以外が作家・評論家というのも何か妙な組み合わせですが、話は史料論で盛りあがりました。その内容は雑誌が出てのお楽しみとして下さい。

どこまで雑誌に載るかわかりませんが、中村さんから、「ところで、『武功夜話』は専門家からみてどうですか」と質問されました。中村さんは戦国武将ものも小説にしているので、前から聞きたいと思っていたようです。

私は、「偽書といっている人もいるが、偽書ではない」と前置きして、『武功夜話』の史料的性格について説明し、「使える部分は多い」という話をしました。というのは、戦国史研究者の中に、「『信長公記』に書いてないから……」と、『信長公記』に書かれていないことを理由にいろいろなできごとを否定してかかる傾向があるからです。永禄9年(1566)の墨俣城築城否定などはその例といってよいかもしれません。

新人物往来社から刊行された21巻本の『武功夜話』は幕末に書かれたもので、それ以前の3巻本、5巻本の方が史料的価値は高いと思っています。21巻本は、かなり創作された話が入っているように思われます。

今年4月に発足した「徳川みらい学会」 は2ヵ月に1度、講演会を開いていますが、8月20日、私の番で、「家康を育てた教育と学問」と題して講演してきました。

静岡市民文化会館中ホールの1階席はほぼ満席で、暑いのに、よく集まってくれたと思います。家康は竹千代といっていた今川氏の「人質」時代、臨済寺の太原崇孚、すなわち雪斎に教えを受けたことはよく知られていますが、どのような教育を受けたのかまではあまり明らかにされていません。

私は、後年、家康が出版事業を展開していることに注目し、自分が感銘を受けた本を木版・銅版活字で印刷していたのではないかと考えました。兵法書の「六韜」「三略」が入っていますので、雪斎からはこうした兵法書の指南を受けたのではないかと考えています。

愛知県刈谷市の刈谷城が天文2年(1533)、水野忠政によって現在地に築城されて480年になるということで、今年の「刈谷ふれあいカレッジ」のメインテーマは刈谷城でした。第1回を俳優の高橋英樹さんによる「高橋英樹流、歴史の愉しみ方」で、第2回が私の「信長・秀吉・家康と水野氏―戦国史の中の刈谷城―」でした。

会場の刈谷市総合文化センター大ホールの定員は1500名とのことで、さすが、空席は目立ちましたが、かなりの方が聴講にみえていて、関心の高さをうかがえました。

現在、市では市美術館 で「刈谷城築城480年記念展」をやっていて、いい図録も作成しています。私は、講演前に、一通り、城址をみてまわり、そのあとこの記念展をみたのですが、城絵図をよく集めておられ、勉強になりました。城絵図・発掘出土品を実際に目にするだけでも、この特別展をみにいく価値はあると思います。