史跡探訪グループを案内して瓜連城と水戸城に行ってきました。瓜連城は那珂市瓜連町に所在し、平地の続きなので、平地の方からは平城、久慈川の河原の方からみると急崖の平山城です。虎口、土塁、堀がよく残っています。
水戸城では弘道館のほか、本丸のところの水戸一高の敷地にある薬医門を案内しました。三の丸と二の丸の間の堀が道路になっている様子、二の丸と本丸の間の堀が水郡線の線路になっている様子は興味をもたれた様子です。水戸城は私としては久しぶりでしたが、二の丸周辺の学校の塀が白壁になっていたり、高麗門が復元されたりしていて、整備が進んでいるとの印象を受けました。
泊まりは袋田の滝のすぐ近くのホテルで、袋田の滝ははじめてでした。地酒は水戸市吉久保酒造(株)の「一品」を味わいました。

先日、京都で平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城―権力・器量・武威―」が開かれ、行ってきました。報告は3本で、山田康弘氏の「戦国時代における足利将軍の城館」、馬瀬智光氏の「考古学から見た戦国期京都の防御施設」、福島克彦氏の「室町将軍の山城と戦国期京都」です。報告後、質疑討論が行われました。
山田報告は、戦国期歴代将軍の居所について、詳細な表をもとに説明され、意外と歴代将軍が「御所」に住んでいる期間が短いのを知り、びっくりしました。馬瀬報告で、「御所」に堀はあるが、土塁がなかったことに興味をもちました。また、討論の中で、馬瀬氏が「戦乱が収まれば堀を埋めていたようだ」との発言があり、将軍の「御所」とは何だったのかを考える契機となったように思います。
福島報告で、足利義晴期に、南禅寺の裏山に仮称「南禅寺山城」を築いていたというのもはじめて知りました。今回の研究集会で入手した資料を手に、あらためて周辺を歩いてみようと思います。
 
引田と書いて「ひけた」と読みます。もう20年以上昔のことになりますが、徳島県在住の城郭研究者本田昇さんのご案内で、一宮城・勝瑞城・脇城・岩倉城をまわったことがありました。その帰りに、「隣の香川県の引田城もいい城ですよ」といわれ、「是非、次回はそこに」といってお別れしたのですが、その後、本田さんが若くして亡くなってしまったため、ずっと心残りでした。
徳島県と香川県の県境で、なかなか行く機会がありませんでした。今回、高松で講演があったので、次の日、予定を入れないようにして、念願の引田城に行ってきました。天正11年(1583)4月21日、長宗我部元親と仙石秀久が戦ったところでもあります。私は、「四国版・賤ヶ岳の戦い」などといっています。同じ日の戦いで、本当の賤ヶ岳の戦いとはちがって、秀久が負けています。
比高が80mで、この間の比高450mにくらべれば楽勝でした。20分ほどで本丸に到達しましたが、「道がきれいすぎる。整備しすぎじゃないか」と思っていました。案の定、本丸のところに行ったら、大正の頃、皇族が来られるというので、道を整備した旨書かれていました。本田さんなら、本来の登城道を案内してくれたのではなかったかと、残念に思いました。

1泊2日の行程で、「うどん県」に敬意を表して、ふだんそば好きの私も、3回うどんを食べました。引田駅近くの「まるちゃん」の「かしわ天ざる」は絶品でした。酒は西野金陵(株)の「金陵」を2日間楽しみました。