セントラル警備保障株式会社の広報誌『CSPレポート』に「名城の防御 ― 守るという智恵」という連載を執筆中です。毎回一つの城を取りあげ、防備の点で注目されるところを写真入りで紹介しています。写真も私が提供しているので、結構大変です。
今度、熊本城を取りあげたいと思い、手持ちの写真をみたのですが、防御にふさわしいものがありませんでした。先日、たまたま熊本で用があり、早めに行って、城内くまなく適当な場所がないかと探して歩いたのですが、今まで、天守(復元)に忍返があることに気がつきませんでした。色が黒く、天守の色と同じだったので見すごしていたのですね。目的をもって見ると、見落としていたものが見えてくるという実感をもちました。

国指定史跡長浜城跡(沼津市)の整備が終わり、先月、一般公開がはじまり、その開園記念トークイベントということで、沼津で講演してきました。演題は「北条水軍と武田水軍」です。
武田信玄と徳川家康が手を組んで今川氏真を滅ぼしたため、今川氏と同盟関係にあった北条氏とは敵対関係にありました。しかし、北条氏康死後、氏政は信玄との同盟関係を復活し、しばらく推移します。ところが、越後の「御館の乱」のとき、上杉景勝と武田勝頼が手を結んだため、怒った氏政は勝頼と敵対関係になります。武田氏は三枚橋城を、氏政は長浜城を築き、そこが両軍の水軍基地となります。
講演ではそのあたりのいきさつと、長浜城および、北条水軍・武田水軍のこと、それに天正8年(1580)の駿河湾海戦についての話をしました。その日は整備委員長服部英雄氏、副委員長高瀬要一氏、それに小田原城天守閣館長諏訪間順氏の講演があり、その三氏をまじえてのトークイベントで私が司会進行をつとめました。
先日、山形県の天童市で講演があり、少し時間があったので天童古城に寄ってきました。学生時代、米沢・上ノ山・山形・天童の各城をめぐったことがあり、その後、米沢・上ノ山・山形は何度も行っているのですが、山形から先はなかなか行く機会がなく、天童はそれこそ50年ぶりになります。天童の地酒、出羽桜酒造(株)の「出羽桜」はよく呑んでいるのですが…。帰りの山形新幹線では、もちろん、その「出羽桜」を呑みながらです。
今回、山形新幹線で山形から先に行くことになり、楽しみにしていたことがありました。以前、山形城の復元された大手門を見ていたとき、すぐ下の堀の横を奥羽本線の線路が通っているのに気づき、「車窓からどのように見えるのだろうか」と想像していました。実際に見て、これまでの景観とはちがう角度で見ることができました。ただ、ものすごい雨で、写真を撮ることができず、残念でした。「桜のときはいいだろうな~」と、新しいスポットを発見した気分でした。