先日、群馬県の中之条町で、中之条町町制60周年・六合合併5周年記念の講演会に呼ばれ、真田氏の話をしてきました。中之条盆地は信州の上田と上州の沼田を結ぶ上州街道沿いで、武田の先鋒として真田幸隆が上杉方の斎藤氏と死闘をくりひろげた地域です。
その戦いの舞台となったのが中之条町の嵩山城です。字は嶽山とも書きます。その近く、東吾妻町に真田の城として有名な岩櫃城があり、以前から行きたいと思っていましたので、1泊し、城に登ってきました。真田昌幸が武田勝頼を招こうとした城としてよく知られています。
岩櫃山そのものは標高802mですが、城は中腹に築かれていたので、思ったよりは楽に登れました。本丸と二の丸の間の堀は、保存状態もよく、また、竪堀もかなりの数あって、手を入れて築いている様子がよくわかりました。
「志摩小屋」といわれるあたりは何段か削平地があり、重臣屋敷群だったのかなと思いました。
地酒もいいのがありました。中之条町でただ1軒の造り酒屋貴娘酒造の「小雪」は特においしかったです。
先日、月山富田城の麓、安来市広瀬中央交流センターで、私の講演会「月山富田城の魅力」があり、行ってきました。会場の定員500人ということで、檀上から見ていても、空席が10あるかないかの超満員で、センター長も、「このセンターができてはじめての超満員です」といっていました。月山富田城についての市民の関心の高さがうかがえ、うれしかったです。
その夜は泊まり、地元の吉田酒造(株)の「月山」を呑み、翌日は『歴史人』(10月6日発売の11月号)の取材で、カメラマンと月山富田城を歩きまわりました。カメラマンがドローンを持ってきていて、やや上空からも撮影していましたので、どのような写真になるか楽しみです。
月山富田城での取材のあと、布部山城に行ってもらいました。ここは、尼子勝久・山中鹿介主従が尼子家再興をかけて毛利軍と戦った城で、前から上まで行ってみたいと考えていたところです。この布部山城の戦いが毛利輝元の初陣だったことも知られています。曲輪もよく残っていて、大きな空堀もあり、何よりも、本曲輪からの眺望は抜群でした。一瞬ですが山中鹿介の気分になりました。
2006年、吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの1冊として『秀吉の天下統一戦争』を刊行しましたが、そのとき、秀吉の九州攻めにかかわる城を調べに行きました。ところが、交通が不便で行けなかった城がいくつかあります。その一つが益富城でした。
秀吉に抵抗した秋月種実の城で、そこから本城の古処山城や、もう一つの支城岩石城が見えるのか、この目でたしかめたかったのですが、結局、行けませんでした。
今回、福岡県行橋市で「後藤又兵衛と真田幸村」というテーマの講演を頼まれ、後藤又兵衛と行橋とのかかわりなどをお話しし、翌日、又兵衛ゆかりの史跡を案内していただきました。行橋市内ではなく、かなり離れるのですが、又兵衛が黒田家を出奔するまで城主だった福岡県嘉麻市大隈の大隈城に連れていってもらいました。行橋から車で1時間ほどかかりました。
実は、この大隈城が秋月氏時代の益富城なのです。秋月種実は、岩石城が秀吉軍に攻められるのをこの益富城で見ていて、抵抗はむずかしいと考え、城を破却して古処山城にもどったのですが、秀吉が占領したあと、奉書紙を貼る「一夜城」を見て降参を決意したといわれています。
城は予想していた以上に遺構がよく残っていてびっくりしました。空堀・竪堀・虎口のほか、横矢掛りがよく残っています。また、機会があったら、九州の山城は行ってみたいです。