2006年、吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの1冊として『秀吉の天下統一戦争』を刊行しましたが、そのとき、秀吉の九州攻めにかかわる城を調べに行きました。ところが、交通が不便で行けなかった城がいくつかあります。その一つが益富城でした。
秀吉に抵抗した秋月種実の城で、そこから本城の古処山城や、もう一つの支城岩石城が見えるのか、この目でたしかめたかったのですが、結局、行けませんでした。
今回、福岡県行橋市で「後藤又兵衛と真田幸村」というテーマの講演を頼まれ、後藤又兵衛と行橋とのかかわりなどをお話しし、翌日、又兵衛ゆかりの史跡を案内していただきました。行橋市内ではなく、かなり離れるのですが、又兵衛が黒田家を出奔するまで城主だった福岡県嘉麻市大隈の大隈城に連れていってもらいました。行橋から車で1時間ほどかかりました。
実は、この大隈城が秋月氏時代の益富城なのです。秋月種実は、岩石城が秀吉軍に攻められるのをこの益富城で見ていて、抵抗はむずかしいと考え、城を破却して古処山城にもどったのですが、秀吉が占領したあと、奉書紙を貼る「一夜城」を見て降参を決意したといわれています。
城は予想していた以上に遺構がよく残っていてびっくりしました。空堀・竪堀・虎口のほか、横矢掛りがよく残っています。また、機会があったら、九州の山城は行ってみたいです。
秀吉に抵抗した秋月種実の城で、そこから本城の古処山城や、もう一つの支城岩石城が見えるのか、この目でたしかめたかったのですが、結局、行けませんでした。
今回、福岡県行橋市で「後藤又兵衛と真田幸村」というテーマの講演を頼まれ、後藤又兵衛と行橋とのかかわりなどをお話しし、翌日、又兵衛ゆかりの史跡を案内していただきました。行橋市内ではなく、かなり離れるのですが、又兵衛が黒田家を出奔するまで城主だった福岡県嘉麻市大隈の大隈城に連れていってもらいました。行橋から車で1時間ほどかかりました。
実は、この大隈城が秋月氏時代の益富城なのです。秋月種実は、岩石城が秀吉軍に攻められるのをこの益富城で見ていて、抵抗はむずかしいと考え、城を破却して古処山城にもどったのですが、秀吉が占領したあと、奉書紙を貼る「一夜城」を見て降参を決意したといわれています。
城は予想していた以上に遺構がよく残っていてびっくりしました。空堀・竪堀・虎口のほか、横矢掛りがよく残っています。また、機会があったら、九州の山城は行ってみたいです。