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店の看板は魚屋さん、のれんはお好み焼きさん?お話が好きな、とっても優しいおばちゃん!

尾鷲神社より歩いて、約2分北川沿いにある。
昔ながらのお好み焼き屋さん$N氏のブログ
私の次男が小中学校の頃によく通った店だそうだ。
ここには、お持ち帰りのみ100円お好み焼きがあり、
良く食べたそうで、その話を聞き、私も食べに行きました。
入る時には、店の看板が「永井魚店」と書いてあり、
のれんは、「お好み焼き」本当にお好み屋かな~と
一瞬戸惑いました。
入ったら、おばちゃんの元気な声で、「いらっしゃい」
なんとも昔ながらの「お好み焼き屋」なっかしい
気持ちになる。
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メニューを見て、「エビ玉」を注文。
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お好み焼きを焼いてもらいました。
おばちゃんに写真を撮らせてとお願いしましたが、
「こんな婆を撮られるのは恥ずかしきってく」残念ながら
顔はNGで撮れませんでしが、顔は、かわいらしいおばちゃんでした。
こんな表現で、おばちゃんごめんなさい。(=⌒▽⌒=)
おばちゃんが焼く時、私の対面で焼いてくれました。
この姿も、母親が焼いてる姿を思い浮かべてええ感じ、
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お好み焼きに海苔を振りかけている様の写真です。
ここの魚屋の看板について話を聞きました。
今から20年前まで旦那様と二人で魚屋を営業され
ていました。その当時は、ここのお店隣りも魚屋
だったそうです。今は、もうありませんが、
旦那さんが、亡くなってから、魚屋さんは廃業し、
お好み焼きを始めたそうです。
改装工事をする時に、大工さんが、この看板 
変えたらと云われましたが、旦那さんとの思い出の
証に変えなかったそうです。仲が良かったんですね(*^▽^*)
店内は、魚屋さんの面影が残っています。
小さい時にお店に来ていた、子供達が、
大人になってから、嫁さんを見せに来たり、
子供を見せに来たりしているそうです。
本当に家族的なお店ですネ。
是非、熊野古道馬越峠で、尾鷲に立ち寄る
ことがあれば、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
今も、お好み焼きの持ち帰りで、100円もやってます。
美味しかったです、ごちそうさまでした。(*^▽^*)
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永井魚店(お好み焼き屋さん)北川ぶんじばし前
三重県尾鷲市栄町9-12
営業時間10時30分~17時30分 定休日:不定休

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便石山「象の背」から見える海と山のパノラマは素晴らしきってく!!

天狗倉山から、便石山にある「象の背」から見る景色は
最高と聞き、2月7日に行きました。
どんな山か興味があり、妻と二人で山登りを
しました。
便石山 標高598.9M、天狗倉山より76.9M高い山です。
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馬越公園に車を置き、熊野古道馬越峠から可涼園桃乙の句碑がある
場所を分岐とし、そこから、便石山山頂へ登り始めました。

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下り坂の階段がかなり続き、最初は何処まで下るのか、
メチャクチャ不安でした。
下りがあれば登りもありまたシダの葉が
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生い茂り、かき分けながら歩き、また途中に折れた木が
4か所程、道をふさいでいる場所もありましたが、
無事通過。
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登りは、厳しかったが、そこから見える、尾鷲市全体の眺めは、天狗倉山山頂の大石から
眺める景色とまたひと味違った眺めで、疲れも多少消える。
山頂に到着したが、残念ながら、便石頂上と立ててある表札
どれが本物か分からず?でも頂上到達、登り始めてから
約2時間30分かかりました。
いよいよ待ちに待った「象の背」に到着、ここで、弁当食べてから
「象の背」へ
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「象の背」に登ったぞ~
最高の眺めを見れてありがとうと空と海に感謝ヾ(@^▽^@)ノ+妻に感謝ラブラブ
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「象の背」の前に見えるのは、天狗倉山です。

「モアイ像」似た、大岩発見!!

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尾鷲節の中唄にある様に、妻とならばどこまでも行くで~
そんな事で天狗倉山の麓にある。
岩屋堂にウォーキングに行って来ました。
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ここが、岩屋堂の入口です。
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民家の横を抜けいざ出発!

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ヒノキ林の中にある大石がゴロゴロしている、
神秘の世界が広がってきたぞ~。
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妻がアッ!「モアイ像」に似た大石があるョ!と一言
本当だ!
さあ、ドンドン行きましょう。
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岩屋堂に到着。
岩屋堂は、大きな岩穴の中にある祠。
中には、岩屋堂聖観音菩薩や、たくさんの
観音石像が祀られていました。
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プチ「ストーン・パワー・スポット」的な感じかな?
入口から岩屋堂まで片道約30分かかりました。

岩屋堂石仏についての説明します。
紀伊名所図絵に「天狗岩屋」と紹介され、西国巡礼らがよく参拝した。
本尊の聖観音石像は鎌倉末期の製作といわれる。
延宝七年(1679)常声寺の鉄船寿門和尚が発願して、三十三体の
観音石像を安置した。
これは、西国三十三ヵ所の本尊を模したもので、
このほか宝永四年(1707)の津波被災者供養の地蔵尊をまつる。
(昭和四十六年市指定有形民俗文化財)
尾鷲市教育委員会資料より


 見よ、尾鷲の男魂!この気魄!「ヤーヤの練り」!!

2月1日午前零時より「ヤーヤ祭り」が始まった。
2日~4日 連夜午後7時30分頃から
1番祷(矢濱町)、2番祷(今町)、3番祷(北町)
3か所で、祷屋前で「練り」が始まっています。
4日夜が「練り」最終日になってまいりました。
私も連夜、かぶりづけで見物に行っています。
迫力も、一日増すごとにヤーヤの「練り」が
パワーアップし、迫力を増してきています!
尾鷲の男魂!この気魄!「ヤーヤの練り」!!
「チョウサじゃ!」、「チョウサじゃ!」と
祭りの男達の声が、最高に盛り上がる。
町と町とのぶつかりあう姿は、感動もの、
見物の人達からも、「チョウサじゃ!」、
「チョウサじゃ!」の声が響く、
私も、声が潰れるくらい、声で参加をしてしまいました。
これがまたええ雰囲気、観客まで、燃えてくるじょ~!

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少し、ヤーヤの由来について話をします。
尾鷲神社祭礼、(ヤーヤ祭り」は、祭礼期間中毎夜各町の
若者衆が、町を練る行事「ヤーヤ」が、通称となったもので、
この「ヤーヤ」の名称は、戦国時代武士の立合いの名乗り
(ヤーヤ吾こそは、*****)に由来するといわれています。
一番当、二番当、三番当の由来
古来、尾鷲神社の前身による大宝天王社の祭礼は、
三つの宮座によりなされていたそうです。
「神職が置かれたのは1661年(寛文6年)である。
享保20年(1735年)の古文書によれば、一番当
(庄司、世古、北村)、二番当(仲)、三番当(田所別当・杯)
がこれに当たったとされている。」
その期間は定かではないが、天文年間(1532年~54年)
大和国北山より攻め入る兵乱を抑えたときの先陣、本陣、後陣による
との説、定かではないが、天文18年(1549年)か天正10年
(1582年)に新宮の堀内安房守氏善が尾鷲に攻め入ったときの右翼
本陣、左陣、の布陣とする説があるが、いずれにしてもこれらの六地侍
(郷土)が尾鷲を支配してたであろう。
この宮座親方が補佐役の妻(詰)座に指図して当人を決めさせ、祭礼
に当たらせたとされる。
現在では、氏子総代会の定めにより、三つの町が順に当務町となり、
その町で当人を選ぶことになっている。
祭礼に当たり「当渡しの儀」へ宮座親方、妻座の出席を願う形をとっています。
参考資料「ヤーヤ祭り発展会議より

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見よ、尾鷲の男魂!この気魄!「ヤーヤの練り」!!
語るより、生でで見るのが1番!
今晩も頑張れ!ヤーヤの男達!、尾鷲の男の心意気を見せてやれ!!

夫婦で、はまってます!熊野古道八鬼山越え!

尾鷲市内から、妻と二人で、クリスタルタクシー利用して、
三木里町「名柄バス停前」で午前10時30分頃下車 タクシー料金3670円
公共交通機関のアクセスが不便なので使用。
自分で行きたい時間が決められるので、楽でした。

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名柄バス停前付近の写真(三木里側)

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JR紀勢本線の線路を渡りますョ。

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妻の後ろ姿を撮影、叱れるかな?o(〃^▽^〃)o

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名柄一里塚の看板です。
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ここが、八鬼山越えの最後のトイレ休憩場所です。チェツクパー
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さあ、これから八鬼山越え本番ダ~!

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ここから、明治道と江戸道(熊野古道)の分岐点です。

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江戸道は、落ち葉が、今頃は、滑るので注意、えっさ、えっさ、

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江戸時代の人は、ここを往来をしたと思うと感動(^-^)/
でも、昇りは結構きっいけど、心はルンルン音譜
妻は途中引き返そうかなと心で思いつつでも、頑張り続けたのはすごい。妻も熊野古道
ウォーキングにはまっています!頑張れ、頑張れ!

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十五郎茶屋跡から眺める三木里海岸は綺麗だな。
約1時間45分でさくらの森エリアに到着しました。
ここから太平洋を眺める景色もまた最高、水平線が見えるゾ~

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登ったあとの達成感は気持ちがエエ!妻の頑張りに敬意!!
この後は、尾鷲(矢浜側)に降ります。次回に続くチョキ