こだわりのつっこみ -3ページ目

こだわりのつっこみ

素人が音楽、小説、映画などを自己中心的に語ります。

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 「もっと落ち着いて食べたら?」雅子があきれて言った。
 「今にも目が覚めて、すべてが夢だったと言われるんじゃないかと落ち着かないんだ」
 「本当に夢だったらどうします?」
 「またゆうべのところからやり直すよ」
 雅子はパンにバターを塗りながらたしなめるような顔で言った。「簡単にやり直せるみたいな言い方ね」
 「簡単だろうが複雑だろうが、やり直せることだったらやり直すさ。つまずいても転んでもまたやり直せばいい。いまのぼくたちならそれができる」
 「ぼくたち? Weなの?」
(p195より)

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今回は志水辰夫さんの行きずりの街を読みました。
彼はシミタツという名前で、熱狂的なファンがいらっしゃるみたいですが、私にとっては初体験です。

さっそくあらすじです。

かつて東京の敬愛女学園で高校教師として勤務し、現在は地方で塾講師をしている波多野和郎は、12年ぶりに東京へやってきます。
その目的は、東京で行方不明になっている教え子広瀬ゆかりを探すこと。
しかし、彼女が住んでいるというアパートは、およそ専門学生が住めるものではない代物で、部屋に入ると角田良幸という人物宛の手紙がありました。
さらに部屋が荒らされた形跡があったことから、どうやらゆかりはなんらかの事件に巻き込まれ、その事件には角田が関わっているだろうと踏んだ和郎は角田の行方を追うとともに、ゆかりがバイトをしていたとされるサパークラブで手がかりを探すことにしました。

しかし、そのサパークラブで出会ったのは、憎き大森幸生池辺忠賢
彼らこそ、波多野を学園から追いやった者たちなのです。
大森は、和郎にある女性の存在を告げた後、彼のもとを去って行きます。

和郎は学園で、ある一人の女性と恋に落ちました。
その女性は学園の生徒であり、彼女が大学に入ると結婚をしました。
しかし、それが性的スキャンダルとして突如俎上にのぼり、理事長の引責自殺と和郎の失職、結婚破綻を引き起こしてしまったのでした。

大森が和郎に告げた、その女性の名は別れた妻の雅子
彼女との再会を果たし、学園に行くなどして、避けていた自身の過去に触れながら、ゆかりと角田探しを進めていく和郎。
そうするうちに、どうやら過去と両者の意外な接点が浮かび上がってくるのでした。

 
では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。












行きずりの街 (新潮文庫)/志水 辰夫
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~1回目 2011.6.9~

では、あらすじの続きを。

和郎の憎き相手である池辺は、現在は敬愛学園の理事として、さらに裏では東亜開発興産の経営者として学園の拡大を図っていたものの、保守派の理事長を排除するために和郎の結婚をスキャンダルとして責任を押し付け、学園経営を思いのままに動かそうと画策していたことが分かりました。
つまり、和郎のスキャンダル自体が問題ではなかったのです。
事実理事長は自殺して池辺が台頭するかに思えました。
しかし、そう上手くはいかず、理事長の後任として妻の夏江が学園経営に乗り出すことにしました。
その夏江の腹心として辣腕を振るった経理担当が、ゆかりとともに失踪したと思われる角田
夏江によって池辺の計画は一時頓挫するものの、夏江は事故により急死してしまいます。

夏江という後ろ盾が無くなった角田は学園から孤立したため、裏金や帳簿操作などの学園の弱みにつけこみ、おどしにかかります。
しかし同時に学園の理事となっていた池辺らに対してもある材料を手にしておどしたため、池辺一派に
彼女だった年のだいぶ離れたゆかりとともに捕まったという事実が明らかになりました。

角田がにぎった池辺をおどす、その「ある材料」とは、夏江を殺したことが分かる写真。
つまり、夏江は池辺一派によって事故に見せかけ殺されたのです。

いよいよ事件が池辺や部下の大森が中心にいることが分かった和郎ですが、ゆかりの行方は依然として分からず、困った和郎は最初に訪れたゆかりのマンションに戻ってみました。
すると、玄関からでてきた男に不審を感じ、つけてみるとその先にゆかりがいることを見つけたのです。

ゆかりは、自分を唯一認めてくれた角田との結婚を真剣に考えていました。
しかし、角田があるマンションの鍵と車を託して失踪したとのことでした。
和郎が角田の車を調べてみると、裏金などの存在を示した書類と、写真を発見。
ゆかりのいたアパートに戻り、ゆかりを連れ出して地元に帰ろうとした和郎ですが、アパートに戻るとゆかりの姿はそこにはなく、一人の男が彼を待っていました。
男の名前は中込
中込に言われるまま、和郎はゆかりと角田が捕まっていると思われる場所へと行くのでした。

さて、中込が連れて行った場所は、学園の旧短大校舎の建物内。
すべてをしってしまったせいで、書類や写真を奪われた挙句、和郎は殺されそうになりますが機転を利かせて脱出に成功。

角田がゆかりに用意していたマンションには、車に入っていたような書類と写真が用意されていました。
恐らく角田は池辺一派に殺された、そう考えた和郎は
準備を整えて再び旧短大校舎に向かいます。
ゆかりを連れ戻すために。
自分の過去を清算するために。


旧短大校舎で和郎を待っていた中込と交渉し、和郎はまず大森のもとへ向かい、池辺一派にいて犯罪に手を染めることに拒否感をもつ中込とともに大森を返り討ち、さらに和郎は単身で悪の権化、池辺の住む家に乗り込みます。

またしても和郎は殺されそうになりますが、実は和郎を追いかけてきていた中込に助けられ、一命を取り留めます。
しかし、中込は池辺の銃弾に倒れ、池辺は自殺したことでこの事件は収束に向かいます。

そして、和郎は雅子のところに帰り、ゆかりとともに田舎に帰ることにするのでした。


さて、感想です。

若干ストーリーを時系列を無視した形であらすじを書いてしまいましたが、このあらすじを書くのには苦労しました。
ミステリーにはあまり慣れていないからかもしれません。。。

まず、面白かったところは、文章
普通なら1~2行で書けるようなところを半ページくらいの分量で書かれていることもザラで、それが個人的には興味深く読むことができました。
それに加え、その文体もなかなかなもので、例えば久しぶりに雅子と会った和郎が、雅子の家に招かれた場面。

わたしたちは食卓を挟んで向かい合わせに座った。顔を突き出せば唇が触れ合うほどの距離。しかしいまそれは背中合わせになり、地球を挟んで向かい合っているのと同じことだった。
(p185)

とか、和郎が中込とともに大森のもとへと向かう車での描写。

大小の車がすこしでも相手の前へ出ようと突っ走って行くありさまは、いかにも暗示的だった。このような活力が上昇志向となり、国なり人なりを押し上げていることは認めなければなるまい。好むと好まざるとにかかわらず、だれもが参加させられているレース。マイペースを保持するほうがむしろ多大なエネルギーを必要とする。
(p310)

などが印象に残っています。

しかし、この作品に関しては、それ以外は全然心には入ってきませんでしたガーン

状況などを説明する文章に関して言えば、前述したように面白かったのですが、それが会話になると、かなり説明染みていて、まどろっこしくて現実感が沸かない。
特に和郎と雅子の会話は、空虚感すら漂うような印象を受けました。

さらに決定的な馴染めなさには、都合が良過ぎるということがあります。
もちろん、和郎のスキャンダルと、ゆかりの失踪を絡めること自体は別にお話としてはいいと思うのですが、様々な場面でそれらを繋がせるということはどうなんでしょう。
別に前理事長の愛人が、実は雅子の母親だったかどうかなんて、ストーリー本編にはかかわりがさほどないように思います。

それに加え、和郎と雅子の再開後の関係にも都合の良さが感じられます。
あんなに辛い別れをし、その後一切連絡を取っていなかったはずなのに、再会した後、1日2日で体の関係を結び、さらに翌朝冒頭で引用したような会話が生まれるでしょうか?

都合が良すぎるばかりにストーリーが逆に薄っぺらく感じてしまいました。
ということで星は低めで。




総合評価:
読みやすさ:★☆
キャラクター: 
読み返したい度:
レベル:中学2~3年生レベルで1日くらいで読みきれると思います。


ジャンル:犯罪・ヒューマン


あらすじ(背表紙から):

It is Molly Clarkson's fiftieth birthday.
She is having a party.
She is rich, but she having a small party - only four people.
Four people, however, who all need the same thing : they need her money., so they are waiting for her to die.
And there are other people who are also waiting for her to die.

But one person can't wait.
And so, on her fiftieth birthday, Molly Clarkson is going to die.


面白さ:★★★


※以下、結末まで話します。嫌な方は見ないでください。













Love or Money?: Stage 1: 400 Headwords (Oxford .../Rowena Akinyemi
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主な登場人物:

Molly Clarkson
…50歳になる母親。
Jackie…Mollyの娘で長女。母と一緒に住み、家族みんなが仲良くやれることを願う。
Roger…Mollyの息子でJackieの弟。ケンブリッジに住み、母の土地を欲しがっている。
Diane…Mollyの娘で末っ子。ロンドンに住む、歌手を夢見る無職の20歳。
Albert…Mollyの妹の旦那。病気に伏せる妻の介護費用のため、Mollyにすがる。
Peter Hobbs…Mollyのせいで職を失い、彼女を憎む17歳の青年。
Tom Briggs…新しくMolly家の農園を任されることになった男。


内容:

ケンブリッジにある、クラークソン家。そこには30歳のJackieと、母親で来週誕生日をひかえるMollyが暮らしていました。
その週の土曜日に、母親の50歳の誕生日を祝う誕生パーティが開かれるようですが、単に母親の誕生を祝うようでもありませんでした。

パーティのその日、招かれたのはJacie以外に2人の弟妹と、Mollyの妹の旦那Albert
Jackieは楽しくパーティを進めたがるものの、彼女を除く参加者は、一様に母の持っている土地や金を欲しがっており、母はいつものことかと拒否し、不穏な空気が流れます。

さて、そんなパーティが終わった次の日、Dianeが母の部屋に行くと、なんと母が亡くなっているではありませんか。
かかりつけの医者によると、つい先日母を診察したばかりで、病死するはずがないとのことで、警察をよぶことになりました。

まずわかったことは、あの日そこにいたのは3人の姉・弟・妹とおじ、そしてPeterTomが後にMolly家にやってきたということ。
さらに母が常用していた睡眠薬が無くなっていたことから、大量の睡眠薬を誰かが仕込んで母に飲ませて殺したということが判明しました。

そして、警察は各人に話を聞くことにしたのです。
AlbertはMollyの妹で、妻であるAnnieの病気治療の費用の捻出のため、Rogerは母の持つ庭を譲り受けて家を建てるため、Dianeは夢を叶えるため、それぞれ彼女の金や土地を狙っていました。
それとは別に、隣人のPeterは彼女のせいで職を失ったために恨みがあり、TomもRogerと同じく土地を狙っていたということが判明。
しかし、残りの一人、Jackieも実は母親に恨みがある可能性があったのです。それは、若かりし頃に愛していた男性との仲を引き裂かれたということがあったということでした。

さて、警察は事情を聞いた後、Molly家に容疑がかかった人たちを集めました。
そして警察は犯人をJackieとしました。
かつてJackieが愛し、母によって引き裂かれた男性とは実はTom Briggsだったことが判明し、さらに前年になってJackieとTomが再会した後に、もう一度、Jackieは金がないTomに農場をゆずってあげて欲しいと母にお願いしたにもかかわらず、拒否されたこと、それが犯行理由となったのです。


感想:
 
一番母親殺しとは縁が遠いと思われていた人物が母親を殺した。
なんとなく、Jackieだけは母親に恨みを持っていないような書き方が序盤からなされていたため、なんとなく怪しんでいたのですが・・・やっぱりだビックリマーク

しかし、この本のタイトル、よく考えると秀逸です。
最初は、
「(母親に対する)Love(が犯罪を起こさせないのか) or Money(のために母を殺すのか)」
という意味にとっていたのですが、
実は、
「(母親を殺す理由は)Love or Money」となり、Loveに対する恨みがJackieをして犯行に走らせたのでしょう。

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 「飽きない?」
 と沓子が言った。
 「いいや、全然飽きないね」
 と豊が答えた。
 「不自然ね、つい先月まで私はあなたの存在すら知らなかったのに」
 「それを言うなら僕だって同じだ」
 「今は全てを知ったような気がしているけど、でも、それは間違い。よく考えたらまだ何にも知らないのよね」
 「確かに」
 「確かに」
 真似するな、と豊が言うと、沓子は舌を出してからこう言った。
 「君の背中の黒子のことまで知っているのに、君がどんな子供だったのかは知らない。君のどこを触ると感じるかを知っているけど、君がどんな人と付き合ってきたのかを知らない。君の髪の毛の硬さを知っているけど、君の両親のことを知らない。君の鼾や歯ぎしりのことを知っているけど、君が結婚しようとしている人のことは全然知らない」
 そこで不意に沓子の顔が真面目になった。
(p77-78より)

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辻仁成さんのサヨナライツカです。

さっそくあらすじです。

1975年のタイ。
東垣内豊はこの地で営業としての海外勤務を順調にこなし、さらに日本には尋末光子という婚約者がいるという、絵に描いたような好青年。
その婚約者との結婚を同僚たちに報告するパーティで、彼は謎の美女、真中沓子を紹介されます。

もちろん、婚約中の彼にとってみたら、これから何かを起こそうなんてことは考えてはいなかったのですが、そのパーティの1週間後、突如として豊の暮らすマンションに沓子が訪れ、そのまま体の関係を結んでしまいます。

それからは毎日のように会う2人。
沓子は、タイのバンコクで超一流ホテルのザ・オリエンタルバンコクのスイートに暮らしており、なぜそんなにも金があるのか、そもそも沓子はどういった人物なのかということは分からず、豊は当初乗り気ではなかったのですが、沓子の抜群のタイミングでの連絡や、体の相性などもあって、徐々に豊の頭には沓子が浮かぶほどに存在が大きくなっていきます。

しかし豊が結婚相手として考えていたのは、光子。
タイで開かれる光子との結婚式まで沓子との関係をこっそり続け、いずれ別れればいいのだという風に考える豊。

しかし、次第に沓子は人々に目につくように接し、目につくような場所に行こうとするようになります。
すると当然、2人の関係は徐々に明るみになり、光子との結婚を控えていることを知っている日本人にも知られるようになります。

さて、2人の関係はどうなっていくのか?
そもそも沓子はなぜ結婚することを知っていながら豊に近づいたのでしょうか?

では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。












サヨナライツカ (幻冬舎文庫)/辻 仁成
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~1回目 2011.6.9~

では、あらすじの続きを。

行動が次第に人目につくくらい大胆になってしまいながらも、一方では幾度か沓子に別れを切り出させるような行動を起こします。
が、いずれも失敗。
沓子は沓子で、当初とは違い、次第に豊を束縛するような(豊が光子と結婚することを嫌がるような)振る舞いになっていきます。

さて、そんなもやもやが続く中、2人はアユタヤに旅行することになりました。
そこで明かされたのは、沓子が豊に迫った理由。
沓子はかつて結婚をしており、突然多額の慰謝料を渡され離婚を突きつけられた過去がありました。
そこで、高級なザ・オリエンタルホテルに暮らしながら、いい男を捜して、別れた男の目に留めさせるというある種の復讐のために豊に近づいていたのです。
それに、豊は結婚を間近に控えている身なので別れもそう難しいことはないという判断で。

しかし、誤算は、どんどん豊に惹かれていってしまったということ。
沓子にとって、豊はいつまでも一緒にいたいという存在にまで膨らんでしまったのでした。

その旅行で告げられた真実は、豊にとって狂おしい悩みの種となってしまいます。
しかし、同時に光子が日本からやってきて、結婚式を挙げる日も近づいてきます。

が、沓子はそれを察したのか、ある時東京に戻ると豊に言うのです。
そして空港で2人は別れます。
愛していたとの言葉を豊に告げ。


それから25年、豊は専務に昇進し、良妻賢母の光子との生活を送っていました。
そこに、タイのザ・オリエンタルホテルで行われる社の式典に出席する機会がありました。
豊にとって、辛く悲しい別れをしたタイの、しかも沓子と何度も愛を重ねたザ・オリエンタルホテルバンコク。
色々な感情を胸に抱えながら、豊はホテルに向かいます。

ホテルでは、25年前のことがつい先日のように思い起こされ、強くなった想いはさらなる切なさを呼び起こします。
が、辺りを見回すと・・・近づいてくる一人の女性。
月日は重ねども、あの別れからずっと想い続けていた女性、沓子でした。
彼女はホテルの従業員となり、いつか来るかもしれない豊を待っていたのでした。

再会を戸惑いながら言葉にできぬ感動に浸る豊と沓子。
2人の会いたかった気持ちは、しかし時間と立場で、それ以上には発展することはありませんでしたが。

さらに4年経ち、不意に沓子から手紙が豊のもとに届きます。
手紙には、自分の命はもう長くない旨が記されていました。
豊はいてもたってもいられず、再びバンコクへと足を運びます。
病床に伏せる沓子がいる前で、豊はお互いがあの別れがあった後から今まで相手を思い続けていたこと、あのバンコクでの日々が人生の大きな意味になったことを確認するのでした。


さて、感想です。

結構面白かったですニコニコ
はじめは幸せをぶち壊そうとする沓子と、何もできないで状況に身を任せる豊にモヤモヤしました。
また、非現実的な歯が浮くような台詞回しにもちょっと馴染めませんでした。
しかし、読み進めると2人の愛の深さがこれほどまでかと思うと面白くなってきて。

特に、素性が分からない金持ち女性として登場した沓子が、復讐のために豊を利用していたことと告白した後からは、素直に感情を豊にぶつける。
そこがとってもかわいらしく感じました。

確かに最初は浮気だったかもしれないし、お互いの打算のもとにはじまった恋愛ですが、30年近くも想い続けるなんてことは、そうそうできるものではありません。
25年後の再会の後、沓子から差し出された手紙を、銀行の金庫に預けて、何かあると銀行へ出向いて手紙を読みふける豊は、おじさんが何をやってるんだという若干気持ち悪い部分もあるけれど、でもかわいらしさもあると思います。

思えば、ある地点からおじさんに「なる」のではなく、いつの間にか世間がおじさんと「みなす」のであって、豊と沓子の関係は、あの25年前の青年と年上のお姉さんと少なくとも気持ちの上では変わっていないのですよね。
とすれば、いつまでたっても豊かのことを「君」と呼ぶ沓子はすごくかわいらしいです。

光子との間でも、それはそれは完璧な夫・父です。
多分、豊は体が2つあったらよかったなぁと思ったことがあることでしょう(笑)


ただ、個人的に「う~ん、、、」となる部分もありました。

まず1つ目は、いかにも「名台詞」を狙って作っているような感じがあるということ。
それはもちろん、「人は死ぬとき、愛されたことを思い出す人と愛したことを思い出す人に分かれる」ということ。
これがどのように本文にとって重要な意味をもつのかはあまりよく分かりませんでした。
だって、豊と沓子は結局「愛していたことも思い出し、愛したことも思い出す」のでしょうから。

そして、クライマックスが本の分量に対して多いんじゃないかということ。
つまり、蛇足部分があるんじゃないかなぁということ。
少なくとも、この作品のクライマックスは、沓子との別れ、沓子との再会、病床の沓子との最後の場面があると思います。
が、沓子との再会以後は別になくてもよかったんじゃないかなぁと思うのです。
極端な話、p188にちょっと説明を加えただけで終わった方が、のちに読者に色々考えさせる余地があっていいのではないかなぁと。
沓子が死ぬ場面までは引っ張りすぎの感がありましたあせる

でも、総合的にはなかなか楽しめましたよ~。
読み返すかどうかは分からないけれど汗


総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★
キャラクター:★★★☆ 
読み返したい度:★★☆

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 ユスルだ。
 カニンダには、やるべきことがわかっていた。反乱軍兵士として訓練されたカニンダは、不思議なほど冷静にM16銃をかまえてねらいを定めた。頭をねらうのが一番だが、腹のほうがねらいやすい。火がついたまま逃げてきたユスルの男は、銃を見て向きを変えようとしたが、銃床を頬に当てたカニンダは、目をつぶって撃った。ねらいすました一撃ではない。連射した弾が、男の体にいたずら書きでもするかのように散らばった。一度描いたものをぐしゃぐしゃに消そうとするときの、いたずら書きのように。カニンダが我に返ったのは、マトゥ軍曹に後ろからつかまれ、背中をたたかれたときだった。それから軍曹のあとについてカニンダは川縁まで歩いた。
 それから一時間ばかりして、アシの生えている物陰へ行きズボンを洗うときになって、カニンダはふるえはじめた。
 男を一人、殺してしまったのだ。だれがこの戦をはじめたにしろ、カニンダも手を血に染めてしまったのだ。カニンダが人を殺したのは、それが最初だった。
(p144-145より)

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今回、若年層向けの小説、リトル・ソルジャーを読みました。
イギリス人のバーナード・アシュリーさんの作品で、家族を殺され少年兵として生きてきたカニンダという一人の少年の葛藤を通じて戦争に対するおろかさ、またイギリス社会の根深い差別の一端を垣間見せる、なかなか骨太の作品です。

ではまず、あらすじです。

アフリカ大陸のある国にあるラサイ市。
ここには支配階級であるユスル人と、被支配階級であるキブ人が危ういバランスを保ちながら生活していました。
しかし、ある炭坑爆発事故をきっかけとしてキブ人がユスル人に反乱、それが市内中に広がっていくことになりました。
キブ人の少年カニンダは、その混乱を受けて父、母、妹をユスル人に惨殺され、少年兵としてマトゥ軍曹の下、憎きユスル人を殺すことに懸命になるのです。
しかし、ある作戦が失敗したためにカニンダは保護され、里子としてイギリスへと出国させられることになりました。

とはいえ、カニンダはイギリスに来てからもユスル人に対する憎悪は消えず、なんとかイギリスから抜け出してラサイに戻ってユスル人に仕返しをする野望を持ち続けるまま生活を続けていくのです。
が、イギリスでの生活、里親の娘であるローラとの関わりあいなどを通じ、段々と心境が変化していくのです。


では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。








リトル・ソルジャー (ポプラ・ウイング・ブックス)/バーナード アシュリー
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~1回目 2011.5.23~

では、あらすじの続きを行きたいのですが、結構登場人物が多いので、まずは彼らを紹介しておきましょう。

1.キブ人
 ①カニンダ…主人公。家族をユスル人に殺され、少年兵に。保護されイギリスへ。
 ②マトゥ軍曹…カニンダの少年兵としての師匠。
2.ユスル人
 ○フォースティン・ンゲンジ…イギリスで、カニンダの学校へ転校してきたユスル人。
3.カニンダの里親家族
 ①ベティ・ローズ…「神の軍勢」の大尉で、カニンダを里子に。常に「神」のことを思う。
 ②ローラ・ローズ…ローズ家の一人娘。ベティへの反発もあり、ちょっぴり反抗気味。
4.バリア団地(クルー団)
 ①シーオ・ジュリアン…口が上手いヤンチャ坊主。ローラと良い仲。
 ②バズ・ロッソ…バリア団地のヤンチャ集団、クルー団を率いる番長。
5.ロープヤード地区(フェデレーション組)
 ①マクシン・ベンディクス…通称クイーン・マックス。女番長。
 ②チャーリー・タイ…クイーンの片棒。中国風。
 ③ドリー・ヘッジズ…小さな女の子で、車に轢かれて重傷となる。

では、細かいあらすじを。

ロンドンへ来たカニンダですが、思うことはユスル人のことばかり。学校に通うことになっても馴染まず、家でも口も利かないありさま。
カニンダの里親となったローズ家も、娘のローラが、キリスト教伝道組織「神の軍勢」の行事ばかりに熱心で、何かあれば「神」の加護しか口にしない母親ベティに反抗的。

ある日、ローラはバリア団地に住む仲良しのシーオ・ジュリアンのもとにむかい、シーオの兄が所有する赤い車を彼に運転させ、憂さ晴らしをすることに。
しかし、そんな遊びの代償はあまりにも大きかった。
母親に買い物を頼まれた、ドリー・ヘッジズは、女番長のクイーン・マックスから逃げるために道路を確かめないまま横断。そこで車に轢かれてしまったのでした。
逃げる車の様子を見ていたクイーン・マックスは、ナンバープレートのない、赤い車がドリーを轢いたのだと警察に証言し、自らも犯人を捕まえるために子分を集めて行動を起こします。

ナンバープレートのない、赤い車がドリーをひき逃げしたというニュースは、すぐに広がって行き、さらに意識を取り戻したドリーの『白いやつ』という証言が、犯人は白人らしいという噂となって、ローラの良心の首を絞めていきます。

一方のカニンダ。
ドリーひき逃げ事件で聞き込みに訪れたクイーン・マックスの片棒である中国系のチャーリー・タイをこてんぱんにやっつけ、学校に憎きユスル人のフォースティン・ンゲンジが転校してきたことを知り、先生たちに止められはしたものの飛び掛り、殺そうとします。
さらには、学校の社会科見学で訪れた製糖工場の砂糖がアフリカへも向かうということが分かったことで、アフリカへと逃亡する計画を本気で考えるようになります。

さて、クイーン・マックスらが率いるフェデレーション組は、チャーリーがカニンダにやられたこと、そしてドリー轢き逃げ事件の犯人がどうやらバリア団地にいるのだということ、この二点をもってバリア団地のクルー団と戦争を起こすことを考え始めます。
一方のクルー団も、近頃わが団地をフェデレーション組が荒らしていることから、戦争を起こすことを考え始めます。

カニンダは、もともとその種の戦争には興味がなく、ユスル人を、そしてンゲンジさえ殺せればいいと思っていたのですが、あるきっかけからクルー団に入団し、戦争に参加することになりました。
ここにおいて、カニンダの目標は3つ。
 (1)フェデレーション組との戦争に参加すること。
 (2)ユスル人のンゲンジを殺すこと。
 (3)製糖工場の船に乗ってアフリカへ向かい、少年兵に戻ること。
そして、まずはフェデレーション組との戦争に向かいました。

さて、日に日に罪の重さに苦しむローラ。
母親は「神の軍勢」のことばかりで構ってくれないし、轢き逃げのニュースもどんどん広がって行きます。
そうしてローラは、自分の犯した罪は到底母から許される訳がなく、また懺悔の意味を込めて不自由なアフリカでの生活で一からやり直すことを決め、カニンダのアフリカ密航について行こうと決めます。
その前に、ローラがやるべきこと。それは、ドリーを見舞うことでした。

カニンダがクルー団の一員としてフェデレーション組と戦争をしている最中、ドリーを見舞ったローラは驚くべき事実を知ることになります。意識を回復したドリーが看護師にこう言ったのです。
それは、「白いライトバンが自分をはねた」ということを。
ローラは記憶が一瞬にして甦りました。
そう、あの時通りを走っていたのはローラとシーオが乗った赤い車だけでなく、白い車もいた。そして白い車がドリーを轢き、赤い車はよけただけだったのです。しかし、その時ドリーが轢かれた姿を見たローラは、自分たちが轢いたと思ったのです。
確かに、免許を持っていないシーオの車に乗って悪さをしたことは褒められたことではありませんが、しかし最悪の事態はローラのせいではなかったことを知り、彼女は生きた心地を取り戻し、良い子になろうと決め、母の元へとむかうのでした。

さて、カニンダはカニンダで、ンゲンジを殺そうとするもそれが途方もなくムダだということを、暴力なしにンゲンジに諭されたことで、ンゲンジを殺すことはおろか、密航して少年兵としてユスル人を殺すことをも諦めることにするのです。


さて、感想です。
まず、この作品の奥深いところは、少年兵となってしまったカニンダのみに焦点を当てるのではなく、イギリスの生活をダブらせることによって問題を浮き上がらせているのです。

どういうことかといえば、
ドリーの轢き逃げ事件に端を発するクルー団とフェデレーション組の戦い。
これはある事件を大義名分として実は互いにその地区の敵対勢力にガツンといわせることにありました。
まさに、ラサイ市における炭坑爆発事故に端を発するユスル人とキブ人の戦いということとつながり、その真の意図も同じところにあると思います。
日本人の私が翻訳された文章として読んだ場合よりも、原著をイギリス人が読むとそこのところが余計にリアルに伝わるんじゃないかと思います。


そして、カニンダが心境を変化させるのは、実はかなり後半になってからでしたが、それがあまりにもドラマティックで胸に刺さります。
私自身、愛する家族を目の前で殺されたら、カニンダのように憎しみに燃える兵隊になるかもしれません。
しかし、敵対するはずのンゲンジが、すごく当たり前なんだけども立派なことを言う。

「ぼくがおまえの家族を殺したと思ってるの?ぼくの家族がやられたことで、おまえを責めてると思っているの?」(p289)
「ぼくの家族はほんとにひどいやり方で殺されたんだ。むごたらしいやり方で。ぼくだって恨んでるよ。でも、おまえを恨んでるんじゃない。おまえのせいじゃない。氏族同士の戦いのせいなんだ。戦争がぼくたちをみんなとりこんで、岩にたたきつけるんだ」(p290)

ただ、こういう開明的なことを考える政治家が、逆に自分達の勢力から暗殺されることが往々にしてあることが、民族紛争や内戦を終わらせない原因にもなるんですよね~ガーン

また、ローラが記憶を乱して自分がドリーをはねてしまったと誤解してしまったように、カニンダもあれだけ心に忠誠心を誓っていたマトゥ軍曹が、ユスル人でもない一般人を残虐的に殺していたことを、ンゲンジとの会話の後に思い出します。
悪いのは大人なんだ!!しかし、子どもを救うのも、そして未来の人材をを育てていくのも大人なんですよね!!

この本を読んで、話を聞いてくれる、頼れる存在って大事なんだなぁと思います。特に子どもにとって。
ローラの場合、カニンダだし、のちに心を入れ替えた母ベティであるかもしれません。
カニンダの場合、自分のことをカニンダ・ローズと呼んでくれたベティ、もしかしたら同じ国のンゲンジになるかもしれません。そうだったらいいなニコニコ

最後に。
訳者の解説の中でとても興味深いことが書いてありました。
実際の少年兵の中には、戦場へ行く直前に麻薬を渡されることがあるそうです。
それを傷口に塗ると、世の中が価値のないことに思えて、少年兵として人間を殺せるのだそうです。
こうした悲惨な状況を、我々日本人も対岸の火事ではなく、同じ地球で起こっていることということを認識するべきなんたなと感じました。


総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★
キャラクター:★★★ 
読み返したい度:★★★
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 菓子のつもりのカプセル剤くらいで驚いてはいられない。玄関の下駄箱の棚に化粧品が並んでいるかと思うと、食堂の食器棚に靴やスリッパが詰めこんであったり、浴室の脱衣場の棚には鍋や皿や大小の食器類が積みあげてあったりする。いちいち元の正当な置き場所へ戻そうとしても、戻したはたからまた別の突拍子もない場所へ移動するのだから、手の付けようがない。玄関の上り端にスリッパといっしょに履きふるした靴が並んでいたり、脱いだ靴が並んでいるべきタイルの床に植木鉢が並んでいたりする始末。
 アルツハイマー型痴呆症の頭脳の混乱は、先ず記憶をつかさどる機能の崩壊から始まるようだったが、日を逐って崩壊の度合いは進行していくかのようである。
(p9より)

 
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今回は青山光二さんの作品、吾妹子哀しを読みました。
「わぎもこかなし」と読みます。前年に発表された短編の中で最も優秀な作品に贈られる、川端康成文学賞の受賞作品。
この本では、その受賞作である吾妹子哀しと、その続編である書き下ろしの無限回廊が収められています。
内容は自身の体験をもとにした私小説のような感じで、非常に冷静な筆致がよりリアル感を増幅し、その重いテーマは、非常に考えさせるものとなっています。


あらすじです。

80歳代の杉圭介は、長い間学校の教員を勤めた後、現在は雑誌にエッセイを投稿する生活を送っています。
彼には愛する妻、杏子がおり、2人の間には子どもも授かり、孫にも恵まれた平穏な生活があったと思いきや。
妻、杏子は数年前からアルツハイマー型痴呆症を患っているのです。

病気の前、若かりし頃の様々な回想を杉は巡らせながらも、変わっていく妻の姿に一抹の孤独を覚えながら生活する毎日。
しかし、愛し合っている2人のふとした日常を綴ったもの、が吾妹子哀しです。

さらに、それからもう一歩踏み込んで、杏子を介護老人保健施設に入所させる前に杉が計画した、神戸への旅行の顛末や、2人の馴れ初めが語られているのが無限回廊となっています。


では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。







吾妹子哀し/青山 光二
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~1回目 2011.5.17~

細かいあらすじを、と行きたい所ですが、回想と現在の妻とのやり取りなどが、ばらばらにちりばめられている感じで、さらに物語的な大きな波のようなものはないので、あらすじではなく、印象に残った場面を書いておこうと思います。

まずは「吾妹子哀し」の方から。
1.杏子の排泄物を処理するということ
 愛する2人が結婚して数十年経ち、便座にどう座っていいのか分からずにタイルの床にしてしまった妻の便の処理をすることになったことに対する、若干の戸惑い。
 しかし、そのことを妻に極力言わないようにする杉の優しい配慮。

2.孤独について
 杉は大学を卒業する前後に街を徘徊しないとならないくらい孤独を感じていた。しかし、杏子により、その寂しさが紛れていく。
 一方の杏子は、病魔に冒されていくにつれ、孤独を感じるようになる。それについて、杉は自分の愛という責任を持たなければならないと思う。
 変わらぬ愛と、その決意。
 しかし、寝たきりになった場合、自分に介護できるわけではないので、特別養護老人ホームや介護老人保健施設に預けねばならず。預けた後に杉を襲う、可哀相だとか寂しいという感情。

次に「無限回廊」。
1.不思議な女、北川牧子
 杉の学生時代に出会った不思議な女性、牧子。
 家に押しかけ、一回の性交で結婚を決意し、思いを告げていないとはいえ杏子にしか愛情を感じなかった杉にとって、重いとしか言いようのない女性。
 しかし、彼女がいたおかげで杉は、杏子にプロポーズし、職にも就いて身を固めることに。

2.厚い友情で結ばれた深谷の存在
 結果的には戦争で夭折するが、杉の職探しや、牧子から逃げてきた事情をいち早く察し、杉のために尽力してくれる。


さて、感想です。

私小説なので、淡々と話が進んでいきますが(というのも私小説の場合、作者はあくまでも作者の心情しか分からないわけで、作者以外の行動は描けても心情はドラマティックには描写できないと思うのです)、それにしても、杏子の発言や杉の言動で、2人がいかに愛し合っているかということが分かります。

アルツハイマー型痴呆症により、日常生活を行うための記憶が抜け落ちていく中、杏子が一番発する言葉の類は、杉に「好き」「愛している」と呼びかけること。
素人ながらに思えば、私たちは当たり前にトイレに行き、当たり前に最寄の駅まで歩いて電車に乗るなどの行動をしますが、それは当たり前すぎていちいち考えたりせずに事を済ませています。
すなわち、「よし、これからトイレのドアを開けて、便座に座り・・・」などということは考えていません。
だからこそ、痴呆症となった場合、日ごろ意識していなかった当たり前のことは抜け落ち、逆に日ごろ意識していたことが頭の中に浮かぶのでしょうか。杏子の場合は、「杉を愛しているということ」がそれに当たるかと思えてしまいます。

例えば、様々なことを忘れてしまう杏子が、杉の生まれ故郷を神戸だと知っていたことに対し、杉が驚いた旨の発言をしたことから始まるこの素敵な台詞。

「ここ、どこですか」
「ここって・・・・・・、神戸だよ」
「ああ、あなたの生れた所」
「よくおぼえてるね」
「忘れるわけないでしょ」
「だって、何でも忘れちまうじゃないか」
「そうかしら」考えこむふうだった。「そういえば、わたしの名前、何ていうんだったかしら」
「困りましたねえ。何ていうお名前でしたかねえ」
「でも、名前なんか要らない」
「何だって」
「わたしという人は、杉圭介という人の中に含まれてるんですから」
(p211-212)

もちろん、杉の杏子に対する愛は随所に出てきますが、私は杏子を介護老人保健施設に入所させねばならないと思う場面で最も強く感じました。

自分では介護しきれないし、入所してプロに介護された方が杏子にとっても安楽なはずだ。
しかし、自分は妻を見舞うことはできない。あまりにも愛しているし、見るだけで辛くなるからだ。
という風なことを思っているです。
老老介護の現実といいましょうか、辛い部分だと言いましょうか。。。
しかし、杉圭介が語っているように、本当の意味でこの「愛し合っている」という本質が認識できたのは、子どもがいて、仕事をして、という若い頃や壮年の頃でなく、老いてからということのようで、杏子もおそらく痴呆症だったがゆえに「杉に告白される前から実はずっとずっと好きだった」ということを杉に告白したことを思うと、愛の強さを感じました。

杉の献身的な介護や、妻を思いやる気持ちも痛いほどに(言葉通りまさに痛々しいほどに)伝わってきて、自分だったらどうするのだろう、今だったらもちろん一生面倒を見ていこうと思うが、自分も高齢となって思うように体を動かすことができなくなったときにもそう思えるのか、ということを感じながら読み進めていました。

また、学生時代からの友人、深谷や長井など、登場こそ少ないですが強烈なインパクトを与えるほどの素敵なキャラクターで、インテリはやはり違うなと思わせます。
というのも、作者は東京帝大に在学し、京都の第三高等学校を卒業した、当時でも超エリートだったのですから。

これは、自分が老人と呼ばれる時期に差しかかったとき、もう一度読んでみたいと思う作品でした。



総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★
キャラクター:★★☆ 
読み返したい度:★★★★