『サヨナライツカ』/辻仁成 | こだわりのつっこみ

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 「飽きない?」
 と沓子が言った。
 「いいや、全然飽きないね」
 と豊が答えた。
 「不自然ね、つい先月まで私はあなたの存在すら知らなかったのに」
 「それを言うなら僕だって同じだ」
 「今は全てを知ったような気がしているけど、でも、それは間違い。よく考えたらまだ何にも知らないのよね」
 「確かに」
 「確かに」
 真似するな、と豊が言うと、沓子は舌を出してからこう言った。
 「君の背中の黒子のことまで知っているのに、君がどんな子供だったのかは知らない。君のどこを触ると感じるかを知っているけど、君がどんな人と付き合ってきたのかを知らない。君の髪の毛の硬さを知っているけど、君の両親のことを知らない。君の鼾や歯ぎしりのことを知っているけど、君が結婚しようとしている人のことは全然知らない」
 そこで不意に沓子の顔が真面目になった。
(p77-78より)

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辻仁成さんのサヨナライツカです。

さっそくあらすじです。

1975年のタイ。
東垣内豊はこの地で営業としての海外勤務を順調にこなし、さらに日本には尋末光子という婚約者がいるという、絵に描いたような好青年。
その婚約者との結婚を同僚たちに報告するパーティで、彼は謎の美女、真中沓子を紹介されます。

もちろん、婚約中の彼にとってみたら、これから何かを起こそうなんてことは考えてはいなかったのですが、そのパーティの1週間後、突如として豊の暮らすマンションに沓子が訪れ、そのまま体の関係を結んでしまいます。

それからは毎日のように会う2人。
沓子は、タイのバンコクで超一流ホテルのザ・オリエンタルバンコクのスイートに暮らしており、なぜそんなにも金があるのか、そもそも沓子はどういった人物なのかということは分からず、豊は当初乗り気ではなかったのですが、沓子の抜群のタイミングでの連絡や、体の相性などもあって、徐々に豊の頭には沓子が浮かぶほどに存在が大きくなっていきます。

しかし豊が結婚相手として考えていたのは、光子。
タイで開かれる光子との結婚式まで沓子との関係をこっそり続け、いずれ別れればいいのだという風に考える豊。

しかし、次第に沓子は人々に目につくように接し、目につくような場所に行こうとするようになります。
すると当然、2人の関係は徐々に明るみになり、光子との結婚を控えていることを知っている日本人にも知られるようになります。

さて、2人の関係はどうなっていくのか?
そもそも沓子はなぜ結婚することを知っていながら豊に近づいたのでしょうか?

では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。












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~1回目 2011.6.9~

では、あらすじの続きを。

行動が次第に人目につくくらい大胆になってしまいながらも、一方では幾度か沓子に別れを切り出させるような行動を起こします。
が、いずれも失敗。
沓子は沓子で、当初とは違い、次第に豊を束縛するような(豊が光子と結婚することを嫌がるような)振る舞いになっていきます。

さて、そんなもやもやが続く中、2人はアユタヤに旅行することになりました。
そこで明かされたのは、沓子が豊に迫った理由。
沓子はかつて結婚をしており、突然多額の慰謝料を渡され離婚を突きつけられた過去がありました。
そこで、高級なザ・オリエンタルホテルに暮らしながら、いい男を捜して、別れた男の目に留めさせるというある種の復讐のために豊に近づいていたのです。
それに、豊は結婚を間近に控えている身なので別れもそう難しいことはないという判断で。

しかし、誤算は、どんどん豊に惹かれていってしまったということ。
沓子にとって、豊はいつまでも一緒にいたいという存在にまで膨らんでしまったのでした。

その旅行で告げられた真実は、豊にとって狂おしい悩みの種となってしまいます。
しかし、同時に光子が日本からやってきて、結婚式を挙げる日も近づいてきます。

が、沓子はそれを察したのか、ある時東京に戻ると豊に言うのです。
そして空港で2人は別れます。
愛していたとの言葉を豊に告げ。


それから25年、豊は専務に昇進し、良妻賢母の光子との生活を送っていました。
そこに、タイのザ・オリエンタルホテルで行われる社の式典に出席する機会がありました。
豊にとって、辛く悲しい別れをしたタイの、しかも沓子と何度も愛を重ねたザ・オリエンタルホテルバンコク。
色々な感情を胸に抱えながら、豊はホテルに向かいます。

ホテルでは、25年前のことがつい先日のように思い起こされ、強くなった想いはさらなる切なさを呼び起こします。
が、辺りを見回すと・・・近づいてくる一人の女性。
月日は重ねども、あの別れからずっと想い続けていた女性、沓子でした。
彼女はホテルの従業員となり、いつか来るかもしれない豊を待っていたのでした。

再会を戸惑いながら言葉にできぬ感動に浸る豊と沓子。
2人の会いたかった気持ちは、しかし時間と立場で、それ以上には発展することはありませんでしたが。

さらに4年経ち、不意に沓子から手紙が豊のもとに届きます。
手紙には、自分の命はもう長くない旨が記されていました。
豊はいてもたってもいられず、再びバンコクへと足を運びます。
病床に伏せる沓子がいる前で、豊はお互いがあの別れがあった後から今まで相手を思い続けていたこと、あのバンコクでの日々が人生の大きな意味になったことを確認するのでした。


さて、感想です。

結構面白かったですニコニコ
はじめは幸せをぶち壊そうとする沓子と、何もできないで状況に身を任せる豊にモヤモヤしました。
また、非現実的な歯が浮くような台詞回しにもちょっと馴染めませんでした。
しかし、読み進めると2人の愛の深さがこれほどまでかと思うと面白くなってきて。

特に、素性が分からない金持ち女性として登場した沓子が、復讐のために豊を利用していたことと告白した後からは、素直に感情を豊にぶつける。
そこがとってもかわいらしく感じました。

確かに最初は浮気だったかもしれないし、お互いの打算のもとにはじまった恋愛ですが、30年近くも想い続けるなんてことは、そうそうできるものではありません。
25年後の再会の後、沓子から差し出された手紙を、銀行の金庫に預けて、何かあると銀行へ出向いて手紙を読みふける豊は、おじさんが何をやってるんだという若干気持ち悪い部分もあるけれど、でもかわいらしさもあると思います。

思えば、ある地点からおじさんに「なる」のではなく、いつの間にか世間がおじさんと「みなす」のであって、豊と沓子の関係は、あの25年前の青年と年上のお姉さんと少なくとも気持ちの上では変わっていないのですよね。
とすれば、いつまでたっても豊かのことを「君」と呼ぶ沓子はすごくかわいらしいです。

光子との間でも、それはそれは完璧な夫・父です。
多分、豊は体が2つあったらよかったなぁと思ったことがあることでしょう(笑)


ただ、個人的に「う~ん、、、」となる部分もありました。

まず1つ目は、いかにも「名台詞」を狙って作っているような感じがあるということ。
それはもちろん、「人は死ぬとき、愛されたことを思い出す人と愛したことを思い出す人に分かれる」ということ。
これがどのように本文にとって重要な意味をもつのかはあまりよく分かりませんでした。
だって、豊と沓子は結局「愛していたことも思い出し、愛したことも思い出す」のでしょうから。

そして、クライマックスが本の分量に対して多いんじゃないかということ。
つまり、蛇足部分があるんじゃないかなぁということ。
少なくとも、この作品のクライマックスは、沓子との別れ、沓子との再会、病床の沓子との最後の場面があると思います。
が、沓子との再会以後は別になくてもよかったんじゃないかなぁと思うのです。
極端な話、p188にちょっと説明を加えただけで終わった方が、のちに読者に色々考えさせる余地があっていいのではないかなぁと。
沓子が死ぬ場面までは引っ張りすぎの感がありましたあせる

でも、総合的にはなかなか楽しめましたよ~。
読み返すかどうかは分からないけれど汗


総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★
キャラクター:★★★☆ 
読み返したい度:★★☆