菓子のつもりのカプセル剤くらいで驚いてはいられない。玄関の下駄箱の棚に化粧品が並んでいるかと思うと、食堂の食器棚に靴やスリッパが詰めこんであったり、浴室の脱衣場の棚には鍋や皿や大小の食器類が積みあげてあったりする。いちいち元の正当な置き場所へ戻そうとしても、戻したはたからまた別の突拍子もない場所へ移動するのだから、手の付けようがない。玄関の上り端にスリッパといっしょに履きふるした靴が並んでいたり、脱いだ靴が並んでいるべきタイルの床に植木鉢が並んでいたりする始末。
アルツハイマー型痴呆症の頭脳の混乱は、先ず記憶をつかさどる機能の崩壊から始まるようだったが、日を逐って崩壊の度合いは進行していくかのようである。
(p9より)
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今回は青山光二さんの作品、吾妹子哀しを読みました。
「わぎもこかなし」と読みます。前年に発表された短編の中で最も優秀な作品に贈られる、川端康成文学賞の受賞作品。
この本では、その受賞作である吾妹子哀しと、その続編である書き下ろしの無限回廊が収められています。
内容は自身の体験をもとにした私小説のような感じで、非常に冷静な筆致がよりリアル感を増幅し、その重いテーマは、非常に考えさせるものとなっています。
あらすじです。
80歳代の杉圭介は、長い間学校の教員を勤めた後、現在は雑誌にエッセイを投稿する生活を送っています。
彼には愛する妻、杏子がおり、2人の間には子どもも授かり、孫にも恵まれた平穏な生活があったと思いきや。
妻、杏子は数年前からアルツハイマー型痴呆症を患っているのです。
病気の前、若かりし頃の様々な回想を杉は巡らせながらも、変わっていく妻の姿に一抹の孤独を覚えながら生活する毎日。
しかし、愛し合っている2人のふとした日常を綴ったもの、が吾妹子哀しです。
さらに、それからもう一歩踏み込んで、杏子を介護老人保健施設に入所させる前に杉が計画した、神戸への旅行の顛末や、2人の馴れ初めが語られているのが無限回廊となっています。
では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。
- 吾妹子哀し/青山 光二
- ¥1,680
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~1回目 2011.5.17~
細かいあらすじを、と行きたい所ですが、回想と現在の妻とのやり取りなどが、ばらばらにちりばめられている感じで、さらに物語的な大きな波のようなものはないので、あらすじではなく、印象に残った場面を書いておこうと思います。
まずは「吾妹子哀し」の方から。
1.杏子の排泄物を処理するということ
愛する2人が結婚して数十年経ち、便座にどう座っていいのか分からずにタイルの床にしてしまった妻の便の処理をすることになったことに対する、若干の戸惑い。
しかし、そのことを妻に極力言わないようにする杉の優しい配慮。
2.孤独について
杉は大学を卒業する前後に街を徘徊しないとならないくらい孤独を感じていた。しかし、杏子により、その寂しさが紛れていく。
一方の杏子は、病魔に冒されていくにつれ、孤独を感じるようになる。それについて、杉は自分の愛という責任を持たなければならないと思う。
変わらぬ愛と、その決意。
しかし、寝たきりになった場合、自分に介護できるわけではないので、特別養護老人ホームや介護老人保健施設に預けねばならず。預けた後に杉を襲う、可哀相だとか寂しいという感情。
次に「無限回廊」。
1.不思議な女、北川牧子
杉の学生時代に出会った不思議な女性、牧子。
家に押しかけ、一回の性交で結婚を決意し、思いを告げていないとはいえ杏子にしか愛情を感じなかった杉にとって、重いとしか言いようのない女性。
しかし、彼女がいたおかげで杉は、杏子にプロポーズし、職にも就いて身を固めることに。
2.厚い友情で結ばれた深谷の存在
結果的には戦争で夭折するが、杉の職探しや、牧子から逃げてきた事情をいち早く察し、杉のために尽力してくれる。
さて、感想です。
私小説なので、淡々と話が進んでいきますが(というのも私小説の場合、作者はあくまでも作者の心情しか分からないわけで、作者以外の行動は描けても心情はドラマティックには描写できないと思うのです)、それにしても、杏子の発言や杉の言動で、2人がいかに愛し合っているかということが分かります。
アルツハイマー型痴呆症により、日常生活を行うための記憶が抜け落ちていく中、杏子が一番発する言葉の類は、杉に「好き」「愛している」と呼びかけること。
素人ながらに思えば、私たちは当たり前にトイレに行き、当たり前に最寄の駅まで歩いて電車に乗るなどの行動をしますが、それは当たり前すぎていちいち考えたりせずに事を済ませています。
すなわち、「よし、これからトイレのドアを開けて、便座に座り・・・」などということは考えていません。
だからこそ、痴呆症となった場合、日ごろ意識していなかった当たり前のことは抜け落ち、逆に日ごろ意識していたことが頭の中に浮かぶのでしょうか。杏子の場合は、「杉を愛しているということ」がそれに当たるかと思えてしまいます。
例えば、様々なことを忘れてしまう杏子が、杉の生まれ故郷を神戸だと知っていたことに対し、杉が驚いた旨の発言をしたことから始まるこの素敵な台詞。
「ここ、どこですか」
「ここって・・・・・・、神戸だよ」
「ああ、あなたの生れた所」
「よくおぼえてるね」
「忘れるわけないでしょ」
「だって、何でも忘れちまうじゃないか」
「そうかしら」考えこむふうだった。「そういえば、わたしの名前、何ていうんだったかしら」
「困りましたねえ。何ていうお名前でしたかねえ」
「でも、名前なんか要らない」
「何だって」
「わたしという人は、杉圭介という人の中に含まれてるんですから」
(p211-212)
もちろん、杉の杏子に対する愛は随所に出てきますが、私は杏子を介護老人保健施設に入所させねばならないと思う場面で最も強く感じました。
自分では介護しきれないし、入所してプロに介護された方が杏子にとっても安楽なはずだ。
しかし、自分は妻を見舞うことはできない。あまりにも愛しているし、見るだけで辛くなるからだ。
という風なことを思っているです。
老老介護の現実といいましょうか、辛い部分だと言いましょうか。。。
しかし、杉圭介が語っているように、本当の意味でこの「愛し合っている」という本質が認識できたのは、子どもがいて、仕事をして、という若い頃や壮年の頃でなく、老いてからということのようで、杏子もおそらく痴呆症だったがゆえに「杉に告白される前から実はずっとずっと好きだった」ということを杉に告白したことを思うと、愛の強さを感じました。
杉の献身的な介護や、妻を思いやる気持ちも痛いほどに(言葉通りまさに痛々しいほどに)伝わってきて、自分だったらどうするのだろう、今だったらもちろん一生面倒を見ていこうと思うが、自分も高齢となって思うように体を動かすことができなくなったときにもそう思えるのか、ということを感じながら読み進めていました。
また、学生時代からの友人、深谷や長井など、登場こそ少ないですが強烈なインパクトを与えるほどの素敵なキャラクターで、インテリはやはり違うなと思わせます。
というのも、作者は東京帝大に在学し、京都の第三高等学校を卒業した、当時でも超エリートだったのですから。
これは、自分が老人と呼ばれる時期に差しかかったとき、もう一度読んでみたいと思う作品でした。
総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★
キャラクター:★★☆
読み返したい度:★★★★