休みの日にブログを書くくらいしかやることがないのかと思うが、Twitterよりはましかもしれない。目くそ鼻くそである。
ふと、今日はこれとこれがもうあるから明日の算段はつくので買い物には行かなくていいな、と考えた。
瞬間、なるほど、私は買い物に行くのがめんどくさいのだなと理解した。
買い物がめんどくさいと思ったことが今までなかった。否、己の中にそういう気持ちがあることに気が付いていなかった。
やりたい、やりたくない、という二極的な感覚ばかりがあって、別にやってもいいが、なんとなく気が乗らん、というグラデーションな気分が表現できなかった。
面白いものだ。
何が面白いのだろうか。
豹変。
ふと我に返って文章を読み返すと、さきほどまであった天啓的な心持ちが霧消してしまって、なにやらよく分からんことを書いとるなこいつは、という冷めた気分になりつつある。
言語化が下手くそということなのだろう。しかし、言語化してみたけどなんかダメだったというところまで書いてみると、これはこれで悪くないとも思えてくる。
言葉にできない、ロマン的な意味合いはなく本当にただ自分の言語能力の拙さの仕業によるものであっても、非言語的な発見があった記録を残せたというところには、微かな満足を覚えるのである。
ここまでで530文字程度か。
もう少し何か書くか。800文字くらいまで。
原油などの輸入が滞って時が経つが、えらいもので、本当に破局的な危機を前にすると、市民はいよいよトイレットペーパーを買占めにも行かなくなるのだなという、興味深い発見があった。
まだ感染症のパンデミックなどはそういう意味で生易しい現象だったのだろうなと思う。本当に必要な、エッセンシャルな部分だけは動かしつつ社会の動きを止めてしまうのというも、当然それもさまざまな部分で苦しい状況を生んではいたが、原油や天然ガスなどはそれどころではないのであるからして。
慌てたって騒いだって、我々に為す術はない。ないものはない。どうしようもない。そこまでくると、逆にみな冷静である。
とはいえ、今回は一時的な停滞に終わるのだろうが、結局のところ、いつか来ることではある。
資源はいつか必ずなくなるのである。一部の人々は、せっせと宇宙船を作って火星まで飛ぼうとしているが、それが成功しようと失敗しようと、将来は変わらない。我々はその滅亡の手前で、まず野に帰るのだ。この宇宙が永遠でないのなら、文明の終焉など、些末なことでさえない。
1000文字になってくれた。満足だ。
